前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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4 隣室、白羽 全部聞こえている

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「……白羽さま。ちょっと行ってぶっ飛ばしてきましょうか?」

 来るべき時を前に幾分緊張しつつも、長椅子にゆったりと身体を預けている白羽の側。
 背筋を伸ばし、姿勢良く佇む彼の侍女は、綺麗な顔を歪ませ、隣室に面した壁を睨みながら物騒なことを言う。
 白羽は苦笑すると、「必要ないよ」と小さく首を振った。

 そうしている間も、隣の部屋からは雑言が次々聞こえてくる。
 従者らしい少年の方は、なんとか騎士の機嫌を取ろうとしているようだが、上手くいっているとは言い難いようだ。
 騎士の方は騏驥を下賜されることについて完全に機嫌を損ねている。




『五変騎だろうが白だろうが何色だろうが知ったことか! なんで乗ったことも見たこともない奴を一方的に充てがわれて、それをありがたがらなきゃならないんだ!?』

『大体、本当にそんなに大事な騏驥なら、現王が手放すはずがないだろう! つまり、そんなものはただの箔付けに過ぎないってことだ。おおかた前王に強請って、今の肩書きを得たのだろうよ。まったく……馬鹿馬鹿しい』

『そんな媚びたような騏驥、虫唾が走る! 要するに俺は、実力もない、ただ見た目がいいだけに過ぎない騏驥を無理矢理押し付けられたって言うわけだ。くそ……くそ、くそ……っ!!』



 立て続けの怒声は、酒でも入っているのかと思うほどの大きさと荒々しさだ。
 それはあまりに遠慮がなく、白羽の心を深く抉る。しかし同時に、白羽はこの騎士のことが少し心配になる。
 こんな場所で——誰が聞いているとわからないこんな場所で思ったままのことをあんなに大声で言うなんて、あまりに無防備ではないだろうか。
 悪口の対象が白羽だから——誰からも疎まれている自分だから誰かに聞かれたとしてもまだいいようなものの、相手によっては大問題に発展しかねない。

 騏驥に騎乗する騎士はこの国では特別な存在で、だから嫌でも周囲から注目される立場だ。それは同じ騎士同士に限らず、普通の人たちもまた、騎士がどんなことをするのか、どんなことを言うのか気にしているのだ。城にいる者達ならば、なおのこと。
 なのに……。 

(やはり、騎士としての立ち居振る舞いに慣れていない方だから……なのだろうな……)

 白羽は、胸の中で改めて噛み締める。

 誰のもとに下げ渡されるかは、事前に少し聞いていた。
 騎士になったばかりの、それも貴族以外から初めて騎士になった男なのだ、と。南の方から来た、まだ王都に慣れていない者なのだ、と。

(だからこんなにも”あけすけ”なのだろうが……)
 
 そんなことで大丈夫なのだろうか。
 
 騎士には騎士らしい品位が求められる——とはいえ、それは建前上のこと。
 高位の貴族の子弟なら、そんなものあろうがなかろうが騎士になれるのが実態だ。
 そして、一部には、騎士としての特権を享受したいだけの者もいる。
 ろくに騏驥に乗らず、しかし周囲からの特別扱いだけを求める者だ。遠征や戦闘に出て危険と引き換えに武勲をたてることよりも、安全の場所での”社交力”や”政治力”で自分の地位を保とうとすることに熱心な者たち。
 王都や城に根を張るそういう者は、自分の地位を脅かされることをとても恐れているから、隙あらば他人の足を引っ張ってやろうと画策している。
 そんな輩に目をつけられなければいいが……。


 王城の造りにも慣れていない様子だし、しかも、こう言ってはなんだが城で働く者——部屋へ案内した者からも、少々侮られているようだ。
 本当なら、彼は部屋へ案内された目的を教えてもらえているはずだ。
 これから該当の騏驥に引き合わされることを、だから大人しく待っていろ、ということをそれとなく教えてもらえるはずなのだ。
 城で働く者たちは、そうやって騎士や高位の貴族たちをさりげなく助け、または情報を渡し、そのかわりに彼らに目をかけてもらい、それとなくいい待遇を得るという取引をする。そうしたことを繰り返すのが、城の内部での当たり前のことなのだ。

 だが彼は、その見えない輪の中に入れていない。
 入れてもらえていない。まだ「仲間」だと認められていないのだろう。
 だから何も教えて貰えておらず、こうして無遠慮に暴言を繰り返しているのだ。
 誰にも聞かれていないと思って。
 
(貴族の出ではないなら、ただでさえ言動に注意を払ったほうがいいだろうに)
(わたしの行先は、随分と配慮に欠けた方のようだ……)

 白羽は、相変わらず壁を越えて聞こえてくる大声を聞きながら、ふっと小さくため息をつく。
 わかっていたことだが——当然のことだが、今から自分が身を寄せることになる騎士は、以前の主人とは全く違うようだ。


(陛下とは、全く違う……)


 全てにおいて細やかで、それゆえ傷つきやすかった主——。もうすでにこの世におらず、しかし一日たりとも忘れたことのないティエンのことを想い、白羽は微かに目を伏せる。
 
 何を考えても、結局はティエンの面影に繋がっていく。
 忘れられない——薄らぐことはない。
 きっと一生。


 すると、そんな白羽の様子や溜息を誤解したのだろう。
 彼の忠実な侍女は、ますます目を釣り上げて隣室を睨む。今にも拳を握りしめて駆け出して行きそうな気配に、 
 
「いいから、サンファ」

 白羽は、彼女の手を、いつしかぎゅっと握られているその拳を、そっと抑えた。
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