路地裏オメガの餌付け婚~味覚を失った最強公爵様は、僕の料理とフェロモンにだけ発情するようです~

水凪しおん

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第2話「公爵様のお持ち帰り」

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 その日のうちに、僕の人生は天地がひっくり返った。

 謎の美丈夫に手首を掴まれたまま、僕は店の表へと連行された。

「ちょ、ちょっと待ってください! 荷物が! それに店主に断りを入れないと!」

「荷物など捨て置け。すべて新品を用意させる」

 男は聞く耳を持たない。

 店の表口をドンドンと叩くと、中から不機嫌そうなガストンが顔を出した。

「なんだぁ? もう店じまいだぞ……って、ノアじゃねえか! どこほっつき歩いてやがった!」

 ガストンは僕を見るなり怒鳴り散らし、手を振り上げた。いつものように殴られる、と身構えた瞬間、僕の前に男の大きな背中が立ち塞がった。

「……不快だ」

 男が一言つぶやくと同時に、周囲の空気がピリリと凍りついた。

 ただ立っているだけなのに、ガストンの動きがピタリと止まる。その顔から血の気が引いていくのがわかった。

「あ、あんたは……」

 ガストンが小刻みに震えだした。どうやら、この男が誰なのか知っているらしい。

「こいつを貰っていく」

「は、はひっ! どうぞどうぞ! そんな出来損ないでよろしければ、煮るなり焼くなり!」

 ガストンは地面に額を擦り付けるようにして平伏した。いつもあんなに偉そうな店主が、まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 男は懐から金貨が詰まった革袋を取り出すと、ガストンの足元に無造作に投げ捨てた。

「手切れ金だ。二度とこいつに近づくな」

 チャリ、と重たい音が響く。袋の口からこぼれたのは、この店を丸ごと買ってもお釣りが来るような額の大金貨だった。

 僕は呆然とその光景を眺めていた。

 これはいったい、どういうこと?

「行くぞ、ノア」

 男は再び僕の手を引き、路地に停まっていた黒塗りの馬車へと押し込んだ。

 馬車の中は夢のように豪華だった。ふかふかのベルベットの座席に、見たこともない装飾品。

 向かい側に座った男は、外套のフードを外し、濡れた髪をかき上げた。その仕草だけで絵になる。

「自己紹介がまだだったな」

 彼は組んだ足をゆったりと伸ばし、王者のような風格で告げた。

「レオンハルト・フォン・アークライトだ」

 アークライト。

 その名を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。

 この国の人間で、その名を知らない者はいない。北の辺境を守護する公爵家であり、現当主のレオンハルト様は「氷狼公」と呼ばれる最強の騎士だ。

 数多の魔獣を討伐し、国を救った英雄。

 そんな雲の上の存在が、なぜ僕の焼いたクズ肉を食べて、僕を連れ去ろうとしているの?

「あ、あの! 公爵様! 人違いではないでしょうか? 僕は本当にただの下働きで、オ……男ですし」

 危ない、オメガだと言いそうになった。オメガだとバレれば、どんな扱いを受けるかわからない。特に高貴なアルファは、オメガを愛玩動物か産む機械としか見ていないと聞く。

「性別などどうでもいい。俺が必要なのは、お前の料理だ」

 レオンハルト様は真っすぐに僕を見据えた。

「俺は、ある魔獣の呪いを受けている」

「呪い……ですか?」

「ああ。味覚を奪われ、摂取した食物を体が拒絶する呪いだ。何を食べても砂や泥の味がし、無理に飲み込んでもすぐに吐いてしまう」

 彼の言葉に、先程の異常な痩せ方と、肉を食べたときの反応が腑に落ちた。

「魔力とポーションで何とか命を繋いできたが、それも限界だった。だが、さっきお前が焼いた肉だけは……違った」

 彼は恍惚とした表情を浮かべた。

「味がしたのだ。旨味が、熱が、生命力が……喉を通って体に行き渡るのを感じた。あれは奇跡だ」

 彼は身を乗り出し、僕の手を両手で包み込んだ。

 その瞳には、切実な色が浮かんでいる。

「頼む、ノア。俺を飢えから救ってくれ。俺にはお前が必要なんだ」

 最強と謳われる公爵様の、弱りきった懇願。

 そのギャップに、僕の胸はきゅっと締め付けられた。

 必要とされたことなんて、今まで一度もなかった。

 ゴミ扱いされ、邪魔者扱いされてきた僕を、「必要だ」と言ってくれる人がいる。

 たとえそれが、僕の料理の腕だけだとしても。

「……わかりました。僕でよければ、精一杯作らせていただきます」

 僕がそう答えると、レオンハルト様は安堵のため息をつき、それからわずかに口角を上げた。

 初めて見る彼の微笑みは、冷たい氷が解けたときのように、破壊的なまでに美しかった。

「感謝する。……さて、屋敷に着く前に、もう一つ確認しておきたいことがある」

「はい?」

 彼はスッと目を細め、鼻をひくつかせた。

「お前、甘い匂いがするな」

 心臓が止まるかと思った。

 抑制剤は飲んでいる。匂いは消しているはずだ。

「え、あ、それはきっと、さっきのソースの匂いです! 果物を煮詰めたので!」

「……そうか。ならいい」

 彼は深く追求しなかったが、その視線はどこか探るように僕の首筋あたりを彷徨っていた。

 馬車は貴族街の豪邸へと滑り込んでいく。

 僕の新しい生活は、最強の公爵様への「餌付け」から始まることになった。
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