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58 騎士のいない騏驥(2)
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奥へ——。
ニコロの姿を探し、見習いの医師に言われた方へ歩き続けてどの位経っただろうか。
途中で「変だ」とは思った。
歩いても歩いても——走っても走っても道は続いていたからだ。
これでもルーランはそれなりの年月を騏驥として過ごしてきた。ここで。この厩舎地区で。
だからこそ、ほかの騏驥がやってこないような放牧場も知っていたのだ。
つまり、ある程度はこの場所に詳しいつもりだった。
なのに。
(なのに、な)
着かない。
どこにも着かない。
しかも誰一人とも会わないのだ。
慌ただしくしていたのが嘘のように静かな長い道を、ただ一人で歩き続けていることになる。
ここはどこだ?
それでも「見習いが適当なことを言った」と思わないのは、何故だか「これでいい」と思えたからだ。
だから行けるところまで行ってみる。
相手は魔術師たちだ。
ここがどこにせよ、どこへ着くにせよ行くしかない、と思って。
リィに繋がるには、彼のことを知るにはそれしかないのだから、と。
そうして——またどのくらい歩いたか。
気づけば目の前に人が立っているのが見えた。
ようやく誰かに会えたと思ったのも一瞬。
すぐにそれが、「人らしきもの」だということに気づく。
ぼんやりとした影のようなそれは、ゆらゆらと揺らぐようにしてルーランに近づき、彼の前に立ち塞がりかけ——。
刹那、ボゥ、と燃え尽きるような音を立てて消えた。
そして気づけば、次第に視界が開けてくる。
まるで門番が重たい扉を開けてくれたかのように。
訝しむルーランが感じたのは熱だ。
肩というか背中というか。その辺りに感じる熱。
気になってそっと触れてみると、やはり熱い。焦げたような匂いもするから、「ここ」が原因なのだろう。
「ここ」とあの影のようなものが反応したのだ。
なぜ、と少し考え、ルーランは思い出す。
ここは先刻、診療所を出て行くニコロに触れられたところだ。
ルーランを押しのけるようにして、さりげなく触れていった箇所。
「……ほんと面倒だな、魔術は」
ルーランはチッと小さく舌を打った。
ようやく辿り着けたらしいことにはホッとする。
だがどうして魔術師はこうも面倒なことをするのか。しかも、人を試すようなことを。
これは、ルーランがニコロを追いかけ、さらに途中で止めず、ここまで来たから発動した魔術だ。
リィがどうなったのか知ろうとして、それを諦めなかったからこそ——。
(性格の悪い奴らだ)
自分のことは棚に上げて思いながら、ルーランはゆっくり足を進めた。
気持ちは逸るが、何しろ初めてのことだ。
しかもそこは、これまでルーランが知っていたはずの厩舎地区のどんな場所とも違っていた。
足を踏み入れた場所は、放牧場のように開けた場所で、明るく、戸惑うほどの清々しい空気が流れていた。
壁が見えないし陽が射しているし足元は芝だから屋外だと思うが、どうしてか閉鎖的な雰囲気がある。しかも、気づけばどこから聞こえてくるのか、大勢が何かを詠唱しているような声がずっと響いているのだ。
地から聞こえてくるような、天から降ってくるような声。音楽のように心地いい。けれど妙に不安にもさせられる声……。
「…………」
ルーランは警戒しつつ、そろそろと足を進めた。
絶対ここは「普通じゃない場所」だ。
そう考えると、先のニコロのやり方もちょっとはわからなくもない。
おそらく、誰彼構わず通していい場所ではないのだ。ここは。
生半可な気持ちの奴を通していい場所じゃない。
息を詰め、一歩一歩確実に進みながら、ルーランは辺りを見回し、当初の目的であるニコロを探しを再開する。
と、次の瞬間。
音の出ていない音のような、うねる振動のような衝撃が全身に伝わったかと思ったと同時、まるで見えない膜が破れたかのように、辺りの「本当の空気」が感じられ始める。
(……)
まるで夢を見ていたような状態からいきなり目覚めさせられたような感覚だ。
さすがのルーランも、顔を顰めた時。
前方に数人の人影が見える。
じわじわと浮かび上がってくるかのような人の姿。そこにニコロに似た背格好を見つけた。
「!」
慌てて駆け出せば、五、六人が集まっているそこに見えたのは、間違いなくニコロの姿だった。しゃがんでいるからか、すぐ人陰に隠れてしまうが、間違いない。
「おい!」
走りながら、ルーランは叫んだ。
「おい! 騏驥はどうなった? リィは? ここはいったい——」
叫びながらニコロに近づくうち、ルーランは気付いた。
ニコロを含む集団。その中には、ジァンの姿もあったのだ。
他は魔術師たちだろう。
顔の見えない白いフードに、ずるずると尾を引くような、白く長い服。白というより銀なのだろうか。光っているのか光を反射しているのか、とにかく、見えているのに見えづらい。
そして、手にしている杖。なにで出来ているのだかわからない、変な形で変な光り方をする杖は、魔術師の特徴だ。
あとは医師がもう一人。
そして彼らの中心には……。
(!)
ルーランは息を呑む。
若い男が、辛うじて裸体を隠す程度の薄着で横たわっていた。
意識がないのか全く動かない。足先には血が滲んでいる。
(足……)
思わず顔を顰めてしまう。足が騏驥にとってどれほど大切かは、もちろんルーランもよく知っている。
リィが遠征に連れて行ったのは、東の厩舎の若い大柄な騏驥だったらしい。会ったことはないが、だとすれば年齢といい体格といい、そこにいる男に合致する。
じゃあ、本当に、リィが?
彼に何かが?
不安が不安を呼び、足が重くなる。早く事実を知りたいのに、早くニコロを問い詰めたいのに、聞くのが怖い。知るのが怖い。
「ルーラン」
そうしていると、ジァンがルーランに気付いたようだ。
こちらを向いた彼の顔は、青い。騏驥にとって異常事態なのだということかひしひしと伝わってくる。
そのまま、足取り重くのろのろと近づくと、ジァンの声で気付いたのか、ニコロがふっとこちらを見る。が、彼はすぐに横たわった騏驥に目を戻す。
彼の横顔は見たことがないほど張りつめていて、ルーランも迂闊に声をかけられないほどだ。
仕方なく、確認したいことは保留してルーランもまたその場に横たわる騏驥を見つめる。
ひょっとして……もう死んでいるのだろうか? ぴくりとも動かない。
だがニコロは変わらず騏驥を見つめ、ときおり、あちこちに触れている。
緊迫した空気に、ルーランもつい息を詰めて見つめてしまっていると、不意に腕を掴まれる。びくりと見れば、そこにいたのはジァンだ。
彼は軽く顎をしゃくると、ルーランをその場から放すようにして腕を引っ張る。
ニコロとあの騏驥は気になったものの、ルーランはされるまま彼らの側を離れる。
騏驥の様子か視界に入りつつも、二人で話しても問題なさそうなところまで離れると、
「……なんでまた、お前が」
ジァンが言った。
ルーランは以前、彼の忠告を、頼みを無下にした。
その気まずさから、なんとなく顔を合わせ辛かったし、合わないようにしていた。実際に会っていなかった。
彼がどう思っていたかはわからないが、少なくとも、今の声に敵意はない。
追い返そうというニュアンスではなく、純粋に不思議で問いかけてくるような声だ。
だからルーランも、素直に答えた。
「たまたま、検査でニコロと居たんだよ。そしたら、なんか伝令が来て……」
「……なるほど」
ふむ、と頷くとジァンはちらりとニコロの方を見る。ルーランも目をやったが、特に変化はないようだ。
ルーランは改めてジァンを見つめる。そして、尋ねた。
「何が起こってるんだよ。なんか……大変なことがあったってのはわかるけど……」
「…………」
「緊急事態なんだろ!? 騏驥が保護されたって聞いた。その騏驥は、鞭を持ってた……って。リィの……鞭を」
「…………」
「それがあそこに寝てる奴ってことなのか!? リィに何かあったってことなのか!? なあ——」
「ちょっと落ち着け」
詰め寄ったルーランに、年上の騏驥は静かに言った。
じっと見つめられ、ルーランの興奮も徐々に穏やかになっていく。
その頃合いを見計らったように、ジァンが話し始めた。
「実のところ、俺もついさっき呼ばれたばかりで、詳しくは聞かされてない。だからおおまかな話になるが……まずお前が一番知りたがってることを話せば、あの騏驥は、リィが連れて行った騏驥だ」
「!」
「名前はダンジァ。半日ほど前に、国境近くの村に現れたらしい。人の姿だったらしいが、全身泥まみれの傷だらけで、騎士の鞭を持ってな」
「…………」
息を詰めて、ルーランは話に聞き入る。ジァンは続ける。
「通常、騎士を伴わない騏驥は脱走と見なされ通報の対象だが、どんな場合でも、鞭を持った騏驥は『訳あり』として保護される。しかも今回は怪我の状態が酷かったこともあって、すぐに近くに赴任している魔術師と獣医が呼ばれた。が……」
淡々と話していたジァンが、一呼吸置く。
「状態が悪すぎてな。その場での治療は無理だと判断されて、王都に運ばれてきたというわけだ。俺も初めて来たが、ここはそうした、ちょっと特殊な騏驥を一旦止め置いたり治療をするところらしい。検疫も兼ねてるんだろう。空気が違う」
「…………」
ルーランは頷く。
そのままジァンを見つめ、恐る恐る尋ねた。
「それで……鞭は、本当にリィのものだったのか……?」
「……そうだ」
ほぼ間違いないだろうと思っていても、実際に聞かされるとショックが大きい。
ルーランは項垂れたまま、声も出せなかった。
リィが、騏驥に鞭を託した。鞭を託して逃がしたのだ。
ということは——。
彼はそうするしかない状況に追い込まれていたということだ。それほどまでの切羽詰まった、挽回できないほどの不利な状況に。
(くそ……)
ルーランは唇を噛む。
どうしてそんなことに?
自分だったら——。自分が一緒だったら、絶対に彼をそんな危険な目に遭わせなかったのに。
悔しさとも後悔とも付かない感情に歯ぎしりするルーランに、ジァンは続ける。
「そういうわけで、今、彼は治療中だ。その協力に、『塔』からも数人魔術師が来ているみたいだな」
「『塔』から……」
「騎士が鞭を託して騏驥を逃がすのはよほどのことが起こったときだ。なんとか回復させて、その状況を知っておきたいということだろう。『輪』を調べればわかることもあるが、詳細は当事者の口から――というところらしい。俺が呼ばれたのもそのためだ。意識を取り戻した時、そばに騏驥がいたほうが落ち着くだろう、ということでな」
ジァンは言うと、ダンジァのいる方にまた目をやる。
横たわっている騏驥はまだ動かない。
ルーランは、ダンジァに触れるニコロの横顔を見つめる。
普段の、どちらかと言えば子どもっぽいような雰囲気とはまるで違い、近寄りがたいほどの真剣な顔だった。
腕利きの獣医であり、魔術師としての能力も相当なものだという彼の姿を目の当たりにして、つい見入ってしまう。
そんな、威厳と迫力に満ちている。
ルーランはそんなニコロの様子から目を離せないまま、ジァンに尋ねる。
「その村は、遠征先の近くだったのか?」
黙っている時間が怖くて、なんとなく尋ねたことだった。だから、
「いや……」
とジァンが答えたことに、ルーランは微かに眉を寄せる。
違う?
訝しむルーランに、ジァンは少し言い淀むような素振りを見せる。彼にしては話しづらそうに口を開く。
「少し方角が違う辺りだったらしい」
「? なんでそんなところに……」
「わからん。だから『塔』も色々と聞き出したいんだろう。……普通なら、騏驥が方角を誤ることや迷うことはあり得ない。となれば、騎士がわざとそちらへ行こうとしたか……」
「!? どういうことだよ!?」
思ってもいなかった方向へ流れる話に、ルーランは戸惑いの声を上げる。
騎士がわざと?
ということは——。
「それって……もしかして、リィがわざとそうしようとしたって思われてるのか!? 騏驥を唆してどこかへ行こうとして……その途中で何かあったかも……って……。そう疑われてるのか!?」
「ルーラン、落ち着け」
「リィに限ってそんなことあるわけないだろ!? なんでそんな話になるんだよ!? なんであいつがそんなこと疑われなきゃならないんだよ!!」
騏驥と一緒に姿を消す、なんて、リィは考えもしないだろう。なにがあろうと。
父親の例の件が、今も彼を傷つけ続けているというのに。
疑いをかけられることさえ、彼にとっては耐えられないことに違いないのに。
リィを侮辱され、ルーランは目の奥が赤くなる思いだ。
自分が馬鹿にされるよりも頭に来る。
あの騎士が騏驥と消えた父親のことでどれだけ苦しんでいるか——。
ついぎゅっと拳を握り締め、魔術師たちを睨んでしまう。ジァンがその前に立ち塞がり「落ち着け」と繰り返した。
ルーランを宥めようとするかのように、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「こうなった経緯がわからない以上、いろんな可能性を考えなきゃならないってだけだ。お前が怒ったところで事態が好転するわけじゃない。全てはダンジァが回復してからだ。そうなれば色々はっきりして——」
そのとき。
黙って聞いていたルーランの視界の端で、なにかがぴく、と動いた。
横たわっていたダンジァの身体が、その指が微かに動いたのが見える。
「——!」
次の瞬間、ルーランはジァンの身体を押しのけ、そちらへ駆け出していた。
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