感情を抑制された人工オメガの俺は、子を産む器として冷酷な氷帝に献上されたはずが、なぜか狂おしいほど執着され溺愛されています

水凪しおん

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第6話「初めての微笑み、溶ける氷」

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 夜会の一件以来、リアムのエールに対する執着は、もはや宮廷内で知らぬ者のない公然の事実となっていた。彼は政務の合間にも頻繁に離宮を訪れ、エールと共に過ごす時間を何よりも優先した。

 リアムは、エールに様々なものを与えた。美しい衣服、輝く宝石、珍しい菓子。しかし、エールはそれらのどれにも、ほとんど興味を示さなかった。ただ、リアムから与えられたという事実だけを、静かに受け入れているようだった。

 リアムは、そんなエールの無反応に苛立ちを覚えながらも、どうすればこの人形の心に響くのか、手探りを続けるしかなかった。

 ある雨の日、リアムは古い倉庫の奥から、一つの木箱を見つけ出した。それは、彼が幼い頃、唯一心を許した母である皇太后が愛用していた、古いオルゴールだった。リアムは、なぜかそれをエールに見せたくなった。

 離宮を訪れると、エールは窓辺に座り、ガラス窓を叩く雨粒をじっと見つめていた。その横顔は、いつもと同じく無表情だったが、どこか物憂げな雰囲気を漂わせている。

「エール」

 リアムが声をかけると、エールはゆっくりと振り返った。

「これを、お前に」

 リアムは、エールの前にオルゴールの木箱を置いた。エールは不思議そうに、その古びた箱を見つめている。

「開けてみろ」

 促されるままに、エールが小さな留め金を外して蓋を開ける。すると、澄んだ、どこか懐かしい音色が部屋に響き渡った。それは、優しい雨音と調和するような、穏やかで美しいメロディだった。

 エールは、箱の中でくるくると回る小さなバレリーナの人形と、そこから生まれる音楽に、完全に心を奪われたようだった。その瑠璃色の瞳が、珍しく大きく見開かれている。

 リアムは、そんなエールの様子を、息を詰めて見守っていた。心臓が、期待と不安で奇妙な音を立てている。

 オルゴールのメロディがクライマックスに差し掛かった、その時だった。

 エールの唇の端が、ほんのわずかに、ふわりと持ち上がった。

 それは、満面の笑みというには、あまりにもささやかで、儚いものだった。だが、それは紛れもなく、エールが初めて見せた微笑みだった。

 リアムは、時間が止まったかのような錯覚に陥った。

 目の前で起こったことが信じられず、ただ呆然とエールの顔を見つめる。

 微笑み。

 感情のないはずの人形が、笑った。

 その瞬間、リアムの中で、何かが音を立てて砕け散った。今まで鉄の仮面のように固く閉ざしていた、彼自身の心の壁が。氷帝と呼ばれた男の、凍てついた心が、そのたった一つの微笑みによって、完全に溶かされてしまったのだ。

 リアムは、気づけばエールの細い身体を、衝動のままに力強く抱きしめていた。

「っ…陛下…?」

 突然のことに、エールは驚いて声を上げた。オルゴールの箱が手から滑り落ち、床で鈍い音を立てる。だが、リアムはそんなことには構わなかった。

「エール…」

 リアムの声は、震えていた。彼は、エールの肩に顔を埋め、何度もその名を呼んだ。その声には、今まで誰にも見せたことのない、深い安堵と、抑えきれないほどの歓喜が滲んでいた。

 エールは、リアムの腕の中で戸惑いながらも、彼の背中にそっと手を回した。リアムの身体が、小刻みに震えているのが伝わってくる。自分が見せたささやかな表情の変化が、この絶対的な支配者である皇帝を、これほどまでに動揺させている。その事実が、エールの胸に不思議な熱を灯した。

「陛下、苦しい、です」

「…すまない」

 リアムは、慌てて腕の力を緩めたが、エールを解放しようとはしなかった。彼は、エールの顔を覗き込み、その瞳を真っ直ぐに見つめた。

「もう一度、笑ってくれ」

 それは懇願だった。帝国の頂点に立つ男が、ただ一人の青年に見せた、初めての弱さ。

 エールは、どうすればいいのかわからなかった。先程の微笑みは、無意識に出たものだったからだ。しかし、目の前で自分を見つめるリアムの、熱を帯びた紫紺の瞳を見ていると、また胸の奥が温かくなるのを感じた。

 エールは、おずおずと、もう一度唇の端に力を込めた。ぎこちない、不器用な微笑み。

 だが、リアムにとっては、それが世界のどんな宝よりも価値のあるものに見えた。

 彼は、吸い寄せられるように、その唇に自分の唇を重ねた。

 それは、今までのような義務的なものではなく、ただ純粋な愛情と衝動から生まれた、初めての口づけだった。

 オルゴールの優しい音色は、いつの間にか止んでいた。部屋には、雨音と、二人の静かな息遣いだけが響いている。

 この日を境に、二人の関係は決定的に変わった。

 リアムはもはや、エールを子を成すための器として見ていなかった。彼は、エールという存在そのものを、狂おしいほどに愛し始めていたのだ。

 そしてエールもまた、リアムが向ける激しい感情の奔流の中で、「嬉しい」「愛しい」という感情を、少しずつ、しかし確実に学んでいくことになる。

 溶けた氷は、もう二度と元の凍てついた姿に戻ることはない。それは、溢れ出す奔流となって、二人の運命を大きく動かし始めていた。
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