虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした

水凪しおん

文字の大きさ
3 / 16

第2話「氷の公爵邸と囚われの小鳥」

しおりを挟む
 豪華な馬車に揺られ、僕は生まれて初めて王都アストリアへと足を踏み入れた。
 村の石畳とは比べ物にならないほど整備された道。見たこともないほど高く美しい建物が立ち並び、行き交う人々は皆きらびやかな服を身にまとっている。何もかもが僕の知っている世界とは違っていた。
 しかし、そんな華やかな景色を楽しむ余裕は僕にはなかった。

『道具として役に立つ可能性がある』

 アシュレイ公爵が言った言葉が頭の中で何度も繰り返される。
 これから僕は一体どうなってしまうんだろう。不安と恐怖で心臓が今にも張り裂けそうだった。
 馬車は王都の中でもひときわ壮麗な建物が並ぶ貴族街へと入り、やがて巨大な鉄門の前で止まった。門の上には絡み合う銀の薔薇をかたどった見事な紋章が掲げられている。ヴァインベルク公爵家の紋章だ。
 門が開かれ馬車は広い庭園を抜けて、まるでお城のような屋敷の正面玄関へと着いた。
 馬車から降ろされた僕を待っていたのは、白髪を綺麗に撫でつけた初老の執事だった。彼は僕の汚れた服装を見て一瞬眉をひそめたが、すぐに穏やかな表情で深々とお辞儀をした。

「アシュレイ様、お帰りなさいませ。長旅お疲れ様でございました」

「ああ、ギルバートか。客人を連れてきた。部屋を用意しろ」

 アシュレイ公爵は僕を『客人』と言ったが、その声音にもてなす相手への敬意など微塵も感じられない。
 ギルバートと呼ばれた執事は僕を値踏みするように一瞥し、静かにうなずいた。

「かしこまりました。……それで、こちらの方は?」

「俺の新しい『所有物』だ」

 所有物。
『道具』の次は『所有物』。あまりな言われように、僕は唇をきつく噛みしめた。反論したいが、この状況で公爵様に逆らえばどうなるか分からない。
 悔しさに俯く僕を見て、アシュレイ公爵はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「まずは身綺麗にさせろ。汚くて見ていられん」

 その言葉を最後に、彼はさっさと屋敷の奥へと消えていった。残されたのは僕とギルバートさん、そして数人の使用人たちだけだった。
 気まずい沈黙が流れる。

「……さあ、こちらへ。お風呂の用意をさせます。お名前は?」

 最初に口を開いたのはギルバートさんだった。彼の口調は丁寧だが、どこか事務的だ。僕を人間として見ているというより、主人が拾ってきた面倒な荷物を片付けるといった雰囲気だった。

「……リアム、です」

「リアム様ですね。私は執事のギルバートと申します。以後、お見知りおきを」

 僕はギルバートさんに連れられて、目が眩むほど広いお風呂場へと案内された。湯船は村の共同浴場よりも大きく、壁には綺麗な絵まで描かれている。
 数人のメイドさんたちに囲まれ、僕は戸惑いながらも服を脱がされ丁寧に体を洗われた。彼女たちは僕がオメガであることに気づいたかもしれないが、何も言わずに黙々と仕事をこなしている。きっと公爵様から何か言われているのだろう。
 お風呂から上がると、ふかふかの新しい服が用意されていた。村で着ていた粗末な麻の服とは比べ物にならない、滑らかな手触りのシャツとズボンだ。

 身も心も少しだけさっぱりした僕は、ギルバートさんに案内されて一つの部屋へと通された。
「ここが本日よりリアム様のお部屋となります」

 そこは僕が住んでいた家が丸ごと入ってしまいそうなほど広くて豪華な部屋だった。大きな天蓋付きのベッドに柔らかな絨毯、窓には美しい刺繍の施されたカーテンがかかっている。
 呆然と立ち尽くす僕に、ギルバートさんは淡々と説明を続けた。

「アシュレイ様からのご命令です。許可なくこの部屋から出ることは許されません。食事は時間になれば運びます。何か御用があれば、そこの呼び鈴を」

 壁に取り付けられた小さな鈴を指さし、ギルバートさんは言った。それはつまり僕がここに軟禁されることを意味していた。
 やっぱり、僕は囚われの身なんだ。
 ギルバートさんが部屋から出て行き、扉にカチャンと鍵がかかる音がした。
 広い部屋に一人きり。しんと静まり返った空間で、急に心細さがこみ上げてくる。村に残してきた、たった一つの僕の家。もうあそこへは帰れないのかもしれない。
 涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえた。泣いたって何も変わらない。
 僕は窓辺に駆け寄り外の景色を眺めた。窓の外には手入れの行き届いた美しい庭園が広がっている。色とりどりの花が咲き誇り、中央には綺麗な噴水まであった。
 だけどその庭は高い塀に囲まれていて、ここが『籠の中』であることを僕に突きつけてくる。

 その日の夜、夕食が運ばれてきた。テーブルに並べられたのは見たこともない豪華な料理の数々。でも僕にはそれを食べる気力もなかった。
 ぼんやりと椅子に座っていると、不意に扉が開く音がした。入ってきたのはアシュレイ公爵その人だった。
 彼は部屋着なのだろう、昼間の堅苦しい服ではなくゆったりとしたシルクのシャツを身につけていた。そのせいか少しだけ印象が柔らかく見える。

「……なぜ食べない」

 低く静かな声で彼が尋ねる。僕はびくりと肩を震わせ、俯いたまま答えた。

「……食欲が、ありません」

「そうか。だが死なれては困る。お前にはまだ利用価値があるんだ」

 相変わらずの言い草に、僕の中で何かがぷつりと切れた。
 気づけば僕は椅子から立ち上がり、彼をまっすぐに見据えていた。

「どうして僕なんですか! 僕はただ、村で静かに暮らしたかっただけなのに……!」

「お前のあの力が必要だからだ。それ以外の理由はない」

 アシュレイ公爵は表情一つ変えずに答える。そのあまりの温度のなさに僕は言葉を失った。この人にとって僕は本当にただの『物』でしかないんだ。
 悔しくて悲しくて唇を噛む僕に、彼は一歩近づいた。ふわりと彼のアルファとしてのフェロモンが香る。それは冷たい冬の夜に咲く薔薇のような、孤高で甘美な香りだった。
 オメガの本能がその香りに抗いがたく惹きつけられる。だけどそれ以上に、僕の心は彼の冷たさに凍えていた。

「俺は……長年、己の魔力の暴走に苦しめられてきた」

 唐突に彼がそんなことを口にした。
 彼の紫水晶の瞳には、深い苦悩の色が滲んでいる。

「どんな優秀な治癒師も、どんな高価な魔法薬も効果はなかった。だがお前が育てたあの薬草に触れた時……ほんの少しだけ、この苦痛が和らいだ」

 彼はそう言うと僕の前に手を差し出した。白く長い指。その手が僕の頬に触れようとした瞬間、僕は思わず身を引いてしまった。
 彼の動きがぴたりと止まる。紫水晶の瞳が驚いたように僕を見つめていた。今まで彼にこんな風に逆らう人間はいなかったのだろう。

「……触らないでください」

 震える声で僕は言った。
「僕は、あなたの道具でも所有物でもありません……!」

 精一杯の抵抗だった。
 アシュレイ公爵はしばらく黙って僕を見つめていたが、やがてゆっくりと手を下ろした。そして何も言わずに踵を返し、部屋から出て行ってしまった。
 一人残された部屋で、僕はその場にへなへなと座り込んだ。心臓が早鐘のように鳴っている。
 怖かった。でも言わなければいけないと思った。
 僕はただのオメガじゃない。リアムという一人の人間なんだと。
 その夜、僕はほとんど眠ることができなかった。アシュレイ公爵の瞳に宿っていた、深い孤独の色を思い出しながら。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。

水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。 国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。 彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。 世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。 しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。 孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。 これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。 帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。 偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

捨てられΩの癒やしの薬草、呪いで苦しむ最強騎士団長を救ったら、いつの間にか胃袋も心も掴んで番にされていました

水凪しおん
BL
孤独と絶望を癒やす、運命の愛の物語。 人里離れた森の奥、青年アレンは不思議な「浄化の力」を持ち、薬草を育てながらひっそりと暮らしていた。その力を気味悪がられ、人を避けるように生きてきた彼の前に、ある嵐の夜、血まみれの男が現れる。 男の名はカイゼル。「黒き猛虎」と敵国から恐れられる、無敗の騎士団長。しかし彼は、戦場で受けた呪いにより、αの本能を制御できず、狂おしい発作に身を焼かれていた。 記憶を失ったふりをしてアレンの元に留まるカイゼル。アレンの作る薬草茶が、野菜スープが、そして彼自身の存在が、カイゼルの荒れ狂う魂を鎮めていく唯一の癒やしだと気づいた時、その想いは激しい執着と独占欲へ変わる。 「お前がいなければ、俺は正気を保てない」 やがて明かされる真実、迫りくる呪いの脅威。臆病だった青年は、愛する人を救うため、その身に宿る力のすべてを捧げることを決意する。 呪いが解けた時、二人は真の番となる。孤独だった魂が寄り添い、狂おしいほどの愛を注ぎ合う、ファンタジック・ラブストーリー。

妹に奪われた婚約者は、外れの王子でした。婚約破棄された僕は真実の愛を見つけます

こたま
BL
侯爵家に産まれたオメガのミシェルは、王子と婚約していた。しかしオメガとわかった妹が、お兄様ずるいわと言って婚約者を奪ってしまう。家族にないがしろにされたことで悲嘆するミシェルであったが、辺境に匿われていたアルファの落胤王子と出会い真実の愛を育む。ハッピーエンドオメガバースです。

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない

こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

オメガだと隠して魔王討伐隊に入ったら、最強アルファ達に溺愛されています

水凪しおん
BL
前世は、どこにでもいる普通の大学生だった。車に轢かれ、次に目覚めた時、俺はミルクティー色の髪を持つ少年『サナ』として、剣と魔法の異世界にいた。 そこで知らされたのは、衝撃の事実。この世界には男女の他に『アルファ』『ベータ』『オメガ』という第二の性が存在し、俺はその中で最も希少で、男性でありながら子を宿すことができる『オメガ』だという。 アルファに守られ、番になるのが幸せ? そんな決められた道は歩きたくない。俺は、俺自身の力で生きていく。そう決意し、平凡な『ベータ』と身分を偽った俺の前に現れたのは、太陽のように眩しい聖騎士カイル。彼は俺のささやかな機転を「稀代の戦術眼」と絶賛し、半ば強引に魔王討伐隊へと引き入れた。 しかし、そこは最強のアルファたちの巣窟だった! リーダーのカイルに加え、皮肉屋の天才魔法使いリアム、寡黙な獣人暗殺者ジン。三人の強烈なアルファフェロモンに日々当てられ、俺の身体は甘く疼き始める。 隠し通したい秘密と、抗いがたい本能。偽りのベータとして、俺はこの英雄たちの中で生き残れるのか? これは運命に抗う一人のオメガが、本当の居場所と愛を見つけるまでの物語。

処理中です...