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【第二部】三章 激動なのか、激情なのか
二十三、モカト
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ブライトルに会えたのは、王城にいた二日間からさらに四日経ってからだった。僕の拘束に際して最も抵抗したのは彼で、その点もあって会うことに対して多方面から待ったがかかったようだった。
「今までが少し、盲目過ぎた」
「一体何をしたんだ……」
「トイメトアの前は、色々と気を遣っている暇もなかったからな。急いだ分、見落とした物も多いんだろ」
やれやれと言った様子のブライトルを見て、ふと何か違和感が過った。なんだろう……? しかも、これは余りいい部類の物じゃない気がする。微かに眉間に皺が寄る。
僕等はのオルティアガの自室で向かい合ってソファーに座ってお茶を飲んでいる。久しぶりのゆっくりとした時間だ。使用人が気を利かせて用意してくれた菓子は美味しくて、やはりストレスを感じていたこともあって、珍しく僕の手は何度も伸びる。
ブライトルは何も変わらない。変わらず、真っすぐに僕を見る。なら、一体何が気になったのだろう……?
「それにしても、まさか四日もかかるとは思わなかった」
「僕は、それなりに疑われている、みたいだな?」
「ああ、その通りだ。ただでさえトーカシアへ来て日が浅い上に、あんな事件に遭遇すればな」
「ブライトル、聞いてもいいか?」
「――想像は付く。今日はその話をするために来たところが大きいんだ。説明役を請け負うためにも必要な時間だった」
僕は紅茶で口を湿らせると、そっとティーカップをソーサへ置く。揺れる液体は黒味が強くて、どこか海の向こうの品であることが分かる。聞きたかったのはただ一つだ。アーチー・カメルの目的。ブライトルは一つ頷くと、はっきりと口にした。
「モカトの研究成果だ」
「グロリアスか……?」
「それがきっかけではあったが、モカト自体の性質の話だ」
「性質?」
「まだ仮定の段階ではあるが、モカトには、意思のようなものがある」
「なん、だって……?」
「少なくともマスターになる人間、特にグロリアスに適合するためには、何らかのモカトの嗜好性が現れている可能性が高いと判明したそうだ」
唖然とした。余りに予想外のことで、思考が完全に止まってしまった。何度も正面のブライトルが瞼の裏に消えては、戻ってくる。その間、彼の表情に変化はなかった。冗談の類ではない、ということだ。
いくらか経ってから、ゆっくりと眼球を動かす。この四ヶ月で見慣れた自室は、すっかり冬仕様になっている。風通しのよかった窓は、内側から二重窓になるように分厚いガラスが取り付けられている。毎年、寒くなれば付けて、暑くなれば外すようにできているそうだ。お陰で室内は温かく、固まった体を緩やかに溶かした。
「――また、突飛な話だな。いくつか気になる点もある」
「そうだな。まずは、モカトが生きている可能性がある点、か……?」
「さすがに生き物だとは思いたくないけれど、微生物などの可能性くらいはあるということか?」
「ああ、そうなる。そもそもグロリアスの存在自体が謎なんだ。モカトに新しい可能性があってもおかしくはないんだろうな……」
「何故、この国で判明した?」
「純粋に設備の問題だ、と聞いている」
「なるほど……」
一応、納得はいく。ニュドニアは当然モカト研究の第一線にいるけれど、北西のセイダル国、東のトーカシア国の存在によって、どうしても物資の乏しくなる部分がある。通信機器の発達にはまだ時間がかかるだろうし、様々な国と取引をしているトーカシア国の先進技術に追い付かなかったのかもしれない。
僕は「もしくは――」と言いながらブライトルを見る。分かっているとばかりに頷かれることが、とても嬉しい。
「ああ、すでにニュドニアはその事実を掴んでいて、秘密裡に研究を進めているか、だな」
「そちらの方が説得力はある。何せ、未だにグロリアスの発明をしたプロフェッサーSは行方不明だと言われているしな」
「脳だけを保管しているという話、あながち噂でもないのかもしれないな?」
「ぜひとも噂のままであって欲しいな……」
「ニュドニアじゃなくとも、どこかの国で人体実験されていても不思議じゃない、とは思うさ。それだけの功績を遺した人だ」
プロフェッサーSはモクトスタの生みの親であり、モカト研究の第一人者だったと言われている。彼、もしくは彼女は、グロリアス三体だけを残してある日忽然と消えたそうだ。一切の研究資料を残さず、素性すら明かさず。今作成されている全てのモクトスタは、グロリアスの劣化版だ。だから、全ての性能において、オリジナルには決して敵わない。
「それにしても、意思、か……。傾向などは分かっているのか? それとも、まさかそれもモカトの個性による、なんて言わないだろうな?」
「さすがにそれはないようだ。あくまで傾向だが、ゲノム、に関係するのではないか、と言う点までしか分かっていない。恐らく、アーチー・カメルはその辺りの研究結果を盗んだと目されている」
「ゲノム……」
「さすがだな、エドマンド。驚かないか」
「ああ。『前の世界』では、多くの人が知っている知識だった。生き物を構成する情報、だな?」
確かめるように首を傾げるとブライトルが楽しそうに笑う。この人は、僕が前世の知識を披露することを楽しんでいる部分がある。
「……笑うところか?」
「ん? まあ、ね。知らないことを知るのは楽しいだろう? それより、その通りだ。まだ仮定の段階だけれどね」
「クォータナリでイアンの研究をしていたことは知られていても、その内容までとなると……」
「ああ。知っての通り、あそこの防犯は強固だった。ならば誰かから情報が漏れていたと考える方が簡単だろう。何でわざわざアーチーが来たのかは分からないけどな。それに……」
「ブライトル?」
「聞く所によると、ゲノムは髪の毛や唾液から判別できるそうだな?」
「ああ、そ、う……。ぇ? ちょっと、待て」
そこまで聞いて、僕は右手を翳した。何だか嫌な予感がする。髪の毛や唾液? イアンとグロリアス? ハッとした。そして、ゾッとした。
「まさか……。イアンの私物の窃盗事件は……」
「ああ、犯人はトーカシアだけじゃない。ニュドニア国にも入り込んでいるだろう。しかも、王城にだ」
「そんな……」
僕は頭を抱える。実際に窃盗を行った侍女からは何の情報も出なかった。けれど、被害者のイアン自身が全容を把握していないのだ。何が盗まれて、何がどれだけ足りていなかったかなんて、誰にも分からない。例え、盗まれた内のいくつかがセイダル国へ流れていたとしても、もう――。
「エドマンド」
静かに呼ばれて顔を上げる。優しい瞳でブライトルがこちらを見ていた。大丈夫だ、と言ってくれているような気がする。また、小さな違和感が過る。
「お前は、まず身の回りに気を付けてくれ。この前の廊下のこともある。なにより、アーチー・カメルがセイダル国へ誘ってきたんだろう? 目を付けられているのは間違いないんだ」
「ああ、そうだな……」
「うん」
結局、違和感の正体は分からなかった。
「今までが少し、盲目過ぎた」
「一体何をしたんだ……」
「トイメトアの前は、色々と気を遣っている暇もなかったからな。急いだ分、見落とした物も多いんだろ」
やれやれと言った様子のブライトルを見て、ふと何か違和感が過った。なんだろう……? しかも、これは余りいい部類の物じゃない気がする。微かに眉間に皺が寄る。
僕等はのオルティアガの自室で向かい合ってソファーに座ってお茶を飲んでいる。久しぶりのゆっくりとした時間だ。使用人が気を利かせて用意してくれた菓子は美味しくて、やはりストレスを感じていたこともあって、珍しく僕の手は何度も伸びる。
ブライトルは何も変わらない。変わらず、真っすぐに僕を見る。なら、一体何が気になったのだろう……?
「それにしても、まさか四日もかかるとは思わなかった」
「僕は、それなりに疑われている、みたいだな?」
「ああ、その通りだ。ただでさえトーカシアへ来て日が浅い上に、あんな事件に遭遇すればな」
「ブライトル、聞いてもいいか?」
「――想像は付く。今日はその話をするために来たところが大きいんだ。説明役を請け負うためにも必要な時間だった」
僕は紅茶で口を湿らせると、そっとティーカップをソーサへ置く。揺れる液体は黒味が強くて、どこか海の向こうの品であることが分かる。聞きたかったのはただ一つだ。アーチー・カメルの目的。ブライトルは一つ頷くと、はっきりと口にした。
「モカトの研究成果だ」
「グロリアスか……?」
「それがきっかけではあったが、モカト自体の性質の話だ」
「性質?」
「まだ仮定の段階ではあるが、モカトには、意思のようなものがある」
「なん、だって……?」
「少なくともマスターになる人間、特にグロリアスに適合するためには、何らかのモカトの嗜好性が現れている可能性が高いと判明したそうだ」
唖然とした。余りに予想外のことで、思考が完全に止まってしまった。何度も正面のブライトルが瞼の裏に消えては、戻ってくる。その間、彼の表情に変化はなかった。冗談の類ではない、ということだ。
いくらか経ってから、ゆっくりと眼球を動かす。この四ヶ月で見慣れた自室は、すっかり冬仕様になっている。風通しのよかった窓は、内側から二重窓になるように分厚いガラスが取り付けられている。毎年、寒くなれば付けて、暑くなれば外すようにできているそうだ。お陰で室内は温かく、固まった体を緩やかに溶かした。
「――また、突飛な話だな。いくつか気になる点もある」
「そうだな。まずは、モカトが生きている可能性がある点、か……?」
「さすがに生き物だとは思いたくないけれど、微生物などの可能性くらいはあるということか?」
「ああ、そうなる。そもそもグロリアスの存在自体が謎なんだ。モカトに新しい可能性があってもおかしくはないんだろうな……」
「何故、この国で判明した?」
「純粋に設備の問題だ、と聞いている」
「なるほど……」
一応、納得はいく。ニュドニアは当然モカト研究の第一線にいるけれど、北西のセイダル国、東のトーカシア国の存在によって、どうしても物資の乏しくなる部分がある。通信機器の発達にはまだ時間がかかるだろうし、様々な国と取引をしているトーカシア国の先進技術に追い付かなかったのかもしれない。
僕は「もしくは――」と言いながらブライトルを見る。分かっているとばかりに頷かれることが、とても嬉しい。
「ああ、すでにニュドニアはその事実を掴んでいて、秘密裡に研究を進めているか、だな」
「そちらの方が説得力はある。何せ、未だにグロリアスの発明をしたプロフェッサーSは行方不明だと言われているしな」
「脳だけを保管しているという話、あながち噂でもないのかもしれないな?」
「ぜひとも噂のままであって欲しいな……」
「ニュドニアじゃなくとも、どこかの国で人体実験されていても不思議じゃない、とは思うさ。それだけの功績を遺した人だ」
プロフェッサーSはモクトスタの生みの親であり、モカト研究の第一人者だったと言われている。彼、もしくは彼女は、グロリアス三体だけを残してある日忽然と消えたそうだ。一切の研究資料を残さず、素性すら明かさず。今作成されている全てのモクトスタは、グロリアスの劣化版だ。だから、全ての性能において、オリジナルには決して敵わない。
「それにしても、意思、か……。傾向などは分かっているのか? それとも、まさかそれもモカトの個性による、なんて言わないだろうな?」
「さすがにそれはないようだ。あくまで傾向だが、ゲノム、に関係するのではないか、と言う点までしか分かっていない。恐らく、アーチー・カメルはその辺りの研究結果を盗んだと目されている」
「ゲノム……」
「さすがだな、エドマンド。驚かないか」
「ああ。『前の世界』では、多くの人が知っている知識だった。生き物を構成する情報、だな?」
確かめるように首を傾げるとブライトルが楽しそうに笑う。この人は、僕が前世の知識を披露することを楽しんでいる部分がある。
「……笑うところか?」
「ん? まあ、ね。知らないことを知るのは楽しいだろう? それより、その通りだ。まだ仮定の段階だけれどね」
「クォータナリでイアンの研究をしていたことは知られていても、その内容までとなると……」
「ああ。知っての通り、あそこの防犯は強固だった。ならば誰かから情報が漏れていたと考える方が簡単だろう。何でわざわざアーチーが来たのかは分からないけどな。それに……」
「ブライトル?」
「聞く所によると、ゲノムは髪の毛や唾液から判別できるそうだな?」
「ああ、そ、う……。ぇ? ちょっと、待て」
そこまで聞いて、僕は右手を翳した。何だか嫌な予感がする。髪の毛や唾液? イアンとグロリアス? ハッとした。そして、ゾッとした。
「まさか……。イアンの私物の窃盗事件は……」
「ああ、犯人はトーカシアだけじゃない。ニュドニア国にも入り込んでいるだろう。しかも、王城にだ」
「そんな……」
僕は頭を抱える。実際に窃盗を行った侍女からは何の情報も出なかった。けれど、被害者のイアン自身が全容を把握していないのだ。何が盗まれて、何がどれだけ足りていなかったかなんて、誰にも分からない。例え、盗まれた内のいくつかがセイダル国へ流れていたとしても、もう――。
「エドマンド」
静かに呼ばれて顔を上げる。優しい瞳でブライトルがこちらを見ていた。大丈夫だ、と言ってくれているような気がする。また、小さな違和感が過る。
「お前は、まず身の回りに気を付けてくれ。この前の廊下のこともある。なにより、アーチー・カメルがセイダル国へ誘ってきたんだろう? 目を付けられているのは間違いないんだ」
「ああ、そうだな……」
「うん」
結局、違和感の正体は分からなかった。
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