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9章・それぞれの戦い。皆の戦い。
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ブブブと、ブブブと、羽音がどんどん大きくなっていく。
バッタによって形成される黒い壁は黒い森へと差し掛かっており、森の向こうの陣地に駐屯していた兵達は急いでハーズルージュへと撤退していた。
王都の兵達も急いで陣地を撤収している。
「あの騎士め。撤収を手伝いもしないで、なんて野郎だ」
手伝いもせず、長い棒の先へ油を染みこませた布をくくりつけているザインへ、兵達はそう愚痴った。
そんなザインの元へと、ラジートが駆け寄る。
「ザイン。ラキーニさんから話を聞いたが、お前、飛蝗と戦うだって?」
彼はラキーニから事情を聞き、ザインを止めに来たのだ。
ラジートが必死に、一緒へ帰ろうと説得を試みるものの、しかし、ザインは決して撤収しない。
「それより人を集めてくれないか! この畑は何エーカーもあるんだからさ、人手が必要だ!」
使命に燃えた目で、必死に棒の先へ布を巻いているザインが言った。
「誰も来やしない!」
ラジートはザインの手を掴み、怒鳴る。
「兵士どころか、ハーズルージュの人達だって来やしない! 蝗害は神の怒りだ! 人は天災に敵いやしないんだ!」
「違う! 人も大地から産まれた自然の一つだ! 群れた飛蝗に群れた人間が負ける訳ない!」
ザインは人というモノを特別視していなかった。
彼から見れば、この地に生きる全ては同等であり、ゆえに、飛蝗を相手にしたって負ける訳が無いと思うのだ。
しかし、群れてくる飛蝗相手に戦うために、人も群れねばならない。
人手を! 人手を確保せねば!
ザインはラジートを置いて陣中を駆け出し、「誰か! 僕と共に畑を守る人は居ないか!」と呼ばわる。
しかし、当然、そんな狂ったような言葉に従う物なんて居なかった。
誰も彼もが、蝗害と戦うなんて狂人だと思うのである。
そうこうしているうちに、ブブブ……と、一匹のバッタがザインの前に降り立つ。
無機質な前脚を動かして、一本の雑草を食んだ。
無感情な眼。
ただ本能と反射によって繰り返される食事という行為。
ブブブ……ブブブ……。
二匹、三匹……十匹、二十匹……。
「撤退! 天幕も柵も放置せよ! もう撤退だ!」
国王ルカオットの号令を皮切りに、兵達は一斉に撤退を開示した。
馬鹿な!
こんなバッタに人が逃げるのか!
群れて強いのは人も同じじゃ無いか!
皆で力を合わせれば、きっと飛蝗にだって負けはしない!
ザインは駆けだした。
油を染みこませた布を巻いた棒を持ち、懐から出した火打ち石で布に火を付ける。
誰もザインに協力してくれなかったが、だからといって、この大地に実る稲を見捨てる事などザインには出来なかった。
この畑に実る全てが、ザインにとっては愛おしい宝なのだ。
だから、それをバッタに食べられるのを黙って見ている訳にはいかない。
「ザイン! 無駄な抵抗はやめて一緒に帰るんだ!」
「どけ! ラジート!」
ラジートが最後の説得に来たが、彼をザインは突き飛ばした。
「ラジート! 畑は人と大地を繋ぐ大事なものなんだ! 人が簡単に見捨てて良いものじゃ無いんだ!」
ラジートへ一瞥もくれず、空を真っ暗に覆う飛蝗へとザインは突撃する。
「やめろぉ! 食べるなぁ! それは人が生きる為に必要な物なんだあ! 食べるなあ!」
畦道(あぜみち)を駆け巡りながら、必死に、それはもう必死に火の付いた棒を振り回して、飛蝗を焼き払った。
しかし、天を覆い、大地を喰らう飛蝗(ローカスト)に、ちっぽけなザイン一人で何を出来よう?
続々と飛蝗は稲へ取り付いて、実りを食い散らかしていくのだ。
「たくさんの人の汗と血の結晶なんだ! 人間が大地の一つだという数少ない証拠の一つなんだ! こんな事が許されて堪るかあ!」
ザインは叫んだ。
心の底から叫んだ。
蝗害が神の怒りだと言うなら、僕は神にだって異議を申し立ててやる。
天へ届け! 神よ聞け!
人の叫びを! 人の怒りを!
ザインは畦道を走り回り、遮二無二、怒り任せに棒を振るった。
一振りで四、五匹、地に落ちる。
そう、たった四、五匹だ。
まさに焼け石に水だ。
ザイン一人ではとてもとても……。
「あ!」
その時、ザインは石につまづいて転んだ。
途端に無数の飛蝗がザインへと飛び付いてきた。
バッタの足の爪がザインの皮膚に食い込む。
キュラキュラと、バッタ同士の体が擦れる歪な音が聞こえた。
――殺される!――
無数のバッタが服の隙間からザインの体へ這い回る。
顔の上を無数のバッタがひっ付き、視界を覆う。
それがまるで、ザインにはバッタの怒りに思えた。
「よくも俺達の仲間を焼き殺したな! 許せぬ人間め! 我等は神の怒りぞ! 神の力を思い知れ!」
まるでそう言っているかのようだった。
怖い。恐ろしい。
この無機質で無感情の悪魔に食い殺される恐怖。
しかし、ザインは「黙れ!」と叫んだ。
「お前達が怒るように俺も怒っているんだ!」
ザインがそう叫んだ時、襟を引っ張られて体がグイッと起こされる。
まさか、飛蝗が人間を持ち上げると言うのか?
ザインはいよいよ本格的に恐怖した。
もしも飛蝗が物理的に人を起こすような力を持つとしたら、それはもう虫ではなく、魔物では無いか!
「何独り言を言っているんだ。ザイン」
ザインの顔に付いているバッタを、ラジートがパッパと払う。
ザインを起こしたのはラジートだったのだ。
そして、彼の手には、火が付いた棒が握られていた。
「ラジート。それは?」
「俺とお前はいつでも一心同体だったじゃ無いか、今さら素知らぬ顔が出来るかい」
お前の苦難は俺の苦難さ。
ザインとラジートは肉も血も分けた双子だ。
なんでザインが戦っているのに、ラジートが見て見ぬ振りを出来ようか?
出来るわけが無い。なぜなら、二人で一つなのだから。
「でも、これは俺のワガママで……」
ザインがうじうじと言おうとするので、その口の前にラジートは指を立てて黙らせた。
「お前の弱気をこの虫どもは待っちゃくれねえんだぜ」
そうだ。
こんな所でお喋りをしている暇があるなら、一匹でも多くを焼き払わなくてはならない。
ザインは頷き、二人は二手へ別れて火の付いた棒を振るう。
二人のこの行為は無駄だろうか?
無駄かも知れないし、そうじゃないかも知れない。
いや、きっと無駄だろう。
しかし、ザインにとってはやらねばならぬ事だった。
そんな二人の様子を、離れていくマルダーク王国軍は見ていた。
豆粒のように見える火が二つ、必死に踊っている。
おいおい、火が増えて居るぞ。
馬鹿が増えやがった。
無駄だよ。無駄無駄。
誰も彼もが口々に言う。
しかし、先頭を進むルカオットは、奇妙に思うことがあった。
「兵の数が……少し少なくないか?」
近くの将に聞いた。
将は直ちに、各部隊へ兵の数を調べさせた所、なぜか脱走した兵が出て来ていると言うのだ。
「このタイミングで?」
飛蝗が飛来しているというのに、兵糧のあるこの行軍から離れるのは自殺行為のように思えたのだが……。
「あれ?」
ルカオットは振り向き、そして、驚いた。
ハーズルージュで踊る火の数が増えている。
そして、兵の数が減っていた。
いやいや、一体それが何だというのだ。
撤退せねばまずいという事実に変化は無い。
ルカオットは気にせずに行軍し、ハーズルージュがいよいよ見えなくなるだろう距離へ離れた時、再び振り向いた。
兵の多くが居ない。
そして、踊る火がずっと増えていた。
「まさか、飛蝗を倒しに戻ったというのか?」
ルカオットが聞いた所、将は額の汗を拭って「どうやらその様でして……」と言う。
兵の多くは、家が農家のものが多い。
それに、騎士の中にも、実家や両親が貧乏貴族や貧乏領主で、領民と共に畑仕事をしていた者も少なくなかった。
彼らは、当初こそ我が身可愛かったが、必死に戦うザインとラジートの姿に続々と感化されたのである。
「全く……国王を見捨てるなど、お話にならん連中です」
そう言う将であるが、ルカオットは彼へ「お前も戻りたいのだろう?」と言った。
これに、彼は大慌てで「そのような事! 私は国王第一でございます!」と否定する。
しかし、ルカオットはハハと笑った。
「腐っても余は国王だ。人の心の機微が分からねば、とっくの昔に殺されている」
ルカオットが望むと望まざるとに関わらず、人の心を知る必要があった。
そして今、誰もが、ザインに影響されて、畑を守りたいと思っているのが分かった。
現金なものだ。
ハーズルージュを出る時の将と兵は、むしろザインを馬鹿にしていたと言うのに。
引き返すかとルカオットは言う。
残った将や兵は大慌てで、あのような者達に合わせて国王が戻る必要は無いと言ったのだが、ルカオットは首を左右に振った。
「この程度の戦力で余を守れるのか?」
そう問われれば、答えに貧する。
大規模な野盗に狙われた時、ルカオットを守りきれそうも無い。
その程度の兵しか残っていなかった。
「引き返して飛蝗を退ける。しかる後に全兵を連れて撤退だ」
ルカオットの判断は間違えていない。
結局、兵の多くがハーズルージュへ戻ってしまったから、そのようにせざるを得ないのだ。
しかし、その判断は残った将兵達にとって良い判断に思え、ルカオットの言葉に将兵達は顔を明るくして「はい!」と言った。
こうして、ルカオットの連れていた全兵が引き返してきて、火の付いた棒を振るう。
国王までその棒を振るって、馬を駆けながら兵を鼓舞した。
「ザイン!」
国王に声を掛けられ、ザインはそこでようやく、ルカオットが引き返していた事に気付いて、なぜ国王が居るのかとたまげた。
「お前に余の兵が皆取られてしまったから、引き返さざる得なくなったのだよ。まったく、ラジートと言いザインと言い、宰相様の息子は人誑(ひとたら)しで困ったものだ!」
ハッハッハと大笑しながら、「さあ踏ん張りどころだぞ!」とルカオットは馬を駆けていった。
ザインは少し呆けた後、すぐに国王まで来てくれたんだという想いに、心から勇気を貰った。
僕は一人じゃ無い!
それと同時に、ハーズルージュの城門もゴゴゴと開いた。
国王が飛蝗と戦っている事に気付いたハーズルージュの将兵達が現れる。
そして、その後を農民達が現れた。
さらに、その後を商人や女達を始めた農民では無いハーズルージュの人々。
本来ならば、穴に引き篭もる怯えた兎のように蝗害が過ぎるのを待つだけの人々が出て来たのだ。
彼らは城壁を出て、手に火の付いた棒を持ち、飛蝗へ立ち向かう。
彼らは兎では無く、まるで縄張りを守る獅子のようだ。
……誰だって蝗害を憎んでいた。
しかし、誰も彼もが、自分だけじゃどうにもならない仕方ない事だと諦めていたのである。
だが、今は違う。
自分だけじゃ無い。
皆が居るのだと、人々は戦意を燃やした。
「バッタ如きが調子に乗るな!」
「人間様の物に手を出しやがって!」
その日、人々の怒りが爆発した。
バッタによって形成される黒い壁は黒い森へと差し掛かっており、森の向こうの陣地に駐屯していた兵達は急いでハーズルージュへと撤退していた。
王都の兵達も急いで陣地を撤収している。
「あの騎士め。撤収を手伝いもしないで、なんて野郎だ」
手伝いもせず、長い棒の先へ油を染みこませた布をくくりつけているザインへ、兵達はそう愚痴った。
そんなザインの元へと、ラジートが駆け寄る。
「ザイン。ラキーニさんから話を聞いたが、お前、飛蝗と戦うだって?」
彼はラキーニから事情を聞き、ザインを止めに来たのだ。
ラジートが必死に、一緒へ帰ろうと説得を試みるものの、しかし、ザインは決して撤収しない。
「それより人を集めてくれないか! この畑は何エーカーもあるんだからさ、人手が必要だ!」
使命に燃えた目で、必死に棒の先へ布を巻いているザインが言った。
「誰も来やしない!」
ラジートはザインの手を掴み、怒鳴る。
「兵士どころか、ハーズルージュの人達だって来やしない! 蝗害は神の怒りだ! 人は天災に敵いやしないんだ!」
「違う! 人も大地から産まれた自然の一つだ! 群れた飛蝗に群れた人間が負ける訳ない!」
ザインは人というモノを特別視していなかった。
彼から見れば、この地に生きる全ては同等であり、ゆえに、飛蝗を相手にしたって負ける訳が無いと思うのだ。
しかし、群れてくる飛蝗相手に戦うために、人も群れねばならない。
人手を! 人手を確保せねば!
ザインはラジートを置いて陣中を駆け出し、「誰か! 僕と共に畑を守る人は居ないか!」と呼ばわる。
しかし、当然、そんな狂ったような言葉に従う物なんて居なかった。
誰も彼もが、蝗害と戦うなんて狂人だと思うのである。
そうこうしているうちに、ブブブ……と、一匹のバッタがザインの前に降り立つ。
無機質な前脚を動かして、一本の雑草を食んだ。
無感情な眼。
ただ本能と反射によって繰り返される食事という行為。
ブブブ……ブブブ……。
二匹、三匹……十匹、二十匹……。
「撤退! 天幕も柵も放置せよ! もう撤退だ!」
国王ルカオットの号令を皮切りに、兵達は一斉に撤退を開示した。
馬鹿な!
こんなバッタに人が逃げるのか!
群れて強いのは人も同じじゃ無いか!
皆で力を合わせれば、きっと飛蝗にだって負けはしない!
ザインは駆けだした。
油を染みこませた布を巻いた棒を持ち、懐から出した火打ち石で布に火を付ける。
誰もザインに協力してくれなかったが、だからといって、この大地に実る稲を見捨てる事などザインには出来なかった。
この畑に実る全てが、ザインにとっては愛おしい宝なのだ。
だから、それをバッタに食べられるのを黙って見ている訳にはいかない。
「ザイン! 無駄な抵抗はやめて一緒に帰るんだ!」
「どけ! ラジート!」
ラジートが最後の説得に来たが、彼をザインは突き飛ばした。
「ラジート! 畑は人と大地を繋ぐ大事なものなんだ! 人が簡単に見捨てて良いものじゃ無いんだ!」
ラジートへ一瞥もくれず、空を真っ暗に覆う飛蝗へとザインは突撃する。
「やめろぉ! 食べるなぁ! それは人が生きる為に必要な物なんだあ! 食べるなあ!」
畦道(あぜみち)を駆け巡りながら、必死に、それはもう必死に火の付いた棒を振り回して、飛蝗を焼き払った。
しかし、天を覆い、大地を喰らう飛蝗(ローカスト)に、ちっぽけなザイン一人で何を出来よう?
続々と飛蝗は稲へ取り付いて、実りを食い散らかしていくのだ。
「たくさんの人の汗と血の結晶なんだ! 人間が大地の一つだという数少ない証拠の一つなんだ! こんな事が許されて堪るかあ!」
ザインは叫んだ。
心の底から叫んだ。
蝗害が神の怒りだと言うなら、僕は神にだって異議を申し立ててやる。
天へ届け! 神よ聞け!
人の叫びを! 人の怒りを!
ザインは畦道を走り回り、遮二無二、怒り任せに棒を振るった。
一振りで四、五匹、地に落ちる。
そう、たった四、五匹だ。
まさに焼け石に水だ。
ザイン一人ではとてもとても……。
「あ!」
その時、ザインは石につまづいて転んだ。
途端に無数の飛蝗がザインへと飛び付いてきた。
バッタの足の爪がザインの皮膚に食い込む。
キュラキュラと、バッタ同士の体が擦れる歪な音が聞こえた。
――殺される!――
無数のバッタが服の隙間からザインの体へ這い回る。
顔の上を無数のバッタがひっ付き、視界を覆う。
それがまるで、ザインにはバッタの怒りに思えた。
「よくも俺達の仲間を焼き殺したな! 許せぬ人間め! 我等は神の怒りぞ! 神の力を思い知れ!」
まるでそう言っているかのようだった。
怖い。恐ろしい。
この無機質で無感情の悪魔に食い殺される恐怖。
しかし、ザインは「黙れ!」と叫んだ。
「お前達が怒るように俺も怒っているんだ!」
ザインがそう叫んだ時、襟を引っ張られて体がグイッと起こされる。
まさか、飛蝗が人間を持ち上げると言うのか?
ザインはいよいよ本格的に恐怖した。
もしも飛蝗が物理的に人を起こすような力を持つとしたら、それはもう虫ではなく、魔物では無いか!
「何独り言を言っているんだ。ザイン」
ザインの顔に付いているバッタを、ラジートがパッパと払う。
ザインを起こしたのはラジートだったのだ。
そして、彼の手には、火が付いた棒が握られていた。
「ラジート。それは?」
「俺とお前はいつでも一心同体だったじゃ無いか、今さら素知らぬ顔が出来るかい」
お前の苦難は俺の苦難さ。
ザインとラジートは肉も血も分けた双子だ。
なんでザインが戦っているのに、ラジートが見て見ぬ振りを出来ようか?
出来るわけが無い。なぜなら、二人で一つなのだから。
「でも、これは俺のワガママで……」
ザインがうじうじと言おうとするので、その口の前にラジートは指を立てて黙らせた。
「お前の弱気をこの虫どもは待っちゃくれねえんだぜ」
そうだ。
こんな所でお喋りをしている暇があるなら、一匹でも多くを焼き払わなくてはならない。
ザインは頷き、二人は二手へ別れて火の付いた棒を振るう。
二人のこの行為は無駄だろうか?
無駄かも知れないし、そうじゃないかも知れない。
いや、きっと無駄だろう。
しかし、ザインにとってはやらねばならぬ事だった。
そんな二人の様子を、離れていくマルダーク王国軍は見ていた。
豆粒のように見える火が二つ、必死に踊っている。
おいおい、火が増えて居るぞ。
馬鹿が増えやがった。
無駄だよ。無駄無駄。
誰も彼もが口々に言う。
しかし、先頭を進むルカオットは、奇妙に思うことがあった。
「兵の数が……少し少なくないか?」
近くの将に聞いた。
将は直ちに、各部隊へ兵の数を調べさせた所、なぜか脱走した兵が出て来ていると言うのだ。
「このタイミングで?」
飛蝗が飛来しているというのに、兵糧のあるこの行軍から離れるのは自殺行為のように思えたのだが……。
「あれ?」
ルカオットは振り向き、そして、驚いた。
ハーズルージュで踊る火の数が増えている。
そして、兵の数が減っていた。
いやいや、一体それが何だというのだ。
撤退せねばまずいという事実に変化は無い。
ルカオットは気にせずに行軍し、ハーズルージュがいよいよ見えなくなるだろう距離へ離れた時、再び振り向いた。
兵の多くが居ない。
そして、踊る火がずっと増えていた。
「まさか、飛蝗を倒しに戻ったというのか?」
ルカオットが聞いた所、将は額の汗を拭って「どうやらその様でして……」と言う。
兵の多くは、家が農家のものが多い。
それに、騎士の中にも、実家や両親が貧乏貴族や貧乏領主で、領民と共に畑仕事をしていた者も少なくなかった。
彼らは、当初こそ我が身可愛かったが、必死に戦うザインとラジートの姿に続々と感化されたのである。
「全く……国王を見捨てるなど、お話にならん連中です」
そう言う将であるが、ルカオットは彼へ「お前も戻りたいのだろう?」と言った。
これに、彼は大慌てで「そのような事! 私は国王第一でございます!」と否定する。
しかし、ルカオットはハハと笑った。
「腐っても余は国王だ。人の心の機微が分からねば、とっくの昔に殺されている」
ルカオットが望むと望まざるとに関わらず、人の心を知る必要があった。
そして今、誰もが、ザインに影響されて、畑を守りたいと思っているのが分かった。
現金なものだ。
ハーズルージュを出る時の将と兵は、むしろザインを馬鹿にしていたと言うのに。
引き返すかとルカオットは言う。
残った将や兵は大慌てで、あのような者達に合わせて国王が戻る必要は無いと言ったのだが、ルカオットは首を左右に振った。
「この程度の戦力で余を守れるのか?」
そう問われれば、答えに貧する。
大規模な野盗に狙われた時、ルカオットを守りきれそうも無い。
その程度の兵しか残っていなかった。
「引き返して飛蝗を退ける。しかる後に全兵を連れて撤退だ」
ルカオットの判断は間違えていない。
結局、兵の多くがハーズルージュへ戻ってしまったから、そのようにせざるを得ないのだ。
しかし、その判断は残った将兵達にとって良い判断に思え、ルカオットの言葉に将兵達は顔を明るくして「はい!」と言った。
こうして、ルカオットの連れていた全兵が引き返してきて、火の付いた棒を振るう。
国王までその棒を振るって、馬を駆けながら兵を鼓舞した。
「ザイン!」
国王に声を掛けられ、ザインはそこでようやく、ルカオットが引き返していた事に気付いて、なぜ国王が居るのかとたまげた。
「お前に余の兵が皆取られてしまったから、引き返さざる得なくなったのだよ。まったく、ラジートと言いザインと言い、宰相様の息子は人誑(ひとたら)しで困ったものだ!」
ハッハッハと大笑しながら、「さあ踏ん張りどころだぞ!」とルカオットは馬を駆けていった。
ザインは少し呆けた後、すぐに国王まで来てくれたんだという想いに、心から勇気を貰った。
僕は一人じゃ無い!
それと同時に、ハーズルージュの城門もゴゴゴと開いた。
国王が飛蝗と戦っている事に気付いたハーズルージュの将兵達が現れる。
そして、その後を農民達が現れた。
さらに、その後を商人や女達を始めた農民では無いハーズルージュの人々。
本来ならば、穴に引き篭もる怯えた兎のように蝗害が過ぎるのを待つだけの人々が出て来たのだ。
彼らは城壁を出て、手に火の付いた棒を持ち、飛蝗へ立ち向かう。
彼らは兎では無く、まるで縄張りを守る獅子のようだ。
……誰だって蝗害を憎んでいた。
しかし、誰も彼もが、自分だけじゃどうにもならない仕方ない事だと諦めていたのである。
だが、今は違う。
自分だけじゃ無い。
皆が居るのだと、人々は戦意を燃やした。
「バッタ如きが調子に乗るな!」
「人間様の物に手を出しやがって!」
その日、人々の怒りが爆発した。
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