感情を抑制された人工オメガの俺は、子を産む器として冷酷な氷帝に献上されたはずが、なぜか狂おしいほど執着され溺愛されています

水凪しおん

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第10話「血塗られた玉座」

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 玉座の間は、宰相バルドルと彼に与する貴族たちの声で満ちていた。

「陛下! ご自身の弟君を寵妃とするなど、前代未聞の背徳行為! もはや帝国の威信は地に堕ちましたぞ!」

「速やかに退位され、エール様を正当な皇位継承者として立てるべきだ!」

 貴族たちの声は、次第に大きなうねりとなり、リアムに退位を迫るシュプレヒコールへと変わっていった。彼らは、数の力で皇帝を追い詰められると確信していた。リアムが、あれほどまでにエールを溺愛しているのなら、そのエールが皇位継承権を持つと知れば、動揺し、抵抗する力を失うだろうと。

 だが、彼らの予測は、根本から間違っていた。

 玉座に座るリアムは、終始、鉄の仮面を貼り付けたように無表情だった。彼は、騒ぎ立てる貴族たちを、まるで羽虫の群れでも見るかのような、冷え切った目で見下ろしていた。

 やがて、貴族たちの声が少し静まった瞬間を見計らって、リアムは静かに口を開いた。

「…茶番は、それで終わりか」

 その声は、低く、穏やかですらあった。だが、その底には、地獄の底から響いてくるような、恐ろしいほどの怒りが込められていた。

 バルドルは、一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して言い放った。

「陛下、往生際が悪い! もはや、あなたに味方する者などおりませぬぞ!」

「味方?」

 リアムは、ふっと鼻で笑った。

「私が、いつ貴様らのようなハイエナに、味方を求めたことがあったか」

 その言葉と共に、リアムはゆらりと玉座から立ち上がった。その瞬間、彼の全身から放たれる圧倒的な威圧感――アルファとしての純粋なオーラが、嵐のように玉座の間を吹き荒れた。

 下位の貴族たちは、そのプレッシャーに耐えきれず、次々と膝をつき、呼吸すらままならない様子で喘ぎ始める。

「ひっ…こ、これは…」

 バルドルですら、立っているのがやっとだった。目の前の皇帝は、もはや人の形をした災厄そのものだった。

 リアムは、ゆっくりと階段を下り、バルドルの目の前で足を止めた。その紫紺の瞳は、もはや何の感情も映さず、ただ絶対的な虚無だけをたたえていた。

「バルドルよ。貴様は、一つだけ大きな間違いを犯した」

「な…何を…」

「エールの出自など、私にとっては、どうでもいいことだということだ」

 リアムの言葉に、バルドルは目を見開いた。

「彼が私の弟であろうが、どこの馬の骨であろうが、そんなことは関係ない。彼は、私のものだ。私の唯一の番だ。その事実は、天地がひっくり返っても変わらん」

 リアムは、バルドルの胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げた。老宰相の足が、床から離れる。

「貴様は、私の宝を、政争の道具に利用した。その罪が、どれほど重いか…わかっているのか?」

「ぐ…は…っ」

 バルドルの顔が、苦悶に歪む。

 その時、バルドル派の貴族たちが隠し持っていた剣を抜き、リアムに襲いかかった。

「陛下を討て! 新しい時代を作るのだ!」

 だが、彼らの刃がリアムに届くことはなかった。

 玉座の間の四方の扉が一斉に開き、完全武装した近衛騎士たちが、雪崩れ込むように現れたのだ。彼らは、リアムに忠誠を誓う、帝国最強の精鋭部隊。反乱者たちは、あっという間に取り押さえられていく。

 玉座の間は、瞬く間に、悲鳴と剣戟の音に満ちた地獄絵図と化した。

 リアムは、そんな光景には目もくれず、ただ手の中のバルドルを睨みつけていた。

「エールは、今、どこで泣いている?」

 その問いは、バルドルに向けられたものではなかった。自分自身への問いかけだった。

 あの純粋で、脆い魂が、今、どれほどの絶望の中にいるか。考えただけで、胸が張り裂けそうだった。

 全ては、自分のせいだ。自分が、彼をこんな醜い争いに巻き込んでしまった。

 リアムの胸を、後悔と、エールへの愛しさが、嵐のように吹き荒れる。

「…貴様には、地獄すら生ぬるい」

 リアムは、そうつぶやくと、バルドルを床に叩きつけた。そして、近衛騎士に冷たく命じた。

「首謀者どもを、一人残らず捕らえよ。一族郎党、根絶やしにしろ。一人たりとも、生かしておくことは許さん」

 血塗られた玉座の間で、氷帝は完全な復活を遂げた。いや、それはもはや、愛する者を傷つけられた、一匹の獣の咆哮だった。

 リアムは、騎士たちに後始末を任せると、一目散に玉座の間を飛び出した。

 向かう先は、ただ一つ。

 エールが待つ、離宮。

 今は、ただ、彼をこの腕に抱きしめたかった。

 お前が誰であろうと関係ない。お前は、ただのお前だ。私の愛する、唯一の存在なのだと。

 そう伝えるために。

 リアムは、焦燥に駆られながら、雨に濡れた石畳を走り続けた。砕け散ったエールの心を、もう一度この手で拾い集めることができるのか。その答えは、まだ誰にもわからなかった。
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