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序章・帝国崩壊編
18、領主と騎士の仲違い
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豪華な馬車が屋敷の前に停り、男が出てくる。
男が馬車から降りてきた時、庭に居たハルアーダはティタラを抱きかかえて屋敷の裏に身を隠した。
「どうしたのハルアーダ?」
なぜ急いで身を隠すのか分からない様子のティタラ。
そんなティタラにハルアーダは「ニーズルです」と答える。
ニーズルとは帝都の大臣の一人、各地の領主の元へと赴いてその内政に干渉する領法手という役職だ。
皇帝の使者を帝使というが、その帝使の最上位が領法手であった。
三人の護衛兵に守られてその領法手ニーズルは屋敷へ向かっていくのである。
普通、こんな辺境の地に領法手は来ない。
普通は帝使を寄越す。
しかし、なぜモンタアナなんて辺境の地に使いの人間では無く、領法手その人がやって来るのであろう。
それは、それだけ重要な話をしに来たという事に他なるまい。
わざわざニーズルがやって来るような重要な話となるとミルランスやティタラの事では無いだろうか。
ハルアーダはそう推理した。
そうなると屋敷にいるミルランスが見つかったらまずいと思う。
仕方ないのでティタラに屋敷の裏に隠れているように伝え、ハルアーダはミルランスを連れ出しに窓から屋敷の中へと入るのだ。
一方その頃、ラドウィンはニーズルを屋敷へと招き入れた。
普段なら屋敷にも入れず、立ち話に終始するラドウィンであるが、ニーズルというのはさすがに立ち話で済ませられる相手では無かった。
ニーズルと護衛兵三人を客間へと通して、ラドウィンはお茶も出さずに何の用かと話を促した。
ラドウィンは彼らの訪問に喜んでいる訳では無いので、もてなすつもりが無いのだ。
ラドウィンも存外子供っぽいものである。
しかし、ニーズルはお茶一つ出されないのに嫌な顔を一つせず、随分と領土を広げたその手腕を褒めた。
「辺境伯にあっては領土にあまり欲が無いと思っていましたが、やはりこの混乱に乗じて領土を広げましたか」
ニーズルはそう言うが、ラドウィンとしても領土を広げたくないのに勝手に拡がってしまったのである。
ラドウィンがニーズルのその謝った認識を訂正しようと口を開いたが、その言葉を遮って「いえ! いえ! 分かっております! 分かっておりますとも!」とニーズルは喋る。
男というものは辺境の地にくすぶっている事など出来ない。特にラドウィン様は見事な能力をお持ちなのですから、その能力を発揮したいと密かに思っていたのでしょう。
ニーズルが訳知り顔で知った風な口を利くので、ラドウィンは何か妙だと思った。
帝都では鼻つまみ者で顰蹙を買っているラドウィンをこうまで持ち上げるなど明らかにおかしいのである。
なので、ラドウィンは彼が何か仕事をさせたいのだと察したのだ。
ニーズルはラドウィンの様子を伺いながら、このモンタアナの発展は素晴らしいとか、領内の復興の様子は目覚しいなどと世間話に興じていた。
そんなニーズルの言葉を遮って、用事は何なのかとラドウィンは単刀直入に聞くのである。
するとニーズルの顔から媚びへつらう笑みが消えた。
そして、緊張ともとれる真面目な面持ちでラドウィンを見ると、ソファーから立ち上がる。
「ラドウィン様……いえ、陛下!」
ニーズルは片膝をつき、「ラドウィン・ガルオード様! 弟帝アッザムド様の子よ!」と言うのだ。
なんとニーズルはラドウィンが弟帝アッザムドの子と言うでは無いか。
その言葉にラドウィンは殆ど真顔でニーズルを睨み付けている。
今まで見た事も無いほどに憎悪に満ちた眼だ。
「アッザムド様の息子は僕じゃない」
ラドウィンは否定した。
しかし、ニーズルは膝をついたままだ。
「調べはついております! アッザムド様の子がモンタアナに向かったのだと言うことは!」
ラドウィンはガバと立ち上がり、冷ややかな目でニーズルを見下ろすと「それで? もしも仮に、僕に皇帝の血が流れていたらどうだと言うのですか?」と聞く。
するとニーズルはラドウィンに皇帝となって欲しいと言うのだ。
ラドウィンはしばし黙った後、出て行けと無感情な声を出した。
彼の人柄を知っている者が聞くと驚くほど冷たくて興味の欠片も無い声に聞こえただろう。
だが、ニーズルはもっと別の印象を受ける。
それは「ア、アロハンド様の声だ……!」という印象。
片膝ついて顔を下にするニーズルはアロハンドに似た恐怖を感じて胆(はら)の底から震えあがり、額から冷や汗を垂らした。
三人の兵もラドウィンの冷たく、残酷で、しかし言葉の裏に烈火の如き憤怒が隠されている態度に微動だに出来ない。
ラドウィンはニーズルが震え上がったまま動かないので、ついに襟首を掴むと無理矢理に立たせた。
そして、自分は皇族では無いのだから皇帝になるなど有り得ないとして、戯れ言はやめて出て行けと命ずる。
ニーズルはそう簡単に出ていくつもりは無い。
彼は宰相と大将軍の使いとして新たな皇帝を迎え入れる為にモンタアナくんだりやって来たのだ。
もしも新たな皇帝を迎え入れねば天下の混乱は収まらない。
ばかりか、宰相と大将軍の権威は失墜し、ニーズルを始めとした大臣達もその地位を追われるのだ。
だから「お願いします! 何卒! 何卒! 私と共に天下泰平の為に!」とお願いするのである。
するとラドウィンは天下泰平など笑わせるとせせら笑った。
彼は知っているのだ。
ニーズルが己の保身しか考えていない事を。
帝都に行った所で、所詮、皇帝ですらこいつらの金儲けと名声の為に使われる道具にしかならないとラドウィンは知っていた。
で、なくば、ミルランスが悲しむ訳が無いのだ。
ラドウィンはニーズルをゆっくり降ろすと「考えさせて下さい」と言うので、ニーズルは喜ぶ。
「そうですね。村の西に人の住んでない空き家もありますのでそこを貸しましょう。僕も考えが決まったら向かいましょう」
ラドウィンがにこりと笑うと、剣の柄に手を乗せた。
ニーズルは剣の柄に乗せられた彼の手を見て、そして、ラドウィンの笑顔があんまりにも冷たいのに気付く。
ニーズルはその言動からラドウィンが何を言っているのか分かる。
つまり、普通に断ってニーズルを帝都に帰すか、それとも斬り殺すか……という事だ。
ニーズルはラドウィンの笑みの裏にある冷酷さに恐れおののき、「失礼いたしました」とだけ言うと部屋から急いで出て行く。
ラドウィンを恐れたニーズルは護衛兵を連れて、モンタアナから早く出ようと思うのであった。
ラドウィンは彼らが玄関を勢いよく開けて出て行く音を客間で聞きながら溜息をつく。
なぜ下らない権力争いに自分を巻き込むのか。
なぜそっとしておいてくれないのか。
大体、怒ったふりをするというのも疲れるのだ。
しかし、思ったより簡単に脅しに屈してくれて助かったものだ。
「あんまり怒るのは慣れてないから、怯えてくれて良かった」
ラドウィンはそう思うが、アロハンドの恐ろしさを知っている者からしたら怒ったラドウィンの雰囲気は恐怖そのものなのである。
ラドウィンが何と言おうと、彼が皇帝の血を引いている証拠であるように思えた。
しかし、彼が皇族であれどうあれモンタアナから出るつもりは無かったから、ニーズル達が大人しく帰ってくれて良かったと思う。
ホッと胸を撫で下ろしながらラドウィンは客間を出た。
すると廊下に誰か立っている。
それはハルアーダだ。
彼はニーズル達が客間に居るのか確かめに、部屋の近くで話を盗み聞いていたのである。
そして、ラドウィンに皇帝の血が流れていると聞いたのだ。
ラドウィンはハルアーダに気付くと、変な訪問者が来て参ったと笑うのだ。
無視してラドウィンにハルアーダは近付いてくる。
そして、鼻息がかかりそうな程近くにハルアーダは立つのだ。
ラドウィンの目の前に来ても彼は黙っている。
あんまりにもハルアーダが黙ったままなので、ラドウィンは困惑した。
すると、しばらくしてハルアーダは「確かに似ている」と言うのだ。
誰に似ているなどと聞かなくとも分かる。
アロハンドに似ているのだ。もしくは、若い頃のアッザムドに似ていると言い換えても良い。
「本当に皇帝の血を引くのか?」
ハルアーダが聞くと、ラドウィンは笑って「そんな、僕なんかが皇帝の血を引いている訳が無いでしょう?」と言うのだ。
その言葉にハルアーダは歯噛みし、ラドウィンの胸ぐらを両手で掴みあげた。
「そうやって、笑顔の裏で俺達を馬鹿にしているのか」
「まさか! そんな事はありませんよ」
ラドウィンが慌てて否定すると、突如、ハルアーダはラドウィンの顔を殴り抜ける。
かなり強く殴られて、ラドウィンは鼻血を流した。
それでもなおラドウィンはにこやかな笑みを崩さずに「何をするのですか。痛いじゃあないですか」なんて言うのだ。
いきなり殴られ、それでも冷静さを失わないラドウィンにハルアーダは恐怖した。
ラドウィンが激昂し、殴り返して来たり、憤慨し、怒鳴ってきたら良かった。だけど、ラドウィンは顔の裏の心を隠すのだ。
ラドウィンは賢く、そして、腹の底の真意を表に出さない人間なのである。
ラドウィンがもしも皇帝だとしたら……とハルアーダは考えた。
彼は皇帝じゃないフリをしながら、その地位を盤石とする準備を進める事が出来るのだ。
ハルアーダに知られず、邪魔者のミルランスとティタラを殺す事だって幾らでも出来るだろう。
そんなラドウィンの事をハルアーダは恐れたのだ。
ハルアーダは突き放すようにラドウィンから手を離し、その場から去るのである。
こいつと一緒に居られない。
ハルアーダは一つの決意を固めた。
ラドウィンは危険だ。
少なくとも、皇帝であるミルランスとティタラにとって、ラドウィンはあまりにも優秀すぎる。
彼が悪意を持っていても何一つ気配を出さない。
予兆を見せない毒ほど恐ろしいものは無いのだ。
だから、その日の夜、ハルアーダはティタラとミルランスの寝室に入ると二人を起こした。
そして急いで支度をさせると、寝ぼけ眼(まなこ)の二人を連れて厩に向かうのだ。
ミルランスは何がなんだか分からない様子で、大きくあくびをしながらどうしたのかと聞く。
するとハルアーダはここから出て行くと言うのでミルランスは眠気も消えるほど驚いた。
なんで出て行く必要があるのかとミルランスが聞くと、ハルアーダは口を閉ざしてしまう。
「とにかく、ここを出て行くのです。乗ってください」
馬に鞍を乗せ、ハルアーダはミルランスを乗せようとした。
だが、ミルランスは数歩退がって拒否の態度を見せるのだ。
「ミルランス様。乗ってください。早く」
「嫌だ。行きたくない」
「わがままを言わないで下さい」
「嫌だ! お城に戻るんでしょ!」
ミルランスはモンタアナから出て行きたく無かった。
モンタアナには彼女の生きる意味があるのだ。
だけど帝都には無い。
帝都のミルランスはただの人形。
だからミルランスはあそこに戻りたくないのだ。
「良いじゃんハルアーダ。お姉様はここに居たいんでしょ」
ティタラは冷たくそう言い放つのである。
しかし、ハルアーダとしてはそういかない。
ラドウィンが真意の見えない危険な存在である以上、ミルランスをモンタアナに置いていく事は出来なかった。
それに、ニーズルが皇帝を擁立にモンタアナへ来たという事は、帝都の争いは終わりを迎え、皇帝の威光で混乱を鎮める段階に移っているということだ。
戻るならば今が良いのである。
しかし、ミルランスは絶対に戻りたくないと言って、屋敷へ戻ってしまった。
そして、大きな声で「ラドウィン様! ラドウィン様!」と呼ばわるのだ。
もしもラドウィンに皇帝としての地位に興味があったら、彼は自分の元を去るティタラを容赦しないだろう。
しょせんもしもの事では無いかと言う者もいるだろう。
だが、そのもしもが現実だった時が恐ろしいのだ。
ラドウィンが無能ならばハルアーダも彼の計画を鼻で笑っただろう。
だが実際のラドウィンはあまりに有能過ぎた。
彼の有能さはその善意も悪意でさえもひた隠しにして、ハルアーダのように彼を利用しようとする者を困惑させてしまうのである。
ハルアーダはラドウィンに見つかりたく無かったので、急いで馬に乗るとティタラを乗せて夜の闇を駆けるのであった。
「ハルアーダ……。あなた、何をそんなに悔しがってるの?」
夜の森の中まで走り、馬をゆっくりと歩かせ始めた時、ティタラがそのように言うのである。
「悔しがってる? まさか、私は何も悔しがってはいませんよ」
ハルアーダはそのように答えて平然と馬を歩かせた。
だが、彼自身気付いていない事であるが、その心の中には『裏切られた』という気持ちがあったのをティタラは見抜いていたのである。
本当ならラドウィンと親友になれたかもしれない。
彼の事を心ならずも尊敬していた。
もっとも、このような感情をラドウィンに抱いていたこと自体、ハルアーダは気付いていなかった。
だから、ラドウィンが皇族だと隠していた事に酷い裏切りにあった気持ちとなった事にもハルアーダは気付いていないのだ。
ただ、どうしようもなく感情的で激しい憎悪のようなものを心に感じていただけであった。
男が馬車から降りてきた時、庭に居たハルアーダはティタラを抱きかかえて屋敷の裏に身を隠した。
「どうしたのハルアーダ?」
なぜ急いで身を隠すのか分からない様子のティタラ。
そんなティタラにハルアーダは「ニーズルです」と答える。
ニーズルとは帝都の大臣の一人、各地の領主の元へと赴いてその内政に干渉する領法手という役職だ。
皇帝の使者を帝使というが、その帝使の最上位が領法手であった。
三人の護衛兵に守られてその領法手ニーズルは屋敷へ向かっていくのである。
普通、こんな辺境の地に領法手は来ない。
普通は帝使を寄越す。
しかし、なぜモンタアナなんて辺境の地に使いの人間では無く、領法手その人がやって来るのであろう。
それは、それだけ重要な話をしに来たという事に他なるまい。
わざわざニーズルがやって来るような重要な話となるとミルランスやティタラの事では無いだろうか。
ハルアーダはそう推理した。
そうなると屋敷にいるミルランスが見つかったらまずいと思う。
仕方ないのでティタラに屋敷の裏に隠れているように伝え、ハルアーダはミルランスを連れ出しに窓から屋敷の中へと入るのだ。
一方その頃、ラドウィンはニーズルを屋敷へと招き入れた。
普段なら屋敷にも入れず、立ち話に終始するラドウィンであるが、ニーズルというのはさすがに立ち話で済ませられる相手では無かった。
ニーズルと護衛兵三人を客間へと通して、ラドウィンはお茶も出さずに何の用かと話を促した。
ラドウィンは彼らの訪問に喜んでいる訳では無いので、もてなすつもりが無いのだ。
ラドウィンも存外子供っぽいものである。
しかし、ニーズルはお茶一つ出されないのに嫌な顔を一つせず、随分と領土を広げたその手腕を褒めた。
「辺境伯にあっては領土にあまり欲が無いと思っていましたが、やはりこの混乱に乗じて領土を広げましたか」
ニーズルはそう言うが、ラドウィンとしても領土を広げたくないのに勝手に拡がってしまったのである。
ラドウィンがニーズルのその謝った認識を訂正しようと口を開いたが、その言葉を遮って「いえ! いえ! 分かっております! 分かっておりますとも!」とニーズルは喋る。
男というものは辺境の地にくすぶっている事など出来ない。特にラドウィン様は見事な能力をお持ちなのですから、その能力を発揮したいと密かに思っていたのでしょう。
ニーズルが訳知り顔で知った風な口を利くので、ラドウィンは何か妙だと思った。
帝都では鼻つまみ者で顰蹙を買っているラドウィンをこうまで持ち上げるなど明らかにおかしいのである。
なので、ラドウィンは彼が何か仕事をさせたいのだと察したのだ。
ニーズルはラドウィンの様子を伺いながら、このモンタアナの発展は素晴らしいとか、領内の復興の様子は目覚しいなどと世間話に興じていた。
そんなニーズルの言葉を遮って、用事は何なのかとラドウィンは単刀直入に聞くのである。
するとニーズルの顔から媚びへつらう笑みが消えた。
そして、緊張ともとれる真面目な面持ちでラドウィンを見ると、ソファーから立ち上がる。
「ラドウィン様……いえ、陛下!」
ニーズルは片膝をつき、「ラドウィン・ガルオード様! 弟帝アッザムド様の子よ!」と言うのだ。
なんとニーズルはラドウィンが弟帝アッザムドの子と言うでは無いか。
その言葉にラドウィンは殆ど真顔でニーズルを睨み付けている。
今まで見た事も無いほどに憎悪に満ちた眼だ。
「アッザムド様の息子は僕じゃない」
ラドウィンは否定した。
しかし、ニーズルは膝をついたままだ。
「調べはついております! アッザムド様の子がモンタアナに向かったのだと言うことは!」
ラドウィンはガバと立ち上がり、冷ややかな目でニーズルを見下ろすと「それで? もしも仮に、僕に皇帝の血が流れていたらどうだと言うのですか?」と聞く。
するとニーズルはラドウィンに皇帝となって欲しいと言うのだ。
ラドウィンはしばし黙った後、出て行けと無感情な声を出した。
彼の人柄を知っている者が聞くと驚くほど冷たくて興味の欠片も無い声に聞こえただろう。
だが、ニーズルはもっと別の印象を受ける。
それは「ア、アロハンド様の声だ……!」という印象。
片膝ついて顔を下にするニーズルはアロハンドに似た恐怖を感じて胆(はら)の底から震えあがり、額から冷や汗を垂らした。
三人の兵もラドウィンの冷たく、残酷で、しかし言葉の裏に烈火の如き憤怒が隠されている態度に微動だに出来ない。
ラドウィンはニーズルが震え上がったまま動かないので、ついに襟首を掴むと無理矢理に立たせた。
そして、自分は皇族では無いのだから皇帝になるなど有り得ないとして、戯れ言はやめて出て行けと命ずる。
ニーズルはそう簡単に出ていくつもりは無い。
彼は宰相と大将軍の使いとして新たな皇帝を迎え入れる為にモンタアナくんだりやって来たのだ。
もしも新たな皇帝を迎え入れねば天下の混乱は収まらない。
ばかりか、宰相と大将軍の権威は失墜し、ニーズルを始めとした大臣達もその地位を追われるのだ。
だから「お願いします! 何卒! 何卒! 私と共に天下泰平の為に!」とお願いするのである。
するとラドウィンは天下泰平など笑わせるとせせら笑った。
彼は知っているのだ。
ニーズルが己の保身しか考えていない事を。
帝都に行った所で、所詮、皇帝ですらこいつらの金儲けと名声の為に使われる道具にしかならないとラドウィンは知っていた。
で、なくば、ミルランスが悲しむ訳が無いのだ。
ラドウィンはニーズルをゆっくり降ろすと「考えさせて下さい」と言うので、ニーズルは喜ぶ。
「そうですね。村の西に人の住んでない空き家もありますのでそこを貸しましょう。僕も考えが決まったら向かいましょう」
ラドウィンがにこりと笑うと、剣の柄に手を乗せた。
ニーズルは剣の柄に乗せられた彼の手を見て、そして、ラドウィンの笑顔があんまりにも冷たいのに気付く。
ニーズルはその言動からラドウィンが何を言っているのか分かる。
つまり、普通に断ってニーズルを帝都に帰すか、それとも斬り殺すか……という事だ。
ニーズルはラドウィンの笑みの裏にある冷酷さに恐れおののき、「失礼いたしました」とだけ言うと部屋から急いで出て行く。
ラドウィンを恐れたニーズルは護衛兵を連れて、モンタアナから早く出ようと思うのであった。
ラドウィンは彼らが玄関を勢いよく開けて出て行く音を客間で聞きながら溜息をつく。
なぜ下らない権力争いに自分を巻き込むのか。
なぜそっとしておいてくれないのか。
大体、怒ったふりをするというのも疲れるのだ。
しかし、思ったより簡単に脅しに屈してくれて助かったものだ。
「あんまり怒るのは慣れてないから、怯えてくれて良かった」
ラドウィンはそう思うが、アロハンドの恐ろしさを知っている者からしたら怒ったラドウィンの雰囲気は恐怖そのものなのである。
ラドウィンが何と言おうと、彼が皇帝の血を引いている証拠であるように思えた。
しかし、彼が皇族であれどうあれモンタアナから出るつもりは無かったから、ニーズル達が大人しく帰ってくれて良かったと思う。
ホッと胸を撫で下ろしながらラドウィンは客間を出た。
すると廊下に誰か立っている。
それはハルアーダだ。
彼はニーズル達が客間に居るのか確かめに、部屋の近くで話を盗み聞いていたのである。
そして、ラドウィンに皇帝の血が流れていると聞いたのだ。
ラドウィンはハルアーダに気付くと、変な訪問者が来て参ったと笑うのだ。
無視してラドウィンにハルアーダは近付いてくる。
そして、鼻息がかかりそうな程近くにハルアーダは立つのだ。
ラドウィンの目の前に来ても彼は黙っている。
あんまりにもハルアーダが黙ったままなので、ラドウィンは困惑した。
すると、しばらくしてハルアーダは「確かに似ている」と言うのだ。
誰に似ているなどと聞かなくとも分かる。
アロハンドに似ているのだ。もしくは、若い頃のアッザムドに似ていると言い換えても良い。
「本当に皇帝の血を引くのか?」
ハルアーダが聞くと、ラドウィンは笑って「そんな、僕なんかが皇帝の血を引いている訳が無いでしょう?」と言うのだ。
その言葉にハルアーダは歯噛みし、ラドウィンの胸ぐらを両手で掴みあげた。
「そうやって、笑顔の裏で俺達を馬鹿にしているのか」
「まさか! そんな事はありませんよ」
ラドウィンが慌てて否定すると、突如、ハルアーダはラドウィンの顔を殴り抜ける。
かなり強く殴られて、ラドウィンは鼻血を流した。
それでもなおラドウィンはにこやかな笑みを崩さずに「何をするのですか。痛いじゃあないですか」なんて言うのだ。
いきなり殴られ、それでも冷静さを失わないラドウィンにハルアーダは恐怖した。
ラドウィンが激昂し、殴り返して来たり、憤慨し、怒鳴ってきたら良かった。だけど、ラドウィンは顔の裏の心を隠すのだ。
ラドウィンは賢く、そして、腹の底の真意を表に出さない人間なのである。
ラドウィンがもしも皇帝だとしたら……とハルアーダは考えた。
彼は皇帝じゃないフリをしながら、その地位を盤石とする準備を進める事が出来るのだ。
ハルアーダに知られず、邪魔者のミルランスとティタラを殺す事だって幾らでも出来るだろう。
そんなラドウィンの事をハルアーダは恐れたのだ。
ハルアーダは突き放すようにラドウィンから手を離し、その場から去るのである。
こいつと一緒に居られない。
ハルアーダは一つの決意を固めた。
ラドウィンは危険だ。
少なくとも、皇帝であるミルランスとティタラにとって、ラドウィンはあまりにも優秀すぎる。
彼が悪意を持っていても何一つ気配を出さない。
予兆を見せない毒ほど恐ろしいものは無いのだ。
だから、その日の夜、ハルアーダはティタラとミルランスの寝室に入ると二人を起こした。
そして急いで支度をさせると、寝ぼけ眼(まなこ)の二人を連れて厩に向かうのだ。
ミルランスは何がなんだか分からない様子で、大きくあくびをしながらどうしたのかと聞く。
するとハルアーダはここから出て行くと言うのでミルランスは眠気も消えるほど驚いた。
なんで出て行く必要があるのかとミルランスが聞くと、ハルアーダは口を閉ざしてしまう。
「とにかく、ここを出て行くのです。乗ってください」
馬に鞍を乗せ、ハルアーダはミルランスを乗せようとした。
だが、ミルランスは数歩退がって拒否の態度を見せるのだ。
「ミルランス様。乗ってください。早く」
「嫌だ。行きたくない」
「わがままを言わないで下さい」
「嫌だ! お城に戻るんでしょ!」
ミルランスはモンタアナから出て行きたく無かった。
モンタアナには彼女の生きる意味があるのだ。
だけど帝都には無い。
帝都のミルランスはただの人形。
だからミルランスはあそこに戻りたくないのだ。
「良いじゃんハルアーダ。お姉様はここに居たいんでしょ」
ティタラは冷たくそう言い放つのである。
しかし、ハルアーダとしてはそういかない。
ラドウィンが真意の見えない危険な存在である以上、ミルランスをモンタアナに置いていく事は出来なかった。
それに、ニーズルが皇帝を擁立にモンタアナへ来たという事は、帝都の争いは終わりを迎え、皇帝の威光で混乱を鎮める段階に移っているということだ。
戻るならば今が良いのである。
しかし、ミルランスは絶対に戻りたくないと言って、屋敷へ戻ってしまった。
そして、大きな声で「ラドウィン様! ラドウィン様!」と呼ばわるのだ。
もしもラドウィンに皇帝としての地位に興味があったら、彼は自分の元を去るティタラを容赦しないだろう。
しょせんもしもの事では無いかと言う者もいるだろう。
だが、そのもしもが現実だった時が恐ろしいのだ。
ラドウィンが無能ならばハルアーダも彼の計画を鼻で笑っただろう。
だが実際のラドウィンはあまりに有能過ぎた。
彼の有能さはその善意も悪意でさえもひた隠しにして、ハルアーダのように彼を利用しようとする者を困惑させてしまうのである。
ハルアーダはラドウィンに見つかりたく無かったので、急いで馬に乗るとティタラを乗せて夜の闇を駆けるのであった。
「ハルアーダ……。あなた、何をそんなに悔しがってるの?」
夜の森の中まで走り、馬をゆっくりと歩かせ始めた時、ティタラがそのように言うのである。
「悔しがってる? まさか、私は何も悔しがってはいませんよ」
ハルアーダはそのように答えて平然と馬を歩かせた。
だが、彼自身気付いていない事であるが、その心の中には『裏切られた』という気持ちがあったのをティタラは見抜いていたのである。
本当ならラドウィンと親友になれたかもしれない。
彼の事を心ならずも尊敬していた。
もっとも、このような感情をラドウィンに抱いていたこと自体、ハルアーダは気付いていなかった。
だから、ラドウィンが皇族だと隠していた事に酷い裏切りにあった気持ちとなった事にもハルアーダは気付いていないのだ。
ただ、どうしようもなく感情的で激しい憎悪のようなものを心に感じていただけであった。
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