天使様の愛し子

東雲

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プティ・フレールの愛し子

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たくさん泣いて、たくさん甘えて、皆の本心と憂いに触れた短くも長い一日は、イヴァニエとの仲直りで和やかに終わりを告げた。
安堵からか、足元がふわふわしているような夢見心地の中、イヴァニエとルカーシュカ、エルダが側にいてくれる幸せな日々が帰ってきた喜びに、胸の臓器ははしゃぐように鼓動していた。


室内に戻り、約一日ぶりにイヴァニエとルカーシュカと並んでソファーに座れば、イヴァニエの手が腰に周り、ルカーシュカの手が右手に絡んだ。
しっくりと体に馴染む手の平の温かさが嬉しくて、安心感から自然と頬が緩んだ。

「へへ…」
「嬉しそうだな」
「うん。嬉しい」
「…私も、またアニーの笑顔が見れて嬉しいです」

両隣にはイヴァニエとルカーシュカ、傍らにはエルダがいて、皆が穏やかに笑んでいる。
当たり前のようで当たり前ではない日常はなにより愛おしく、特別な平穏の中にいる喜びを噛み締めながら、寄り添う温もりに甘えた。


そうして皆の笑顔を堪能すること暫く、はしゃぐように昂っていた気持ちは次第に落ち着き始め、思考はゆっくりと次の一言を探し始めた。

(どこから、お話ししたらいいんだろう…)

バルドル神の庭でどう過ごしたか、どんな会話をしたか、それによって生まれた心境の変化…それらについては既に伝えた。
その上で、彼らがどう思い、どう感じたかも聞くことができたのだが…

(イヴとは、まだちゃんとお話しできてない…)

昨日、なし崩しのまま別れる直前まで、イヴァニエと自分の気持ちは互いにそっぽを向いたまま、平行線だった。そしてそれは、今もきっと変わっていないはずだ。
ルカーシュカが優しく背中を押してくれたように、自分の気持ちを大切にすべきだということは分かっている。だがそれでも、「嫌だ」と叫んだ言葉がイヴァニエの本心ならば、それを無視するようなことはしたくなかった。
できることならば、どちらの願いも掬い上げることはできないだろうか…交わることのない願望に思いを馳せながら、イヴァニエを見つめ、重い口を開いた。

「イヴ…あのね、昨日の…」
「待って下さい、アニー。よければ、私からお話しさせて下さい」
「…うん」

珍しく言葉を遮られ、大人しく口を閉じる。そのままイヴァニエが話し始めるのを待てば、一拍置いた後、彼がゆっくりと口を開いた。

「昨日の夜、アニーを泣かせたことで、ルカーシュカに叱られました」
「…え?」

唐突な告白に、思わず反対隣を振り向けば、苦笑するルカーシュカと目が合った。

「喧嘩した訳じゃないぞ?」
「ええ、叱られただけです。彼が怒るのは最もですし、当然のことだと思います」
「あ…ぅ…?」

自分の知らぬ間に何があったのか、どこかスッキリとした面持ちで言葉を交わす二人にオロオロしていると、イヴァニエにそっと腰を抱き寄せられた。

「…ごめんなさい、アニー。あなたの気持ちを否定するようなことを言って、本当にごめんなさい」
「イヴ…」
「正直に言うなら、アニーが奥の宮へ向かうのも、他の者達と会うことも、まだ不安に思いますし、複雑な気持ちではあります。…でも、もう止めてほしいとは思いません」
「…どうして?」
「…大事だから、好きだから、心配だから…そんな自分の不安を理由にして、アニーを無理やり部屋に閉じ込めて、自由を奪うのが愛情ではないと分かっていました。そんなことしていいはずがない…そう分かっていても、どうしても気持ちを抑えられませんでした。…アニーの世界が広がるほど、私達の関係が薄れていくようで、寂しくて、怖くて堪らなかった」

ゆっくりと語られる言葉は、イヴァニエの心の内にずっと秘められていた想いだろう。
溢れんばかりの愛情を、いつだって言葉と態度で示してくれたイヴァニエ。そんな彼が隠していた本音に、息をすることも忘れて聞き入った。

「でも、そんなに恐れることはないんだと、今頃になって、ようやく気づきました」
「…?」
「たくさん泣かせて、傷つけて…それでもアニーは、まだ私のことを好きだと言ってくれたでしょう? これまでだってずっと、たくさんアニーに愛されていたのに、どうして不安になるのだろうと…馬鹿な嫉妬で、アニーに嫌われてしまうかもしれない恐ろしさを目の当たりにして、ようやく目が覚めました。……もっと早く気づけていたら、アニーを泣かせることもなかったのに…本当に、愚かな男でごめんなさい」
「っ…!」

長い睫毛を伏せ、深い後悔を馴染ませて笑うイヴァニエに、痛いほど胸を締め付けられ、必死に首を振った。
イヴァニエが謝る必要なんてない。悪いことだってしてない。
元を辿れば、不安にさせるようなことを言ってしまった自分がいけないのだ───そう思うのに、彼らの抱く嫉妬や不安を満足に理解できていない自分がどれだけ言葉を重ねても、また間違えてしまいそうで、余計に傷つけてしまいそうで、怖くて何も言えなかった。

(あ、やだ…っ)

不甲斐なさと悔しさから、目頭がじん…と熱くなり、咄嗟に俯く。昨日も今日も、ずっと泣きっぱなしで、そのたびに皆に心配させてしまった。
もう泣きたくない…そう思うのに、また泣いてしまいそうな自分が嫌で、込み上げる感情を飲み込むように、唇を噛んだ。

「…アニー」

短い沈黙の中、不意にルカーシュカの声が響き、その声に誘われるまま、そろそろと顔を上げた。

「昨日、アニーは俺達の気持ちを聞いてくれただろう? それと一緒で、今はイヴァニエが、自分の気持ちを話してくれたんだ。それは分かるな?」
「……うん」
「謝ったのだって、イヴァニエの気持ちだよ。アニーがイヴァニエを傷つけたと思ったのと同じように、イヴァニエもアニーを傷つけたと思ったから、謝ったんだ。お互いがお互いを想って、『ごめんなさい』ってしたんだ。…ちゃんと、受け取ってやりな」
「……!」

どこまでも穏やかな声音に、見開いた瞳から、ポタリと雫が落ちた。

「うぅ~…」
「ッ…、アニー!」

イヴァニエが悪いんじゃない。悪くないから、謝ってほしくないから、だから、謝らないで───そう思うばかりで、目の前に差し出された彼の気持ちと向き合うことすらできていなかった自分に気づいた瞬間、堪えていた感情に後悔と羞恥が入り混じり、ほたほたと涙が零れた。

「ごめ…、イヴ、ごめんね…」
「アニーが謝ることは…」
「だって…、ごめんなさいも、イヴが、自分にくれた、気持ちなのに…っ、やだって言っちゃった…っ」
「…っ」
「ごめんね…! やだって言って、ごめんなさい…!」
「……私も、たくさん泣かせて、悲しい気持ちにさせて、ごめんなさい。…私の為に泣いてくれて、ありがとう、アニー」
「…ぅん」
「…これで、ごめんなさいは終わりにしましょうね」
「うん…!」

コクコクと何度も頷けば、イヴァニエの両腕が伸びてきて、体を包み込むように強く抱き締められた。
ぎゅうっと体を締め付ける腕は温かくて、あやすように頭を撫でる手は優しくて、安心感からまた涙が溢れた。

「…ねぇ、アニー。もう一度、昨日の続きを…アニーの気持ちを、聞かせてもらえますか?」
「…自分、の…?」
「ええ。アニーはこれから、どんなことがしたいですか?」

こちらを真っ直ぐ見つめる美しい水色。
その表情が、優しく諭してくれたルカーシュカのそれと重なり、唇は昨日の記憶をなぞるように、同じ答えを口にした。

「……他の、天使様と…お話ししてみたい…」
「ええ」
「バルドル様の、お庭にも…行きたい…」
「はい」
「でも…、でも、みんなとお部屋にいるのも、大好きで…っ、だから…今までと、おんなじように、みんなと、ずっと、一緒にいたい…!」
「ええ、私もです」

変わらぬ想いを告げれば、イヴァニエが笑みを深め、涙の雫が残るまなじりにキスをしてくれた。

「話してくれて、ありがとうございます、アニー。私もアニーの気持ちを尊重します。…ただ、一つだけ、許してほしいことがあるんです」
「…なぁに?」
「アニーの好意を理解していても、不安に思わなくても、私はきっと、誰に対しても嫉妬してしまうでしょう。アニーを困らせることもあるかもしれません。勿論、傷つけたり、泣かせたりするようなことは二度としません。…しませんから、ヤキモチを妬くことは、許してもらえませんか…?」

瞳を揺らし、不安げな表情でこちらを見つめるイヴァニエに、パチリと目を瞬く。

(…ヤキモチって、許しがいるの…?)

自然的に発生する感情に対して、許可が必要なのだろうか?
不可思議な発言に、なんと答えるべきか分からず困惑していると、ルカーシュカが繋いでいた手をそっと引いた。

「アニー、許そうが許すまいが、イヴァニエの嫉妬深さは変わらない。許してくれっていうのは、堂々と嫉妬させてくれっていう意味だよ」

呆れたように溜め息を吐くルカーシュカと、その横で静かに頷くエルダ、否定しないイヴァニエ。
そんな三人の様子から、イヴァニエの言葉の意味をなんとなく理解すると、了承の意を込めてこっくりと頷いた。

「ん…」
「! …ありがとうございます、アニー」
「アニー、いいのか? 面倒なことになるぞ?」
「失礼なことを言わないで下さい」
「ヤキモチを妬かせてくれって言ってる時点で面倒だろ」

どこか戯れ合うような二人のやりとりに、思わずクスリとしてしまう。
気づけば涙も止まっていて、流れた涙の跡を拭おう指先を伸ばせば、その手をやんわりと細い手に止められた。

「アドニス様、お顔を拭きましょう」

いつの間に移動したのか、目の前に立ったエルダにタオルで頬を拭われ、大人しく目を瞑る。
ふかふかとした柔らかな布が頬に当たる感触は心地良く、優しく肌を押さえるエルダの手に、ホッと息を吐いた。

(気持ちいい…)

ふわふわのタオルは香りも優しく、不思議なほど温かなタオル地に自ら頬を寄せると、その柔らかさを堪能した───と、そこでふとあることを思い出し、パッと顔を上げた。

(…そういえば、エルダとも、まだお話ししてない…?)

昨日、ルカーシュカと話している途中でエルダも会話に加わった。その中で、彼自身の考えも聞いたのは確かだ。
だが、どちらかと言えばあの時の言葉は、自分を想って語ってくれたことで、エルダの本心とは別物だったように思う。
思い返せば、バルドル神の元へ遊びに行きたいと伝えた時も、エルダの表情は痛々しいほどに曇っていた。
後できちんとエルダと話しをしよう…そう思っていたのに、それどころではなくなってしまい、今の今まで有耶無耶になっていたことを思い出す。

「アドニス様? どうされました?」

頬を拭っていたタオルが離れても、ぼぅっとしていたせいか、顔を覗き込むようにエルダが身を屈めた。
エルダの顔が目の前にある───そう認識するより早く、反射的に空いていた手でエルダの頬に触れると、エメラルドの瞳を見つめ、口を開いた。

「エルダと、まだお話ししてない」

何についてと言わずとも、言葉に込めた意味が伝わったのか、大きく目を見開いたエルダが、息を呑んだのが分かった。

「エルダは、お話ししたいこと、ない?」
「……私、は…」

視線を逸らさぬまま、宝石のような綺麗な瞳をじっと見つめる。
イヴァニエもルカーシュカも口を閉ざした静寂の中、無言で見つめ合うこと暫く、エルダの唇がゆっくりと動いた。

「……私も、ルカーシュカ様とイヴァニエ様と同じように、アドニス様のお気持ちを、なにより大事にしたいと思っております」

そこで言葉を区切り、エルダが震える息を吐き出した。
まるで、飲み込んでしまいそうになる言葉を必死に押し出そうとするような一呼吸の後、翠色の瞳が真っ直ぐ自分を見据え、頬に添えていた手にエルダの手が重なった。

「ですが一つだけ、お願い……いえ、知っていてほしいことがございます。…今はまだ言えませんが、言えるようになったら…もしも、口にすることを許されるなら、その時は、私の気持ちも、アドニス様に聞いて頂けたら嬉しいです」

いつもより幾分硬いエルダの声。その表情も、声も、眼差しも、エルダから伝わるすべてが切実さを孕んでいて、キュウッと胸が鳴いた。
ただそこに悲壮感はなく、煌めく瞳には強い意志が宿っていて、まだ知らぬエルダの願いが、切実な、それでいて揺るぎないものであることを物語っていた。

(…きっと、エルダにとって、すごく大事なことなんだ)

普段から何に対しても控えめで、二人きりで過ごす時でさえ、我を表に出すことが少ないエルダ。
そんな彼が、いつかの告白の時のように、真っ直ぐ己の想いをぶつけてくれる姿が嬉しくて、愛しくて
、トクトクと高鳴る胸に、へにゃりと頬が緩んだ。

「…うん。エルダのお願い、聞きたい」
「…!」
「自分も、エルダとお話ししたいから、エルダが言いたいなって思えるようになったら、お話し、聞かせてね?」
「……はい。ありがとうございます、アドニス様」

エルダの願いが、どのようなものかは分からない。
ただ今は、“知っていてほしいことがある”と打ち明けてくれたことが嬉しくて、はにかむように頬を綻ばせたエルダと共に笑い合った。



「それじゃあ、もう一度確認させてくれ」

エルダが静々と元の立ち位置に戻ると、ルカーシュカが口を開いた。

「アニーが奥の宮へ行きたいのは分かった。ただ、昨日も伝えたが、遊びに行くのは少しだけ待ってほしい。オリヴィアが側にいるとはいえ、なんの備えも無しに行かせるのはやっぱり心配だからな。準備が整うまで、少しだけ時間をくれないか?」
「うん。待ってるから、大丈夫」

なぜバルドル神の庭に遊びに行くのがそんなに心配なのか、未だによく分かっていないが、彼らの心配が減るのなら、いくらでも待ちたい。
なにより、自分のことを想って色々と考えてくれているのだ。これ以上の我が儘を言うつもりはなかった。

(イヴは、バルドル様が自分を奥の宮に閉じ込めちゃうって言ってたけど…)

恐らく彼らが心配しているのはだ。とはいえ、なぜ閉じ込められてしまうのか、それが分からず首を捻った。

(…悪いことしたら、閉じ込められちゃう、とか…?)

それならばオリヴィアが一緒にいてくれるから大丈夫だと思うのだが…万が一にも出てこれなくなったら大変だ。
遊びに行っても、オリヴィアの言うことをちゃんと聞いて、大人しくしていよう…と、こっそりと心に留めた。

「それと、他のヤツと交流する場だが、こっちは奥の宮に行くよりも時間が掛かるかも…いや、逆か? こっちの方が早いのか?」
「いけません、ルカーシュカ。じっくり時間を掛けて、慎重に進めるべきです。放っておいてもアニーに群がってくる可能性があるんですよ? 安全対策をしっかりしなければ」
「お前の中でアイツらのイメージはどうなってるんだ…まぁ、分からんでもないが」

イヴァニエに横から抱き寄せられ、もしや今、ヤキモチを妬かれているのだろうか…と考えながら、議論し始めた三人の話に耳を傾ける。

「日取りを先に決めようか。少し先の予定にしておけば、も都合をつけやすいだろうしな」
「…気が重いですね…」
「諦めろ。エルダはどう思う?」
「そうですね……最低でも三ヶ月は空けて頂きたいです。その間に、アドニス様の御心の準備と、お外を歩く練習、それとお召し物も新調したいですし…」
「となると、やっぱり先に奥の宮へ行ける様になった方がいいか……離れて行動する練習にもなるしな」
「……やっぱり嫌になってきました」

真剣な表情で話し合う三人───なのだが、どうにもその内容がしっくりこなくて、疑問符が頭の中に浮かんだ。

(…どうして、みんなと離れる練習をするんだろう?)

心の準備ならそれなりにできているつもりだったが、もしや自分一人で対面しなければいけないのだろうか?
それとも、他の大天使に会う為には、よほど気合いを入れて挑まなければいけないのだろうか?
思っていた以上に深刻そうな彼らの様子に、だんだんと怖くなってきて、思わずルカーシュカの服に手を伸ばすと、その裾をちょんっと引っ張った。

「一旦三ヶ月後の予定で、通達はオリヴィアから…っ、アニー、どうした?」

こちらを向いたルカーシュカの表情は優しげで、それだけでホッとするが、摘んだ裾を離すことはできなかった。

「あ、あの…」
「うん」
「その……そんなに、大変なの…?」
「うん?」

なんと言えばいいのか分からず、思ったままを口にすれば、ルカーシュカも首を傾げた。

「まぁ、それなりに準備が必要だからな」
「…大天使様と、会うだけ、なのに…?」
「会うだけって言っても、会う為の場がいるだろう?」
「…イヴや、ルカのお部屋じゃ、ダメなの?」
「できないことはないが…ってなると、少し手狭だからなぁ」
「……みんなって、だぁれ?」

どうにも話が噛み合わず、頭に疑問符を浮かべれば、ルカーシュカ、イヴァニエ、エルダがぴたりと動きを止めた。

「? どうしたの?」
「あ~……ごめんな。ちょっと待ってくれ。…もしや、何か勘違いしてたか?」
「…その可能性がございますね」
「アニー、聞いてもいいですか?」
「うん」

難しい顔になってしまったルカーシュカとエルダを横目に、麗しい微笑みを浮かべたイヴァニエと向き合う。

「アニーは、どんな風に他の大天使達と会うつもりでいましたか?」
「どんな…?」
「ええ。アニーの想像…こうやって会ってお話しできたらいいなぁという希望があれば教えて下さい」
「想像…」

イヴァニエに促されるまま、ぼんやりと思い浮かべていた理想をなんとなくの形にまとめると、もしょもしょとその内容を告げた。

「んっと…イヴや、ルカのお部屋で、その…二人と、天使様がお話ししてるところが、見たい…です。あ、あの、イヴとルカも、最初はあんまりお話しできなくて、向かい合って座って、二人のお話し、聞いてるだけだったでしょ? ああいう風に、その…、近くで、天使様を……どうしたの?」

初動から会話ができるとは思っていない。
少しずつ慣れていってから…と思っていたが、改めて言葉にすると、あまりにも消極的すぎて恥ずかしくなってきた。
徐々に小さくなる語尾に、じわりと体温が上がるも、なぜか額や目元を押さえて俯く三人に気づき、言葉を止めた。

「…変なこと、言っちゃった…?」
「いや、違う、違うんだ。そうじゃなくて……もしかして、アニーの言ってるお話ししてみたい天使様っていうのは、一人だけのことを言ってるのか?」
「? うん」
「…大天使、全員じゃなくて?」
「ぜっ!?」

予想外の言葉にギョッとすると、慌ててかぶりを振った。

「ち、違うよ! あ、えっと、いつかは…全員と、お話しできたら、いいけど…」
「そうか……ああ、ごめんな。他の大天使様って言うから、俺達はてっきり、大天使が全員集まった場で、皆と交流を持ちたいのかと思ってたんだ」
「そっ、そんなこと、できない!」

とんでもない発言に、思わず本音が出てしまったが、今はそちらを気にしてる余裕はない。
『俺達』ということは、イヴァニエもエルダも、ルカーシュカと同じように勘違いしているということではないか。
自分の言葉が足りなかったことを猛省しつつ、改めてバルドル神との会話の内容も交え、あわあわと希望を伝える。

「その、バルドル様も、一人ずつでいいから、お話ししてみなさいって言ってくれて…それなら、大丈夫かもって、思って…! でも、自分だけじゃ、まだ、ちょっとだけ、怖いから…その…イヴと、ルカと、エルダが、側にいてくれるなら…頑張れるかも、て…思ったん、だ、けど…」

再びの羞恥に、言葉尻がどんどん弱くなる。
「お話ししたい」とあれだけ言っておきながら、単独で向き合う勇気もなければ、彼らが側にいること前提で、その上で、イヴァニエやルカーシュカの離宮で会おうとしていることに、情けなくて泣きたくなってくる。

(…今のままじゃ、ダメかも…)

赤子と三人以外、他の誰も招いたことがない自室に、見知らぬ誰かがいる光景がまったく思い描けず、怯えが先立ってしまったのだが、こんなことではいけないのかもしれない。
呆れられてしまう前に、もっと努力しなければ…そう一念発起し、気合いを入れ直すと、ぐっと拳を握り締めた。

「あの! や、やっぱり、みんなと会う! 会って、お話しできるように、頑張るから…、だから…っ」

だからせめて、側にいてほしい───そう続けるつもりだった言葉は、拳をやんわりと包み込む手に止められた。

「無理をするのはいけませんよ、アニー」

握り締めていた拳は解かれ、広げた手の平にイヴァニエの指先が絡んだ。

「一人ずつ、少しずつお話しできるようになりましょう? 無理をして、心労でアニーが倒れでもしたら大変です」
「でも…」
「アニーの希望通り、まずは一人ずつ、私かルカーシュカのお部屋で、遠目に確認するところから始めましょう。それが一番、安心で安全です。ねぇ、ルカーシュカ、エルダ?」

ニコニコと笑うイヴァニエはとても機嫌が良さそうで、呆れてるようには見えない。
とはいえ、本当にそれでいいのか、恐る恐るルカーシュカとエルダを見遣れば、二人とも柔らかな表情で頷いてくれた。

「そうだな。その方が俺達も安心だ。…慣れるにもちょうどいいだろう」
「左様でございますね。アドニス様にとって、一番ご負担にならない方法でお話を進めるのがよろしいかと思います」

うんうん、と力強く頷く三人に、膨れていた不安はふしゅりと音を立てて萎んでいく。

「……みんな、一緒じゃなくて、いいの…?」
「ああ、大丈夫だよ。一人ずつ、お話しできるようになろうな」
「…イヴや、ルカのお部屋でも、いいの…?」
「ええ、勿論です」
「…ここで、お話し───」
「いけません。ここはアニーのお部屋なんですよ? 誰某と招いてはいけません」

(…いけないの?)

チラリとルカーシュカとエルダを見遣るも、二人共何も言わない。…ということは、本当にいけないことなのかもしれない。

「…すぐに、お話しできなくても、いい…?」
「ゆっくりでいいさ」
「…ルカも、イヴも、エルダも、側にいてくれる…?」
「勿論」
「当然です」
「お側にいます」
「……他の、別の天使様と、会う時も?」
「ああ」
「ええ」
「はい」

一瞬の躊躇いもなく、揃って返ってきた返事に、安堵と喜びが同時に込み上げる。
甘えてばかりではいけないと分かっているのに、彼らが与えてくれる安心感が嬉しくて、どうしても甘えてしまうのだ。

「…ありがとう。頑張って、大天使様と、お話しできるようになるね」

せめて自ら願ったことだけでも、きちんと達成できるように───ささやかな目標を告げれば、イヴァニエは困り顔を、ルカーシュカは苦笑を、エルダは淡い笑みを返してくれた。

「無理はしないで下さいね」
「頑張り過ぎないようにな」
「お体の負担にならないように、頑張りましょう」
「うん!」

ひたすらに心配されているが、きっと大丈夫だ。
やる気だけは前向きに、「ふんす」と意気込みながら、気になっていた質問をする。

「それでね、えっと、お話しする天使様だけど、カロン様は───」
「カロンはやめておきましょう」
「カロンはちょっとな」
「もっとお話ししやすい方が良いと思います」
「あぅ…」

…どうやら彼はダメらしい。
もしかしたら、最初の出会い方がいけなかったのかもしれないが、だとしたらなんとも申し訳ない。
だが、他に面識のある天使などいない。となると、どうすればいいのだろうか?

「カロンは、もう少し慣れてきたらお話ししてみような。最初の相手は、アニーがあんまり緊張しないでも話せるような者を選ぶから、俺達に任せてくれないか?」
「…うん。お願いします」

こうなってしまっては任せる他ないだろう。素直に頷けば、ルカーシュカが優しく微笑んだ。

「心配しなくても大丈夫だよ。正直に言うと、候補は一人しかいないんだ」
「…? そうなの?」

たった今決めたことなのに、ルカーシュカには心当たりのある人物がいるらしい。イヴァニエとエルダを見れば、彼らも同じ考えなのか、肯定の頷きが返ってきた。

「…どんな、天使様?」

三人が同時に思い浮かべるとは、よほど信頼の厚い方なのだろうか…そんな小さな好奇心から尋ねれば、ルカーシュカがゆっくりと瞳を細めた。


「アニーが毎日食べてるを育ててる、物好きな天使だよ」










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33話にてエルダくんがちょこっとだけ語った伏線をようやく回収です。
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