没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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3章・明日への一歩

喪失

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 ある日の事、サニヤはいつも通り裏庭でルーガと打ち込みをしていた。

 バシンバシンと激しい音が鳴り渡る。

 まだ十歳にも関わらず、ルーガの姿勢を軽く崩す程の一撃を入れているのだ。

 そして、ルーガが隙を見せれば即座にその部位を叩いてやろうと、猛獣の如き眼で虎視眈々と狙うのである。
 幾ら訓練用の木剣とは言え、堅いオークで作られているのだから当たれば骨折は確実であろう。

 もちろんルーガの方が技量的には上だ。
 しかし、気迫や敵意、旺盛な攻撃姿勢はルーガのそれを上回りもしよう。
 最近ではルーガは手加減しているものの、額に冷や汗が垂れてくる事もあった。
 ただ十歳の少女に、あの猛将ルーガがである。

 そして、自然とルーガの口の端に笑みが浮かびもした。
 やはり俺の見立ては間違ってなかった! サニヤは良い将となる!

 そう思えば自然と力も入るもので「もっと打ち込んで来い!」と打ち返せば、サニヤはその木剣を弾いてカウンターの一撃をルーガの腹へ入れようとした。

 ルーガがその一撃を何とか受けると、サニヤは距離を取る。

 良いタイミングの一撃だった。
 当たっていれば大怪我は確実の一撃を、寸での所でルーガは防げたと考える。

 一方サニヤは一撃が入らなくて舌打した。
 
 十歳の少女が、歴然の戦士を追いつめたのであるから十分だろうに、サニヤは不満足である。

 追いつめた? 良いところまでいった?
 そんな事はサニヤにとって何の慰めにもならない。
 あるのは、敵を倒せなかったと言う一つの事実のみである。

 次こそはあの|ルーガ(へなちょこ)に一撃与えてぶっ倒してやると息巻き、サニヤはルーガへ襲い掛かった。

 またしても激しい打ち込みが始まる。
 大の大人でもへばってしまうようなルーガのスパルタ稽古は午前一杯まで続くのだ。

 こんな日々が毎日続いた。
 ルーガは内政が分からないので、基本的な内務を配下の騎士に任せっきりにしていたため、サニヤへ付きっきりの稽古をする時間があったのである。

 そして、それはサニヤを鍛えるのに適していたと言えよう。
 しかし恐るべきはそのルーガの稽古についていけるサニヤであろうか。
 現にルーガの息子のガラナイは、この稽古について来れなかった人間の一人である。
 
 ガラナイ曰く、親父の稽古は人がやるものじゃ無い。程のものなのだ。
 それでもサニヤがルーガの稽古へついて行けたのも、ひとえにリーリルやザインとラジートを思えばこそである。
 カイエンが帰ってくるまで、私が絶対に家族を守るんだと言う強い意志の賜物であった。

 だがサニヤはまだ知らなかった。
 時として悪意というものは急に、唐突にやって来て大切な物を奪い去っていくのだと。

 その日は本当に唐突であった。
 いつもの朝。
 いつも通りサニヤは着替えて、朝食をササッと食べると、木剣を持ち、庭へ出た。

 そして、ルーガとの稽古が始まる。

 いつも通りの変わらぬ日々、サニヤの日課。
 しかし、その時は唐突に来た。
 サニヤがルーガと稽古に励んでいると、窓からザインとラジートが顔を出して「お姉様!」と叫んだ。
 いつもおっとりしてる双子が大声を出すなど珍しく、サニヤとルーガは互いに顔を見合わせて稽古を切り上げたのである。

 屋敷へ戻ると、ザインとラジートは泣きそうな顔で「ライが! ライがぁ!」と言うのである。

 ライに何かあったのだろうか?
 嫌な予感がして、サニヤはザインとラジートに「案内して」と言った。

 二人が案内したのは茶室だ。

 白い何かがドアの所に倒れている。

 正直、サニヤは近づきたくなかった。
 近付けば嫌な予感が的中してしまう。

「……ライ」

 サニヤはその白い何かに近付くと、やはり、それがライだと……見てしまった。

「ねえ、お姉様。ライは目を覚ますよね?」
「ライどうしちゃったの? なんで動かないのぉ!」 

 ザインとラジートは泣いている。
 だが、サニヤはその問いに答える事が出来ない。

 ライは死んでいる。
 扉の所でぐったりとして、舌をだらりと口から投げ出している。

 部屋の中ではリーリルが呆然とした様子でライの前に立っていた。

 一体何があったのか。

 それはほんの少し前の事である。
 メイドが茶請けの菓子を持ってきたのだ。
 いつもの、干し果物を使った甘菓子である。

 コンコンとノックし、「お茶請けをお持ちしました」と、いつも通りに。

 しかし、その日はいつもと違ってライが吠えたのである。

 老いてからは吠えることも走ることもしなくなったライがドアに向かって歯茎を剥き出しに吠え、そればかりかドアを前脚でガリガリと引っ掻くのだ。

 リーリルがライを抱き締めて「ダメよ。どうしたの? 暴れないで」と抑え、ターミルがドアを開けた。

 その瞬間、ライが体を思いっきり身をよじり、リーリルの腕から抜け出すとドアの前に立つメイドへ突進したのである。

 そして、茶請けの乗った皿を持つ手を引っ掻き、菓子がバラバラと落ちた。

 ライは即座に落ちた菓子を喰らう。

 今まで菓子に興味など示さなかったライが一心不乱に菓子を食べるのだ。

 そんなライの態度をリーリルが叱ろうとした時、ライはビクンと体を痙攣させて倒れるとそのまま絶命したのである。

 そして、メイドはいつの間にか姿を消していたと言う。

「もしや、毒か」

 ターミルやリーリルからその話を聞いたルーガが呟いた。

 その瞬間、サニヤは疾風となって部屋を出る。

 サニヤは全てを理解したのだ。

 どこかからリーリルの情報が王都へと漏れ、リーリルを毒殺しようとしたのだろう。
 そして、嗅覚の鋭いライは毒に気付き、そして、リーリルがいつも食べているお菓子を自分が食べることでリーリルを守ったのだ。

 犯人はルーガでは無いだろう。
 なにせ茶請けのお菓子に毒を仕込めばターミルにまで被害が及ぶのだ。
 つまりは外部犯である王都の連中に違いない!
 
 そして、案の定、屋敷の二階を走るサニヤは、塀から外へ出ようとしている女を見つけた。
 チラリと見える右腕にはライの引っ掻き傷と思わしき傷もある。

 サニヤは木剣を振り、窓ガラスを叩き割ると飛び降りた。

 衝撃を吸収しながら着地する。
 ガラスで手足を軽く切ったが、そんな事はどうでも良い。
 今は愛する母の命を狙い、大切なライを殺した許されざる者を逃がさない事が大事なのだ。

「ガアァ!」と雄叫びを上げて、サニヤは駆けた。

 塀を越えようとしていた女は、そのサニヤの気迫にギョッとした顔で硬直する。

 硬直している女へ、サニヤは跳躍して木剣を振るった。

 対して女が懐から短剣を取り出して木剣を受ける。

 オークの木剣が抉れてささくれだつも、サニヤは女の足を掴んで塀から引きずり下ろした。

 裏庭の芝に揉み合いながら落ちる。

 サニヤは女の上を取り、木剣を振り下ろすが、女はサニヤの腹を蹴り上げてどかせると立ち上がった。

 サニヤは腹部に鈍い痛みを感じるものの、痛み以上に敵意を持って女と対峙する。

 その女をよくよく見ると、やはり見たことが無いメイドだ。
 そもそも塀から逃げようとしている時点で、ルーガのメイドでは無いであろう事は想像に難くない。
 そして、臨戦態勢のその構えは、メイドが見せるようなものではない。

 ナイフを持った右手を前に出し、左手は致命傷を受けないように心臓や喉を守れるよう鳩尾の前。
 明らか堂に入っている構えだ。

 だが、この女がメイドだろうが何であろうがサニヤにはどうでも良い。
 憤怒、悲哀、無念の情が殺意となって、サニヤは女へ襲い掛かった。

 すると、女も懐から二振り目のナイフを取り出してサニヤに応戦する。

 サニヤが木剣を振るった。

 女の肩から打ちすえる袈裟斬りだ。
 女がそれを片方のナイフで受けると、もう片方のナイフでサニヤを突こうとする。

 しかし、サニヤは木剣は素早く返し、今度は逆袈裟斬りで攻撃。

 女が突こうとしたナイフで木剣を受け止めると、サニヤが今度は横一線に鳩尾狙い。
 それも受け止められると唐竹割りに縦一閃。

 サニヤの激しい連撃であった。

 よもやこの少女がこのような攻撃を行えるなどと、この女は思いもしなかったであろう。
 いくら木剣とは言え、リーチの短いナイフでは不利であった。
 そして、サニヤが有利を取っていた。

 しかし所詮は木剣。
 刃物と戦う事も本気で撲殺する事も考えられて作られては居ない。

 バキっと鋭い音をたてて、とうとうへし折れてしまった。

 全力でナイフに打ち付けられたのだから、抉れに抉れて脆くなった箇所が、ついには折れてしまったのである。

 武器を失ったサニヤが距離を取ろうとした瞬間、女がサニヤの腹を蹴り抜けた。

 ゴロゴロと転がり、屋敷の壁にぶつかる。

 壁にぶつかった時に後頭部をぶつけ、視界がぐらついた。
 太ももを見れば、転がった拍子に散らばる窓ガラスで肉を切ってしまい、だくだくと血が流れている。

 サニヤはそんな事を気にも留めず、ふらつきながらも立ち上がった。
 敵をにらみつけ、なお盛んな殺意を抱いている。

 あるいはサニヤのその闘争心がいけなかった。
 なぜならば、サニヤがどうあっても逃がす気は無いのだと女に察させてしまったのである。

 地の果てまで追ってこようという執念を見せられてしまっては、もう殺す以外あるまい。
 ゆえに女は逃げる前にサニヤを殺そうと思うのだ。
 
 サニヤは素手で構えた。
 武器の多寡なぞサニヤに関係ない。
 剣が無ければ喉笛に食らい付いて引き裂いてやるだけなのだ。

 さはいえ、武器が無ければ幾ら何でも勝ち目はあるまい。
 何せサニヤは素手術を学んで居ないのだ。
 ルーガが、サニヤは少女であるから、同等に鍛えられた技術の男と素手の戦いをしても無意味だと考えて教えなかったのである。

 ゆえに、今のサニヤは逃げるべきなのだ。
 そして、武器を手にしてルーガと共に、この憎むべき女を殺すべきなのだ。

 だが、ライを殺した女に背を向ける事など出来ない。
 サニヤは自分の命と引き替えにしても、この女を殺してやるのだと考えていた。

 女がスッスッと滑らかに距離を詰めてくる。
 いわゆるすり足というもので、暗殺者が好んで行う歩法だと、サニヤはルーガに聞いたことがあった。

 そして、女が目前まで来る。
 二振りのナイフを振り、サニヤを殺そうとした正にその時、女の上から何かが『落ちてきた』。

 ドカッと女にぶつかったそれは地面へ倒れ、「いててて」と言う。

 それはガラナイだ。

 なぜかガラナイが上から落ちてきて、女にぶつかったのである。

 これにはサニヤも意味が分からず呆然とした。
 そしてすぐ、ハッと「なにやってるの!」と怒鳴る。

 意味不明にも落ちてくるわ、敵を前に腰を抑えて倒れているわ。
 敵を前にふざけた事をしている場合では無いのである。
 全くもって状況を理解しているのであろうか。

 しかし、敵である女は全く動かずに居た。

 サニヤはなぜ女が襲い来ないのか不思議に思っていると、女がドサリと前のめりに倒れて覆いかぶさって来たのである。

 一瞬、襲われたかと思い、ヤられると考えたのであるが、しかし女はサニヤの上で動くことはなかった。

 訳が分からず、ひとまず女をどかそうとすると、その女の背に何かが刺さっている。

 剣?

 手で触れた感じでは、剣の柄のようだと感じた。
 柄頭、グリップ、鍔。
 握れ慣れた形である。

 肩口から女の背を見れば、剣が深々と女の背に刺さっているのだ。

 もしかしてと思ったサニヤは、女の顔を見る。
 白目を向いて、顎が力無く垂れ下がっていた。

 死んでる!

 つい先程まで殺そうとしていた相手なのに、いざその死を目の当たりにするとサニヤは驚愕し、怯えが走る。

 人が死ぬなんて事、見慣れていないサニヤは「ひ! ひ!」とジタバタして、必死に死体をどかせようとするが上手くいかない。

 すると、よろよろと立ち上がったガラナイが女の死体をどかすので、サニヤは死体からそのまま後退った。

「はは……。初めて殺しちまった」

 ガラナイが腰をさすりながら笑い、「立てる? 怪我を治療しなきゃ」とサニヤへ手を差し伸べる。

 サニヤは震える手でガラナイの手を握り返し、立ち上がった。

 恐怖でガクガクと足が震える。
 
 女の死体を力無く見つめていると、その白目を剥き出しに舌をダラリと下げる顔がライを連想させた。
 そしてライが死んだことを思い出し、涙が出てきた。

「ガラナイ……。ライが……ライが……」
「分かってる。何も言うな」

 サニヤは、ガラナイに肩を抱き寄せられて屋敷へ連れて行かれる。

 唇が震えて、胸の奥に大きな喪失感が湧き上がっていた。
 
 ライは死んだ。
 もう帰って来ない。

 命が消えると言う事を、サニヤは今日、初めて本当に理解した。

 あの敵の女が死んだ時もそうだ。
 命とは、かくも簡単に、そして唐突に消えてしまう。
 何の予兆も無く、唐突にだ。

 そして、屋敷に戻ったサニヤはメイドに手当てを受け、部屋のベッドに寝かされると、そのベッドの中で、ただただむせび泣き続けた。
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