前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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11 見つめる見つめられる じっと? チラチラ? でも……

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 先刻、隣室で思いがけず聞くことになってしまったレイゾンの本音。
 幾度となく愚痴っていた白羽への不満を思い出し、ふっと目を伏せた時。

(?)

 ふと視線を感じ、気になってそっと伺う。刹那、レイゾンと目が合ったような気がしたが……思い過ごしかもしれない。
 彼は王太子であるシィンと話しているのだ。余所見などするわけがない。

(何をやっているのか……)

 らしくない自分の態度に小さく息をついていると、

「お加減がすぐれませんか……?」

 すぐ側から、潜めたようなサンファの声が届く。跪き、こちらを見上げてくる彼女の顔は不安そうだ。白羽は慌てて頭を振った。

「大丈夫」

「…………左様ですか? 先ほどから俯いておられるので……」

「……慣れない格好だから、少し肩が凝っているだけだよ」

 心配の面持ちの彼女に苦笑しながらそう言うと、白羽の忠実な侍女はようやく少しだけホッとした顔を見せる。しかし直後、卓子を挟んで茶を飲み、話している二人の騎士の方へ、ちらりと意味深に視線を投げる。
 二人? いや——一人だ。一人に対してだ。彼女の眉を顰めた嫌そうな顔を見れば、誰を見ているのかすぐにわかる。
 サンファは一層声を顰めて言う。

「まったく……何ひとつ礼儀をわきまえていないお方なのですね。殿下に対してあんなに失礼な口をきく方を初めて見ました。これだから田舎——」

「——サンファ」

 はっきりと悪意が感じ取れるほどの口調になったサンファを咎めるように少しきつめに呼ぶと、白羽は侍女に首を振る。声を落として言った。

「城に不慣れなお方なら、殿下の御顔はご存じなくて当然のことだ。そんなふうに悪く言うものではないよ」

「…………」

 サンファは流石に黙る。が、ややあって再び口を開いた。

「……ですが……いちいち無礼です。白羽さまのことも、不躾にじっとご覧になって……」

「……」

 じっと?

「かと思うと、チラチラ盗み見るような素振りもお見せになって……」

「…………」

 チラチラ?

 あの騎士が? 私を?
 尋ね返したい思いを、白羽はかろうじて堪える。

 そんなに見られていただろうか?
 こちらが気づかないうちに? どうして?
 ではさっきもやはり見られていたのだろうか。
 いや……サンファが気にしすぎなだけなのではないだろうか……。

(それとも……何か変なのだろうか……)

 白羽はそっと自身の衣に触れる。
 この格好が、彼の不満を一層増してしまったのだろうか?

 シィンが用意してくれたこの装束は美しい。正絹は肌触り良く、纏えばそっと四肢を包みつつ流れるような優美さで、丁寧な洗練された作りは身に余るほどだ。だが、レイゾンが求める騏驥——強く勇ましい騏驥のそれではない印象だろう。

 もっとも、城内でことさら勇ましい格好をする騏驥がいるとも思えない。ここは厩舎や戦地とは違い、騎士も騏驥もある意味「美しく装っている」ことが求められる場所だから。
 だが、彼は城のしきたりにも騏驥の格好にも疎いようだし、そもそも「欲しくもない騏驥を無理矢理押し付けられた」と憤っている人なのだ。
 そんな時に、当の騏驥が全く戦いに向いていなさそうなこんな格好で現れたとなれば……いい気持ちにならないのかもしれない。
 
(私を与えられることを、馬鹿にされたと思っておいでのようだったし……)

 騎士になるまでに随分と大変だった方のようだから、その分も「騏驥らしい騏驥」がご希望だったのだろう。
 なのに……。

「…………」

 格好だけではない。
 
(騏驥としても私は……)

 白羽は微かに唇を噛む。

 騏驥としても自分は不十分だ。
 ……おそらく。

 なにしろ、自分は騏驥であっても戦場に出たことはないのだから。
 騎士を乗せたことも、精一杯に駆けたことすら。

 彼はそれを知っているのだろうか。
 伝えられているだろうか。それともいないのだろうか?

 白羽はシィンと話をしている騎士にそっと目を向ける。

 知ったらどうするのだろう。
 もしかして、それを探ろうとして見ていたのだろうか?
 優れた騎士は、馬の姿の騏驥を見ただけでも、その能力をある程度把握できると聞く。
 だとしたら、人の姿の時でも、見てわかることがあるのではないだろうか。
 だから彼は……。

 考えると不安が増していく。
 自分が彼を満足させられるとは思えない。となれば……自分はどうなるのだろう? 騏驥として役に立たないときは——騎士に疎まれ続けた時は。

 怪我や病気で能力を失い、騏驥として役に立たない場合や気性が悪過ぎたりという理由でどの騎士からも乗ってもらえないような場合、普通の騏驥なら廃用になる。処分される。そう聞いている。
 自分の場合もそうなるのだろうか。
 誰かの手でティエンの元へ?

(それならそれでもいいかもしれない、と白羽は思った。だって白羽は自ら死を選ぶことができない。ティエンの最期の言葉のために)

 それとも役に立たない騏驥のまま、レイゾンの側に居続けることになるのだろうか。彼に不満を持たれたまま、彼に厭われたまま、せっかく騎士になった彼の足枷として……。

(ああ……)

 碌なものではない……。
 仕方のないこととはいえ——。

 自らの今後の身の振り方と、身を寄せねばならない騎士のことを想い、白羽は柳眉を寄せる。

 そうしていると、部屋の扉が軽く叩かれたような音が聞こえ、部屋に残っていた女官の一人がそちらへ向かう。その足音を聞きながら、 

(陛下を追って逝くことをお許しいただけていたなら……)

 これほど苦しい想いもしなかったものを。
 
 もう何度も何度も想ったことをまたも想ってしまい、白羽がため息をつきかけたとき。

「……!」

 白羽の傍らにずっと付いてくれているサンファが声にならない短い声を上げる。

「……?」

 何事?

 鬱々とした考えに引き込まれかけていた白羽が顔を上げる。
 サンファを見れば、彼女はらしくなく緊張しているような——気まずそうな——居場所に困っているような顔をしている。
 直後、

「失礼致します」

 低く潜めながらも耳触りのいい声が聞こえたかと思うと、一人の男が白羽の側、壁を背にするようにして控える。姿勢良く佇むその男の衣は、深く落ち着いた色味の赤。
 思わず見れば、整った精悍な面差しに立派な上背。恵まれた体躯と腰に佩いている見事な剣は、一度見れば忘れられない印象の強さだ。
 そして……首には「輪」がある。白羽と同じ「輪」。
 騏驥……?

 彼も騏驥なのか。
 驚いていると、目が合う。と、その騏驥は挨拶がわりのように控えめに微笑んだ。

「…………」

 白羽は息を呑む。城にいても「王の騏驥」たちとすらほとんど会った事のなかった白羽にすれば、こんなに間近で自分以外の騏驥を見るのは初めてだ。
 
(こんなに…… )

 こんなに立派なのか……。
 驚きと——ある種の感激にも似た想いが胸をよぎる。
 だがどうして騏驥がここに……と不思議に思っていると、そんな白羽に、サンファが小声で「殿下の騏驥です」と教えてくれる。
 白羽は「ああ」と胸の中で頷く。

 では彼が。
 この騏驥が、少し前にサンファが話してくれた、シィン殿下が外から迎え入れたという騏驥なのか。
 王族は王の騏驥のみを騏驥とするという慣例があるにも関わらず、「塔」にも認めさせて入城させた騏驥。
 五変騎の——赤。

 なるほどそれならばこの騏驥の素晴らしさも納得できると言うものだ。
 殿下に呼ばれて来たのだろうか。
 ちらと覗っただけでも均整のとれた四肢であることは見てとれた。きっと姿を変えた時も、目を見張るほどの優れた馬体なのだろう。シィンが強く望んだほどの騏驥ならば。

 そう思うと——。
 ふと、白羽はなんだか自分の姿が恥ずかしく思えた。
 
 ——馬の姿の時も人の姿の時も騏驥の姿は千差万別で、髪の色も目の色も毛色も違うように体格も性格も脚質も全て違う——。
 
 それは騏驥になってからというもの、何度となく聞いたことだ。学んだことだ。ティエンからもそう言われた。

 だから騎士は自分に一番合う騏驥を求めるが、そうそう出会えるものではない。私はお前に会えて幸せだ。他の騏驥と比べる必要はない。誰しも一頭しかいない騏驥なのだ。
 お前もまた。

 だからお前はお前のその美しさと特性を誇るのだ、と。
 私はお前のその姿が大好きなのだ、と。



 ……しかし、そう言ってくれたティエンはもういない。

 そして遺された自分を、騎士がどう見ているかと言えば……。

 二人の騎士の話し声が聞こえる。その合間、レイゾンがこちらを見ている気がした。
 こちらを——白羽と、その傍にいる、いかにも素晴らしい騏驥の方を。
 騏驥らしくない騏驥と、騎士ならば是非乗ってみたいと思いそうな立派な騏驥の方を。
 白羽はいつしか俯き、顔を上げられなかった。

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