没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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1章・家族の絆

威厳

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 リーリルをつわりが襲ってから、彼女は満足に食事がとれなくなった。

 カイエンが帰ってきて晩食の時になってさえ、ほとんど食事に口を付けられず、温めたヤギのミルクを少しだけ飲んだ程度である。

 ラーツェはトマト料理を好んで調理したが、どうやらリーリルの方はトマトの酸味が特に苦手なようだ。
 もちろん、トマト以外の料理も受け付けないのであるが。

 カイエンはリーリルのつわりを、お腹の子はもうそんなに成長したかと喜んだものの、やはり、リーリルが食事もまともに取れない事を心配した。

 皆が心配する中、リーリルは「もうすぐ安定期なのに、こんな事になるとは思わなかったわ」と力無く笑うのである。

 リーリルの母マーサが酷いつわりに襲われた事がないので、リーリル自身、自分もつわりがほとんど無いのだろうと思っていた。
 しかし、よもや安定期に入る頃合に酷いつわりに悩まされるとは思わなかったのである。

「何とかリーリル様の食べられるものを、命に代えても見つけます」とラーツェが誓うので、リーリルは苦笑して「そんな命に代えてもだなんて」と言う。

「いえ。今のリーリル様は一人の命ではございません。ご自愛下さい」との事であった。

 カイエンはラーツェが居るなら大丈夫だろうと思う。

 そして翌朝、カイエンは家とリーリルの事をラーツェに任せてサルハと共に家を出た。
 今日の仕事は役場の人達とこの町の統治方針を定めることである。

「ラーツェのお陰で気兼ねなく仕事にいける。頼んだよ」

 カイエンが出掛けにそう言ったため、ラーツェは特に張り切っていた。

 これでルーガ様がカイエン様の下へ私を派遣した意味があっというものでしょうと嬉しかったのである。

 ラーツェはさっそくバンドラに買い出しを指示すると、自分は掃除の準備を始めた。

「何で私が……」とバンドラが不満を垂れるが、今のラーツェには聞こえないのである。

 堅物のラーツェにしては珍しくニヤニヤと笑みを浮かべるし、歩けば背中に翼が生えたかのような足取りだ。
 こんな姿を誰かに見られたら恥ずかしいだろうなんて思いもする。

 軽やかにスキップを踏みながら廊下を歩き、上機嫌で掃除を始めた。

 鼻歌も歌ってしまう。
 この屋敷はルーガの屋敷と違い、住み込みの人や他の使用人が居ないため、こんな上機嫌な態度を取ることだって出来るのである。
 もしもルーガの使用人が見たら、いつも堅物のラーツェがこんな態度を取るのかと驚愕するであろう。

 他人には絶対に見せられないなとクスクス笑いながら二階へ上がるが、二階にはリーリルとサニヤが居るので、その笑みを消していつもの顔を作った。

 そうして各部屋を掃除して回る。
 その際にリーリルとサニヤの様子も窺っておいた。

 リーリルはベッドに上体を起こし、本を読んでいて、掃除しているラーツェに気付くと「いつもお疲れさま」と笑う。
 次にラーツェがサニヤの部屋へ様子を窺うと、「まだ汚れてないからこの部屋は良いよ」と相変わらず唇をツンとして言うのであった。

 二人とも異常無さそうだ。

 ラーツェは安心して、バンドラが戻るまで掃除に従事した。
 それからバンドラが帰ってきたのは昼の少し前で、酒でも飲んだのか鼻先を赤くしていた。

 本当にだらしない男だと思いながら買い出しの感謝をし、リーリルの口に合う料理を見つけようとキッチンへ立つ。

 しかし、この料理には予想外の障害があった。
 と、いうのも、ほろ酔いで上機嫌なバンドラがキッチンの入り口に立ってずっと話し掛けてきたのである。

「町中でサニヤ様そっくりな娘っ子を見ましてな。あの肌色の子が他にもおわすとは思いませんでしたぞ」

 いい加減うるさいので、ラーツェの機嫌はどんどん損ねられていく。
 せっかく機嫌よく仕事をしてるのに、本当にこの男は邪魔くさいと思うのであった。

 あまりにもバンドラがうるさいので、ひとまず、一口程度の料理を大量に作って、リーリルに味見程度をして貰うことにする。

 二階へ上がってリーリルを呼び、支えながらダイニングへ。

 リーリルは「そんなに気を遣わなくてもまだ大丈夫ですよ」と笑うが、ラーツェは転ぶと大変ですのでと譲らない。

 やはり、騎士として仕えている人の奥方が、ましてや妊婦を一人で歩かせる事など出来ないのである。

 こうしてダイニングへ連れていくと、リーリルはその大量の料理に目を輝かせた。
 普段はカイエンの妻らしくあろうと落ち着いた慎ましい態度をとるリーリルであるが、この時ばかりは十六の少女らしい無邪気な笑みを浮かべたのである。

「全部私の?」と聞くので、ラーツェは「もちろんで御座います」と答える。

「色んな料理を一度に食べるのが夢だったの! ありがとう、ラーツェ」

 喜んでいるリーリルを見るとラーツェは胸が痛んだ。
 その夢は確かに叶ったともいえるが、つわりの酷いリーリルが味わえるものなんて殆ど無いだろう。

 いいや、それどころか、席についたリーリルはその料理の匂いでさえ辛そうにしていた。

「あの。リーリル様。無理をなさらず、一品一品お持ちしますが……」

 匂いでつわりが来てしまうなら、一品一品を持ってくるのが良いだろう。
 しかし、リーリルは「ラーツェの作ってくれた料理ですもの。匂いが嫌なわけないわ」と気丈に振る舞った。

「それより、サニヤを呼んできてくれる? あの子にも見せてあげたいわ」
「かしこまりました」 
 
 明らかな話題の転換であったが、リーリルの指示にラーツェはサニヤを呼びに行く。

 リーリルが料理に気を遣ってくれているのだから、うだうだ言うのはやめようと思うのだ。

 それに、サニヤと一緒に居た方がリーリルの食事も少しは楽しくなるのかも知れないとラーツェは思った。

「失礼します」

 サニヤの部屋をノックする。

 いつもツンとして不機嫌そうなサニヤも、あの料理を見たら、もしかしたら笑顔になるかも知れないなんて考えてふふふと笑ってしまうのであるが、しかしサニヤからの返事が無い。

 聞こえていないのであろうか、「サニヤ様。入ってもよろしいでしょうか?」ともう一度ノックする。

 ……またしても返事は無い。
 
 寝てるのだろうかと思い、そっと扉を開けて中を覗くと誰も居なかった。

 トイレだろうかと思い、屋敷の離れにあるトイレへ向かう。
 しかし、離れのトイレにも居なかった。

 入れ違いにでもなったのかと考え、リビングやダイニングへ行く。

 しかし、サニヤは居ない。

 ダイニングに居たリーリルが「どうしたの? サニヤは?」と聞くので「すぐ連れてきますのでもう少々お待ちください」と答えた。

「早くしてくだされ。私はお腹が空いてますのでね」と、バンドラが呑気に言うので、ラーツェはムカムカとする。

 しかし、今はバンドラに関わっている暇は無い。
 サニヤを見付けねば。

 ラーツェはダイニングを離れて空き部屋を次々と開けていく。

 元々大きな屋敷なのに住んでいる人が殆ど居ないので、空き部屋は大量にあるのだ。

 大丈夫。
 きっとどこかに居るはず。
 あのくらいの子供は好奇心旺盛だから、きっと空き部屋を探検してるだけだ。

 自分にそう言い聞かせながらどんどん部屋を開けていく。

 しかし、全然見つからずない。
 心臓はドンドンと高鳴り、毛穴は開いて冷たい汗が流れた。

 とうとう最後の部屋となる。
 ラーツェは、神に祈って深呼吸した。

 大丈夫。きっと居る。

 扉を開けたそこには、誰も居なかった。

 心臓が跳ね上がった。

 汗が滝のように流れる。

「落ち着け……落ち着け……」 

 ラーツェは必死に自分を落ち着けようと独り言を呟いた。

 とにかくどうにかせねば。
 リーリルに報告するかと考えたが、身重なリーリルに余計な心労をかけるのかと思う。
 しかし、これは余計な心労では無い。
 もしかしたら、何者かに侵入されて誘拐されたのでは無いだろうか?
 いや、誘拐でなくても、治安の悪い外へ出たかも知れない時点で危うい。

「言わねばならないか」

 リーリルに言うしか無かった。
 それ以外にやれる事は無いのだ。

 ラーツェは覚悟を決めてダイニングへ戻る。
 
「ラーツェ。あれ? サニヤは――」

 ラーツェの顔を見たリーリルは何かを察したのか、言葉を途中で切った。

「申し訳御座いません。サニヤ様が……その……見つかりませんでした」

 リーリルが一瞬、動揺したように体をびくりと震わせる。
 しかし、すぐに気分を落ち着けるように目を閉じた。

 すると、口を開けたのはバンドラだ。

「貴様! この家の事を任されたのに、お嬢様を見失っただと!?」

 この男は、本当はサニヤの事など気にも留めてないのに、他人の評価を下げれば相対的に自分の評価が上がると知っているのだ。
 
 ラーツェはバンドラの態度に歯噛みした。
 貴様は何もしてない癖に……! と。
 しかし、家の事を任されたのにサニヤを見失ったのは確かだから、反論などとても出来ず、頭を俯かせる事しかできなかった。

「まったく。信じられん愚かものです。ね? リーリル様」
「バンドラ。少し黙りなさい」

 リーリルの声音は十六歳の娘が出せる声では無かった。
 しかし、リーリルは母親だ。
 サニヤの母親だ。
 母の威厳とも言うべき、尊厳のある声だったのである。

 その声にバンドラは圧倒され、黙りこくった。

「誰かに攫われたの?」
「いえ。分かりません。窓が割れた部屋などはありませんでした」
「戸締まりは?」
「問題ありませんでした」

 その言葉を聞いたリーリルはふうっと溜息を吐き、ゆっくりと目を開ける。

「じゃあ、まだ無事な可能性もあるのね」

 おもむろに立ち上がると、ダイニングを出て行こうとするので、ラーツェは驚き「どこへ行くのですか」と聞いた。

「決まってます。あの人の所です。ラーツェも来るんでしょう?」
「しかし、リーリル様はお子様を宿しております。出歩かれては危険がございましょう」
「私が屋敷に居ては、ラーツェも屋敷を出られないでしょ」

 確かにそうだ。
 ラーツェはリーリルの護衛もあるので、カイエンに報告へ行こうにもリーリルが屋敷に居る限り、出歩くのは難しい話なのであった。

 反論が出来ないラーツェが黙っていると、リーリルは追い打ちを掛けるごとく「それに」と続ける。

「私の母は私を身籠もりながら家事をしてたのよ。なのに、娘が居なくなってゆっくり休むなんて情けない事、出来ないわ。来なさい」

 もはや有無を言わさぬ声である。
 母は強しと言うべきか。
 なんにせよ、ラーツェはリーリルの後について、カイエンの元へと向かった。
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