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番外編「陽だまりの午後、ささやかな嫉妬」
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エールが正式に皇妃となってから、数ヶ月が過ぎた。
帝国の情勢もすっかり落ち着き、二人の周りには、穏やかで甘い時間が流れていた。
エールの変化は、目覚ましいものがあった。かつての感情のない人形の面影はどこにもなく、彼はよく笑い、よく拗ね、そして、よくリアムに甘えるようになっていた。
リアムは、そんなエールの全てを、心の底から愛おしく思っていた。政務の合間にエールの顔を見に行くのが、今や彼にとって何よりの楽しみであり、癒やしとなっていた。
ある晴れた日の午後、リアムが執務室で書類の山と格闘していると、侍従が困惑した表情でやってきた。
「陛下、その…皇妃様が、お客様とお茶会を…」
「ああ、聞いている。隣国の若い王子が、表敬訪問に来ているのだろう。エールが退屈しないようにと、私が許可したことだ」
リアムは、書類から目を離さずに答えた。
「それが…どうも、その、大変盛り上がっておられるようでして…」
侍従の歯切れの悪い物言いに、リアムはようやく顔を上げた。眉間に、かすかなしわが寄る。
「…どういうことだ」
***
リアムが、足音を忍ばせて離宮のサンルームを覗き込むと、そこには、楽しげに談笑するエールと、金髪の若き王子の姿があった。
エールは、リアムの前でも滅多に見せないような、満面の笑みを浮かべていた。彼が、声を立てて笑っている。それも、自分以外の男の前で。
その光景を見た瞬間、リアムの胸の奥で、黒い感情がどろりと渦を巻いた。
嫉妬。
皇帝という地位についてから、ほとんど感じたことのなかった、原始的で、醜い感情。
王子が、エールの手を取り、その甲にキスでもするような素振りを見せた時、リアムの中で、何かがぷつりと切れた。
彼は、音もなくサンルームに入ると、わざとらしく咳払いをした。
「…楽しそうだな、エール」
その声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。
エールは、リアムの姿を見ると、ぱあっと顔を輝かせた。
「リアム! お仕事、終わったのですか?」
「ああ。少し、休憩にな」
リアムは、エールの隣にどかりと腰を下ろすと、その腰を有無を言わさず抱き寄せた。そして、金髪の王子を、品定めするような冷たい目で見つめる。
「これは、エーデルシュタイン皇帝陛下。お初にお目にかかります」
王子は、さすがに王族だけあって、リアムの敵意に満ちたオーラにも動じることなく、優雅に一礼した。
「皇妃様は、とてもお話が上手で、素晴らしい方ですね。我が国にも、ぜひ一度お越しいただきたいものです」
その言葉は、純粋な賛辞だったのだろう。だが、今のリアムには、自分の宝を横から掠め取ろうとする、不埒な輩の戯言にしか聞こえなかった。
「エールは、身体が本調子ではないのでな。長旅は無理だろう」
リアムは、エールのお腹をそっと撫でながら、牽制するように言った。その仕草に、エールは顔を紅潮させる。
「もう、リアムったら…!」
「それに、彼は私がいなければ、夜も眠れんのだ。そうだろ、エール?」
リアムは、エールの耳元で、わざと甘く囁いた。エールは、恥ずかしさのあまり、もうリアムの胸に顔を埋めるしかできない。
金髪の王子は、その様子を見て、全てを察したようだった。彼は、困ったように、しかしどこか楽しそうに微笑むと、静かに席を立った。
「…どうやら、私は少々、お邪魔だったようですな。本日は、楽しい時間をありがとうございました、皇妃様。陛下、失礼いたします」
王子がスマートに退出していくと、サンルームには二人だけが残された。
エールは、リアムの胸から顔を上げると、頬をぷっくりと膨らませて、じっとりとした目つきでリアムを睨んだ。
「リアムの、意地悪」
「何がだ」
「わかっているくせに。お客様に、なんて失礼な態度を…」
「…仕方がなかったんだ」
リアムは、子どものように、ぽつりと言い訳をした。
「お前が、あんな男に、あんなに楽しそうに笑いかけるから…」
その言葉に、エールの怒りは、すぐに霧散してしまった。彼は、くすくすと笑い声を漏らす。
「もう。やきもち、ですか?」
「…悪いか」
不貞腐れたようにそっぽを向く皇帝の姿は、臣下が見れば卒倒するほど可愛らしいものだった。エールは、愛しさが込み上げてくるのを感じながら、リアムの頬に、ちゅっと軽いキスをした。
「俺が一番好きなのは、リアムだけですよ」
その一言で、氷帝の不機嫌は、あっという間に氷解した。
リアムは、エールをぎゅっと抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。
「…当たり前だ」
陽だまりの午後の、ささやかな嫉妬。
それは、二人の愛が、穏やかな日常の中に深く根付いていることの、何よりの証拠だった。
リアムは、この腕の中にある温かい宝物を、生涯かけて守り抜こうと、改めて心に誓うのだった。
帝国の情勢もすっかり落ち着き、二人の周りには、穏やかで甘い時間が流れていた。
エールの変化は、目覚ましいものがあった。かつての感情のない人形の面影はどこにもなく、彼はよく笑い、よく拗ね、そして、よくリアムに甘えるようになっていた。
リアムは、そんなエールの全てを、心の底から愛おしく思っていた。政務の合間にエールの顔を見に行くのが、今や彼にとって何よりの楽しみであり、癒やしとなっていた。
ある晴れた日の午後、リアムが執務室で書類の山と格闘していると、侍従が困惑した表情でやってきた。
「陛下、その…皇妃様が、お客様とお茶会を…」
「ああ、聞いている。隣国の若い王子が、表敬訪問に来ているのだろう。エールが退屈しないようにと、私が許可したことだ」
リアムは、書類から目を離さずに答えた。
「それが…どうも、その、大変盛り上がっておられるようでして…」
侍従の歯切れの悪い物言いに、リアムはようやく顔を上げた。眉間に、かすかなしわが寄る。
「…どういうことだ」
***
リアムが、足音を忍ばせて離宮のサンルームを覗き込むと、そこには、楽しげに談笑するエールと、金髪の若き王子の姿があった。
エールは、リアムの前でも滅多に見せないような、満面の笑みを浮かべていた。彼が、声を立てて笑っている。それも、自分以外の男の前で。
その光景を見た瞬間、リアムの胸の奥で、黒い感情がどろりと渦を巻いた。
嫉妬。
皇帝という地位についてから、ほとんど感じたことのなかった、原始的で、醜い感情。
王子が、エールの手を取り、その甲にキスでもするような素振りを見せた時、リアムの中で、何かがぷつりと切れた。
彼は、音もなくサンルームに入ると、わざとらしく咳払いをした。
「…楽しそうだな、エール」
その声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。
エールは、リアムの姿を見ると、ぱあっと顔を輝かせた。
「リアム! お仕事、終わったのですか?」
「ああ。少し、休憩にな」
リアムは、エールの隣にどかりと腰を下ろすと、その腰を有無を言わさず抱き寄せた。そして、金髪の王子を、品定めするような冷たい目で見つめる。
「これは、エーデルシュタイン皇帝陛下。お初にお目にかかります」
王子は、さすがに王族だけあって、リアムの敵意に満ちたオーラにも動じることなく、優雅に一礼した。
「皇妃様は、とてもお話が上手で、素晴らしい方ですね。我が国にも、ぜひ一度お越しいただきたいものです」
その言葉は、純粋な賛辞だったのだろう。だが、今のリアムには、自分の宝を横から掠め取ろうとする、不埒な輩の戯言にしか聞こえなかった。
「エールは、身体が本調子ではないのでな。長旅は無理だろう」
リアムは、エールのお腹をそっと撫でながら、牽制するように言った。その仕草に、エールは顔を紅潮させる。
「もう、リアムったら…!」
「それに、彼は私がいなければ、夜も眠れんのだ。そうだろ、エール?」
リアムは、エールの耳元で、わざと甘く囁いた。エールは、恥ずかしさのあまり、もうリアムの胸に顔を埋めるしかできない。
金髪の王子は、その様子を見て、全てを察したようだった。彼は、困ったように、しかしどこか楽しそうに微笑むと、静かに席を立った。
「…どうやら、私は少々、お邪魔だったようですな。本日は、楽しい時間をありがとうございました、皇妃様。陛下、失礼いたします」
王子がスマートに退出していくと、サンルームには二人だけが残された。
エールは、リアムの胸から顔を上げると、頬をぷっくりと膨らませて、じっとりとした目つきでリアムを睨んだ。
「リアムの、意地悪」
「何がだ」
「わかっているくせに。お客様に、なんて失礼な態度を…」
「…仕方がなかったんだ」
リアムは、子どものように、ぽつりと言い訳をした。
「お前が、あんな男に、あんなに楽しそうに笑いかけるから…」
その言葉に、エールの怒りは、すぐに霧散してしまった。彼は、くすくすと笑い声を漏らす。
「もう。やきもち、ですか?」
「…悪いか」
不貞腐れたようにそっぽを向く皇帝の姿は、臣下が見れば卒倒するほど可愛らしいものだった。エールは、愛しさが込み上げてくるのを感じながら、リアムの頬に、ちゅっと軽いキスをした。
「俺が一番好きなのは、リアムだけですよ」
その一言で、氷帝の不機嫌は、あっという間に氷解した。
リアムは、エールをぎゅっと抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。
「…当たり前だ」
陽だまりの午後の、ささやかな嫉妬。
それは、二人の愛が、穏やかな日常の中に深く根付いていることの、何よりの証拠だった。
リアムは、この腕の中にある温かい宝物を、生涯かけて守り抜こうと、改めて心に誓うのだった。
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