虐げられΩの僕は、貢物として冷酷非情な氷血皇帝に嫁いだはずが、どうやら万に一つの「運命の番」だったらしく、過保護に溺愛されています

水凪しおん

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第9話:小さな願い

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 宮廷内に渦巻く悪意に、リエルの心は少しずつ蝕まれていた。カイロスが側にいてくれることで、直接的な危害を加えられることはない。しかし、向けられる冷たい視線や囁き声は、過去のトラウマを呼び覚まし、彼の心をじわじわとすり減らしていった。

 そんなリエルの様子の変化に、カイロスは気づいていた。口数はさらに少なくなり、時折、窓の外をぼんやりと眺めている時間が増えた。その青い瞳には、いつもどこか寂しげな色が浮かんでいる。
 カイロスは、どう声をかければいいのか分からなかった。慰めの言葉など、これまで誰にもかけたことがない。ただ、このΩの心を覆う曇りを晴らしてやりたいと、強く思った。

 ある日の夕食。二人きりの食卓は、相変わらず静かだった。カトラリーの触れ合う音だけが、部屋に響く。
 カイロスは意を決して、口を開いた。
「……何か、望みはあるか」
 突然の問いに、リエルは驚いて顔を上げた。望み、など考えたこともなかった。生きているだけで精一杯だったから。
「いえ、何も……」
 そう言って俯こうとするリエルに、カイロスは重ねて問う。
「何でもいい。些細なことでも構わん」
 その真剣な金色の瞳に見つめられ、リエルは少し戸惑いながらも、記憶の引き出しを探った。

 自分のための望みなどない。でも、ふと、故郷での数少ない穏やかな記憶が蘇った。
 それは、虐げられる日々の合間に、こっそりと城を抜け出して訪れた、森の奥の小さな空き地の光景だった。
 そこには、名も知らない素朴な白い花が一面に咲いていた。誰にも知られず、ただ静かに、けれど力強く咲くその花々を見ている時だけ、リエルはほんの少しだけ心安らぐことができた。

「……故郷の森に、小さな白い花が咲く場所がありました」
 リエルは、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「誰も知らない場所で……とても、綺麗でした。お城は、いつも息が詰まりそうだったので……時々、その花を見に行くと、少しだけ、呼吸が楽になるような気がして……」
 そこまで言って、リエルはハッとした。皇帝陛下に、なんてつまらない話をしてしまったのだろう。こんな感傷的な話を、氷血皇帝が興味を持つはずがない。
「すみません、つまらない話を……」
 慌てて謝るリエルに、カイロスは何も言わなかった。ただ、無表情のまま食事を続けている。
 やはり、呆れられたのだ。リエルは恥ずかしさで顔を赤らめ、それ以上何も話すことができなかった。

 その日の食事は、気まずい沈黙の中で終わった。
 カイロスは、最後までリエルの話に何の反応も示さなかった。
 リエルは、余計なことを言ってしまったと後悔しながら、自室へと戻っていく。

 しかし、カイロスはリエルが退出した後も、一人食卓に残っていた。
 彼は、先ほどのリエルの言葉を、一言一句、脳内で反芻していた。
『呼吸が楽になるような気がして』
 その言葉が、やけに強く胸に突き刺さる。
 あのΩは、今、この皇宮で息苦しさを感じているのだ。そして、それを癒すのが、名も知れぬ素朴な花だと。

 カイロスは、静かに席を立つと、側近の騎士団長を呼びつけた。
「……ルナリアの森に咲く、白い小さな花について調べろ。どんなものでもいい。可能な限り、全てだ」
 騎士団長は、皇帝の突拍子もない命令に目を丸くしたが、その金色の瞳に宿る真剣な光を見て、ただ一言、「御意」とだけ答えた。

 リエルの小さな願い。
 それは、無関心を装った皇帝の心に、深く、深く刻み込まれていた。
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