感情を抑制された人工オメガの俺は、子を産む器として冷酷な氷帝に献上されたはずが、なぜか狂おしいほど執着され溺愛されています

水凪しおん

文字の大きさ
9 / 15

第8話「忍び寄る影と偽りの記憶」

しおりを挟む
 リアムによる粛清は、宮廷に静かな恐怖をもたらした。エールに少しでも害意を抱く者は、皇帝の逆鱗に触れる。その事実は、貴族たちの間に瞬く間に広がり、もはや誰もエールの存在を軽々しく扱う者はいなくなった。

 リアムが築いた完璧な鳥かごの中で、エールは穏やかな日々を送っていた。リアムからの愛情を一身に受け、エールの心は驚くほどの速さで色彩を取り戻していった。彼は今や、美しい花を見て「綺麗だ」と感じ、リアムの冗談に声を立てて笑い、悲しい物語を読めば涙を流す、ごく普通の青年のように感情豊かになっていた。

 リアムは、そんなエールの変化を、何よりも愛おしく思っていた。自分の腕の中で、無垢な魂が彩られていく。その過程を見守ることが、彼の至上の喜びだった。

 しかし、その平穏な日々の水面下で、帝国の最も暗い部分が蠢き始めていた。

 宰相バルドルは、皇帝の常軌を逸した寵愛ぶりに、強い危機感を抱いていた。あの冷静沈着だった氷帝は、どこへ行ったのか。一人のオメガにうつつを抜かし、国政を疎かにする姿は、帝国の未来を憂うバルドルにとって、到底看過できるものではなかった。

『あの青年…エール。奴には何かある』

 バルドルは、密かにエールの出自を探り始めていた。彼が献上された研究所は、最高機密扱いであったが、宰相の権力をもってすれば、その扉をこじ開けることは不可能ではない。

 バルドルは、かつて研究所に所属していたという、一人の老科学者を突き止めた。彼は、今は引退し、帝都の片隅でひっそりと暮らしている。バルドルは、身分を隠してその老人を訪ねた。

 一方、エールは最近、奇妙な夢を見るようになっていた。

 白い壁、冷たい金属のベッド、そして自分と同じ顔をした、たくさんの子どもたち。夢の中の光景は、断片的で意味をなさなかったが、目が覚めると、いつも心臓が激しく鼓動し、冷や汗が流れた。

 それは、彼が抑制されていたはずの、過去の記憶の断片だった。

 ある夜、エールはまた夢を見た。

『失敗作は、処分しろ』

 冷たい声が響く。ガラスの向こうで、自分とそっくりの顔をした青年が、泣き叫んでいる。だが、その声は誰にも届かない。白い服を着た大人たちが、彼をどこかへ連れて行ってしまう。

「やめて…!」

 エールは、自分の叫び声で目を覚ました。隣には、眠っているはずのリアムが、心配そうな顔で彼を覗き込んでいる。

「エール、どうした。魘されていたぞ」

「リアム…怖い、夢を…」

 エールは、震える手でリアムの衣服を掴んだ。リアムは、そんなエールを優しく抱きしめ、背中をゆっくりと撫でる。

「大丈夫だ。ただの夢だ。私がそばにいる」

 リアムの体温と声に、エールの恐怖は少しずつ和らいでいく。だが、あの夢の光景は、脳裏に焼き付いて離れなかった。あれは、本当にただの夢なのだろうか。自分には、知らない過去があるのではないか。そんな疑念が、エールの心に小さな影を落とした。

 その頃、宰相バルドルは、老科学者から驚愕の事実を聞き出していた。

「Unit-00…エール様は、確かに我々が生み出した最高傑作です。しかし、彼の素体となったのは…ただの孤児ではございません」

 老人は、震える声で語り始めた。

「彼の遺伝子の半分は、先帝陛下のもの…つまり、彼は、先帝の血を引く、隠し子なのでございます」

 バルドルの目が、鋭く光った。

 先帝の隠し子。それはつまり、エールが正当な皇位継承権を持つ可能性を示唆していた。

「なぜ、そんな危険な真似を…」

「最強のアルファである皇帝の子を宿すには、それに相応しい、高貴で強靭なオメガが必要でした。そして、最も手に入れやすく、最も優れた遺伝子こそが、先帝陛下のものであったのです。もちろん、この事実はトップシークレットとして、厳重に秘匿されましたが…」

 バルドルは、全てを理解した。そして、彼の頭脳は、恐ろしい計画を組み立て始める。

 エールの出生の秘密。これは、リアムを失脚させ、帝国の実権を握るための、この上ない切り札になる。

 リアムが愛してやまないあの美しい青年は、彼の地位を根底から揺るがす、爆弾を抱えているのだ。

 バルドルは、口元に冷酷な笑みを浮かべた。

 忍び寄る影は、着実にその輪郭を濃くしていく。エールとリアムの甘い世界は、偽りの記憶と暴かれる真実によって、もうすぐ打ち砕かれようとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない

こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

娼館で死んだΩですが、竜帝の溺愛皇妃やってます

めがねあざらし
BL
死に場所は、薄暗い娼館の片隅だった。奪われ、弄ばれ、捨てられた運命の果て。けれど目覚めたのは、まだ“すべてが起きる前”の過去だった。 王国の檻に囚われながらも、静かに抗い続けた日々。その中で出会った“彼”が、冷え切った運命に、初めて温もりを灯す。 運命を塗り替えるために歩み始めた、険しくも孤独な道の先。そこで待っていたのは、金の瞳を持つ竜帝—— 「お前を、誰にも渡すつもりはない」 溺愛、独占、そしてトラヴィスの宮廷に渦巻く陰謀と政敵たち。死に戻ったΩは、今度こそ自分自身を救うため、皇妃として“未来”を手繰り寄せる。 愛され、試され、それでも生き抜くために——第二章、ここに開幕。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

処理中です...