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 岳の動きが止まり、七凪をそろりとのぞき込んでくる。

「なんで謝るんだよ」

「深く考えないで俺、馬鹿なこと言った、ごめん」

 岳は上体を起こすと両手で頭を抱え、ため息のような低い唸り声を上げた。

 が、すぐに七凪のあらわになっている肌をブランケットで包むと、その上から抱きしめてきた。

「俺の方こそ悪かった、酷いことした、ごめん、七凪」

「岳は悪くないよ」

 岳は頭を小さく振りながら七凪の肩にうずめる。

「嫌なんだ、こんなふうに偽物の感情で七凪を汚したくないんだ。こういうのは本当に好き合っている者同士でするもんなんだ」

「汚すだなんて、俺、女の子じゃないから平気だよ岳、岳がしたいならしていいよ」

 岳は激しく頭を振ると、七凪を抱きしめる腕に力を込めた。

「ちくしょう、なんでこの気持ちが偽物なんだよ!」

「岳……」

 七凪はそっと岳を抱きしめ返した。

 七凪も岳と同じことを感じていた。

 どうして、岳を好きなこの気持ちが本物じゃないんだろうと。

 媚薬を飲んでなくても岳のことが好きだよ。

 そう言いたかった。きっとそれは岳も同じだろう。

 けど、それは言葉にした瞬間から嘘になりそうだった。

 違う、嘘じゃない、そう言えば言うほど、自分たちの気持ちが媚薬に操られているように感じそうだった。

 岳が七凪の肩で静かに泣いていた。

 岳が泣くのを見たのは、ずっと昔の子どもの時以来だった。

 岳の涙が七凪の涙を呼ぶ。

 二人はベッドの上で固く抱き合ったまま、すすり泣いた。




 しばらく会うのを止めようと、岳が言ってきたのはそれからすぐのことだった。

 七凪は本当は嫌だったが、岳の苦しげな表情を前に了諾するほかなかった。

 岳のいない毎日は時間が過ぎるのが異常に遅く、そして色褪せていた。

 まるで七凪の気持ちが雨雲を引っ張ってきたかのように、日本列島は梅雨入りした。

 朝は別々に登校し、岳は七凪の家に夕飯を食べに来なくなった。





 母が指先を振ると、つやつやした赤い二つの実が一緒に仲良く揺れた。

 今年初めてのさくらんぼを母はさっきから眺めてばかりで一向に口に運ぼうとしない。

「ねぇ、ちゃんと岳君にデザートはさくらんぼだって言ってくれたの?」

「言ったよ」

 七凪はさくらんぼの種をペッと小皿に吐き出した。

 岳はさくらんぼが好きだ。それも味がどうとかじゃなく、姿かたちが可愛らしいと女子みたいな理由で。

「さては岳君、彼女でもできたかな?」

「まさか」

 母の一言を鼻先で笑い飛ばすと、母は呆れた顔をした。

「なに言ってんのよ七凪、岳君に今まで彼女がいなかったことの方が奇跡なのよ。それより七凪の方はどうなの? 沖縄の日本一の星空はもう諦めたの? 蓮君、ハンガリー語頑張ってるわよ~。七凪ったらこのままだと、蓮君にも先を越されるんじゃないの?」

「うるさいよ、今、彼女どころじゃないんだよ」

 七凪は食べ終わった食器をシンクにつけると冷蔵庫からコーラを取り出し、それを持って自分の部屋へと駆け上がった。

「恋せよ少年!」

 母の声が七凪の背中を追ってきた。

 七凪は階下の母に聞こえるように、大袈裟な音を立てて自室のドアを閉めた。

「なにが恋せよ少年だよ」

 七凪はベッドにダイブする。

 閉じたカーテンの向こうで、しとしとと雨音が聞こえてくる。

「岳に彼女ができるはずないだろ、岳は俺のことが好きなんだから」

 ふと、この前岳に言った自分の言葉を思い出す。

『どのみち俺たちはそれぞれ女の人と結婚して家庭を持つ』

 いきなり結婚するわけではない。その前に付き合うわけだ。と言うことは、いつ岳に彼女ができてもおかしくないってことだ。

 想像しただけで、胸が押し潰されそうになった。

「嫌だ、岳に彼女ができるなんて絶対に嫌だ」

 七凪は再び、自分の放った言葉の軽率さに自分を殴りたくなり、今すぐその言葉を撤回したくなった。

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