虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした

水凪しおん

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第4話「芽生えた気持ちと招かれざる客」

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 あの日、温室で倒れかけた僕をアシュレイ公爵が抱きとめてくれた出来事から、僕の生活は少しだけ変わった。
 相変わらず屋敷からの外出は禁止されたままだが、日中は温室で過ごすことが許されるようになったのだ。僕は弱った植物たちに浄化の力を与え、土を入れ替え水をやる。そうやって植物と触れ合っている時間は、僕にとって心安らぐひとときだった。
 そして二日に一度、僕はアシュレイ公爵の『治療』をすることになった。
 最初は彼の体に触れるたびに緊張で心臓が飛び出しそうだったが、回数を重ねるうちに少しずつ慣れてきた。僕の力のおかげか、彼の胸にあった黒い茨のような痣は少しずつ薄くなっていた。

「……最近、よく眠れるようになった」

 治療を終えた後、彼がぽつりと呟いた。

「それは、よかったです」

「お前の力は確かに効果があるらしい。……リアム」

 不意に名前を呼ばれて、僕は顔を上げた。彼はじっと僕の目を見て続ける。

「お前は一体何者なんだ。ただの村育ちのオメガが、これほどの浄化の力を持つとは考えがたい」

 オメガ。
 やっぱり彼は気づいていたんだ。僕が隠していた秘密に。
 でも彼の口調に侮蔑の色はなかった。ただ純粋な疑問として僕に問いかけている。

「僕にも分かりません。両親の顔も知らないし、物心ついたときには村でおばあさんと二人で暮らしていましたから」

「……そうか」

 彼はそれ以上何も聞かなかった。でもその紫水晶の瞳は、何かを探るように僕の奥を見つめている気がした。
 アシュレイ公爵との間には奇妙な空気が流れるようになっていた。彼は相変わらず口数が少なくて無愛想だが、以前のような突き放すような冷たさは少し和らいだように感じる。
 僕の方も、彼のことをただの『冷酷な公爵様』だとは思えなくなっていた。治療のたびに流れ込んでくる彼の記憶の断片。それは強大な力を持つがゆえの孤独と、誰にも理解されない苦しみの記憶だった。
 この人はただ不器用なだけなのかもしれない。
 そんな風に思い始めた頃だった。

 その日、ヴァインベルク公爵家に招かれざる客が訪れた。
 温室でハーブの世話をしていた僕の元へ、執事のギルバートさんが血相を変えてやってきた。

「リアム様! 今すぐこの温室の奥へお隠れください!」

「え、ギルバートさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」

「クロヴィス第二王子殿下がお見えになったのです。アシュレイ様が応対されておりますが、万が一ということがあります」

 クロヴィス王子。
 その名前は僕でも聞いたことがあった。アシュレイ公爵の政敵として知られる野心家の王子様だ。

「どうして僕が隠れないといけないんですか?」

「殿下はアシュレイ様の弱点を探しておられます。リアム様の存在を知られれば何をされるか分かりません。さあ、早く!」

 ギルバートさんのただならぬ様子に、僕は言われるがまま温室の奥にある物置部屋へと身を隠した。木の壁の隙間から、辛うじて温室の入り口が見える。
 しばらくして温室の扉が開き、二人の男性が入ってきた。
 一人はアシュレイ公爵。
 そしてもう一人は金色の髪を輝かせ、柔和な笑みを浮かべた青年。彼がクロヴィス王子なのだろう。

「これはこれは、珍しいな。氷の公爵閣下がこのような場所で花を愛でていたとは」

 クロヴィス王子は芝居がかった口調で言った。その笑顔は完璧に優しそうに見えるのに、なぜか蛇のような冷たさを感じさせる。

「殿下こそ何のご用でしょう。このような辺鄙な場所にわざわざお越しになるとは」

 アシュレイ公爵も表情を変えずに応じる。二人の間には目に見えない火花が散っているようだった。

「いやなに、君が最近体の調子が良いと聞いてね。長年君を苦しめていた呪いがどうやら和らいでいるとか。何か良い治療法でも見つかったのかと気になってね」

 王子の言葉にアシュレイ公爵の眉がぴくりと動いた。
 まずい。この話の流れは僕のことにつながってしまうかもしれない。
 僕は息を殺し、壁の隙間から二人を注視した。

「……気のせいでしょう。私の体調など以前と何も変わりません」

「おや、つれないな。まあいい。実は今日は君に紹介したい人物がいるんだ。エレオノーラ、入ってきなさい」

 クロヴィス王子が手招きすると、入り口から豪華なドレスを身にまとった美しい女性が現れた。燃えるような赤い髪に気の強そうな翠の瞳。彼女もまた高位の貴族なのだろう。

「アシュレイ様、ごきげんよう。お会いしたく思っておりました」

 エレオノーラと名乗った女性は、アシュレイ公爵にうっとりとした視線を送りながら淑女の礼をとった。

「彼女は私の婚約者候補の一人、エレオノーラ嬢だ。彼女も強力な魔力を持つアルファでね。君の良き伴侶になると思うのだが、どうだろうか」

 クロヴィス王子はあからさまな縁談を持ちかけてきた。政略結婚によってアシュレイ公爵を自分の陣営に取り込もうという魂胆なのだろう。
 アシュレイ公爵はエレオノーラ嬢を一瞥するだけで、興味なさそうに言った。

「お心遣いはありがたいですが間に合っています。俺は番も伴侶も必要ありませんので」

 そのきっぱりとした拒絶に、エレオノーラ嬢の頬が悔しそうに引きつった。
 しかし彼女はすぐに気を取り直すと、ふと温室の中を見回し、ある一点で視線を止めた。

「あら、まあ。こんなところに、こんなものが」

 彼女が指さしたのは僕が今朝水をやったばかりの小さな鉢植えだった。それは村から持ってきた薬草の種を試しに植えてみたものだ。僕の浄化の力を受けて青々とした葉を茂らせていた。

「珍しい草ですわね。ですけれど……なんだか妙な香りがいたしませんこと?」

 エレオノーラ嬢は扇で鼻を覆いながら嫌悪感を露わにした。
 妙な匂い。それはきっと僕がオメガのフェロモンを隠すために使っている香油の匂いと、僕自身のオメガとしての残り香が混じり合ったものだ。アルファである彼女にはそれが不快に感じられたのだろう。
 その言葉を聞いた瞬間、アシュレイ公爵の纏う空気が絶対零度の冷たさに変わった。

「……それに、触るな」

 地を這うような低い声。それは僕が今まで聞いた彼のどの声よりも、明確な怒りを含んでいた。
 エレオノーラ嬢もクロヴィス王子も、その凄まじい威圧感に一瞬たじろぐ。

「アシュレイ……?」

「その鉢植えは俺の物だ。誰にも触れさせるつもりはない」

 彼は僕が育てた小さな鉢植えを、まるで宝物でも守るかのように自分の背後にかばった。
 その姿を見た瞬間、僕の胸がきゅうっと締め付けられた。
 彼は僕のことを守ってくれようとしている。僕がここにいることを悟られないように。
 どうして? 僕はただの『道具』じゃなかったの?

「……ふむ。なるほど、なるほど。どうやら君にはよほど大切な『秘密』があるようだね」

 クロヴィス王子は面白そうに目を細めた。
「今日のところは引き下がろう。だが覚えておくといい。君が隠しているものは、いずれ必ず私の知るところとなる」

 不気味な言葉を残して、クロヴィス王子とエレオノーラ嬢は温室から去っていった。
 嵐が去った後の静けさの中、アシュレイ公爵はしばらくその場に立ち尽くしていた。やがて彼は僕が隠れている物置部屋の方へ向き直り、静かに言った。

「……もう、出てきてもいいぞ」

 僕は恐る恐る物置から出た。
 アシュレイ公爵は僕の顔を見るなり、大きなため息をついた。

「お前の存在はまだ誰にも知られるわけにはいかない。特にクロヴィス王子には」

「……すみません。僕のせいで」

「お前が謝ることではない。……だが気をつけろ。奴らは必ずまた何か仕掛けてくる」

 彼はそう言うと僕の鉢植えを手に取り、優しく葉を撫でた。
「この草、いい香りがする」

 さっきエレオノーラ嬢が『妙な匂い』と侮辱した僕の香りを。彼はそう言ってくれた。
 その一言が、どうしようもなく僕の心を温かくした。
 氷のようだと思っていたこの人は、本当はとても優しいのかもしれない。
 芽生え始めたこの気持ちに名前をつけられないまま、僕はただ彼の美しい横顔を見つめていた。
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