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体育祭 3
しおりを挟むちちち、そんな鳥の声が静まったこの場所に響いたかと思えば、俺は硬直しきっていた。なぜって、だってそうだろ?
俺、今なんて言った?
「オムライス?」
「……」
隆二さんと兄がこちらを呆然と見つめている。その視線の先にいる俺はと言えば、恥ずかしさと後悔で顔を赤く、いや青く、やっぱり赤くしていた。
「あ、の……ち、ちが……っ」
「オムライスって言ったよな? なに、オムライスって」
全身を茹ダコのように真っ赤に染めていれば、どこか悪戯気な隆二さんが俺に突っ込みをいれてきた。
止めてくれ、本当に止めてくれ。自分でも穴に埋まりたいくらい後悔してるんだ。
「……はぁ、おい隆二。先に帰るぜ」
「あ、おい玲央……」
つまらなそうにため息をついた兄がこちらに背を向ける。だけどそれよりも早く、俺の腕は伸びていた。伸びて、兄の腕を掴んでいた。
その瞬間、こちらを見た兄の顔が怒りをおびて、自由な左手が俺の頭上へと振りかざされる。
「――あ?」
痛みが来るよりも早く、俺はそんな兄に抱き着いた。俺よりもでかい胸板は固いし広いし、でも、なんか香水のいい匂いがする。
「て、め……っ、ふざけんな離れろっ」
「いいからっ!」
「はぁっ!?」
叫んで、すぐ息を吸う。覚悟なのかよく分からない言葉が、今度は小さな声で出て行った。
「家で、なら……いくら殴ってもいい、から……っ! だから、だから今は……」
兄の胸板から顔を上げ、喉奥から飛び出ていく言葉を吐き出す。
「走ってくれよ……っ!」
懇願か、願望か、ここまで必死になる理由が分からない。それが兄に届けば、驚きの表情を浮かべた兄貴は舌打ちをこぼした。
あぁ、やっぱり……無理か。
「面倒くせぇ」
「――え?」
なかば諦めていたそのとき、なぜか、なぜか俺の視界はいつぞやのように反転した。
俺はまた、兄に抱えられたのである。
「あ、の……」
「しゃべんな、うぜぇ」
「……」
「つーかなんだよオムライスって、まさか俺に作れっつってんじゃねぇだろうな?」
「あ、それは……そ、の」
そのまま歩き出した兄の言葉に返事をすれば、不機嫌そうな舌打ちがなんどもされた。
ふと視線を違う方向へ向けてみれば、呆然とした隆二さん、手で口を押えた雄樹、そしてカメラをばっちり回している仁さんが見えていた。
――笑いネタ、できたな……俺の。
「……あの」
「あ?」
仁さんのカメラに多少落胆しつつも、俺は抱えて歩く兄のほうを極力向く。
「ありがとう……ござい、ます」
「……」
「俺……まさか聞いてくれるとは、正直思ってなくて……だから」
「……」
なぁ、最近さ、兄貴機嫌いいよな。普段の兄貴を知らないから正直分かんないんだけど、でも俺は家での兄貴しか知らないから。
こうやって、見せてくれる兄貴の全部がこの上なく嬉しい。
だから、
「すごい……幸せ、です」
そう言って微笑んでしまえば、やはり兄の返事は舌打ちが一つ。それでも俺は満足していて、このにやけ顔をどうしようかと思いつつもやはり笑い続けてしまった。
そんな俺がシュールだったのか、それとも兄の行動に度肝を抜かされたのか、全校生徒プラス教師たちが固まって止まったままの校庭で、俺は念願の一位を獲得した。
「意味が分からない」
「それこっちのセリフだしー! なんなのなんなのー! もー! マジレアもん見た!」
そのあと、ゴールにつくなり俺を地面へ投げ捨てた兄は帰ってしまい、なんとも言えない空気の中で続行された借り物で、なぜか雄樹は仁さんを連れて帰ってきた。そのお題を見せてもらえば、恋人。どうしよう、意味が分からない。
「え、マジで、本当になんで?」
「わ、なに、どうしたトラちゃん」
なぁ、待ってくれ。待ってくれよマジで。
恋人ってお題で仁さん連れて、あげくの果てに一位?
なに、そんなんでいいの?
じゃあ例えば俺が隆二さんを兄だとして連れていけば、やっぱりOK出てたの?
そんな勇気があるかどうかの前に、そんな中途半端な審査で一位をとって帰ってきた雄樹に、俺はつい先ほどまで掻いていた冷や汗が無駄な気がして信じられないほど動揺していた。じゃあ俺の努力はなんだったんだって。
「いや、トラちゃんの場合は駄目でしょ。実兄が玲央さんだってみんなにバレてんだし」
「……あ、そっか」
そういえばそうだった。あー……なんだ、変に動揺して損した。
あれ? てかなんで雄樹、俺の心の声が……口に出てたのか?
「え、てーかそっち? 仁さんと恋人のほうが驚きじゃなくて?」
「は? なに、本当なの?」
「……本当……かもしれない、よ?」
……なに、その「よ?」って。キモイ。
げんなりした顔を雄樹に向ければ、なぜか固まってしまうアホ。
うしろで笑っていた仁さんが雄樹の頭に手をのせて、俺のほうに意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「こいつ、俺のモンだから」
わぁお。マジだ。目を泳がせる雄樹と、そいつの頭をわしゃわしゃと撫でる仁さん。
そうか。だから雄樹は仁さんに懐いてて、仁さんは雄樹のアホにも付き合っていたんだ。
納得してしまえば、すんなり受け入れられた。
「ちなみにご懐妊は……」
「してねぇし!」
「え、じゃあまだ手も繋いだことが……っ」
「いや繋いでるから! バリバリラブラブだからっ!」
俺のアホなノリに突っ込みを入れる雄樹。いや、なんだよバリバリラブラブって、死語とかもう超越してんぞその言葉。
そんな雄樹に笑いを堪えていれば、やつはハッとして俺を凝視する。なんだかいつか見た瞳に似ていて頭を撫でたかったのだが、そこには仁さんの手があったので頬をつねってみた。
「いいんじゃない? 逆に付き合ってるって知ってしっくりきてるし、お幸せに」
「……トラ、ちゃん……」
驚愕したやつの瞳が、まあるく俺を見つめている。
もしかして嘘で、俺は騙されていたのだろうか? そんなことが一瞬頭によぎるが、
「……えへへ」
嬉しそうに、それはもうアホさ全開の幸せそうな笑みを見て、俺は雄樹と仁さんを心から祝福した。
一体どれほど付き合っているのかは知らないけれど。
そんなカミングアウトを受けても俺たちは相変わらずで、残りのスプーンレースまでのんびりと、それはもうのんびりと過ごしていた。
借り物で隆二さんがなぜか竹刀を持ってゴールしていたり、元調理室の住人、リーダーさんが驚くほど足が速かったり、そんな他愛もない日常の風景と発見を見ながら、あっというまに昼の時間になっていた。
昼は仁さんが用意してくれると言っていたので楽しみにしていれば、それは五段重ねのおせち並みの豪華さをまとう弁当だった。
なぜ、なぜおにぎりが一口サイズ……っ、なぜ白ゴマ……っ! なぜ! 鯛の焼き物!
仁さんのチョイスに変な感銘を受けつつ、俺と雄樹は仁さんのおせち……ではなく弁当に舌鼓を打ったのである。
「あ、リーダーさん」
「あ?」
そして午後の部がはじまり、眠りこけていた俺と雄樹が仁さんに叩き起こされ、しぶしぶスプーンレースのスタート地点へ行けば、その途中でリーダーさんに遭遇した。
俺が「リーダーさん」と言った瞬間、雄樹はブフッ! と噴き、リーダーさんは眉間にしわを寄せる。
「今なんつった?」
「あー、いや……その、ははは」
「……」
厳つい表情でリーダーさんが俺に迫りくる。いや、だって名前知らねーし。なんでか雄樹は連絡先知ってるけど、俺、知らねーし。
「……豹牙、江藤豹牙(えとうひょうが)だ」
「……江藤、先輩……?」
「あぁ、そうだ。リーダーなんて名前じゃあねぇよ」
「ふっ、ははっ、はい、ですよね」
不良である彼を怒らせただろうかと目を泳がせていれば、なんと自己紹介をしてくれた。
江藤豹牙、豹だから足が速かったのか、なんてありえもしないことを思いつつ、どこか恐怖心を感じさせない彼に微笑んだ。
不思議と、この人は怖くない。多分俺のお願いを聞いてくれた人、だからなんだろうけど。
「ウケるー! えっちゃんがリーダーさんとかっ! マジでトラちゃんネーミングセンスなさすぎー!」
「うるせぇアホ」
ケラケラ。腹を抱えて笑う雄樹にふて腐れていれば、目の前の江藤先輩は控えめに笑った。なんつーか、こう、口から笑みが漏れてきたような……そんな感じ。
つーかなんだえっちゃんって。可愛いあだ名だな。
「あ、さっき見ました。江藤先輩って足速いんですね」
「そうでもねぇよ。つーか俺も見たし、お前と玲央さんの独走」
「どどど独走!? 違うくないですか!?」
「独走だろ。みんなアホ面で固まってたぞ、あんとき」
クスクス。笑われながらこう改まって言われると、気恥ずかしいとかそれ以前に、もう穴に埋まりたい。
「ま、楽しかったからいいけど」
「うぅ……できれば記憶から消していただきたい。切実に」
「ふっ……お前って、意外と面白ぇやつだな」
「――へ?」
手の甲を口に当てながら笑う江藤先輩の言葉に、俺はきょとんとした顔で見つめてしまう。
俺、面白いのか?
「いや、アホのほうが面白いでしょう」
「アホって内山だろ? あれはアホだから新鮮味に欠けてんだよ」
「ちょっとー! なにそこでアホアホって! ひどいわ誰か慰めて!」
俺と江藤先輩の会話に雄樹が泣きついてきた。
よしよし、とりあえず頭を撫でてやる。
「内山ー! てめぇらさっさと来いや!」
そんな雄樹イジメをしていれば、スプーンレースのスタート地点にいるクラスメートに呼ばれてしまう。
雄樹は「わーん! 聞いてよー!」とか言いながら先に行ってしまったので、俺はとりあえず江藤先輩にお辞儀をしておく。
「もっと話してぇけど、ま、今からはじまる競技も楽しみにしてる」
「や、もう兄貴帰ったんで。さっきみたいなことは起きませんよ」
あ、そうなんだ? なんて口元を緩めたままの彼に微笑んで、じゃあまたと背を向ける。
なんだ。意外と話しやすい人じゃないか。つーか気が合うし、心地いい。
新たな友情の芽が見えた気がして、俺は軽い足取りで雄樹の元へ駆け寄った。
なんて、俺の機嫌が上昇していたというのに、そのあとのスプーンレースは散々だった。
俺の、いや俺のバックである兄を恐れてか、俺と共に走る連中は越さないようにわざと遅く走るし、雄樹は雄樹でピストル音が鳴った瞬間、なぜか左隣の不良を蹴り倒し、そいつらの口からこぼれたスプーンを先に走るやつの頭に命中させ、悠々とゴールをしやがった。
そんで仁さんの元に戻れば、なぜか江藤先輩と談笑していやがる。
「はっ、マジ腹いてぇ。雄樹お前、なんだよあの独走」
「すごいでしょー? 褒めて褒めて?」
「あー、涙出てきた……」
雄樹の勇士に爆笑している仁さんは帰ってきてからしっぽを振る雄樹の頭を撫でながら、生理的に出た涙をぬぐっている。俺はちらりと横を見て、なぜかこちらを凝視している江藤先輩に固まった。
「だせぇな」
「え?」
「お前と一緒に走ったやつら。さっきの見てビビってんだろ、だっせぇ」
「……」
漠然と、ただ浮かんできたのはこの人は良い人だ、なんてありきたりなこと。
正直、俺もさっきの走りはちっとも楽しくなかった。確かに俺には最悪ともいえる兄がいるが、それを気にされてわざとらしく走られれば気が悪いし、良い気もしない。だけどこの人はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ばっさりと言い放ったのだ。
多分、この人が一緒に走っていたのなら、きっと兄を恐れたりはしないだろう――そんな漠然なことを、思った。
それが嬉しくて、俺は笑ってしまう。
「江藤先輩って、いい人ですね」
「は?」
そのまま思ったことを口にすれば、あっけに取られたような顔をした彼が目を丸くする。
「だってそうでしょ? この前も俺の頼み聞いてくれたし、今だって、兄貴のことを気にせず普通に接してくれてる」
「……」
「俺、江藤先輩みたいな先輩、ずっと欲しかったんです。だからなんかそれが叶ったみたいで、ちょっと幸せ」
照れ隠しで肩をすくめながらそう言えば、江藤先輩はしばらく黙ったままで、かと思えばおもむろに微笑み、俺の額にデコピンを一発。
「無防備すぎ」
楽しそうな、嬉しそうな、だけど少し恥ずかしそうな、そんな笑みと声に、俺はまた笑ってしまった。
あぁ、なんだか今日は幸せな日だな。そんなジジくさいことを思いつつ、まだ残っているオムライスに胸を弾ませる。
そうして出場する競技が終わった俺たちは、優勝など気にすることなく談笑しつづけた。主に雄樹のアホトークにみんなが突っ込みと笑いを入れていたような気もするが。
最後の閉会式になって俺たちのチームが優勝したのだと聞いたが興味はなく、どこかの父親のようにカメラと脚立を抱えた仁さんとカシストへ向かえば、なぜか江藤先輩までついてきた。
「は? こいつデスリカんとこのオーナーの弟だぞ?」
「……は?」
そんな疑問を残しつつカシストでお疲れ会を開いていた中、俺の疑問に答えてくれた仁さんの口から出てきた言葉は意外なものでしかなかった。
ゆっくりと江藤先輩のほうをみれば、涼しい顔で頼んだ酒を飲んでいる。
「え、え、なにそれ」
「あれ? トラちゃん知らなかったのー? 知ってると思ってたー」
「知らねぇよ! 知ってたら大人しくしてたわ!」
「えー? なんで大人しくすんのー? 意味分かんなーい」
アホな雄樹は放っておいて、俺は江藤先輩のほうに深々と頭を下げる。
「いつも兄がお世話になってます」
「……ぶっ」
当たり前だと思っていた挨拶をすれば、なぜか俺以外の全員が噴き出した。
「あははっ! なにそれ! なにそれー! トラちゃんウケる! マジ可愛いー!」
「はは、律儀すぎんだろ。つーか言ってやれ、逆に兄貴があそこにいて迷惑だろって。追い出せって言ってやれ」
「仁さん、なにさりげなくうちの妨害しようとしてんだよ」
ぽかんとする俺をよそに、三人はそれはそれは面白そうに笑っている。
間違ったことをしたのだろうか? でも身内が世話になってるときって、この挨拶が常識なんじゃ……?
口を開けたまま呆然としている俺の頭に、江藤先輩の筋張った手が乗った。
「こちらこそ、いつもお世話してます」
なんて、微笑みながら言われてしまえば理解した。
あぁ、そうか。別にいいんだ。挨拶とか常識とか、そんなの関係なくてもいいんだ。だって、この人は今、受け入れてくれた。
「……」
「ん? どうした、急に顔赤くして」
「……江藤先輩、男前すぎる」
「そうか? 俺はお前のほうが男前だと思うけど」
なんだ、これ。無性に恥ずかしい、そのくせ嬉しくて嬉しくて、たまらない。
この人は寛大だとか、そんな二文字の言葉じゃ表現しきれないくらい広い。個々それぞれの常識を尊重して、認めてくれる。受け入れてくれる。
それがどれほど他人にとって嬉しいことか、分かっているのだろうか。
「う、わ、わー、なんか……やばい、です」
「おーおー、照れてろ照れてろ。可愛いから飽きねぇし」
「可愛い!? それは間違った使い方だと思う!」
「間違ってねぇよ。俺の目が正しい」
引かない江藤先輩の言葉に笑えば、頭に乗った彼の手が無遠慮に撫でまわしてくる。
仁さんとは違う撫でかたに嬉しい発見をしたなんて感動しつつ、俺は確かに、この高校での先輩ができたことを感得した。
それから仁さんお手製絶品オムライスを堪能し、よく分からないハイテンションで飲みまくったあと、おぼつかない足で家へと帰宅する。
明りのついていない部屋を見て落胆する反面、今日はいいことだらけだったのだと自分自身を奮い立たせた。
鍵を開け、ギョッとする。兄の靴がそこにあったからである。
瞬時に体が反応し、息を止める。バレないように、そっと靴を脱いだ。
「……」
物音一つ立てずにリビングまでくれば、どうやら兄の姿はない。寝ているのだろうか? 珍しい。
そんなことを思いつつ緊張したまま自室を目指せば、さらに俺の目は見開くこことなった。
信じられないことに、キッチンに置かれたダイニングテーブルの上に……オムライスがあったのだ。ケチャップはつけられていないがラップのされた、黄色いオムライスが確かに置かれていた。
「……う、そ……」
ありえない、けど、夢じゃない。
いや、もしかして酔っぱらってるから幻覚でも見てるんじゃないだろうか?
鈍い動きで頬をつねる。うん、痛い。
じゃあこれは――。
「夢、じゃ……ない?」
理解した途端、俺はなりふり構わず兄の部屋に飛び込んだ。
激しい物音が静寂な部屋に鳴り響く。その音で起きてしまっただろう兄が恐ろしい殺意を俺に向けてきた。
と、いうのに。
正直、このときの俺はどうかしていた。
……俺は、部屋に飛び込んだその勢いで兄に抱き着いてしまったのである。上半身を起こしながらこちらを睨む、その逞しい体に……だ。
「あ、あれ! あの、オムライス……っ!」
「……」
「作ってくれたんだろ!? え、俺のため!? わ、わ……どうしよ……っ」
「……」
なんだか馬鹿みたいに興奮しながら、緩んできた涙腺から涙らしきものが湧いてくる。それなのに、俺は笑みを浮かべながら兄を見上げた。
「う、れ……しい……っ!」
ぽろり。たった一粒だけ、兄のベットシーツに俺の涙がこぼれた気がした。
「……」
こちらを見たまま動かない兄を改めて認識したその瞬間、俺の背筋は金属にでも変換されたように固まった。動けなくなった。唐突に理解したのだ。今、自分が一体どれほど愚かなことをしているのかを。
きっと兄は俺が嫌いだ。この世で一番嫌いだ。だから俺のことを平気な顔して殴って、蹴って、およそ兄弟に向ける言葉ではないそれを刺してくる。
なのに……それを一番理解しているだろう俺は、興奮と歓喜に身を任せてこんなことを、兄に抱き着いてしまっている。
「……」
「……」
それまで自然と湧いていた涙らしきものは止まり、おまけに表情筋すら止まってしまって、謝ることも逃げることも、あまつさえ抱き着いたままの手すら退かせないまま、文字通り固まっていた。
「……意味、分かんねぇ」
静まり返った部屋の中で、ぽつりと兄の声が落ちる。言葉の意味を理解するよりも早く、俺の体は浮上した。
いつのまにか腕を取られ、引かれていたのだ。
驚愕の言葉を口にするその前に――、
「――いっ!?」
なぜか……なぜか俺は、兄に噛まれた。
恐らく兄なりに手加減しているのだろうが、首筋に通う血液が変な音を立てて吹き出しそうな鈍い痛みに顔をしかめる。一瞬だが、このまま喉仏を食いちぎられるのではないかと、そんなことを思う。
唾液の音が耳に届いたかと思えば、いつのまにか俺の顔の近くに兄の端正な顔があった。なにを考えているのかも分からない、無表情なようで、生気があるようで、だけど理解できない色素の薄い茶色の目。
カラコンを取るとこんな色をしているのか、なんて場違いなことを思うのは、きっと俺が呆けていた証拠だ。
「……出てけ。そんで……寝ろ」
「あ……はい」
抑揚のない声に棒読みな声で答える。
そのまま凍ったような体を必死に動かして、俺は兄の部屋を出た。
入ってきたときとは打って変わって丁寧に閉めれば、その場に俺の体が崩れ落ちる。
「……え、なに、今の」
どうしよう、今日はきっと眠れない。
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2022.05.01
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精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
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次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
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