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8章・変わり行く時代
権力
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婚約している。
ラジートは大変な衝撃を受けた。
ずっとヘデンに会いたいと思っていたのに……。
だが、愛の告白は手紙の上では一度もした事が無かった。
直接会って話したかったからだ。
結果、姉サニヤと同じ愚を犯してしまった。
ラジートは拳を握り、その手を震わせながら相手の名を聞く。
相手は貴族の一人、子爵のローマットという。
王城に勤める貴族で、妾としてヘデンを欲しいと言ったのだ。
「ヘデンはそれで良いのか」
相手はヘデンを妾として結婚するのだ。
彼はヘデンを愛してくれるだろうか?
それなら良いが、無料のメイド扱いしないだろうか?
ただ性欲を満たすためじゃあないのか?
ヘデンの若さだけに価値を置いているんじゃないのか。
そんな思いでラジートがヘデンを見ると、ヘデンは悲しそうな顔で、そして小声で職員に聞こえないよう「孤児院の一つくらいどうにでもできるって……」と言う。
結局、権力で従わせてるだけじゃないか。
ラジートに激しい怒りが沸いた。
がしかし、彼は怒りに震える拳をほどき、優しく微笑んだ。
「そうか、それじゃあ仕方ないな。おめでとうヘデン」
その言葉にヘデンは面食らった。
ラジートだったらきっと助けてくれると思ったのに……力になってくれると思っていたのに。
なぜ。
どうして。
ヘデンは絶望に落ちた。
しかし、そんな彼女の絶望を見て見ぬ振りをするかのように、仕方がないとラジートは心底思う。
何かを守るには力が必要だ。
相手には権力があった。それに速さも。
ラジートは思う。
俺にローマット以上の権力は無いし、それに遅すぎた。
「それじゃ」
「ラジート……。これからも訪ねてくれる?」
ラジートが別れようとすると、ヘデンは不安げに聞いてきた。
もしかして、他の男の所へ行くから見捨てるつもりなのではないかと不安に思うのだ。
だが、ラジートは微笑んだまま、何度だって来るよ、当たり前だろ。と言って孤児院を出た。
ラジートはとぼとぼと俯きながら、暗い通りを歩く。
仕方ないさ……仕方ない……。
仕方ないさ。この世は弱肉強食。
仕方ない。弱ければ奪われるだけだ。
ラジートは仕方ない。仕方ないと思う。
「俺の方が強いから、ヘデンを奪っても仕方ないよな……」
そう独りごちると、我が屋敷へと帰った。
出迎えに来たメイドがラジートの帰宅に喜び、皆を呼んだ。
もっとも、同じメイドでもキネットなどは、帰宅が遅い、両親を放っておくなんて! と怒っていたが。
そんな彼女へ笑いながら適当な謝罪をして、ラジートはリビングに居たカイエンとリーリル、それからザインと会う。
彼らはとても喜んでラジートを迎えた。
リーリルが、どうしてこんなに遅かったの? と笑って聞くと、ラジートはちょっと寄り道をしてたとお茶を濁す。
しかし、カイエンはラジートの耳に口を寄せて「手紙で言ってた相手と会ってたのだろう」と全てを分かっていた。
まったく聡明な父を持つと子は苦労するものだ。
逢い引き一つでもバレてしまう。
しかし、ラジートも声を潜めて「それよりローマット子爵の事を後で教えて下さい」と言った。
「ローマット子爵の?」
カイエンはラジートの口から出たまさかの名前に眉をひそめる。
しかし、カイエンはラジートにはラジートなりの事情があるのだろうと思ったので、「分かった」と頷いた。
もはやラジートは子供ではなく、親が知る事の無い彼なりの色々があるのだ。
それをカイエンは尊重するので、後でローマット子爵の話をする約束をした。
その約束を聞いたラジートは安心し、ひとまず、外行きの服を室内着に着替えに、かつての自分の部屋へと向かう。
それにザインが付いてきて、ラジートが着替えている間に話をした。
ベッドに座ったザインはローリエット騎士団ではどうだったかを聞く。
反対にラジートは、カイエンへの師事がどうだったかとザインに聞いた。
この五年間、互いに手紙を送ることもあったが、基本的には連絡を取っていなかったのである。
仲が悪かったわけではない。
ただ、何となくこう過ごしているだろうという想像ができてしまうため、近況報告を後回しにしがちだったのだ。
それに、連絡を寄越さないくらいで双子の絆が消えるわけも無かった。
しかし、せっかく話す機会があるのだから、ラジートはローリエット騎士団の話をし、その話を聞いたザインはげんなりとする。
争い争い、また争い。
ああ全く嫌になる。
ザインは戦いなんてやりたくないと言った。
「ザインはまだ戦争に行ってないのか?」
「近いうちにやるとお父様がね……」
ザインはいつの間にか掛けていた眼鏡をクイッと上げる。
本の読みすぎで少し視力が悪くなったのだ。
普段のザインは、日中にカイエンとの訓練や軍略の勉強ばかり。
趣味の本は夜にしか読めないせいか、よく見れば不健康そうなクマまで目に出来ていた。
「しかし、良い体になったね。ラジート」
ラジートの体はかなり引き締まっている。
なんなら親指一本で体を支えられる程だ。
「ザインも筋肉が付いたじゃないか。服の上からでも分かる」
カイエンにしごかれたお陰でザインも中々の筋肉だ。
ゆったりとした室内着の袖から覗く腕には筋肉による凹凸が見られた。
また、かつては白く丸まるとしていた指も、今では日に焼けた肌と筋肉で節くれ立っている。
「しかし、父上はザインをそこまで鍛えて大丈夫なのか?」
よほどしごいたように見えるが、手紙によるとカイエンは体調が五年間ずっと優れないらしい。
サリオンに射られた傷は現代の医療では完治出来ず、そこから毒が侵入して時々高熱に寝込む事もあったのだ。
それに、歩くのにもリーリルの支えが必要なのに……剣を振るえるのだろうか。
ザインは悲しそうに笑って、カイエンは自分の為に剣を振るってくれるのだと言った。
基本的にはキネットが稽古を付けて、カイエンは横から指示をするだけだが、調子の良いときには自ら剣を取る。
怪我の痛みを押して剣を振るうのである。
痛みに冷や汗を垂らすが、辛い顔も苦しい顔も見せないのだ。
だが、カイエンがそれほど頑張っているのに、ザインは正直、剣稽古が嫌で嫌で仕方ない。
ああ痛い。苦しい。
お父様もそんなに辛いなら稽古をやめてくれたら良いのに……と思ってしまうのだ。
ザインはそんな自分が嫌で嫌で仕方ない。
もはや両親の息子である権利など何一つ無いと思うのだ。
そんなザインにラジートは「父上もそんな事は知っていただろ」と言った。
父はザインがかように争いが嫌いな事を知った上でやっているのだ。
「でもさ、僕ぁお父様の跡を継ぐことになってるんでしょ? このままじゃ継げないし、継ぎたくないよ」
「別に継がなければ良いじゃん」
ラジートが乱れた自身の髪の毛をグイッと後ろへ送りながら言った意外な発言に、ザインは目を丸くした。
「何を驚くんだ。考えても見ろ、父上は先代国王と祖父(じい)様に楯突いて左遷されてたらしいじゃあないか。そんな父上の跡を継がなかったとして、父上や母上が怒るか?」
言われてみればそうかも知れない。
ニヤリと笑うラジートを見たザインは、「全く変わったものだなぁ」と言うのだ。
五年の間にラジートはすっかり変わった。
雄々しく、勇士らしく、自信と覇気に満ちている。
「なんだい。じゃあお前も変われば良いじゃあないか」
ラジートはザインの髪の毛を無理やり後ろへ流す。
するとそこには眼鏡を掛けた精悍な顔付きの青年が居るでは無いか。
しかし、その姿を似合わないと、ザインは髪を降ろした。
「いくら強気な見た目にしたって、僕はお前と違って中身が伴わない。見てくれだけ強くしたって意味がない」
着替え終わったラジートは良いじゃないかと言って、ザインを連れてダイニングへと向かった。
ダイニングにて、家族でラジートを迎える食事会を催すのだ。
そのためにダイニングへ向かう。
ザインはダイニングへ向かいながらラジートへ、少し野蛮になったのでは無いかと文句を良うし、ラジートはお前が気弱すぎるのだと言う。
そのような軽い口論のままダイニングへ入ったので、食事の仕度をしていたメイド達はいたく驚いた。
あの仲の良かった二人が口論などと……。
だが、別に喧嘩では無い。
ただ、一心同体だった二人が別々の道へ進んだ証拠である。
しかしこの二人の口論は中々止まらず、カイエンとリーリルが来ても続いたのだ。
さすがに食事会が始まると口論は終ったが。
もちろん口論が終われば、ザインとラジートは仲が良いものだ。
久しぶりに食べる料理の味に舌鼓を打ち、「見ろよザイン。ニンジンを食べられるようになったぜ」と、昔は二人でどう食べないものか知恵を絞った野菜を食べて見せた。
「偉そうにしないでくれよラジート。お前が食べられるようになったということは僕も食べられるって事だ」
ザインもパクリと食べて見せる。
なんだい、俺は地方料理でとても良いニンジン料理を食べたから食べられるようになったのに、ザインは普通に食べられるようになったのか。
ラジートは少し残念である。
ラジートはローリエット騎士団としてマルダーク国中を行き来したので、各地の料理に精通し、その経験で色んなものを食べれるようになったのに。
それにも関わらずザインも食べられるようになっていたとは。
しかし、ザインもザインとしてラジートとは違う経験をしていた。
それは、姉サニヤの娘リシーをあやしていた事だ。
「子供をしつけるには大人が手本になるのが一番だからね」
統計的に野菜や魚が苦手な人は多い。
それは野菜や魚が食卓に出されない家庭が多いからだと言われている。
しかし、子供であっても野菜や魚が好きな人は居るのだ。
そのような人達は大体、親が野菜や魚を好む傾向にあると言う。
ザインは自然とそのような答えを導いていたため、リシーが好き嫌いしないためにも、ザインが好き嫌いしないようにする必要があると思うのだ。
ちなみに、川魚が良く取れる開拓村で育ったサニヤは魚が大好きだが、魚が殆ど取れない村で生まれ育ったザインとラジートはそもそも魚が食卓に並ぶことが稀だったために魚料理は好きでは無かったりする。
「あら、それじゃあ何だか私達がニンジンを食べてないから、あなたたちもニンジンが嫌いになったように聞こえるわ」
二人の話を聞いていたリーリルが意地悪に笑ったので、ザインとラジートはばつの悪い顔をした。
リーリルは野菜や魚を好んで食べた。
今も食卓には野菜が多く出ている。
もっとも、王都付近に川が無いので、魚は食卓に並んでいないし、並ぶことも稀だが。
それでも、なぜザインとラジートが野菜を嫌ったのか。
ザインとラジートが幼児期に過ごしたルーガの屋敷では、主に肉がメインで出されていたのである。
ルーガもガラナイも、ルーガの妻ターミルでさえ肉を好んだ。
だから、ザインとラジートは野菜や魚を食べ慣れていなかったので苦手なのだ。
だが、これからは大体何でも食べられるだろう。
二人ともいい大人になっていっているのだから。
現に今までは食べるのを渋っていた野菜の数々を無意識のうちに頬張っていたのだ。
そのように野菜を食べていたラジートは、ちょうどリシーの話題が出たので、彼女がどのような子か気になった。
手紙で、サニヤの娘はリシーという情報くらいしか無かったので、ラジートは彼女の事を何も知らない。
ザインいわく、とても元気、活発、そして良い子だとの事だ。
「最近は可愛いイタズラを覚えてきたけどね」
段々といたずらっ子になってきているらしい。
例えばザインが離席した隙に本を背中で隠したり、ザインが訪れた際に机の下へ隠れて居留守をするのだ。
「馬の尻尾に火を付けないだけ、まだまだマシね」
リーリルかクスクス笑って言うと、カイエンもハハハと笑った。
ザインとラジートは、馬の尻尾に火を付けるだなんてそのような事をする人が居るのかと驚く。
しかし、そう、馬の尻尾に火を付けるような悪ガキとはサニヤの事だ。
もしもこの場にサニヤが居たら、自身の忘れたい過去を暴かれて怒っていた事だろう。
と、するも、この場にサニヤは居ない。
本人が居ないのに人の過去を暴露するのも良くない。
だから、「その話は本人が居たらね」と切り上げた。
サニヤに手を焼かされたちょっとした仕返しと見れば、このくらいの事を言う資格くらい、リーリルにはあるだろう。
「それにしても……サニヤ達も呼べば良かったわね。そしたらリシーちゃんも来るでしょう?
ラジートにもリシーに会って欲しいわ。
とても可愛いのよ。二歳でね、小さい足で愛らしく歩くのよ。昔のサニヤみたいに」
「食事の後にでも向かうよ母上。姉上にそんな時期があったなんて想像出来ないけど、リシーちゃんを見て想像出来るなら会ってみたいものだね」
そのような会話をしながら皆、笑う。
和やかな空気。
しかし、ラジートは家族の和やかな食事会のさなか、心の中で恐ろしい計画を立てていた。
――他人から婚約者を奪う。
それはきっと褒められた行為では無いことをラジートは分かっていた。
しかし、権力を笠に弱い女を脅すような愚か者に、なぜ自分が媚びへつらわねばならぬ。
なぜ自分の宝物を差し出さねばならぬ。
俺には父上が居る。
だが、父上の鶴の一声で孤児院を守るような真似はしない。
それは俺の力では無く父上の力だからだ。
だから、二人の力は俺の人脈の力として使わせて貰おう。
待ってろよローマット。権力をむやみに振りかざす対価を払わせてやる。
ラジートは談笑しながら、どす黒い心を渦巻かせていた。
ラジートは大変な衝撃を受けた。
ずっとヘデンに会いたいと思っていたのに……。
だが、愛の告白は手紙の上では一度もした事が無かった。
直接会って話したかったからだ。
結果、姉サニヤと同じ愚を犯してしまった。
ラジートは拳を握り、その手を震わせながら相手の名を聞く。
相手は貴族の一人、子爵のローマットという。
王城に勤める貴族で、妾としてヘデンを欲しいと言ったのだ。
「ヘデンはそれで良いのか」
相手はヘデンを妾として結婚するのだ。
彼はヘデンを愛してくれるだろうか?
それなら良いが、無料のメイド扱いしないだろうか?
ただ性欲を満たすためじゃあないのか?
ヘデンの若さだけに価値を置いているんじゃないのか。
そんな思いでラジートがヘデンを見ると、ヘデンは悲しそうな顔で、そして小声で職員に聞こえないよう「孤児院の一つくらいどうにでもできるって……」と言う。
結局、権力で従わせてるだけじゃないか。
ラジートに激しい怒りが沸いた。
がしかし、彼は怒りに震える拳をほどき、優しく微笑んだ。
「そうか、それじゃあ仕方ないな。おめでとうヘデン」
その言葉にヘデンは面食らった。
ラジートだったらきっと助けてくれると思ったのに……力になってくれると思っていたのに。
なぜ。
どうして。
ヘデンは絶望に落ちた。
しかし、そんな彼女の絶望を見て見ぬ振りをするかのように、仕方がないとラジートは心底思う。
何かを守るには力が必要だ。
相手には権力があった。それに速さも。
ラジートは思う。
俺にローマット以上の権力は無いし、それに遅すぎた。
「それじゃ」
「ラジート……。これからも訪ねてくれる?」
ラジートが別れようとすると、ヘデンは不安げに聞いてきた。
もしかして、他の男の所へ行くから見捨てるつもりなのではないかと不安に思うのだ。
だが、ラジートは微笑んだまま、何度だって来るよ、当たり前だろ。と言って孤児院を出た。
ラジートはとぼとぼと俯きながら、暗い通りを歩く。
仕方ないさ……仕方ない……。
仕方ないさ。この世は弱肉強食。
仕方ない。弱ければ奪われるだけだ。
ラジートは仕方ない。仕方ないと思う。
「俺の方が強いから、ヘデンを奪っても仕方ないよな……」
そう独りごちると、我が屋敷へと帰った。
出迎えに来たメイドがラジートの帰宅に喜び、皆を呼んだ。
もっとも、同じメイドでもキネットなどは、帰宅が遅い、両親を放っておくなんて! と怒っていたが。
そんな彼女へ笑いながら適当な謝罪をして、ラジートはリビングに居たカイエンとリーリル、それからザインと会う。
彼らはとても喜んでラジートを迎えた。
リーリルが、どうしてこんなに遅かったの? と笑って聞くと、ラジートはちょっと寄り道をしてたとお茶を濁す。
しかし、カイエンはラジートの耳に口を寄せて「手紙で言ってた相手と会ってたのだろう」と全てを分かっていた。
まったく聡明な父を持つと子は苦労するものだ。
逢い引き一つでもバレてしまう。
しかし、ラジートも声を潜めて「それよりローマット子爵の事を後で教えて下さい」と言った。
「ローマット子爵の?」
カイエンはラジートの口から出たまさかの名前に眉をひそめる。
しかし、カイエンはラジートにはラジートなりの事情があるのだろうと思ったので、「分かった」と頷いた。
もはやラジートは子供ではなく、親が知る事の無い彼なりの色々があるのだ。
それをカイエンは尊重するので、後でローマット子爵の話をする約束をした。
その約束を聞いたラジートは安心し、ひとまず、外行きの服を室内着に着替えに、かつての自分の部屋へと向かう。
それにザインが付いてきて、ラジートが着替えている間に話をした。
ベッドに座ったザインはローリエット騎士団ではどうだったかを聞く。
反対にラジートは、カイエンへの師事がどうだったかとザインに聞いた。
この五年間、互いに手紙を送ることもあったが、基本的には連絡を取っていなかったのである。
仲が悪かったわけではない。
ただ、何となくこう過ごしているだろうという想像ができてしまうため、近況報告を後回しにしがちだったのだ。
それに、連絡を寄越さないくらいで双子の絆が消えるわけも無かった。
しかし、せっかく話す機会があるのだから、ラジートはローリエット騎士団の話をし、その話を聞いたザインはげんなりとする。
争い争い、また争い。
ああ全く嫌になる。
ザインは戦いなんてやりたくないと言った。
「ザインはまだ戦争に行ってないのか?」
「近いうちにやるとお父様がね……」
ザインはいつの間にか掛けていた眼鏡をクイッと上げる。
本の読みすぎで少し視力が悪くなったのだ。
普段のザインは、日中にカイエンとの訓練や軍略の勉強ばかり。
趣味の本は夜にしか読めないせいか、よく見れば不健康そうなクマまで目に出来ていた。
「しかし、良い体になったね。ラジート」
ラジートの体はかなり引き締まっている。
なんなら親指一本で体を支えられる程だ。
「ザインも筋肉が付いたじゃないか。服の上からでも分かる」
カイエンにしごかれたお陰でザインも中々の筋肉だ。
ゆったりとした室内着の袖から覗く腕には筋肉による凹凸が見られた。
また、かつては白く丸まるとしていた指も、今では日に焼けた肌と筋肉で節くれ立っている。
「しかし、父上はザインをそこまで鍛えて大丈夫なのか?」
よほどしごいたように見えるが、手紙によるとカイエンは体調が五年間ずっと優れないらしい。
サリオンに射られた傷は現代の医療では完治出来ず、そこから毒が侵入して時々高熱に寝込む事もあったのだ。
それに、歩くのにもリーリルの支えが必要なのに……剣を振るえるのだろうか。
ザインは悲しそうに笑って、カイエンは自分の為に剣を振るってくれるのだと言った。
基本的にはキネットが稽古を付けて、カイエンは横から指示をするだけだが、調子の良いときには自ら剣を取る。
怪我の痛みを押して剣を振るうのである。
痛みに冷や汗を垂らすが、辛い顔も苦しい顔も見せないのだ。
だが、カイエンがそれほど頑張っているのに、ザインは正直、剣稽古が嫌で嫌で仕方ない。
ああ痛い。苦しい。
お父様もそんなに辛いなら稽古をやめてくれたら良いのに……と思ってしまうのだ。
ザインはそんな自分が嫌で嫌で仕方ない。
もはや両親の息子である権利など何一つ無いと思うのだ。
そんなザインにラジートは「父上もそんな事は知っていただろ」と言った。
父はザインがかように争いが嫌いな事を知った上でやっているのだ。
「でもさ、僕ぁお父様の跡を継ぐことになってるんでしょ? このままじゃ継げないし、継ぎたくないよ」
「別に継がなければ良いじゃん」
ラジートが乱れた自身の髪の毛をグイッと後ろへ送りながら言った意外な発言に、ザインは目を丸くした。
「何を驚くんだ。考えても見ろ、父上は先代国王と祖父(じい)様に楯突いて左遷されてたらしいじゃあないか。そんな父上の跡を継がなかったとして、父上や母上が怒るか?」
言われてみればそうかも知れない。
ニヤリと笑うラジートを見たザインは、「全く変わったものだなぁ」と言うのだ。
五年の間にラジートはすっかり変わった。
雄々しく、勇士らしく、自信と覇気に満ちている。
「なんだい。じゃあお前も変われば良いじゃあないか」
ラジートはザインの髪の毛を無理やり後ろへ流す。
するとそこには眼鏡を掛けた精悍な顔付きの青年が居るでは無いか。
しかし、その姿を似合わないと、ザインは髪を降ろした。
「いくら強気な見た目にしたって、僕はお前と違って中身が伴わない。見てくれだけ強くしたって意味がない」
着替え終わったラジートは良いじゃないかと言って、ザインを連れてダイニングへと向かった。
ダイニングにて、家族でラジートを迎える食事会を催すのだ。
そのためにダイニングへ向かう。
ザインはダイニングへ向かいながらラジートへ、少し野蛮になったのでは無いかと文句を良うし、ラジートはお前が気弱すぎるのだと言う。
そのような軽い口論のままダイニングへ入ったので、食事の仕度をしていたメイド達はいたく驚いた。
あの仲の良かった二人が口論などと……。
だが、別に喧嘩では無い。
ただ、一心同体だった二人が別々の道へ進んだ証拠である。
しかしこの二人の口論は中々止まらず、カイエンとリーリルが来ても続いたのだ。
さすがに食事会が始まると口論は終ったが。
もちろん口論が終われば、ザインとラジートは仲が良いものだ。
久しぶりに食べる料理の味に舌鼓を打ち、「見ろよザイン。ニンジンを食べられるようになったぜ」と、昔は二人でどう食べないものか知恵を絞った野菜を食べて見せた。
「偉そうにしないでくれよラジート。お前が食べられるようになったということは僕も食べられるって事だ」
ザインもパクリと食べて見せる。
なんだい、俺は地方料理でとても良いニンジン料理を食べたから食べられるようになったのに、ザインは普通に食べられるようになったのか。
ラジートは少し残念である。
ラジートはローリエット騎士団としてマルダーク国中を行き来したので、各地の料理に精通し、その経験で色んなものを食べれるようになったのに。
それにも関わらずザインも食べられるようになっていたとは。
しかし、ザインもザインとしてラジートとは違う経験をしていた。
それは、姉サニヤの娘リシーをあやしていた事だ。
「子供をしつけるには大人が手本になるのが一番だからね」
統計的に野菜や魚が苦手な人は多い。
それは野菜や魚が食卓に出されない家庭が多いからだと言われている。
しかし、子供であっても野菜や魚が好きな人は居るのだ。
そのような人達は大体、親が野菜や魚を好む傾向にあると言う。
ザインは自然とそのような答えを導いていたため、リシーが好き嫌いしないためにも、ザインが好き嫌いしないようにする必要があると思うのだ。
ちなみに、川魚が良く取れる開拓村で育ったサニヤは魚が大好きだが、魚が殆ど取れない村で生まれ育ったザインとラジートはそもそも魚が食卓に並ぶことが稀だったために魚料理は好きでは無かったりする。
「あら、それじゃあ何だか私達がニンジンを食べてないから、あなたたちもニンジンが嫌いになったように聞こえるわ」
二人の話を聞いていたリーリルが意地悪に笑ったので、ザインとラジートはばつの悪い顔をした。
リーリルは野菜や魚を好んで食べた。
今も食卓には野菜が多く出ている。
もっとも、王都付近に川が無いので、魚は食卓に並んでいないし、並ぶことも稀だが。
それでも、なぜザインとラジートが野菜を嫌ったのか。
ザインとラジートが幼児期に過ごしたルーガの屋敷では、主に肉がメインで出されていたのである。
ルーガもガラナイも、ルーガの妻ターミルでさえ肉を好んだ。
だから、ザインとラジートは野菜や魚を食べ慣れていなかったので苦手なのだ。
だが、これからは大体何でも食べられるだろう。
二人ともいい大人になっていっているのだから。
現に今までは食べるのを渋っていた野菜の数々を無意識のうちに頬張っていたのだ。
そのように野菜を食べていたラジートは、ちょうどリシーの話題が出たので、彼女がどのような子か気になった。
手紙で、サニヤの娘はリシーという情報くらいしか無かったので、ラジートは彼女の事を何も知らない。
ザインいわく、とても元気、活発、そして良い子だとの事だ。
「最近は可愛いイタズラを覚えてきたけどね」
段々といたずらっ子になってきているらしい。
例えばザインが離席した隙に本を背中で隠したり、ザインが訪れた際に机の下へ隠れて居留守をするのだ。
「馬の尻尾に火を付けないだけ、まだまだマシね」
リーリルかクスクス笑って言うと、カイエンもハハハと笑った。
ザインとラジートは、馬の尻尾に火を付けるだなんてそのような事をする人が居るのかと驚く。
しかし、そう、馬の尻尾に火を付けるような悪ガキとはサニヤの事だ。
もしもこの場にサニヤが居たら、自身の忘れたい過去を暴かれて怒っていた事だろう。
と、するも、この場にサニヤは居ない。
本人が居ないのに人の過去を暴露するのも良くない。
だから、「その話は本人が居たらね」と切り上げた。
サニヤに手を焼かされたちょっとした仕返しと見れば、このくらいの事を言う資格くらい、リーリルにはあるだろう。
「それにしても……サニヤ達も呼べば良かったわね。そしたらリシーちゃんも来るでしょう?
ラジートにもリシーに会って欲しいわ。
とても可愛いのよ。二歳でね、小さい足で愛らしく歩くのよ。昔のサニヤみたいに」
「食事の後にでも向かうよ母上。姉上にそんな時期があったなんて想像出来ないけど、リシーちゃんを見て想像出来るなら会ってみたいものだね」
そのような会話をしながら皆、笑う。
和やかな空気。
しかし、ラジートは家族の和やかな食事会のさなか、心の中で恐ろしい計画を立てていた。
――他人から婚約者を奪う。
それはきっと褒められた行為では無いことをラジートは分かっていた。
しかし、権力を笠に弱い女を脅すような愚か者に、なぜ自分が媚びへつらわねばならぬ。
なぜ自分の宝物を差し出さねばならぬ。
俺には父上が居る。
だが、父上の鶴の一声で孤児院を守るような真似はしない。
それは俺の力では無く父上の力だからだ。
だから、二人の力は俺の人脈の力として使わせて貰おう。
待ってろよローマット。権力をむやみに振りかざす対価を払わせてやる。
ラジートは談笑しながら、どす黒い心を渦巻かせていた。
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