58 / 60
第7章 職業体験編
第47話 思い出のケーキ
しおりを挟む
下げていた頭を上げると、神谷さんと視線が交差する。彼女の表情を伺った。
最初の印象を良くしようと心がけて、丁寧に挨拶してみたものの、神谷さんの表情は特に変化がなかった。僕の方をじっと見つめたまま、反応がない。
「あ、あの?」
返事がないことに耐え切れず、僕の方から声をかけてみると、ようやく挨拶を返してくれた。
「神谷です。よろしくおねがいします」
言葉遣いは丁寧だけれど、低いトーンでどこかトゲトゲしい。僕のイメージと違いすぎる態度に、世界が違うために見た目は同じでも性格が全然違っているのかもしれない、ということに思い至る。
転移前と比べた今の母親や、友人である圭一の変わりようを思い出して、目の前の神谷さんが僕の記憶にある人と同じだとは思わない方が良いかもしれないと思った。でも、どこか心の奥で期待している自分がいることも否定できなかった。彼女の本質は変わらず、そのままかもしれないと。
そんなふうに考えている間に、神谷さんが再び先生の方へ身体を向けた。
「奥に座って話せる場所があります。案内しますのでついてきてください」
神谷さんに案内されて、僕と先生は店の奥へと進む。職場体験の内容について、それから今後の予定について三人で話し合いをすることになった。
カウンターの向こう側、店の奥に入っていくと、そこに木製のテーブルとイスが並べられていて、小さな冷蔵庫以外には特に目につくものはない、少し殺風景な部屋に案内された。
この部屋は、お店の人が使う休憩室か事務室なのだろう。
「どうぞ、そちらに座って下さい」
僕と先生は神谷さんに促され並んでイスに座ると、神谷さんは部屋の隅に置いてある冷蔵庫から二枚のお皿を取り出してきた。お皿の上に苺のショートケーキが乗っていて、それを神谷さんが僕達の目の前に置いてくれた。お店の商品だ。
お皿の上にケーキが置かれて、ケーキフォークも添えられていてすぐに食べられるような状態になっていた。僕たちが来る前に、すぐ出して食べられるように用意してくれていたのだろう。
さらに神谷さんは、紅茶を用意してくれた。部屋の中にふんわりと心が温かくなるような紅茶葉の香りが漂う。白いカップに入れられた紅茶は、オレンジ色よりも少し濃く、見た目も綺麗だった。
「お店で出しているケーキです。食べてみてください」
「ありがとうございます」
僕と先生のお礼を言う声が揃う。そして、先生がすぐにケーキに手を伸ばしたので、僕も同じようにケーキを食べてみる。
久しぶりに食べるクローリス洋菓子店のケーキに、内心かなりテンションを上げながらケーキフォークを手に取り、ケーキの先端部分を一口サイズにフォークで切り分け口に運ぶ。
まろやかで甘いのに不思議としつこくないクレームシャンティに、きめ細やかでふわっふわのスポンジがよく絡み合っている。スポンジとスポンジの間にサンドされた、苺と生クリームの層も非常にいい味をしている。久しぶりに食べたからだろうか、記憶にある味の何倍も美味しいように感じた。
「とても美味しいです!」
ケーキの味に感動して、僕の口から無意識のうちに感想の声が出ていた。それから再びケーキフォークを動かし、じっくりと味わう。うん、美味しい。
その瞬間、神谷さんの表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。僕の心からの称賛に、彼女も少し嬉しそうに見える。
あっという間にケーキを食べ終えてしまっていた。ケーキの味は変わっていなくて、むしろさらに美味しくなっているように思えた。表にお客さんが来ていないのを見て、見た目は変わっていないのに味が落ちていたらどうしようという不安があった。けれど、そんな不安は杞憂だった。
この美味しいケーキを家に持ち帰り、家族の皆で食べようと心に留めておく。皆が嬉しそうに、そして美味しそうに食べる姿を想像すると僕の心はワクワクしていた。
世界と時間を超えて久々にクローリス洋菓子店のケーキを堪能できて、既にだいぶ満足してしまった。まだ本題に入っていないことを思い出して気持ちを切り替える。
先生もケーキを食べ終わり、ここに来た目的である職場体験についての話し合いがようやくスタートした。
話し合いは先生と神谷さんの二人が中心となって進められ、僕は傍らで話を聞いていた。二人は事前に何度か話し合っていたのだろう、今回の話し合いは最終確認に加えて僕に今後について説明するのが目的のようだった。
3ヶ月行われる職業体験について、学校のカリキュラムに合わせて神谷さんが計画したスケジュールを先生と僕に向けて説明してくれる。そして、先生が注意事項等を神谷さんに向けて説明する。最後に、今回の授業の目的などを説明してくれた。
説明の中で、神谷さんが職場体験の内容を非常に丁寧に考えてくれていることがわかった。基本的な接客から始まり、材料の管理、簡単な調理補助、そして最終的には実際に菓子作りまで挑戦させてもらえるという充実したプログラムだった。
説明を聞き終えて、やっぱり男子である僕はかなり優遇されているなあと感じる。
学園側の教師としては受験に必須なので、仕事の一つとして考えているのかもしれないが、わざわざ事前に準備を進めてくれた先生、そして職場体験できる場所の提供やいろいろと考えて計画を立ててくれた神谷さん、二人がたくさんの時間を費やして準備を進めてくれたのだろうということが今回の説明でもわかった。そう考えると、感謝の気持ちでいっぱいだった。
これは僕も、3か月間ちゃんと学ばないと。せっかく用意してくれた授業だから、無駄にはしない。僕はもう一度、職場体験に積極的に参加しようと気を引き締めて、神谷さんに気持ちを言葉で伝える。
「これから3ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。僕は、本当にパティシエという仕事に興味があるんです。神谷さんから色々なことを学ばせていただきたいと思っています!」
最初の印象を良くしようと心がけて、丁寧に挨拶してみたものの、神谷さんの表情は特に変化がなかった。僕の方をじっと見つめたまま、反応がない。
「あ、あの?」
返事がないことに耐え切れず、僕の方から声をかけてみると、ようやく挨拶を返してくれた。
「神谷です。よろしくおねがいします」
言葉遣いは丁寧だけれど、低いトーンでどこかトゲトゲしい。僕のイメージと違いすぎる態度に、世界が違うために見た目は同じでも性格が全然違っているのかもしれない、ということに思い至る。
転移前と比べた今の母親や、友人である圭一の変わりようを思い出して、目の前の神谷さんが僕の記憶にある人と同じだとは思わない方が良いかもしれないと思った。でも、どこか心の奥で期待している自分がいることも否定できなかった。彼女の本質は変わらず、そのままかもしれないと。
そんなふうに考えている間に、神谷さんが再び先生の方へ身体を向けた。
「奥に座って話せる場所があります。案内しますのでついてきてください」
神谷さんに案内されて、僕と先生は店の奥へと進む。職場体験の内容について、それから今後の予定について三人で話し合いをすることになった。
カウンターの向こう側、店の奥に入っていくと、そこに木製のテーブルとイスが並べられていて、小さな冷蔵庫以外には特に目につくものはない、少し殺風景な部屋に案内された。
この部屋は、お店の人が使う休憩室か事務室なのだろう。
「どうぞ、そちらに座って下さい」
僕と先生は神谷さんに促され並んでイスに座ると、神谷さんは部屋の隅に置いてある冷蔵庫から二枚のお皿を取り出してきた。お皿の上に苺のショートケーキが乗っていて、それを神谷さんが僕達の目の前に置いてくれた。お店の商品だ。
お皿の上にケーキが置かれて、ケーキフォークも添えられていてすぐに食べられるような状態になっていた。僕たちが来る前に、すぐ出して食べられるように用意してくれていたのだろう。
さらに神谷さんは、紅茶を用意してくれた。部屋の中にふんわりと心が温かくなるような紅茶葉の香りが漂う。白いカップに入れられた紅茶は、オレンジ色よりも少し濃く、見た目も綺麗だった。
「お店で出しているケーキです。食べてみてください」
「ありがとうございます」
僕と先生のお礼を言う声が揃う。そして、先生がすぐにケーキに手を伸ばしたので、僕も同じようにケーキを食べてみる。
久しぶりに食べるクローリス洋菓子店のケーキに、内心かなりテンションを上げながらケーキフォークを手に取り、ケーキの先端部分を一口サイズにフォークで切り分け口に運ぶ。
まろやかで甘いのに不思議としつこくないクレームシャンティに、きめ細やかでふわっふわのスポンジがよく絡み合っている。スポンジとスポンジの間にサンドされた、苺と生クリームの層も非常にいい味をしている。久しぶりに食べたからだろうか、記憶にある味の何倍も美味しいように感じた。
「とても美味しいです!」
ケーキの味に感動して、僕の口から無意識のうちに感想の声が出ていた。それから再びケーキフォークを動かし、じっくりと味わう。うん、美味しい。
その瞬間、神谷さんの表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。僕の心からの称賛に、彼女も少し嬉しそうに見える。
あっという間にケーキを食べ終えてしまっていた。ケーキの味は変わっていなくて、むしろさらに美味しくなっているように思えた。表にお客さんが来ていないのを見て、見た目は変わっていないのに味が落ちていたらどうしようという不安があった。けれど、そんな不安は杞憂だった。
この美味しいケーキを家に持ち帰り、家族の皆で食べようと心に留めておく。皆が嬉しそうに、そして美味しそうに食べる姿を想像すると僕の心はワクワクしていた。
世界と時間を超えて久々にクローリス洋菓子店のケーキを堪能できて、既にだいぶ満足してしまった。まだ本題に入っていないことを思い出して気持ちを切り替える。
先生もケーキを食べ終わり、ここに来た目的である職場体験についての話し合いがようやくスタートした。
話し合いは先生と神谷さんの二人が中心となって進められ、僕は傍らで話を聞いていた。二人は事前に何度か話し合っていたのだろう、今回の話し合いは最終確認に加えて僕に今後について説明するのが目的のようだった。
3ヶ月行われる職業体験について、学校のカリキュラムに合わせて神谷さんが計画したスケジュールを先生と僕に向けて説明してくれる。そして、先生が注意事項等を神谷さんに向けて説明する。最後に、今回の授業の目的などを説明してくれた。
説明の中で、神谷さんが職場体験の内容を非常に丁寧に考えてくれていることがわかった。基本的な接客から始まり、材料の管理、簡単な調理補助、そして最終的には実際に菓子作りまで挑戦させてもらえるという充実したプログラムだった。
説明を聞き終えて、やっぱり男子である僕はかなり優遇されているなあと感じる。
学園側の教師としては受験に必須なので、仕事の一つとして考えているのかもしれないが、わざわざ事前に準備を進めてくれた先生、そして職場体験できる場所の提供やいろいろと考えて計画を立ててくれた神谷さん、二人がたくさんの時間を費やして準備を進めてくれたのだろうということが今回の説明でもわかった。そう考えると、感謝の気持ちでいっぱいだった。
これは僕も、3か月間ちゃんと学ばないと。せっかく用意してくれた授業だから、無駄にはしない。僕はもう一度、職場体験に積極的に参加しようと気を引き締めて、神谷さんに気持ちを言葉で伝える。
「これから3ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。僕は、本当にパティシエという仕事に興味があるんです。神谷さんから色々なことを学ばせていただきたいと思っています!」
15
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話
家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。
高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。
全く勝ち目がないこの恋。
潔く諦めることにした。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる