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7 幕間:王太子の説教 上
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研究発表会後、グノシスは父王に呼び出された。
彼はその貴重な時間をたっぷり使って、フラエ=リンカーへ求婚したグノシスに「馬鹿なことはよせ」と説得を試みた。グノシスは同じだけの時間をかけて、自分が本気であることを誠心誠意伝えた。
日が暮れかける頃になって、全く折れる様子のないグノシスに、結局父王が先に諦めた。「気まぐれもいい加減にしなさい」と言い残して、彼は公務へと戻っていった。
ひとり残されたグノシスは、長く息を吐き出して俯く。右手で顔を覆い、またため息をついた。これが気まぐれであれば、グノシスも、フラエも、こんなに苦しまなかっただろう。フラエ、と吐息だけで彼の名前をなぞる。
学生時代から好きだった。きっと最初で最後の恋をしている。
傲慢で誰をも軽んじていたグノシスに、他者と交流することを教えたのは、間違いなくフラエだ。彼は突拍子もない行動ばかりするが、間違いなくあの頃のグノシスに「自分も尊重しろ」と言ってのけた、唯一の人物だ。
陶器のように白い肌に、小柄で細くしなやかな肢体。結い上げられた黒髪と緑の瞳が美しく、赤い唇が蠱惑的だった。禁欲的な黒い制服の下を、きっと誰もが妄想しただろう。
優美な見た目と反して攻撃的で、口を開けば誰かと口論を起こし、道を歩けば誰かと取っ組み合いをする。中級学校一年生の頃、十歳のグノシスが初めてフラエに話しかけたときも喧嘩が始まったし、気づけば殴り合いになっていた。
本気で彼に殴りかかった。フラエの身体に何度も拳を入れ、それ以上にフラエに胸ぐらや鳩尾を強かに殴られた。そして、二人揃って反省室に放り込まれて。独房のような部屋で始まった腐れ縁は、卒業まで二人を強く結びつけていた。
きっと相思相愛だった。自分がどれだけ身体を近づけても彼は拒まなかった。フラエもグノシスに寄り添って、いつも二人は一緒だった。
その彼に一晩だけを望まれて、頭に血が昇ってしまったことを、今でもずっと後悔している。大切な関係をたった一晩で片付けようとしたフラエに腹が立った。密な営みを結婚してもいないのにすることに抵抗があった。そんなふしだらな行為に自分を誘うフラエが、あの瞬間は許せなかった。でも、今は。あの日をやり直せたらと、何度願っただろう。
やり直せたら、震える彼を抱きしめて、いつか迎えにいくと言うのに。
感傷に浸っていると、部屋の扉がノックされる。返事をするのも億劫で黙っていると、「入るよ」と無遠慮に扉が開かれた。
「愚弟よ。兄になにか、相談事はないのかな?」
「王太子殿下、何の御用でしょうか」
皮肉げに返すグノシスを大して気にした風もなく、長兄ダリアスは父王が座っていた椅子に座った。手には一枚の紙を持っており、「見るかい? うちの五歳児の最高傑作を」と愛おしげに開いている。彼が自身の妻と娘と息子を愛していることは、この国ではあまりにも有名な話だ。グノシスの傲慢な性格も、それと同じくらい有名だった。
無言を貫き通すグノシスに「お前も馬鹿だねぇ」と、彼は呆れたように言って、五歳の息子の作品を胸元に仕舞う。
「なぜ、そんなに馬鹿正直に言ってしまったんだ」
「……フラエが、奇異の目で見られていたから、つい」
不貞腐れた様子のグノシスに、ダリアスは呆れた様子で「そうかい」と頷く。椅子を少し引き、頬杖をついてグノシスと向かい合った。王族らしからぬ気安い、礼儀作法を無視した態度は、長兄が弟たちと向き合うときの合図だ。
「そんなに大事だったら、どうして手放してしまった? 学生時代の思い出だけで、お前が満足できるわけがないだろうに」
「……もっと力を手に入れて、迎えにいくつもりだった」
ぼそぼそと答える。ダリアスは、グノシスの答えに心底呆れた、と言わんばかりに目をすがめた。長いため息をつき、姿勢を正す。いつもの軽薄さと気安さを装う態度ではなく、彼が本来持つ生真面目さが顔を出した。再びの長いため息の後、彼は悔いるように俯き、苦しそうにうめく。
「お前には魔力が馬鹿みたいに多い以外、大した取り柄がないとは分かっていたが、こんなに馬鹿とは思わなかった……」
「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは」
むっとして言い返すと、「いいかいグノシス」と彼は額を突き合わせて、グノシスの胸に人差し指を突きつける。
「お前のことだからその時、彼には『迎えにいく』と伝えずじまいだっただろう」
図星を突かれても、動揺を顔に出すことはなかった。じっと目を見つめ返すと、グノシスよりずっと上手な兄は「図星だな」と見透かす。
「お前とフラエ=リンカーがどんな別れ方をしたか、僕は知らない。だけど彼は、お前と特別な関係を持つことを、もう望んでいないように見えた」
それは分かるな? と念を押され、眉間に皺が寄る。こら、と、胸元に突きつけられていた人差し指が、眉間に移動する。ぐりぐりと指の腹で寄った皺を伸ばしながら、ダリアスは言う。
「いいか? 少なくとも、お前はフラエ=リンカーとの関係をしくじった。こぼれた水は釣瓶に戻らないし、酢になった酒は酢のままだ」
それがどうした、とグノシスは思う。なんだかんだとフラエは自分に甘いし、最後は許してくれる。でも。
「……最後に会ったとき、酷い別れ方をしました」
ぽつりと呟く。「お前が傷つけたのか?」と尋ねる兄に、「はい」と首肯する。ダリアスは弟にとても甘い兄の顔で、「馬鹿だなぁ」と呆れたように言った。
「お前がそう言うのであれば、余程酷い別れ方だったんだろう」
黙り込むグノシスに、グノシスが諭すように言う。
「お前はもう、二十四なんだよ。もう少しで二十五だ」
最近、目元の笑い皺の取れなくなってきた兄だ。
「いい加減分かりなさい。自分の持つ立場と権力と、何より責任を」
彼はその貴重な時間をたっぷり使って、フラエ=リンカーへ求婚したグノシスに「馬鹿なことはよせ」と説得を試みた。グノシスは同じだけの時間をかけて、自分が本気であることを誠心誠意伝えた。
日が暮れかける頃になって、全く折れる様子のないグノシスに、結局父王が先に諦めた。「気まぐれもいい加減にしなさい」と言い残して、彼は公務へと戻っていった。
ひとり残されたグノシスは、長く息を吐き出して俯く。右手で顔を覆い、またため息をついた。これが気まぐれであれば、グノシスも、フラエも、こんなに苦しまなかっただろう。フラエ、と吐息だけで彼の名前をなぞる。
学生時代から好きだった。きっと最初で最後の恋をしている。
傲慢で誰をも軽んじていたグノシスに、他者と交流することを教えたのは、間違いなくフラエだ。彼は突拍子もない行動ばかりするが、間違いなくあの頃のグノシスに「自分も尊重しろ」と言ってのけた、唯一の人物だ。
陶器のように白い肌に、小柄で細くしなやかな肢体。結い上げられた黒髪と緑の瞳が美しく、赤い唇が蠱惑的だった。禁欲的な黒い制服の下を、きっと誰もが妄想しただろう。
優美な見た目と反して攻撃的で、口を開けば誰かと口論を起こし、道を歩けば誰かと取っ組み合いをする。中級学校一年生の頃、十歳のグノシスが初めてフラエに話しかけたときも喧嘩が始まったし、気づけば殴り合いになっていた。
本気で彼に殴りかかった。フラエの身体に何度も拳を入れ、それ以上にフラエに胸ぐらや鳩尾を強かに殴られた。そして、二人揃って反省室に放り込まれて。独房のような部屋で始まった腐れ縁は、卒業まで二人を強く結びつけていた。
きっと相思相愛だった。自分がどれだけ身体を近づけても彼は拒まなかった。フラエもグノシスに寄り添って、いつも二人は一緒だった。
その彼に一晩だけを望まれて、頭に血が昇ってしまったことを、今でもずっと後悔している。大切な関係をたった一晩で片付けようとしたフラエに腹が立った。密な営みを結婚してもいないのにすることに抵抗があった。そんなふしだらな行為に自分を誘うフラエが、あの瞬間は許せなかった。でも、今は。あの日をやり直せたらと、何度願っただろう。
やり直せたら、震える彼を抱きしめて、いつか迎えにいくと言うのに。
感傷に浸っていると、部屋の扉がノックされる。返事をするのも億劫で黙っていると、「入るよ」と無遠慮に扉が開かれた。
「愚弟よ。兄になにか、相談事はないのかな?」
「王太子殿下、何の御用でしょうか」
皮肉げに返すグノシスを大して気にした風もなく、長兄ダリアスは父王が座っていた椅子に座った。手には一枚の紙を持っており、「見るかい? うちの五歳児の最高傑作を」と愛おしげに開いている。彼が自身の妻と娘と息子を愛していることは、この国ではあまりにも有名な話だ。グノシスの傲慢な性格も、それと同じくらい有名だった。
無言を貫き通すグノシスに「お前も馬鹿だねぇ」と、彼は呆れたように言って、五歳の息子の作品を胸元に仕舞う。
「なぜ、そんなに馬鹿正直に言ってしまったんだ」
「……フラエが、奇異の目で見られていたから、つい」
不貞腐れた様子のグノシスに、ダリアスは呆れた様子で「そうかい」と頷く。椅子を少し引き、頬杖をついてグノシスと向かい合った。王族らしからぬ気安い、礼儀作法を無視した態度は、長兄が弟たちと向き合うときの合図だ。
「そんなに大事だったら、どうして手放してしまった? 学生時代の思い出だけで、お前が満足できるわけがないだろうに」
「……もっと力を手に入れて、迎えにいくつもりだった」
ぼそぼそと答える。ダリアスは、グノシスの答えに心底呆れた、と言わんばかりに目をすがめた。長いため息をつき、姿勢を正す。いつもの軽薄さと気安さを装う態度ではなく、彼が本来持つ生真面目さが顔を出した。再びの長いため息の後、彼は悔いるように俯き、苦しそうにうめく。
「お前には魔力が馬鹿みたいに多い以外、大した取り柄がないとは分かっていたが、こんなに馬鹿とは思わなかった……」
「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは」
むっとして言い返すと、「いいかいグノシス」と彼は額を突き合わせて、グノシスの胸に人差し指を突きつける。
「お前のことだからその時、彼には『迎えにいく』と伝えずじまいだっただろう」
図星を突かれても、動揺を顔に出すことはなかった。じっと目を見つめ返すと、グノシスよりずっと上手な兄は「図星だな」と見透かす。
「お前とフラエ=リンカーがどんな別れ方をしたか、僕は知らない。だけど彼は、お前と特別な関係を持つことを、もう望んでいないように見えた」
それは分かるな? と念を押され、眉間に皺が寄る。こら、と、胸元に突きつけられていた人差し指が、眉間に移動する。ぐりぐりと指の腹で寄った皺を伸ばしながら、ダリアスは言う。
「いいか? 少なくとも、お前はフラエ=リンカーとの関係をしくじった。こぼれた水は釣瓶に戻らないし、酢になった酒は酢のままだ」
それがどうした、とグノシスは思う。なんだかんだとフラエは自分に甘いし、最後は許してくれる。でも。
「……最後に会ったとき、酷い別れ方をしました」
ぽつりと呟く。「お前が傷つけたのか?」と尋ねる兄に、「はい」と首肯する。ダリアスは弟にとても甘い兄の顔で、「馬鹿だなぁ」と呆れたように言った。
「お前がそう言うのであれば、余程酷い別れ方だったんだろう」
黙り込むグノシスに、グノシスが諭すように言う。
「お前はもう、二十四なんだよ。もう少しで二十五だ」
最近、目元の笑い皺の取れなくなってきた兄だ。
「いい加減分かりなさい。自分の持つ立場と権力と、何より責任を」
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