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2章、剣弩重来編
57話、戦いなんて汚いもの
しおりを挟むアキームがアーモを伴ってハルアーダの屋敷に戻ったのは日がとっぷりと沈んだ夜であった。
ハルアーダは大切な弟子の帰りが遅いことをしきりに心配していた。
その心配が息子を持つ父の気持ちと同じものだと気付きもしない。
そう、ハルアーダはアキームへ我が子に似た熱い気持ちを抱いていた。
部下の兵士は、アキームはいまに見つかるだろうから安心して寝ていて欲しいと伝えたがハルアーダは聞かない。
見かねたバルリエットが「賢い子です。ルルム地方から大冒険した少年なのですから心配無用でしょう」と促すのであるがハルアーダの心配は尽きなかった。
果たして、アキームが見つかったと報せはすぐに来た。
今、町の入り口で、間もなく屋敷に来るのだと兵士から聞いた時、ハルアーダは町の入り口へと飛んだ。
一足跳で行くのではないかと思うほどに足を動かす。
ちょうど町の真ん中に、兵士に先導されながら馬を歩かせるアキームがいた。
師匠であり、領主でもあるハルアーダがわざわざ出迎えに来るなどありえない話だ。
アキームも、そして周りの兵士たちも驚いていた。
しかし、ハルアーダは出迎えのためにやって来た訳では無い。
アキームのことが心配で心配で仕方なかったから、怪我の一つでもしてやしないかと確認したかったからだ。
だが、騎士であるハルアーダが見習い騎士のことをそこまで気にかけているだなんて格好がつかないものである。
険しい剣幕でアキームを睨みつけると、説教するためにやって来たのだと言わんばかりに「どこへ言っていた」と詰問したのだ。
アキームはハルアーダの怒りに気付いて少し怯んだものの、山賊退治に行ってきたのだと胸を張って答えた。
もっとも、退治はせずに部下にしたのだとアキームは振り返る。
アキームの背後に大男がいた。
ハルアーダは大男に初めて気づき、面食らう。
夜闇とはいえ、アキームを先導する兵士は松明を持っているのにハルアーダは大男に気付かなかった。
それほどまでにハルアーダはアキームのことを心配して、その体調ばかり観察していたのである。
弟子に怪我がないか心配するばかりで周囲の警戒を怠るなど耄碌したものだとハルアーダは心で自嘲した。
もっとも、動揺を隠すのは戦いの基本であり、ハルアーダほどの男がむっつりとした顔を保つのは容易なことだ。
その晩、ハルアーダは屋敷に戻ると大男のための家を用意させると、人となりが分かるまで厳重な警戒のもとに置いた。
それから、アキームも見つかったので捜索隊を解散させるとハルアーダもアキームに追って沙汰を下すと伝えて寝ることにした。
アキームは大男に何人もの見張りが付いたことに不服そうであったが、ハルアーダに「元山賊だからと捕えないだけ信用していると思え」と言われては不平不満を口に出すわけにもいなかったのである。
一方ハルアーダはアキームを相当叱り付けてやろうと思っていた。
しかし、賊退治に向かった上にその賊を配下にしたなどと言われて、ハルアーダ自身、少々気持ちに整理をつける必要があった。
アキームを叱るべきか褒めるべきか、あるいは一人前の将として扱うべきか悩んだ。
しかし、叱るという選択肢はないように思えた。
もしもハルアーダの部下である騎士バルリエットが見習い騎士ならどうしただろうか。
規律を守らなかったことを叱り付けていただろう。
バルリエットが成人して個人の哲学を持っているからだ。
だが、アキームはまだ成長途中の少年だ。
ハルアーダの言葉一つで彼の性質は大きく変わってしまう。
自主性を尊重すべきか、規範を尊重すべきか、ハルアーダは悩まねばならなかった。
ハルアーダはアキームの能力を高く評価している。
両親の教育が良かったのだろう伸び伸びとして元気のある屈託のない性質は、水を吸い込む地面のように物事を吸収した。
何か行動する前に一歩踏みとどまって考える思慮の深さを持つ反面、一度決めたら目標に突っ走る思い切りの良さもアキームの長所だ。
「アキームの親は尊敬に値する」
ベッドで寝返るハルアーダはそう呟いた。
彼にとって見も知らぬアキームの両親は尊敬に値した。
子をここまで誠実に、そして実直に育てることなんてそうそう出来ないように思えたのである。
「よほど愛された子だったのだ」
ハルアーダは親の許可無くアキームを見習い騎士としたことを後悔した。
アキームを育てるにはハルアーダにとって重荷である。
あの素質溢れる少年を活かすも殺すもハルアーダ次第という事実が、プレッシャーなのであった。
翌朝、ハルアーダはアキームを自室へ呼びつけると、故郷へ戻るかと聞いた。
これがハルアーダが一晩考えて選んだことである。
アキームの両親から手紙はまだ来ない。
ルルム地方で戦争が起こり、関所が閉ざされたからだとハルアーダは認識している。
彼の両親が我が子を見習い騎士となることを拒否している可能性もあった。
だから、最終判断をアキームに預けたのである。
アキームはハルアーダが一晩も寝ずに考えていたなんて素知らぬ顔で「帰りません」と答えた。
そもそも、帰るつもりが一粒でもあるなら大男(アーモ)を配下になんてしていないとアキームは笑うのだ。
彼の言葉にハルアーダは恥じた。
アキームよりずっと年齢が上のハルアーダなのに責任逃れのような真似をしてしまったと思う。
ハルアーダはアキームの師匠なのだから、修行を続けろというのも、親元へ帰れというのもハルアーダが責任を持って命ずることなのであった。
「そこまで覚悟があったとは失礼なことをした」
ハルアーダは結果的とはいえアキームを試すような真似をしてしまったことを謝罪するのである。
ハルアーダの心のどこかでアキームを侮っていたことは認めねばならない話だ。
アキームは若いながらすでに自分の考えをしっかりと持っている少年であった。
だから、ハルアーダも彼のことを子供と決めつけるのをやめたのである。
まず、規律違反の罰を与えた。三日間のトイレ掃除だ。
その上で、ハルアーダでさえ討伐できなかった賊問題を解決し、配下を増やしたことに褒美として金を与えた。
アキームは罰を与えられたことで一個の男と認められた気がしたと同時に、褒美を貰えたために行動そのものが悪いことではなかったのだと思って嬉しかった。
師匠は俺に期待している。
アキームはそう思って、訓練にもより一層身が入ったのだ。
しかし、一ヶ月後、ハルアーダはサスパランドへ攻めるためにアキームの訓練を中止した。
というのも、堅牢で知られるサスパランドの防備が手薄になったからだ。
サスパランドは要塞都市であり、また交通の要衝でもある。
ハルアーダがキルムからサスパランドを奪うのは、カセイ国へ備えるための急務であった。
「急ぎ軍備を整えよ」。と、領内に命令を下す。
ハルアーダが急いで命令を下したのには、サスパランドの防備が薄くなった理由に関係していた。
まず南方のルルム地方でカインがハント領へ攻め込んでいる。
そのため、ハントはカインへ備えるために南方へ戦力を集中したのだ。
それを見逃さなかったのがハントの北に位置するカセイ国だ。
カセイ国は、その喉元へ刃を立てているハントを滅ぼそうと南へ軍を向けたのである。
しかし、ハントと同盟を組んでいるキルムが、そうはさせじと手薄になったカセイ国を攻めたのだ。
戦いが戦いを呼ぶ連鎖である。
しかし、カセイ国が引き返そうものならキルムもまたサスパランドへ兵を引き返すだろう。
その前にハルアーダは堅牢で知られるサスパランドを奪う必要があった。
一日で出軍の準備を終えたハルアーダは出軍命令の翌日にはサスパランドへと向けて侵攻する。
しかし、キルムはサスパランド内に防衛の兵を十分に残してあった。
ハルアーダは三度の波状攻撃を仕掛けたが攻城ハシゴをかけることすらできない。
手をこまねいていると、カセイ国が引き返すのに従ってキルム本隊がサスパランドへ撤退してきたのでハルアーダは無念の撤退をおこなった。
ハルアーダ軍一万の被害は死者五百人、傷者二千人。
後日、怪我を元に死んだのが三百人である。
これは城壁から糞尿を撒かれたことによる破傷風だと思われる。
すぐに手当を受けた者や、すぐに傷口を洗ったものは無事であったが、傷口を洗わなかった者や手当がすぐにできなかった者が死んだ。
衛生観念はこの時代、まだ全ての人々に届いていた訳ではないのである。
アキームはこの戦いに参加していなかった。
見習い騎士としては戦に参加するのはまだ早いとハルアーダが判断したからだ。
代わりに、戻ってきたハルアーダの敗戦の処理を手伝った。
まる三日もの間、敗戦の処理をしたのである。
戦死した遺族への補償や使用不可になった武具の補給などだ。
ハルアーダの人材が薄く、こういった頭を使う書類仕事ももっぱら彼の仕事であった。
猫の手も借りたいところだったのでアキームの手助けは実際ありがたいのである。
「なぜ、師匠は戦うのですか?」
戦争の被害報告を見ながらアキームは聞いた。
元々、アキームは戦争に憧れていた。
戦士になって、兵士になって、騎士になって八面六臂の活躍をする自分の姿を。
ギリギリの死線。武力で敵を薙いで、閃きで困難を乗り越える。
夢物語のような姿に憧れていた。
だが、被害報告を読んでいたアキームは少しだけ現実が見えた。
羊皮紙に綴られたインクが物語るのは、汚泥汚物にまみれ、泣き叫び、逃げ惑う味方の背中に手を向けても誰も助けてくれずに死にゆく姿。
生きるための金を欲し、命じられたままに槍を持って突撃する愚かな行進。
アキームは父ラドウィンが戦いから離れた理由を少しだけ理解した。
それでも、なぜ人は戦うのだろうか。
ハルアーダは書類に踊る筆を止めることなく、「人のためだ」と答えた。
「人とは誰ですか?」
アキームの問いにハルアーダは「その人にとって大切な人だ」と事も無げに答えるのだ。
ある者は家族を養うため、ある者は愛する者の住まう土地を守るため。
主のため、あるいは、自分の折りたくない誇りのために。
「俺は皇帝に仕えている。主のために命をかけて戦う」
ハルアーダが戦うのは、つまりティタラのためだ。
皇帝であるティタラのために戦っている。
本当にそうだろうか?
もしかしたら、ティタラがハルアーダの実の娘だからでは無いのか?
そのような疑問をハルアーダは持っていた。
主に忠誠を誓うのと、実の娘を助けたいのは根本的な意味が違う。
少なくとも、ハルアーダにとって部下の命を預かる大義名分として、主への忠誠が大事だった。
だから、疑問に気付かないようしていたのである。
「じゃあ、サスパランドへ攻めなくても良いのでは?」
アキームが書類から目を上げてハルアーダを見た。
カセイ国に囚われたティタラを助けることが目的なら、キルムと敵対する理由がない。
むしろキルムと同盟し、サスパランドを盾として迂回しながらカセイ国を攻めても良いのではないかとアキームは提案した。
だが、ハルアーダは首を左右に振って否定する。
「キルムの前領主は卑しくも勝手に独立した賊。それは皇帝に反旗を翻す行為だ」
皇帝の土地を奪って我が物とするキルムもまた倒すべき敵の一つ。
仲良く手を組むなど有り得なかった。
アキームは頭を掻いて、「面倒くさいですね」と呆れる。
「俺なら、皇帝を助けたいって目的のために手を組むくらいしますけどね」
無垢な感想だ。
目的のために合理的なら手を組むくらいできるとアキームは思っているのだ。
実際、そのようなことは難しい。
皇帝を第一とするハルハーダにとって、皇帝から独立した相手と手を組むのはプライドが許さなかった。
プライド。そうだ。プライドだ。
人というものは、このプライドなどという感情のせいでどれほど不合理な行いをするだろうか?
ハルハーダとて不合理だとは分かっているが、やはりプライドが邪魔をするのだ。
そして、プライドを失った時に、どれほどの兵士が自分の元を離れてしまうのか恐ろしい。
だが、ハルハーダは、ふとラドウィンのことを思い出した。
彼も目的のためなら敵と手を組むこともいとわない性格だった。
飄々としていて掴みどころのない彼は、追撃を加えるハルハーダに休戦を持ちかけるような精神の図太さである。
プライドが無いのかと問えば、きっと彼は「戦いを避けるなら靴も舐めますよ」と言うだろう。
今となっては彼のその飄々としたしたたかさがハルハーダには欲しいのも事実であった。
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