40 / 76
33
しおりを挟む
眠れぬ夜を明かした翌朝、寝不足で少しばかりぼんやりする頭で目が覚めた。
まるで翌日の行事が楽しみで眠れなくなった子どものような己を恥じつつ、ルノーとの約束の時間に合わせ、身支度を整える。
昨日、仕事終わりにコソリと言葉を交わした折、ルノーから服については軽装で構わないと言われていた。
具体的に何をするのか、どこへ行くのかは聞かなかったが、恐らくは服装に気を遣わなくていい処へ行くのだろう。
どんな服を着て行こうか……一瞬だけ気持ちが高揚するも、次の瞬間にはそれも落ち着く。
(悩めるほど、服を持っていなかったな……)
侯爵という立場故、それに見合った数の礼装はそれなりに持っていたが、普段着となれば必要最低の物しか持っていなかった。
友人らしい友人もなく、最低限の人付き合いしかしてこなかったが故、遊びに出かけるということすらほとんどなかった弊害だ。
(……仕方ない)
身につける服の系統も決まっていて、恐らく何を着てもほとんど違いはないだろう。せめて色味だけでも、と普段よりも幾分明るめのベストを手に取ると、袖を通した。
「おはようございます、ベルナール様」
「……おはよう、メリアくん」
約束の時間よりもほんの少しだけ早くやってきたルノーと朝の挨拶を交わしながら、初めて見る彼の私服姿に目を奪われる。
決して華美ではない装いなのに、柔らかな色合いの肌や髪色によく似合うアイボリーのシャツと、襟元に施された花の刺繍がお洒落な装いに、つい見惚れてしまう。
「では、参りましょう」
エスコートの為に伸ばされた手に、一瞬戸惑う。というのも、背後には家令と侍女長が見送りの為に控えていたからだ。
屋敷の主の見送りとなれば彼らがそこにいるのは自然なことなのだが、その手前でルノーの手を取っていいものか、躊躇いが生まれてしまった。
「えっと……」
ルノーとの関係は秘密だが、家の者には知られても大丈夫だろうか?
好奇の目で見られないだろうか?
差し出された手を取れないまま、恐る恐る背後に目をやれば、家令も次女長も、穏やかな表情のまま、静かに腰を折った。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
「! ……うん、行ってくる」
ああ、ただ黙って見送ってくれることの、なんて有り難いことだろう。きっと何かには気づいていて、それでも口を噤んでくれる彼らの優しさに甘え、ゆっくりとルノーの手に自身の手を重ねた。
「今日は一日、ベルナール様をお預かりしますが、夜の鐘が鳴る前にはお屋敷までお連れします」
「畏まりました」
夜の鐘というのは、夜九時に鳴る時計塔の鐘のことだろう。
(それまでは、メリアくんと一緒だ)
半日ずっと一緒に過ごせることにドキドキしながら、ルノーに手を引かれ、彼の家の馬車に乗り込んだ。
そうして連れてこられたのは、いつかルノーと二人で訪れた食事処だった。前回と同じように個室に通されると、茶とケーキを注文し、腰を落ち着けた。
「ご飯は食べないのか?」
「お食事はまた後でと思っておりまして……あ、お腹が空いてますか?」
「いや、大丈夫だ」
まだ昼には少し早い時間だ。ふるりと首を横に振れば、ルノーがふっと瞳を細めた。
「こうして二人きりになれるのも、久しぶりですね、“ベル”」
「!」
呼び名が変わった。たったそれだけで、全身にぶわりと熱い血が巡るような錯覚に、顔が熱くなる。
「できることなら、もっとベルと二人だけの時間が欲しいところですが、それは少しずつ、増やしていきましょうね」
「う、うん」
ルノーの好意を隠さない言葉が嬉しくて、でも恥ずかしくて、素直に自分も同じ気持ちだと答えられない。そうして口籠っている間に、赤い果実が目一杯盛られた季節のケーキが運ばれてきた。
「それじゃあ、お茶をしながらお勉強をしましょうか」
「勉強……?」
「DomとSubの繋がり方について、ベルはちょっとだけ知識が足りないようですから。ケーキを食べながら、楽しく学びましょう?」
「……うん」
デートというよりも、勉強会だったらしい。そのことに少しだけ悄気るも、ルノーと二人で過ごす時間に変わりはなく、学びつつもこの時間を楽しもうと、意気込むようにフォークを手に持った。
「DomとSubの繋がり方は千差万別、というのはベルも知っていますね」
「うん」
「おおよそですが、どのように違うかは知っていますか?」
「どのように?」
「支配する側、される側とは言われていますが、もう少し細分化すると、それぞれの愛し方、愛され方が異なるんです」
「……?」
甘酸っぱい果実を咀嚼しながら、知らない話に首を傾げる。
「そうですね……ものすごく大雑把に分けると、尽くす側と尽くされる側のポジションが変わるんです。例えば……」
ルノーが何かを思案するように視線を逸らすと、手にしていたフォークをおもむろに離した。直後、銀製のフォークがカチャンッと音を立て、床に落ちる。
ルノーの突然の行動に目を白黒させていると、落としたそれを彼が拾い上げた。
「今、僕はフォークを落としましたね」
「あ、ああ」
「これをSubに拾わせるタイプのDomと……ベル、フォークを床に落としてください」
「え?」
「説明の為ですから」
「う、うん……」
ルノーからの突然の願いに、行儀が悪いと思いつつ、そっとフォークを床に落とした。先ほど同様、キンと響くような音を立ててフォークが床に落ちたのを戸惑いながら見つめていると、ルノーが静かに席を立ち、落ちたそれを拾おうと身を屈めた。
「メリアくん、自分で拾えるか──」
「ベル、僕の名前を忘れてしまったんですか?」
「あっ……、ル、ルゥく……」
慌てて名前を呼び直そうとしている間に、ルノーに床に落ちたフォークを拾われてしまった。
「……すまない。拾ってくれて、ありがとう」
「どういたしまして。今の僕のように、Subの為に自ら動くタイプのDomがいます。簡単に言うと、世話をされたいDomとお世話をしたいDomがいるんです。まぁ、その程度もそれぞれ異なるので、一概に一括りにはできないのですが……」
言いながら、ルノーがテーブルの上のベルを鳴らす。チリリン、という音が鳴ると、ほどなくして扉をノックする音が聞こえた。
「お呼びでしょうか」
「フォークを落としてしまって。新しい物を二つもらえますか」
「畏まりました」
部屋の外に備えがあるのか、即座に出されたフォークをルノーが手渡しで受け取ると、店員は部屋を後にした。
「今の説明で分かったと思いますが、僕は後者です。愛しい人は、自分の手で丁寧に丁寧にお世話をして、甘やかして、僕にお世話をしてもらうのが大好きな可愛い生き物にしたくて堪らないタイプのDomです」
ルノーが受け取ったフォークで目の前のケーキを掬うと、自分の口元に差し出した。
「はい、あーん」
「ル、ルゥく……」
「あーんですよ、ベル」
「あ……ぅ……、あ……」
瞳を細めて微笑むルノーを前に、拒むことなんてできない。羞恥を堪えながら口を開けば、甘いクリームの味が口の中いっぱいに広がった。
「美味しいですか?」
「……ん」
もくもくと咀嚼をしている間も、ルノーの愛しいと言わんばかりの眼差しが降り注ぎ、顔面が熱くなる。
「ベルは、お世話をされるのは好きですか?」
「……よく、分からない」
「ああ、聞き方がいけませんでしたね。僕に、お世話をされるのは好きですか?」
「……!」
再びルノーがフォークでケーキを掬う。そうしながら、金色の瞳だけはこちらを見つめていて、胸の動悸は激しくなるばかりだった。
「……す、好き、だよ」
「本当に? 僕にお世話をされるのは嬉しいですか?」
「……ん、嬉しい」
「ふふ、良かった。僕らの相性は良いんですね」
「相性?」
「はい、あーん」
「……ぁ、ん」
再び差し出されたケーキを咀嚼しながら、ルノーの話を聞く。
曰く、DomとSubだからといって、無条件に相性が良い訳ではない。支配する側が求めることと、支配される側が求めることが噛み合わなければ、その関係は成り立たない。
「互いの望みが噛み合わなければ、お互い負担になります。だからきちんと話し合って、相手が何を求めるか知る必要があるんです」
「ん……」
「これは僕からベルへの『言いつけ』にも適用されます。僕の意見ばかりを優先した『言いつけ』はベルの負担になりますし、逆にベルにとって物足りないと感じるような『言いつけ』ばかりでは、信頼関係を築けません。お互いが『言いつけ』に満足し、それで縛り、縛られることに幸福感を得ることが大事です」
「……うん」
ルノーの言葉がスルスルと頭の中に入ってくる。
縛られる、という表現も、彼が言葉にすると不思議と心地良く、どこか期待しているような自分がいた。
「セックスも同じですよ」
「んぐっ……ケホッ」
彼に手ずからケーキを食べさせてもらう最中、突然割り込んだ単語に思わず咽せる。
慌てて口元を押さえると、ルノーが紅茶の注がれたティーカップを手に取り、背中をさすった。
「ごめんなさい、お話が急過ぎましたね。……大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫、だ」
彼の手からカップを受け取り、中身を飲みながら、三十二歳にもなって『セックス』の単語を聞いただけで狼狽えてしまう我が身を恥じた。
「ベルは、こういうお話もしたことがないんですね」
「その……機会が、なくて……すまない。いい歳をして、取り乱して……」
「いえ、初で可愛らしいベルが見れて、僕は嬉しいですよ」
「……そうか」
本当に嬉しいと言わんばかりに表情を崩すルノーに、それ以上何も言えず、羞恥を隠すように、ちびちびと紅茶を舐めた。
「ねぇ、ベル」
「ん?」
「初めてのデートですから、もう少しだけ、恋人らしいことをしましょうか?」
「ッ……!」
突然の発言に、ドキリと心臓が跳ねる。
「少しだけ、『躾』の練習をしましょう? 大丈夫、怖いことはしませんから」
「あ……」
可愛らしい顔が妖艶に微笑む様は美しく、ゾクリとした悪寒が背筋に走る。そこに怖気や怯えはなく、ただ愛しいDomに求められる悦びだけがあった。
「その……」
「はい」
「……こ、怖くない、なら……」
「ええ、怖いことはしません」
柔らかな声音は優しく、恥ずかしさを堪え、彼の手に自身の手を重ねれば、触れた体温から安心感が広がった。
ルノーに手を引かれ、移動した場所は、室内に置かれた長椅子だった。食休みの為に置かれているであろうそこに移動すると、ルノーがゆっくりと腰を下ろす。
「ベル、DomとSubを繋ぐ為に大切な『命令』があるのは知っていますね?」
「う、うん……」
「大丈夫ですから、そんなに緊張しないで」
繋いだ手はそのままに、立ったまま座るルノーを見つめれば、彼の瞳がゆっくりと弧を描いた。
「さぁ、ベル。まずは『おすわり』から始めましょうね」
まるで翌日の行事が楽しみで眠れなくなった子どものような己を恥じつつ、ルノーとの約束の時間に合わせ、身支度を整える。
昨日、仕事終わりにコソリと言葉を交わした折、ルノーから服については軽装で構わないと言われていた。
具体的に何をするのか、どこへ行くのかは聞かなかったが、恐らくは服装に気を遣わなくていい処へ行くのだろう。
どんな服を着て行こうか……一瞬だけ気持ちが高揚するも、次の瞬間にはそれも落ち着く。
(悩めるほど、服を持っていなかったな……)
侯爵という立場故、それに見合った数の礼装はそれなりに持っていたが、普段着となれば必要最低の物しか持っていなかった。
友人らしい友人もなく、最低限の人付き合いしかしてこなかったが故、遊びに出かけるということすらほとんどなかった弊害だ。
(……仕方ない)
身につける服の系統も決まっていて、恐らく何を着てもほとんど違いはないだろう。せめて色味だけでも、と普段よりも幾分明るめのベストを手に取ると、袖を通した。
「おはようございます、ベルナール様」
「……おはよう、メリアくん」
約束の時間よりもほんの少しだけ早くやってきたルノーと朝の挨拶を交わしながら、初めて見る彼の私服姿に目を奪われる。
決して華美ではない装いなのに、柔らかな色合いの肌や髪色によく似合うアイボリーのシャツと、襟元に施された花の刺繍がお洒落な装いに、つい見惚れてしまう。
「では、参りましょう」
エスコートの為に伸ばされた手に、一瞬戸惑う。というのも、背後には家令と侍女長が見送りの為に控えていたからだ。
屋敷の主の見送りとなれば彼らがそこにいるのは自然なことなのだが、その手前でルノーの手を取っていいものか、躊躇いが生まれてしまった。
「えっと……」
ルノーとの関係は秘密だが、家の者には知られても大丈夫だろうか?
好奇の目で見られないだろうか?
差し出された手を取れないまま、恐る恐る背後に目をやれば、家令も次女長も、穏やかな表情のまま、静かに腰を折った。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
「! ……うん、行ってくる」
ああ、ただ黙って見送ってくれることの、なんて有り難いことだろう。きっと何かには気づいていて、それでも口を噤んでくれる彼らの優しさに甘え、ゆっくりとルノーの手に自身の手を重ねた。
「今日は一日、ベルナール様をお預かりしますが、夜の鐘が鳴る前にはお屋敷までお連れします」
「畏まりました」
夜の鐘というのは、夜九時に鳴る時計塔の鐘のことだろう。
(それまでは、メリアくんと一緒だ)
半日ずっと一緒に過ごせることにドキドキしながら、ルノーに手を引かれ、彼の家の馬車に乗り込んだ。
そうして連れてこられたのは、いつかルノーと二人で訪れた食事処だった。前回と同じように個室に通されると、茶とケーキを注文し、腰を落ち着けた。
「ご飯は食べないのか?」
「お食事はまた後でと思っておりまして……あ、お腹が空いてますか?」
「いや、大丈夫だ」
まだ昼には少し早い時間だ。ふるりと首を横に振れば、ルノーがふっと瞳を細めた。
「こうして二人きりになれるのも、久しぶりですね、“ベル”」
「!」
呼び名が変わった。たったそれだけで、全身にぶわりと熱い血が巡るような錯覚に、顔が熱くなる。
「できることなら、もっとベルと二人だけの時間が欲しいところですが、それは少しずつ、増やしていきましょうね」
「う、うん」
ルノーの好意を隠さない言葉が嬉しくて、でも恥ずかしくて、素直に自分も同じ気持ちだと答えられない。そうして口籠っている間に、赤い果実が目一杯盛られた季節のケーキが運ばれてきた。
「それじゃあ、お茶をしながらお勉強をしましょうか」
「勉強……?」
「DomとSubの繋がり方について、ベルはちょっとだけ知識が足りないようですから。ケーキを食べながら、楽しく学びましょう?」
「……うん」
デートというよりも、勉強会だったらしい。そのことに少しだけ悄気るも、ルノーと二人で過ごす時間に変わりはなく、学びつつもこの時間を楽しもうと、意気込むようにフォークを手に持った。
「DomとSubの繋がり方は千差万別、というのはベルも知っていますね」
「うん」
「おおよそですが、どのように違うかは知っていますか?」
「どのように?」
「支配する側、される側とは言われていますが、もう少し細分化すると、それぞれの愛し方、愛され方が異なるんです」
「……?」
甘酸っぱい果実を咀嚼しながら、知らない話に首を傾げる。
「そうですね……ものすごく大雑把に分けると、尽くす側と尽くされる側のポジションが変わるんです。例えば……」
ルノーが何かを思案するように視線を逸らすと、手にしていたフォークをおもむろに離した。直後、銀製のフォークがカチャンッと音を立て、床に落ちる。
ルノーの突然の行動に目を白黒させていると、落としたそれを彼が拾い上げた。
「今、僕はフォークを落としましたね」
「あ、ああ」
「これをSubに拾わせるタイプのDomと……ベル、フォークを床に落としてください」
「え?」
「説明の為ですから」
「う、うん……」
ルノーからの突然の願いに、行儀が悪いと思いつつ、そっとフォークを床に落とした。先ほど同様、キンと響くような音を立ててフォークが床に落ちたのを戸惑いながら見つめていると、ルノーが静かに席を立ち、落ちたそれを拾おうと身を屈めた。
「メリアくん、自分で拾えるか──」
「ベル、僕の名前を忘れてしまったんですか?」
「あっ……、ル、ルゥく……」
慌てて名前を呼び直そうとしている間に、ルノーに床に落ちたフォークを拾われてしまった。
「……すまない。拾ってくれて、ありがとう」
「どういたしまして。今の僕のように、Subの為に自ら動くタイプのDomがいます。簡単に言うと、世話をされたいDomとお世話をしたいDomがいるんです。まぁ、その程度もそれぞれ異なるので、一概に一括りにはできないのですが……」
言いながら、ルノーがテーブルの上のベルを鳴らす。チリリン、という音が鳴ると、ほどなくして扉をノックする音が聞こえた。
「お呼びでしょうか」
「フォークを落としてしまって。新しい物を二つもらえますか」
「畏まりました」
部屋の外に備えがあるのか、即座に出されたフォークをルノーが手渡しで受け取ると、店員は部屋を後にした。
「今の説明で分かったと思いますが、僕は後者です。愛しい人は、自分の手で丁寧に丁寧にお世話をして、甘やかして、僕にお世話をしてもらうのが大好きな可愛い生き物にしたくて堪らないタイプのDomです」
ルノーが受け取ったフォークで目の前のケーキを掬うと、自分の口元に差し出した。
「はい、あーん」
「ル、ルゥく……」
「あーんですよ、ベル」
「あ……ぅ……、あ……」
瞳を細めて微笑むルノーを前に、拒むことなんてできない。羞恥を堪えながら口を開けば、甘いクリームの味が口の中いっぱいに広がった。
「美味しいですか?」
「……ん」
もくもくと咀嚼をしている間も、ルノーの愛しいと言わんばかりの眼差しが降り注ぎ、顔面が熱くなる。
「ベルは、お世話をされるのは好きですか?」
「……よく、分からない」
「ああ、聞き方がいけませんでしたね。僕に、お世話をされるのは好きですか?」
「……!」
再びルノーがフォークでケーキを掬う。そうしながら、金色の瞳だけはこちらを見つめていて、胸の動悸は激しくなるばかりだった。
「……す、好き、だよ」
「本当に? 僕にお世話をされるのは嬉しいですか?」
「……ん、嬉しい」
「ふふ、良かった。僕らの相性は良いんですね」
「相性?」
「はい、あーん」
「……ぁ、ん」
再び差し出されたケーキを咀嚼しながら、ルノーの話を聞く。
曰く、DomとSubだからといって、無条件に相性が良い訳ではない。支配する側が求めることと、支配される側が求めることが噛み合わなければ、その関係は成り立たない。
「互いの望みが噛み合わなければ、お互い負担になります。だからきちんと話し合って、相手が何を求めるか知る必要があるんです」
「ん……」
「これは僕からベルへの『言いつけ』にも適用されます。僕の意見ばかりを優先した『言いつけ』はベルの負担になりますし、逆にベルにとって物足りないと感じるような『言いつけ』ばかりでは、信頼関係を築けません。お互いが『言いつけ』に満足し、それで縛り、縛られることに幸福感を得ることが大事です」
「……うん」
ルノーの言葉がスルスルと頭の中に入ってくる。
縛られる、という表現も、彼が言葉にすると不思議と心地良く、どこか期待しているような自分がいた。
「セックスも同じですよ」
「んぐっ……ケホッ」
彼に手ずからケーキを食べさせてもらう最中、突然割り込んだ単語に思わず咽せる。
慌てて口元を押さえると、ルノーが紅茶の注がれたティーカップを手に取り、背中をさすった。
「ごめんなさい、お話が急過ぎましたね。……大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫、だ」
彼の手からカップを受け取り、中身を飲みながら、三十二歳にもなって『セックス』の単語を聞いただけで狼狽えてしまう我が身を恥じた。
「ベルは、こういうお話もしたことがないんですね」
「その……機会が、なくて……すまない。いい歳をして、取り乱して……」
「いえ、初で可愛らしいベルが見れて、僕は嬉しいですよ」
「……そうか」
本当に嬉しいと言わんばかりに表情を崩すルノーに、それ以上何も言えず、羞恥を隠すように、ちびちびと紅茶を舐めた。
「ねぇ、ベル」
「ん?」
「初めてのデートですから、もう少しだけ、恋人らしいことをしましょうか?」
「ッ……!」
突然の発言に、ドキリと心臓が跳ねる。
「少しだけ、『躾』の練習をしましょう? 大丈夫、怖いことはしませんから」
「あ……」
可愛らしい顔が妖艶に微笑む様は美しく、ゾクリとした悪寒が背筋に走る。そこに怖気や怯えはなく、ただ愛しいDomに求められる悦びだけがあった。
「その……」
「はい」
「……こ、怖くない、なら……」
「ええ、怖いことはしません」
柔らかな声音は優しく、恥ずかしさを堪え、彼の手に自身の手を重ねれば、触れた体温から安心感が広がった。
ルノーに手を引かれ、移動した場所は、室内に置かれた長椅子だった。食休みの為に置かれているであろうそこに移動すると、ルノーがゆっくりと腰を下ろす。
「ベル、DomとSubを繋ぐ為に大切な『命令』があるのは知っていますね?」
「う、うん……」
「大丈夫ですから、そんなに緊張しないで」
繋いだ手はそのままに、立ったまま座るルノーを見つめれば、彼の瞳がゆっくりと弧を描いた。
「さぁ、ベル。まずは『おすわり』から始めましょうね」
130
あなたにおすすめの小説
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
隠れSubは大好きなDomに跪きたい
みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。
更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】
晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。
発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。
そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。
第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる