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第二章 針の筵の婚約者編

ロバの声

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『さあ、お前の好きな「異世界紙芝居」の時間だ。いつもの如く一枚しか描いてないけど気にすんな、俺は絵が下手なんだよ…

これ、橋な。下が川で、ロバが溺れている。で、橋の上にいるのが、ロバを売っていた親子だ。どっちも折れた棒を持っている。どう言う状況かって? ロバを棒に括り付けて、担いで運んでたんだよ。一体、何でそんなヘンテコな事態になったかと言うと――

最初は普通にロバを引いて歩いてたんだ。そしたら次々に色んなヤツから話しかけられる。

「せっかくロバがいるのに、乗らないのか?」
「元気な子供が楽して、親に歩かせるのか」
「親だけが乗るなんて、子供がかわいそうだ」
「二人も乗ったらロバも重いだろう。楽させてやれ」

親子は通りすがりの意見を、いちいち全部聞いちまってな。結果、これだ。変な姿勢で運ばれていた馬が嫌がって暴れた場所が、たまたま橋の上。哀れロバは川へドボンだ。え? もちろん死んだよ。

うんうん、かわいそうだよなあ。誰が悪いって話でもなく、誰もが善意で提案したんだ。この話が言いたかったのはだな……

何? ロバの意見を聞けば良かった? あのな、ロバが喋るわけ……まあ、この世界じゃ分かんねえか。お前もあの姉上の血を引いてる事だし。うん、お前はそれでいいよ。じゃあもし、ロバの声が聴こえたら、そいつの意見を聞いてやんな』


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「私には…殺せません……」

 聞こえて、しまった。
 叔父様…声が、聞こえました。
 生きたい、と――

「何を…何を言っているんだ!?」

 先程まで堕胎を受け入れていた私が急に拒否した事に、チャールズ様は信じられないと言った表情を見せた。

「母体を傷付けずに元の状態に戻す、最後のチャンスなんだ。君にとってもこの現状は、良くないと分かっているだろう?」
「でも、聞こえたんです…『生きたい』って」
「っ! それは君の気のせいだ。今の時期はまだ、はらの子に意思が宿る段階でもない」

 チャールズ様の言う事は至極もっともだった。私たちの間にあるのは、間違いしかない。だったら今、私の中に宿る命だって、間違いなのだ。
 でも……

「そうとは限らないよ、ウォルト君。君の血には、スティリアム王家に連なる膨大な魔力が秘められている。彼女がその魔力を胎児の声として感じ取っても、おかしくはないと思うね」
「ハロルド先生は黙っていてもらえますか」

 口を出してチャールズ様に睨まれても、ハロルド先生はどこ吹く風だった。本当に、研究者と言うのはマイペースな人が多い。

(私が、胎児の魔力…スティリアム王家の血を感じ取った…?)

 ほんの三ヶ月前まで、私はこの国で魔法が使用されている事を知ったばかりだ。そんな私に、魔法使いのような芸当ができるものなのだろうか。もちろん、叔父のように桁外れの魔法を使える者もいるが、あの人は世界を股に掛ける冒険者なので参考にはならない。

 そのスティリアム王家、と言う単語が出てから、チャールズ様のまなじりがますます険しくなった。まるで憎悪すら抱いているような……

「そんなはずはない……生まれてきたいなど、思うはずもない」
「チャールズ…様?」

 様子がおかしい。親の仇でも見るような視線に射抜かれ、私は咄嗟にお腹を庇う。どうしてそんな目で見るの……。単に、都合が悪いからと言うだけじゃなかったの?

「こんな、穢れた血を引く子を…産んでしまったら、必ず君は不幸になる。その子は君を責め立てるだろう。どうして産んでしまったんだと。生まれてきたくなかったのにと、母親を憎んで……」

 自らを「穢れた血」と蔑むチャールズ様。ウォルト公爵とは、確かにそう言う存在だった。罪を犯した王族の血筋を囲い込み、監視するための処置。
 だけど、この憎悪は異常だ。
 親を殺した王家ではなく、チャールズ様は自分自身を憎んでいる。産んだ親を恨み、事を悔いている。そしてそれを、私のお腹の子に重ねているのだ。

「本当なら、私は生まれる前に死ぬべき人間だった。母が死んだのも、私が生まれたせい……私の罪なんだ。このままでは、同じ過ちが繰り返される……だったら今、殺してしまう他ないだろう」

 私はチャールズ様の家系に関する詳細については知らない。ただチャールズ様お一人を残して、直系はすべて処刑されたとしか。
 チャールズ様は己の体にその血が流れている事を、強く恥じているのだろう。それは分かるが…「殺す」と言われた瞬間、目の前が真っ赤になった。

(チャールズ様の血を引くから、殺すしかない? それはおかしいわ。歴代のウォルト公爵家は一代限りだったけれども、いずれも婚姻は結ばれていた。生まれた子は平民になるのが決まりだけど……
チャールズ様にとって、この子は生きている事自体耐え難い苦痛だと言うの? ご自分がそうであるように…)

 そんなのは、おかしい。
 大罪人の血縁者として、幼い頃から私の想像を絶する苦労があったのだろう。カーク殿下と双鷹そうようの儀を行わなければ、自ら命を絶ってしまいかねないほどに。
 だけどそんな殿下との出会いは、チャールズ様にとって救いだった…幸せだった、はずだ。

「他にできる償いなら何でもする。金が欲しいならいくらだって……。今回の事で心身共に君を深く傷付けてしまったと、本当に後悔しているんだ。だから……自ら不幸な道を選ばないでくれ」
「決め付けないで下さい」

 チャールズ様の謝罪の言葉を、ぴしゃりと跳ね除ける。この人は勘違いしている。私の幸せとか、そんなのはどうでもいい。そんなの……今更だ。

「生まれる事が間違いなんて、産む事が不幸だなんて決め付けないで。この声が気のせいであっても、それはそれで『私が望んだ』って事でしょう? ならばそれを受け入れます。憎まれたって平気です……慣れてますから」

 腹が立った。
 心のどこかで、チャールズ様の正しさも理解していたが、それでも腹立たしくて仕方ない。私も自分も、まだ生まれてもいないこの子もみんな不幸だと言うチャールズ様が。

「落ち着け、今君は意地になっているだけだ。冷静になれば、私の子を産むなど馬鹿げていると分かる。君も、知っているだろう? 今そのはらに抱えている存在が、誰を敵に回すのかを」

 私の肩に手を置き、覗き込んで説得するチャールズ様。
 この人を否定したい、それを証明したいと言う意地に、私が突き動かされているのは事実だった。だけどこの御方もすべてを見通せるわけじゃない。
 見える、わけがない。

「構いません。例え世界のすべてを敵に回しても、私はこの子に生まれてきて欲し…うっ!」
「っ!!」

 バシッと言う音と共に、頬が熱くなった。チャールズ様に叩かれたらしい。はっきりしないのは、父の時に比べて相当手加減された…むしろ直前に我に返って、軽く指が当たった程度だったからだ。この御方が本気で張り飛ばしたら、たぶん首の骨が折れるんじゃなかろうか。
 チャールズ様は叩いた方の手をもう片方で握り締め、憤りを必死に鎮めようとしていた。

「君は……どうして母と同じ事を言うんだ! 子供のために、人生をどぶに捨てるつもりか!」

 ピシッ

 チャールズ様の責めるような叫びに、何かがひび割れるような音を聞いた。
 私の目から涙がスッと流れ落ちるのを見て、ハッとして頭を下げられる。

「すまない……だが頼むから、はらの子は諦めてくれ。もしも産んでしまったら、必ず君を破滅させてしまう。君のためにも……忘れた方が幸せなんだ」

 どうしてここまで必死なのか。妊娠していると告げたあの日までは問題なかったはず。私は何も、ウォルト公爵夫人にしてくれと迫ったわけじゃない。嫁ぎ先さえ世話してもらえば、それで済んだ話だ。
 この三日間で、チャールズ様は子供を何としてでも生かしてはおけないと言う結論を出した。それが何なのかは分からないけれど。

(私はまた、奪われてしまうの?)

 これ以上傷付く事のないように、可能な限り手を尽くそうとしているのが分かる。だけど、この御方は知らない。今回の件がなくとも、私がとっくに破滅している事に。

(だから私は、自分のためには生きられないの。誰かのためにしか、もう…)

 奪われ続ける人生だった。その運命から逃れられないのなら、せめて私のすべてを捧げる相手は選びたい。サラでも父でもなく、もちろんチャールズ様でもない。

 私に呼びかけた、ロバの声。

 それすらも、奪ってしまうの?
 不幸だから、死ななければならないの?

 ……ふざけないで。

 ブツン、と何かが切れる音と共に、視界に膜が張ったようにぼんやりとなった。

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