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第二章 針の筵の婚約者編

塞翁が馬

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「カランコエ、ありがとう。あなたが居てくれなかったら私、きっと断れなかった」

 サロンを出てすぐ、お礼を言う私に、カランコエは照れ臭そうに笑った。

『水臭い事言わない。キミが望めば、ボクはどこだろうとすぐ飛んで来るから』
「あの、でも……本当は分かっているの。チャールズ様の仰る通り、お互いに良い判断とは言えないって事。それでも私は…」
『それでもボクは、キミの味方だよ』

 じわっと涙ぐむ。魔法薬ポーションを飲まなかった、それはチャールズ様への反抗と言う部分もあった事は否めない。迷惑はかけないと言ったものの、あの反応からしてただでは済まなさそうだ。もちろん、命を軽く考えるべきではない事も。

「だけどね、今まで諦めてきた私だからこそ……この手を離しちゃダメなんだとも思うの。ねぇカランコエ……この子、『生きたい』って言ったのよ」
『そうだね、確かに言ってた』
「あなたにも聞こえたの!?」
『ボクは半分妖精フェアリーハーフだからね』

 カランコエはそっと私のお腹に触れる。そしておまじないのように、中の子に語りかけた。

『大丈夫。アイシャは誰かのためになら、物凄く強くなれるから。絶対、守ってくれるよ』

 それは私にとって、最強の呪文だった。この子のためなら、何でもできる。誰からも、守ってみせる。今までは簡単に諦めてしまっていたのに、命を抱える事で責任ができたからだろうか。誰を敵に回そうとも、立ち向かえそうな気がした。
 カランコエは私とおでこをくっつけ、優しく囁きかける。

『アイシャ、これから誰のお嫁さんになっても、ボクはキミの一番の理解者だからね。困った時には、いつでも呼んで』

 そう言って軽くキスをすると、スッとその気配を晦ました。

 直後、ガラッと目の前の扉が開く。

「何だゾーン君、まだ居たの? 我々も帰るとこなんだけど」
「わ……はいっ、すぐ帰ります!」

 ハロルド先生の後ろでチャールズ様が動くのが見え、私は慌ててその場を離れた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 数日後。
 帰宅するため馬車を待っていると、そこに現れたのは二階建てのキャンピング馬車。

「ガラン叔父様!」
「よぉ、アイシャ。ちっと野暮用で通りかかったんだが、乗ってくかい?」

 御者席で手綱を引くガラン叔父様の横に失礼すると、巨大な馬車は人目を引く外見にも関わらず、誰からも注目されずに走り出す。革張りでふかふかした椅子は、覚えのあり過ぎるもので。

「この椅子、いいだろ? 今はまだベンチとして一部にしか出回ってないけど、もうすぐ国中の家具屋に取り扱ってもらえる。ちょっとした簡易ベッドにしても寝心地いいぞ」

(よく知ってます……)

 やはりあのベンチを発明したのは、この人だったようだ。

「聞いたぞ、お前。ウォルト公爵との子を孕んだんだってな」
「んぐ…ゲホッ! 誰から聞いたんですか!」

 周りに聞かれていないか見渡しながらも、焦って詰め寄るが、叔父様は愉快そうにケタケタ笑うだけだった。

「心配しなくても、誰も聞いちゃいねえよ。しかしあの鳩公はとこうとね……そりゃ意外だったな。あいつ今いくつだっけ? 俺ん中ではまだガキだわ」

 相変わらずこの人に恐いものはないのか……ベアトリス様と同じ呼び方をしているわ。

「私より二つ年上ですから、十九歳のはずです。殿下とご入学されたので学年は同じですが」
「へー……で、お前あいつと結婚すんの?」
「しませんっ! どうやら都合が悪い事情があるようで……私としても、相手を紹介して頂くだけで充分ですので」

 言葉にすると、何だかろくでもない事をしている気分になってくる。いや、言うまでもなくろくでもないな。連れ子抱えて他所の殿方に嫁ぐんだもの。

「……やっぱりこう言うのは、相手方にも失礼でしょうか」
「いんや、最初から条件付けてんなら、それでもいいって相手だけ来るだろ。
ただなー…ウォルト公爵家の血ってのは、少なからず権力闘争に巻き込まれる。チャールズが無事でいられるのは王家によるガチガチの監視体制と、カーク王子との双鷹そうようの儀による所が大きい。そんな子供が他家の養子に入って、お前に守り切れんのか?」

『こんな、穢れた血を引く子を…産んでしまったら、必ず君は不幸になる』

 チャールズ様の声が頭に蘇る。あの時は、そんな事どうでもいいと思った。私の事も、チャールズ様の事もどうでもいい。ただ、この子をこの世界に生まれて来させたい。その想いは、間違っていたのだろうか。

「叔父様は、力になってもらえませんか?」
「そうしてやりてえが、四六時中とはいかないな。見ての通り俺は同じ場所には留まれねえし、子供に関しての手助けなら女の方がいい。…まあ、俺の事は最終手段ぐらいに考えといて、身近に頼れる味方作っとけよ。お前、昔っから何でも一人で抱え込んじまうからな」

 最終手段……子供の頃から、いっそ何もかも投げ捨てて叔父様について行きたいと思う事があったが、いざとなれば助けてくれると言うのは甘かったようだ。全面的に突っぱねられる事はないものの、頼りにする事前提では考えない方がいい。

 結局、どうするのが正しかったのか。チャールズ様の言う通り、殺してしまえば解決するのだろう。……絶対に嫌だ。だけどこの感情すら、ただのエゴだと言われれば反論できない。そもそも、エゴは悪い事なんだろうか?
 ぐるぐる巡る思考の中、私は叔父様から教えてもらった異世界の物語を思い出していた。善意によって投げかけられた言葉は、一つ一つは正しい事のはずだった。何が正解かなんて分からない。それならいっそ……

「叔父様、私……信じられないかもしれないけど、お腹の子が『生きたい』って言ったのを聞いたんです」
「……ほー?」
「気のせい…だと思いますか? それとも魔力のせい?」

 魔法に詳しい叔父様の意見を聞いてみたかったのだが、返ってきたのは意外な答えだった。

「そりゃ母性本能ってやつなのかもなー」
「ボセイ、ホンノー」
「子供を守りたいって、母親の体が判断するんだよ。中絶の魔法薬ポーションは、胎児を有害だと錯覚させるんだろう? だからそれを拒否するために、お前に子供の声ってやつを聞かせた。要するに体がもう、母親になっちまってるんだな」

 母親…子供を産みたいって気持ちは、本能から来るものだったのか。私の意思と関係なく、母親なら誰でも持っている。あのアンヌ様も…サラを産んだ時、そうだったのだろうか。私は脳裏に浮かんだ義母の顔を振り払った。
 それをちらりと横目で見た叔父様は、気付かないふりで語り出す。


「塞翁が馬、って言葉が異世界にはある」

「サイ、オーガ、ウマ……」
「変なとこで切るなよ! 幸不幸はその場だけで決められるもんじゃねえって事。不幸が幸福に転じる事もあるし、その逆も然り。神様じゃねえんだから、何がどう転ぶのかなんて、誰にも分からない。
俺だって親に反抗して家を飛び出したが……失敗や間違いなんて数え切れない。それでも後悔した事はなかったよ。他でもない……自分で選んだ道なんだから」

 ゴトゴト馬車に揺られながら、私は叔父様から異世界の故事を神妙に聞いていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「お帰りなさいませ、お嬢様……あの、お荷物お預かりしますね」

 門の前で迎えに出ていたクララに、荷物を預ける。若干、顔色が悪いがどうしたのだろう。

「私からは何とも……とりあえず旦那様がお待ちしてますので、こちらへ」

 お父様が? そう言えば、チャールズ様から弁護士を通じて話をしておくと言われていたのだけれど、その件に関してかしら。



「でかした! よくやった!! …ふははは、やったぞ。これであのババアに一泡吹かせてやれる!」

 書斎に入った瞬間、私は生まれて初めて父に抱きしめられ、目を白黒させる。普通なら感動的な場面なんでしょうけれど……もう喜ぶような歳でもないし微妙だわ。

「お父様、一体何事です?」
「もう隠さなくてもいい。いやぁ、あの与太話が本当だったとは。ロリコン子爵なんぞ目ではないな!」

 一人で大喜びしている父に呆気に取られていると。

「お姉様!!」

 バタン! とノックもせずにサラが飛び込んできた。両肩を掴んでガクガク揺さ振られ、気分が悪くなる。…うっぷ。

「お姉様、チャールズ様の子を身籠ったから結婚するなんて嘘よね? お姉様があの御方を誘惑できるなんて、そんな事あるわけ……」

 聞き捨てならない一言に、一気に我に返った。サラの腕を掴んで止め、真顔で詰め寄る。

「結婚……誰と、誰が?」
「何を言っているんだ、アイシャ。お前とウォルト公爵様に決まっているだろう。式と届け出は出産後になるから、今は婚約と言う形に」
「なんで??」

 なんで?
 なんで私がウォルト公爵家に嫁ぐ事になってるの?
 一生苦労するって、不幸になるって言ってたよね?
 一番安全な嫁ぎ先って話は?
 それに…それに、カーク殿下の計画は?

「ブクブクブク…」
「きゃーっ、お姉様が泡吹いて失神してる!」

 現実を処理し切れなくなった私の頭は、限界を迎えた。
 薄れゆく意識の中で、叔父様の言葉が蘇る。


『不幸が幸福に転じる事もあるし、その逆も然り。神様じゃねえんだから、何がどう転ぶのかなんて、誰にも分からない』

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