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46 騏驥の馬房 拒絶
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騎士庭での話を終えると、陽はすっかり落ちていた。
随分話し込んだものだ。
これほど長居したのは初めてだろう。
それでも、リィはホッとしていたし気分も良かった。
こちらの要求はほとんどのんでもらえたからだ。
卿はいつになく、こちらにもわかるほど苦い顔をしていたが、リィが自分の計画を詳しく説明すると、それは騎士会にとっても悪いものではないと判断してくれたらしい。
流石の老獪さ。そして柔軟さだ。
(これなら、もし遠征が長引いたとしてもなんとかなる……)
もちろん、そんなことにならない方がいいが、一つ保険ができたことはありがたい。
リィは軽やかな足取りで西の厩舎地区に足を向ける。
謹慎が解けることを、少しでも早く、ルーランに伝えたかった。
そして明日からはきちんと調教をつける、ということを。
今までは彼の気持ちを優先して無理に乗っていなかったけれど、遠征に出るとなれば話は別だ。
彼のことだから大きく体調を崩していたり身体を鈍らせていたりということはないだろうが、これからは毎日、遠征に出発するまでリィが乗り、実戦に向けた調教をしていかなければ。
卿から下された命では、出発は十日後。
発つ前に、会っておかなければならない人たちもいる。話しておかなければならないこともある。時間の調整も必要だ……。
あれこれと考えながら、リィはルーランの馬房を目指す。
こんな形で、ではあるが、予定よりも早く謹慎が解けるのだ。
話したら、彼はどんな顔をするだろう?
想像すると、胸の中が擽ったくなる気がする。
早く早く——早く教えてやりたい。
リィは小走りにルーランのもとへ向かう。
だが。
そんなリィに返されたルーランの言葉は、思ってもいないものだった。
「嫌だね」
リィの話が終わるやいなや、人の姿の彼は吐き捨てるようにそう言うと、ぷいとそっぽを向いてしまった。
以前、一度だけ訪れたことのある彼の馬房。
そこは以前来た時同様、物が少なく殺風景だ。
しかも今は、どことなく空気が澱んでいる。
住まう者の気配がそう感じさせるのだろうか?
少し見ない間に、ルーランはどこか鬱々とした気配を纏うようになっていた。
戸惑うリィに対し、ルーランは徹底した素っ気なさだ。
顔を向けないまま、どさりと寝台に腰を下ろすと「さっさと出てけ」と言わんばかりの態度を見せる。
心底嫌そうな彼の様子に、リィは唖然としてしまい、怒ることも出来なかった。
例の遠征での一件からこちら、彼と自分がこじれてしまっていることはわかっていた。
けれど、遠征に出る、謹慎も完全に解けて自由になれる——。
そう話してさえ、そんな態度が返ってくるとは思っていなかった。
「『嫌』……とは……」
リィは狼狽のまま声を押し出す。
予想外すぎる反応で、すぐに対応できない。
ルーランが小さく舌打ちした。
「『嫌』は『嫌』って意味だろ。それとも俺たちとあんたたち騎士とじゃ言葉の意味が違うのか?」
「そ……」
「いいじゃねぇかよ、別に。俺じゃなくたって。東に、よく乗ってる別の騏驥がいるんだろ。行くならそっちと行けば」
「…………」
言われて、リィはそこで初めてダンジァのことを思い出した。
東の、よく乗っている騏驥。けれど彼と遠征に出るなんて考えていなかった。
彼に乗り続けることを考えたりもしたのに、したというのに——いざ遠征が実際に目の前になると、現実として迫ってくると、ルーランのことしか考えられなかった。
彼以外の騏驥に乗ることなんて、頭になかった。
なかったのだ、自分は。
自分とルーランに「二度目はない」と、それほど危ういのだとわかっていても、自分は、彼を——。
その事実に気づいて、リィは沈黙する。
ルーランがこちらを見た気配を感じる。
騏驥が騎士を見るには相応しくない視線の圧。険しさと冷たさ。
リィは微かに瞼を伏せ気味にしながら言う。
「彼は……ダンジァは経験が浅い。まだ遠征に連れて行けるほどでは——」
「は。だから俺? 素質のある新人騏驥のデビューは慎重にしたいから、敗戦処理の手助けみたいな遠征は俺を連れて行く、って?」
「違う!」
リィは顔を跳ね上げた。
「そうじゃない! どうしてそういう言い方をするんだ!? 騏驥の技量としてお前の方がす……優れているからお前を連れて行くと言ってるんだ。確かに、劣勢の遠征への援軍という形ではある。だが、そういう形の遠征もあることぐらいわかるだろう」
リィは必死に訴える。
しかしルーランはそんなリィを一瞥すると、
「説明どうも」
と、揶揄うように言った。
「でもさ。騏驥の技量がどうのこうの言っても、それをなんとかするのが騎士の仕事だろ」
「そん……」
「とにかく——俺はもうあんたたちの都合で使われたくないんだよ」
突き放すように言うルーランに、リィは言いかけた言葉を呑んだ。
(この……っ)
代わりに、目の前の騏驥を睨み返す。
『それをなんとかするのが騎士の仕事』——?
ああ、そうだ。
確かにそうだ。
けれどそれは差が僅差の時だ。
今のルーランとダンジァには歴然とした差がある。
騎手の腕でどうにかなる程度ではない差があるのだ。
そんなことぐらい彼もわかっているだろうに。
いつもの彼の、軽薄であってもどこか温かみがある声とは全く違う刺々しい声音で重ねられる拒絶の言葉。あてこするような物言いに、リィは自分の胸の奥が軋む気がする。
視線の先で、ルーランが小さく嗤った。
誰に宛てているのかわからない、曖昧な、悲しげにも見える笑みだ。
「……遠征に行って、働いて、あんたに手柄を立てさせて……。そうしたら俺も褒めてもらって、ちょっといいメシをもらえたりするんだろ? ひょっとしたら、またいい林檎を。今までみたいにさ。そんなの、ルシーにはもう何一つ叶わないことになったのに」
「……!」
「あんたたちには『何頭もいる騏驥のうちの一頭にたまたま起こった不幸』なんだろう。でも、俺にとってはそうじゃない。そうじゃない相手だった。しかも俺は、やろうと思えば彼女を助けられてた」
「……」
やろうと思えば。
「だからもう嫌だ。俺は、あんたたちの言うことは聞きたくない」
直前までの、ことさら反抗的な口調から一転。
静かに紡がれた言葉は、それこそが言いたかったことなのだ、と彼の想いが嫌と言うほど伝わってくるようだ。
聞きながら、リィは胸が痛むのを止められなかった。
今でも——今なお、彼は。
ルシーのことがあってからというもの、彼との間に出来てしまった溝をなかなか埋められないことは嫌というほど感じていた。
確かにずっと調教もつけられていなかった。
それでも——。
それでも心のどこかで「けれど大丈夫だ」と思っていたのだ。
日が経てば。時間が経てば。いずれまた彼に乗れる、と。彼も自分を乗せてくれるはずだ、と。
けれど……。
時間が経てば、などと考えていたのは自分だけだったのだろうか。
ルーランはもう自分と和解する気などなく、廃用になっても構わないと思うぐらい、自分に乗られることが嫌で、謹慎が解けることよりも、自由に走り回れることよりも、自分に乗られる不愉快さの方が上で……。
(わたしは……)
騎士として間違ったことをしたとは思っていない。けれど——。
けれど、騏驥の信頼は失ってしまった……と言うことなのだろうか。
「…………」
どうすればよかった?
リィは惑乱のまま、自分に問いかけた。
もっと彼を尊重すればよかったのか。
ルシーを助ければ良かったのか。
騎士の自分が、戦場で与えられた命令に背いて、騏驥である彼の望むように振る舞っていれば?
考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐるする。
ただ一つ。わかっているのは、「これはルーランにとっていいことではない」ということだけだ。
本来なら騎士の騎乗を拒否できない騏驥が、それを嫌がり続けるということは、そのまま、その騏驥の廃用を意味する。そんな抵抗は許されないのだ。
馴致不可能な気性の悪さを見せる騏驥だと見なされ、そのまま処分されるか、矯正器具と魔術と薬によって人としての意志を完全に剥奪され、獣として扱われて死ぬまで使い倒されるかだ。
リィ以外の他の誰かを乗せる気ならばまだ生き延びる機会もあるが……。
彼は、そのつもりなのだろうか?
わたしじゃない、誰かをその背に……?
(…………)
リィは唇を噛み締める。
ますます胸が痛くなる。
それを押し隠すようにしながら、リィは口を開いた。
「お前の、言い分はわかった。だが遠征には来てもらう。——来い」
「……命令?」
ルーランが眉を跳ね上げる。
リィは頷いた。
「そうだ。拒否すればどうなるかはお前もわかっているだろう。……来い。言う通りにしろ。嫌でも気に入らなくても、廃用になるよりは——」
マシだろう、と言いかけた時だった。
「あっ!?」
突然腕を掴まれたかと思うと、無理やりのように強引に引っ張られる。
不意のことに逃げることもできず、リィは寝台に腰掛けたルーランの胸の中に転がるようにぶつかっていた。
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