a life of mine ~この道を歩む~

野々乃ぞみ

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【第二部】四章 感情の行きつく先

四十、フィリップ・ベン・ジラール

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 トーカシア国の広い港にはらはらと雪がチラつく。至る所に焼け跡や煤が残っていて、人々が額に汗を光らせる。大火災から一ヶ月、一月の下旬。着々と復興は進んでいる。競技場で寝泊まりする人も減ってきて、仮住まいの家が次々と造られていく。食料は国が一丸となって助け合った。お陰でこの寒さの中、飢えまで感じる人はほとんどいなかったそうだ。

 イアンとフルーリア王女は冬期休暇の間に、と二週間前に帰国した。念のため、とニュドニア側からわざわざ高ランクマスターが護衛のためにやってくるほどの厳重さだった。でも、そのお陰で安心して二人を見送ることができた。願わくば、イアンとフルーリア王女の話が納得のいくものであれば、と思う。

 そんな中、あの男が東側の港に到着した。この国に雪が降っているということは、セイダル国はすでに雪深い時期なのに、本当に来たのだ。ブレスタのラスボス候補、フィリップ・ベン・ジラールが。

 伝え聞いた話では、アーチー・カメルはいないとのことだった。そもそもあの男がフィリップの配下になったことは知られていても、懐刀とまで言われていることは、基本的にセイダル国の軍部関係者しか知らなかったはずだ。

 隠しているわけではないから、調べれば出てくる情報らしいけれど、そこまで重要視されていない。まだ誰もアーチーが強いことと、フィリップの配下についたことの関係性に着目していないのだ。ブレスタのフィリップは策略家だった。当時大した描写はなかったのに、それでもそうと分かる程度には。

「とは言っても、入国していない保証もない。警備は強固にしたが、あの男相手では不安が残る」

 そう言ったのはウィンストン殿下だった。わざわざフィリップがいる間に問題を起こすとは考えにくかったけれど、念には念を入れよ、とばかりに急遽学園は三日間の休みとなった。

「研究資料も厳重に保管されているし、二度目はない」

 ブライトルは軽薄に笑った。怒っているのだ。当り前だ。研究機関への侵入を許してしまったことだけでも面目丸つぶれなのに、記録に残る大火災まで起こっている。

 そう言えば、侵入事件でアーチー・カメルがどうなったかと言うと、何も無かった。目撃者が僕と数人の研究員だけで、しかも何かを盗まれた証拠もない。それだけで糾弾できるほどセイダル国は甘くない。完全に相手の掌の上と言うことだ。

 フィリップは今日から国王陛下とウィンストン殿下の三人で会合を始めて、今後の方針を固める。明後日からは被災地の視察と被害状況の把握に努めるらしい。実に将軍らしい仕事ぶりだ。
 疑う余地なんてない何も。

 なのに、と言うべきか、だからこそなのか。僕は前回のアーチーとの接触で拉致予告をされている。こちらも念のためという理由で、フィリップが滞在している間は王城に隠れることとなってしまった。
 

 フィリップ入国から五日。一歩も部屋から出られない生活にもいい加減我慢の限界が来ている。必要なことだと分かっているから堪えているけれど、広いだけの客室の中だけではできることが限られている。家庭教師を呼んで学園の授業やトーカシア国の文化などを学ぶ。トレーナーに来てもらって自主トレーニングを行う。本を読む。誰かが尋ねてきてくれれば話をする。その程度だ。

「はぁ……」

 ため息もつきたくなる。フィリップは予定よりも滞在期間を延ばすと報告が入ったのはついさっきだ。港の被害が思っていたより甚大なため、詳細を知りたいと申し出たらしい。

 トーカシア国とセイダル国との間の交渉は想定よりも平等に進んだ、と様子を見に来てくれたブライトルが教えてくれた。今後の方針として、発火しそうな積み荷を一ヵ所にまとめないこと、油や高純度の酒類の入港には今まで以上に手続きを増やすことなどが決められたそうだ。

「セイダル国側よりもトーカシア側の被害が甚大だったこともあるだろう……」

 そう言ったブライトルの表情は硬く、いっそ苦かった。明らかになった被害が余りにも酷かったからだ。避難が早かったため、人命という意味では少数で済んだ。でも、少ないと言うのは被害に対しての割合の話だ。総数で言えば、決して少なくない命が失われた。一生歩けなくなった人もいる。

 被害はそれだけじゃない。家を、仕事を失った人は数え切れない。彼等の生活を立て直すのにもかなりの時間がかかる。さらに北側の港にいたっては復興までどのくらい時間がかかるか分からないため、その間の入港の整備、輸出入の調整も必要だ。咄嗟に考えられるだけでもこれだ。

 対してセイダル国側は積み荷と数十隻の船のみ。敢えて人命には触れなかった。ブライトルが何も言わなかったのは、ゼロじゃなかったということだから。

「フィリップが帰国したら、僕を使ってくれ。体力だけは有り余っている」
「ふ、いいのか? そんなことを言って。カラカラになるまで働かせるぞ?」
「望むところだ。僕は、あんたの婚約者だろう?」

 隣に座っていたブライトルの右手にそっと左手を乗せてみる。僕から触れるのは初めてかもしれない。パチパチと瞬く様子が少し幼くて目尻が下がった。

「そうだな、婚約者殿。……ありがとう」

 ぎゅっと握りしめられた手は、少し震えていた。


「十一日、か……」

 長かった。結局、フィリップは予定から四日も滞在を延ばした。港だけじゃなく、様々な所を視察したらしい。その中には学園の研究施設まで入った。証拠がないとは言っても、アーチーが入り込んでいたのは事実なのに。将軍や王族となると、そのくらい図々しくないとダメなものなのか。

 でもそれも今日が最後だ。僕は客室からメインゲートの辺りを見下ろす。視線の下ではフィリップを港へ送り届けるための豪奢な馬車が見える。そこへ、一人の青年が現れた。

「あれが……」

 太陽の光に照らされて白銀に見える髪は、ブライトルとは輝き方が違うから恐らくダークグレーだろう。中々に背が高そうだ。背幅もそれなりに。セレブリの将軍でも一兵士なのには変わりない。きっと鍛えているんだろうな。それに、少し似ている気がした。

 その時だった。
 フィリップが不意にこちらを振り仰いだ。目が合っ……!?

 遠くからでも分かる薄いブルーの瞳が弛んで、口角が上がる。ハッとして窓枠の横に身を潜めた。この距離で気付かれた? そんなことがあるのか?
 しばらくしてからそっと見下ろすと、フィリップはすでに門を潜って見送りに出ていたウィンストン殿下と握手を交わしていた。
 本当に気付いていたのだろうか、僕の存在に。でも、フィリップは確かに僕を見ていた気がする。

 ジッと見ていると、最初に感じた印象が間違いじゃないことを確信した。
 フィリップはブライトルに似ている。
 ウィンストン殿下と並んでいる今だからこそよく分かる。殿下とブライトルは似ているのに、殿下とフィリップは似ていない。だから、造形じゃない。髪色や瞳の色だけでもない。

 彼もきっと、演じているのだ。毎日を。
 ドキドキと五月蠅い心臓の上を、右手でギュッと握りしめる。何故だろう。妙に胸がざわついている。

「フィリップ・ベン・ジラール……」

 
 後で調べて知ったことだけど、フィリップとブライトルたちは血縁になるそうだ。フィリップの祖母がトーカシア国の王族出身だった。なるほど、道理で特徴が似ている。

 今さらどうなるものでもないのに、縁が続いていくのが、どうしても空恐ろしかった。
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