虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした

水凪しおん

文字の大きさ
7 / 16

第6話「交差する思惑と守るべきもの」

しおりを挟む
「失せろ」
 アシュレイ公爵の放った一言は、周囲のざわめきを一瞬で凍りつかせるほどの冷気を帯びていた。
 エレオノーラ嬢はさすがにその剣幕に怯んだようだったが、すぐに悔しそうに顔を歪めた。

「なっ……! アシュレイ様、この私に対して何という言い草ですの!」

「聞こえなかったのか? 俺の目の前から消えろと言ったんだ」

 アシュレイ公爵は一歩も引かない。その背中はどんな攻撃も許さないとでも言うように、僕を完全に守っていた。
 彼の背中を見つめながら、僕の胸はきゅっと痛んだ。嬉しいのに苦しい。僕のせいで彼を厄介事に巻き込んでしまった。

「……覚えていなさい!」

 エレオノーラ嬢は捨て台詞を残してその場を去っていった。しかし彼女の翠の瞳には嫉妬と憎悪の炎が燃え盛っていた。きっとこのままでは終わらないだろう。
 周囲の野次馬たちもアシュレイ公爵の威圧感に気圧されて、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
 広場には僕と公爵様の二人だけが残された。

「……申し訳ありません」

 僕が俯いて謝ると、彼は大きなため息をついた。

「お前が謝ることではない。俺の不徳の致すところだ」

 そう言うと彼は僕の手をぐいっと掴んだ。

「行くぞ。屋敷に戻る」

 彼の大きな手に引かれるまま、僕は無言で彼の後をついていく。繋がれた手から伝わる彼の体温がなぜかとても熱く感じられた。
 屋敷に戻るまでの間、僕たちは一言も口をきかなかった。
 アシュレイ公爵の横顔は街で一緒にいた時とは比べ物にならないほど険しく、近寄りがたい雰囲気を放っている。
 きっと僕を連れ出したことを後悔しているに違いない。
『所有物』である僕が彼の評判に傷をつけたのだから。
 そう思うと胸がずきずきと痛んだ。

 屋敷に帰り着くと、アシュレイ公爵は僕の手を離して一言だけ言い放った。

「……もう二度と、お前を外には連れて行かん」

 その言葉は僕の心に冷たい刃のように突き刺さった。
 やっぱり彼は怒っている。僕の存在が迷惑なんだ。
 涙がこぼれそうになるのを必死でこらえ、僕は自分の部屋へと逃げるように駆け込んだ。
 扉を閉めた途端、堰を切ったように涙が溢れ出す。
 楽しかった。本当に夢のように楽しい時間だった。生まれて初めて誰かと街を歩いて、美味しいものを食べて笑い合った。
 相手があの氷の公爵様だなんて、信じられないくらいに。
 だから余計に辛い。
 あの時間がもう二度と訪れないのだと思うと。

『僕は、公爵様にとってやっぱりただの道具なんだ』

 浄化の力を持つ、都合のいいオメガ。それ以上でもそれ以下でもない。
 分かっていたはずなのに、どこかで期待してしまっていた。もしかしたら彼は僕のことを少しでも特別に思ってくれているんじゃないか、と。
 その夜、僕はベッドの中で一人声を殺して泣いた。

 翌日からアシュレイ公爵は僕を避けるようになった。
 温室には一度も顔を見せず、治療の時間もギルバートさんを通して「今日は不要だ」と伝えられるだけ。
 屋敷の中で彼の姿を見かけても、目が合うとすぐに逸らされてしまう。
 あからさまな拒絶だった。
 僕の心は日に日に凍えていくようだった。温室の植物たちは僕の力で元気になっていくのに、僕自身の心はどんどん萎れていく。
 そんなある日のことだった。
 ギルバートさんが思いつめたような顔で僕の部屋を訪ねてきた。

「リアム様、少しよろしいでしょうか」

「ギルバートさん……」

「アシュレイ様のことですが……どうかお気を悪くなさらないでいただきたい」

 ギルバートさんは深々と頭を下げた。

「あの方はリアム様を疎ましく思って避けておられるのではありません。むしろその逆なのです」

「……逆、ですか?」

 意味が分からず僕は首をかしげる。

「アシュレイ様はリアム様を大切に思うがゆえに、どう接していいか分からなくなっておられるのです。あの方は今まで誰かに情をかけたことなど、一度もなかったのですから」

 ギルバートさんの言葉は僕にとって信じられないものだった。
 あの公爵様が、僕を、大切に?

「あの方はリアム様を危険な目に遭わせたことを、ご自身のこと以上に悔いておられます。エレオノーラ様やその裏にいるクロヴィス王子が次に何を仕掛けてくるか分からない。だからリアム様を遠ざけることで守ろうとしておられるのです」

 不器用すぎる守り方だった。
 でもそれが彼の精一杯の優しさなのだと知って、僕の凍っていた心がじんわりと溶け出していくのを感じた。
 あの人は怒っていたんじゃなかったんだ。僕のことを心配してくれていたんだ。

「……ありがとうございます、ギルバートさん。教えてくれて」

「いいえ。……リアム様、どうかアシュレイ様のそばにいてさしあげてください。あの方の孤独を癒せるのは、あなた様だけなのですから」

 ギルバートさんはそう言うと静かに部屋を出て行った。
 僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。
 守られてばかりじゃだめだ。
 僕もあの人の力になりたい。孤独なあの人を僕の力で守りたい。
 そう強く思った。

 その日の夜、僕は一つの決意を胸にアシュレイ公爵の書斎を訪れた。
 夜遅くまで政務をしている彼の邪魔になることは分かっていたが、どうしても今伝えたいことがあった。
 重厚な扉をコンコンとノックする。

「……誰だ」

 中から不機嫌そうな声が聞こえた。

「リアムです。……少しだけ、お話がしたいです」

 一瞬の沈黙の後、「入れ」と短い許可が下りた。
 僕は意を決して扉を開けた。
 書斎の中ではアシュレイ公爵が山積みの書類を前に、疲れた顔でペンを走らせていた。

「……何の用だ。もう寝る時間だろう」

 彼は僕に視線を合わせようともしない。

「あの……僕を避けるのは、やめてください」

 僕の言葉に彼のペンがぴたりと止まった。

「僕、あなたの力になりたいんです。道具としてでも何でもいい。あなたのそばにいたいです」

「……お前には、関係ないことだ」

「関係なくなんかないです! あなたが苦しんでいるのを知っているのに、何もしないでいるなんてできません!」

 僕は一歩彼に近づいた。
「あなたが僕を守ろうとしてくれているように、僕もあなたを守りたいんです」

 まっすぐに彼の目を見てそう告げた。
 アシュレイ公爵は驚いたように僕を見つめていた。その紫水晶の瞳が激しく揺れている。
 彼は何かを言おうとして口を開きかけ、でも結局何も言えずに唇を閉じた。
 沈黙が部屋を支配する。

「……勝手にしろ」

 長い沈黙の末、彼が絞り出したのはそんなぶっきらぼうな言葉だった。
 でもその声は震えていて、彼の顔は悔しいのか嬉しいのか、複雑な感情で歪んでいた。
 それは僕にとって何より嬉しい許可の言葉だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。

水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。 国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。 彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。 世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。 しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。 孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。 これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。 帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。 偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

捨てられΩの癒やしの薬草、呪いで苦しむ最強騎士団長を救ったら、いつの間にか胃袋も心も掴んで番にされていました

水凪しおん
BL
孤独と絶望を癒やす、運命の愛の物語。 人里離れた森の奥、青年アレンは不思議な「浄化の力」を持ち、薬草を育てながらひっそりと暮らしていた。その力を気味悪がられ、人を避けるように生きてきた彼の前に、ある嵐の夜、血まみれの男が現れる。 男の名はカイゼル。「黒き猛虎」と敵国から恐れられる、無敗の騎士団長。しかし彼は、戦場で受けた呪いにより、αの本能を制御できず、狂おしい発作に身を焼かれていた。 記憶を失ったふりをしてアレンの元に留まるカイゼル。アレンの作る薬草茶が、野菜スープが、そして彼自身の存在が、カイゼルの荒れ狂う魂を鎮めていく唯一の癒やしだと気づいた時、その想いは激しい執着と独占欲へ変わる。 「お前がいなければ、俺は正気を保てない」 やがて明かされる真実、迫りくる呪いの脅威。臆病だった青年は、愛する人を救うため、その身に宿る力のすべてを捧げることを決意する。 呪いが解けた時、二人は真の番となる。孤独だった魂が寄り添い、狂おしいほどの愛を注ぎ合う、ファンタジック・ラブストーリー。

妹に奪われた婚約者は、外れの王子でした。婚約破棄された僕は真実の愛を見つけます

こたま
BL
侯爵家に産まれたオメガのミシェルは、王子と婚約していた。しかしオメガとわかった妹が、お兄様ずるいわと言って婚約者を奪ってしまう。家族にないがしろにされたことで悲嘆するミシェルであったが、辺境に匿われていたアルファの落胤王子と出会い真実の愛を育む。ハッピーエンドオメガバースです。

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない

こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

オメガだと隠して魔王討伐隊に入ったら、最強アルファ達に溺愛されています

水凪しおん
BL
前世は、どこにでもいる普通の大学生だった。車に轢かれ、次に目覚めた時、俺はミルクティー色の髪を持つ少年『サナ』として、剣と魔法の異世界にいた。 そこで知らされたのは、衝撃の事実。この世界には男女の他に『アルファ』『ベータ』『オメガ』という第二の性が存在し、俺はその中で最も希少で、男性でありながら子を宿すことができる『オメガ』だという。 アルファに守られ、番になるのが幸せ? そんな決められた道は歩きたくない。俺は、俺自身の力で生きていく。そう決意し、平凡な『ベータ』と身分を偽った俺の前に現れたのは、太陽のように眩しい聖騎士カイル。彼は俺のささやかな機転を「稀代の戦術眼」と絶賛し、半ば強引に魔王討伐隊へと引き入れた。 しかし、そこは最強のアルファたちの巣窟だった! リーダーのカイルに加え、皮肉屋の天才魔法使いリアム、寡黙な獣人暗殺者ジン。三人の強烈なアルファフェロモンに日々当てられ、俺の身体は甘く疼き始める。 隠し通したい秘密と、抗いがたい本能。偽りのベータとして、俺はこの英雄たちの中で生き残れるのか? これは運命に抗う一人のオメガが、本当の居場所と愛を見つけるまでの物語。

処理中です...