9 / 239
6 佳人出現 天寵
しおりを挟む
ユゥを相手に愚痴を言い続け、文句を言い続け、たまに嗜められてお茶を飲み、どれぐらい経っただろうか。
そろそろ不満をぶちまけるのにも疲れ、レイゾンははーっと大きく息をつくと、大きな身体を椅子の背に沈める。
一体どれだけ待たされるのか。
そもそも、どうして待たされてるんだ?
元々がせっかちな質だ。なのにこんなに待たされると、イライラすると共にうんざりしてしまう。なんのために待たされているのかわからないからなおさらだ。
誰かに尋ねればよかったのだろうが、慣れない王都で初の王への謁見、しかもそこで告げられたのは騏驥の下賜……と、思ってもいなかったことが続き、流石に動揺してしまったために聞きそびれてしまったのだ。
肝は座っている方だと思っていたが、あまりに想像外のことだった。
それに……あまり言いたくはないが城にいる連中はなんとなく取っ付きづらい雰囲気なのだ。行き交う騎士や官吏たちだけではなく、そこここにいる侍女たちにしても、なんだかお高く止まっているように感じられて、気軽に声をかけづらい。
避けられているわけではない……と思いたいが、似たような気配は騎士学校でも感じたことがあった。
他所者を値踏みしているような、そんな気配。排除とまではいかないものの、遠巻きにしてこちらの様子を窺っているような……。
ただそんな気配は、いざとなれば実力で打ち破ってやればいいと思っている。相手にしないという方法もある。要はなんとでもなるのだ。
(しかしまさかこんなに待たされるとは……)
レイゾンはまたため息をつく。
悪意や侮った態度を向けられることには慣れているし、そんなものは跳ね返してやると思っている。だが、こんな目に遭わされるのは予想外も予想外だ。
あれこれと好奇心旺盛なユゥは初めて訪れた城や、この綺麗な部屋、そして上手い茶にすっかり夢中になっているようだが、レイゾンはさほどでもない。むしろ綺麗すぎて居心地が悪いぐらいだ。
それに、今後のことも考える必要がある。それを思うと頭が痛い。考えることは得意ではないのだ。
当初の予定では、これからしばらくの間は宿泊中の宿から厩舎地区に通う予定だった。まだ王都に慣れていないし、幸い、今止まっている宿は安価なわりに居心地が良く、場所も賑やかなわりに治安も悪くなく、快適だったからだ。だからしばらく宿で暮らして、条件の良い住まいをゆっくりと探せばいいと思っていた。
ユゥはそうした交渉も得意だから、任せておけば大丈夫だろうと思っていたのだ。その間に、自分はあちこちの厩舎に足を運び、色々な騏驥に乗り、調教をつけて、大勢の調教師たちとも知り合いになっておきたい、と。
だが、騏驥を下賜されるとなれば話は変わってくるだろう。
詳しくは確認していないが、騏驥がレイゾンに与えられるということは、おそらくその一頭を丸抱えしろ、ということだ。
通いで騏驥を調教する「普通の」騎士と違い、一頭の騏驥を丸ごと抱える騎士——それはほとんどが「始祖の血を引く騏驥」たちに選ばれた”栄誉ある”騎士たちだ——は、騏驥が不自由なく住める住まいを確保しなければならないはずで、つまり、レイゾンもまた自分で屋敷を持ち、そこに騏驥とともに暮らさなければならなくなる。
しかし、馬の姿にも変わる騏驥が暮らせる屋敷となれば、人が暮らす場所とは別に、少なくとも騏驥用の厩舎と馬の姿の時でも自由に動き回れる広さの放牧場が必要になる。
それも城からあまり遠くない場所に……だ。
そんな立派な屋敷を借りる金が、いったいどこにあるというのだ。
(買うのはそれ以上に当然無理である)
とはいえ、これらはあくまでレイゾンが知識として知っているだけの事だから、実際はもう少し融通が効く……はずだ。
上手く話を進められれば、レイゾンは当初の予定通り自分のためだけの住まいを探し、騏驥は厩舎地区のどこかに置いてもらえる可能性はあるだろう。
王から下賜された騏驥に対して、それも五変騎の一頭に対して、他の騏驥と一緒にいろ、と言わんばかりのそんな扱いでいいのかどうかはわからないが、真偽は不明なものの、同じく五変騎の一頭であるにもかかわらず、なぜか騎士学校の一角に住んでいる騏驥もいるという噂だし、別に構わないだろうと思っている。
レイゾンだって、本当なら騎士として格好をつけたいところだが、無い袖は振れないのだから仕方がない。
金がうなっているような貴族たちとは根本が違うのだ。
騎士学校でのあれこれを思い出し、レイゾンはため息をつくと同時に微かに口元を歪めた。
立居振る舞いも、身に纏うものも、自分だけが異質だった。
貴族の子弟たちの服は、普段着であってもそれはそれは美しく煌びやかで、考えられないほど贅沢なものにレイゾンの目には映った。汗や埃で汚れ、騏驥たちの世話をすれば匂いもつくというのに、彼らは滑らかな生地に美しい彩色や刺繍がほどこされた服を惜しげもなく身につけていて。
それだけならさして気にもならなかったものの、騎士として勤めていく上で大切な装身具である長靴や鞭も、レイゾンが支度金としてもらった金では、とても手が出ないような、一目で質がいいとわかるものだった。
純粋に騎士としての技量だけなら自分より劣るだろう学友たちが、あれやこれやの効果的な装具を手に入れることで魔術の力を増し、次々良い騏驥に乗っているのを目にするたび、レイゾンは気付かれないように歯を食いしばったものだった。
レイゾンの所有する鞭とて、もちろん悪いものではない。
父の友人であり、騎士を志した時からあれこれと世話してくれた騎士学校のヴォエン正教官が紹介してくれた、誠実な馬具職人にあつらえてもらったものだ。レイゾンの手に馴染むし、長さも重さもしなりもレイゾン好みに作ってもらったから全く問題ない。魔術力だって充分だろう。
自分のやれる限りの中では、最も良いものを手に入れたと——そう思っている。
ただ。
貴族が持つそれのように、立派な銘のある鞭ではないというだけだ。
そう。
レイゾンには「それ」がなかった。実力では決して周りに劣っているとは思わない。が、他の騎士ならなんの苦労もなく、生まれた時から——生きているだけで備わっているものが、自分にはない。
騎士を目指した時からそれを思い知るような事態を経験するたび、レイゾンの胸の中には反発心が沸き、反骨心が宿った。
気を緩めれば諦めそうになってしまう自分を奮い立たせ、やっとの思いで騎士になったのだ。願い続けていた憧れにやっと手が届いたと——そう思って喜んでいたのに。
「…………」
自分の元へ来るらしい騏驥への文句をまた口にしかけ——しかしレイゾンは口を噤んだ。
言いたいことはもう一通り言ってしまった気がするし(ほとんどが独り言かユゥを相手にしての愚痴だが)ここで何を言ったところで、王命が覆るわけではないのだ。残念ながら。
それに、もしかしたら……もしかしたら思っていたよりも「まとも」な騏驥かもしれない。
……淡い期待だが。
そんな、現実逃避めいたことをつらつら考え、またひとつため息をついた時だった。
不意に、サァッ……と音にならない音が聞こえた。
レイゾンは何気なくそちらへ首を巡らせ、微かに眉を寄せる。
部屋の扉が大きく開けられていたのだ。直前の音は、その音だったのだろう。彼が入ってきた重たく大きな扉が今は左右に開かれている。
なにが起こっている? 起ころうとしている……?
レイゾンが訝しく思い、大きく険しい目をギョロリと動かし、立ち上がりかけたのとほぼ同時。
さっきよりも微かな音——衣擦れの秘かな音とともに、そこに、白い影が現れた。
影……? いや、違う。白くしなやかなその姿は影ではない。ほっそりとした肢体を包む純白の長衣。それは滑らかで、まるで光を纏っているかのようだ。仄かに揺れているのは、腰を越えて流れ落ちる長く白い髪。そしてそれをふわりと被う、透けるような白い面紗。その陰から微かに見え隠れしている繊細な顎や陶器のような頬もまた抜けるように白い。
「…………」
レイゾンは部屋の入り口を見つめたまま、声を無くした。椅子から腰を浮かせかけた格好のまま、動けなくなった。
いきなり扉を開けられた驚きも、ずっと待たされていた苛立ちも忘れた。全てが吹き飛んだ。
音が消えて、目に映る「他のもの」全てが消える。
視線の先、そこに佇んでいる白き佳人。
彼の目には、その儚くも美しい姿しか見えなくなった。
そろそろ不満をぶちまけるのにも疲れ、レイゾンははーっと大きく息をつくと、大きな身体を椅子の背に沈める。
一体どれだけ待たされるのか。
そもそも、どうして待たされてるんだ?
元々がせっかちな質だ。なのにこんなに待たされると、イライラすると共にうんざりしてしまう。なんのために待たされているのかわからないからなおさらだ。
誰かに尋ねればよかったのだろうが、慣れない王都で初の王への謁見、しかもそこで告げられたのは騏驥の下賜……と、思ってもいなかったことが続き、流石に動揺してしまったために聞きそびれてしまったのだ。
肝は座っている方だと思っていたが、あまりに想像外のことだった。
それに……あまり言いたくはないが城にいる連中はなんとなく取っ付きづらい雰囲気なのだ。行き交う騎士や官吏たちだけではなく、そこここにいる侍女たちにしても、なんだかお高く止まっているように感じられて、気軽に声をかけづらい。
避けられているわけではない……と思いたいが、似たような気配は騎士学校でも感じたことがあった。
他所者を値踏みしているような、そんな気配。排除とまではいかないものの、遠巻きにしてこちらの様子を窺っているような……。
ただそんな気配は、いざとなれば実力で打ち破ってやればいいと思っている。相手にしないという方法もある。要はなんとでもなるのだ。
(しかしまさかこんなに待たされるとは……)
レイゾンはまたため息をつく。
悪意や侮った態度を向けられることには慣れているし、そんなものは跳ね返してやると思っている。だが、こんな目に遭わされるのは予想外も予想外だ。
あれこれと好奇心旺盛なユゥは初めて訪れた城や、この綺麗な部屋、そして上手い茶にすっかり夢中になっているようだが、レイゾンはさほどでもない。むしろ綺麗すぎて居心地が悪いぐらいだ。
それに、今後のことも考える必要がある。それを思うと頭が痛い。考えることは得意ではないのだ。
当初の予定では、これからしばらくの間は宿泊中の宿から厩舎地区に通う予定だった。まだ王都に慣れていないし、幸い、今止まっている宿は安価なわりに居心地が良く、場所も賑やかなわりに治安も悪くなく、快適だったからだ。だからしばらく宿で暮らして、条件の良い住まいをゆっくりと探せばいいと思っていた。
ユゥはそうした交渉も得意だから、任せておけば大丈夫だろうと思っていたのだ。その間に、自分はあちこちの厩舎に足を運び、色々な騏驥に乗り、調教をつけて、大勢の調教師たちとも知り合いになっておきたい、と。
だが、騏驥を下賜されるとなれば話は変わってくるだろう。
詳しくは確認していないが、騏驥がレイゾンに与えられるということは、おそらくその一頭を丸抱えしろ、ということだ。
通いで騏驥を調教する「普通の」騎士と違い、一頭の騏驥を丸ごと抱える騎士——それはほとんどが「始祖の血を引く騏驥」たちに選ばれた”栄誉ある”騎士たちだ——は、騏驥が不自由なく住める住まいを確保しなければならないはずで、つまり、レイゾンもまた自分で屋敷を持ち、そこに騏驥とともに暮らさなければならなくなる。
しかし、馬の姿にも変わる騏驥が暮らせる屋敷となれば、人が暮らす場所とは別に、少なくとも騏驥用の厩舎と馬の姿の時でも自由に動き回れる広さの放牧場が必要になる。
それも城からあまり遠くない場所に……だ。
そんな立派な屋敷を借りる金が、いったいどこにあるというのだ。
(買うのはそれ以上に当然無理である)
とはいえ、これらはあくまでレイゾンが知識として知っているだけの事だから、実際はもう少し融通が効く……はずだ。
上手く話を進められれば、レイゾンは当初の予定通り自分のためだけの住まいを探し、騏驥は厩舎地区のどこかに置いてもらえる可能性はあるだろう。
王から下賜された騏驥に対して、それも五変騎の一頭に対して、他の騏驥と一緒にいろ、と言わんばかりのそんな扱いでいいのかどうかはわからないが、真偽は不明なものの、同じく五変騎の一頭であるにもかかわらず、なぜか騎士学校の一角に住んでいる騏驥もいるという噂だし、別に構わないだろうと思っている。
レイゾンだって、本当なら騎士として格好をつけたいところだが、無い袖は振れないのだから仕方がない。
金がうなっているような貴族たちとは根本が違うのだ。
騎士学校でのあれこれを思い出し、レイゾンはため息をつくと同時に微かに口元を歪めた。
立居振る舞いも、身に纏うものも、自分だけが異質だった。
貴族の子弟たちの服は、普段着であってもそれはそれは美しく煌びやかで、考えられないほど贅沢なものにレイゾンの目には映った。汗や埃で汚れ、騏驥たちの世話をすれば匂いもつくというのに、彼らは滑らかな生地に美しい彩色や刺繍がほどこされた服を惜しげもなく身につけていて。
それだけならさして気にもならなかったものの、騎士として勤めていく上で大切な装身具である長靴や鞭も、レイゾンが支度金としてもらった金では、とても手が出ないような、一目で質がいいとわかるものだった。
純粋に騎士としての技量だけなら自分より劣るだろう学友たちが、あれやこれやの効果的な装具を手に入れることで魔術の力を増し、次々良い騏驥に乗っているのを目にするたび、レイゾンは気付かれないように歯を食いしばったものだった。
レイゾンの所有する鞭とて、もちろん悪いものではない。
父の友人であり、騎士を志した時からあれこれと世話してくれた騎士学校のヴォエン正教官が紹介してくれた、誠実な馬具職人にあつらえてもらったものだ。レイゾンの手に馴染むし、長さも重さもしなりもレイゾン好みに作ってもらったから全く問題ない。魔術力だって充分だろう。
自分のやれる限りの中では、最も良いものを手に入れたと——そう思っている。
ただ。
貴族が持つそれのように、立派な銘のある鞭ではないというだけだ。
そう。
レイゾンには「それ」がなかった。実力では決して周りに劣っているとは思わない。が、他の騎士ならなんの苦労もなく、生まれた時から——生きているだけで備わっているものが、自分にはない。
騎士を目指した時からそれを思い知るような事態を経験するたび、レイゾンの胸の中には反発心が沸き、反骨心が宿った。
気を緩めれば諦めそうになってしまう自分を奮い立たせ、やっとの思いで騎士になったのだ。願い続けていた憧れにやっと手が届いたと——そう思って喜んでいたのに。
「…………」
自分の元へ来るらしい騏驥への文句をまた口にしかけ——しかしレイゾンは口を噤んだ。
言いたいことはもう一通り言ってしまった気がするし(ほとんどが独り言かユゥを相手にしての愚痴だが)ここで何を言ったところで、王命が覆るわけではないのだ。残念ながら。
それに、もしかしたら……もしかしたら思っていたよりも「まとも」な騏驥かもしれない。
……淡い期待だが。
そんな、現実逃避めいたことをつらつら考え、またひとつため息をついた時だった。
不意に、サァッ……と音にならない音が聞こえた。
レイゾンは何気なくそちらへ首を巡らせ、微かに眉を寄せる。
部屋の扉が大きく開けられていたのだ。直前の音は、その音だったのだろう。彼が入ってきた重たく大きな扉が今は左右に開かれている。
なにが起こっている? 起ころうとしている……?
レイゾンが訝しく思い、大きく険しい目をギョロリと動かし、立ち上がりかけたのとほぼ同時。
さっきよりも微かな音——衣擦れの秘かな音とともに、そこに、白い影が現れた。
影……? いや、違う。白くしなやかなその姿は影ではない。ほっそりとした肢体を包む純白の長衣。それは滑らかで、まるで光を纏っているかのようだ。仄かに揺れているのは、腰を越えて流れ落ちる長く白い髪。そしてそれをふわりと被う、透けるような白い面紗。その陰から微かに見え隠れしている繊細な顎や陶器のような頬もまた抜けるように白い。
「…………」
レイゾンは部屋の入り口を見つめたまま、声を無くした。椅子から腰を浮かせかけた格好のまま、動けなくなった。
いきなり扉を開けられた驚きも、ずっと待たされていた苛立ちも忘れた。全てが吹き飛んだ。
音が消えて、目に映る「他のもの」全てが消える。
視線の先、そこに佇んでいる白き佳人。
彼の目には、その儚くも美しい姿しか見えなくなった。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
157
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる