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第2章:巡る記憶の回想

第2話:仮面の下にある狂気(2)

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驚いたような顔をされて逆に驚く。いつの間に距離が縮まっていたのか、密着するほど近くに迫った体は後方の本棚に遮られて萌樹の腕が作り出す輪の中に納まっている。


「どうしたんですか、じっと見つめて」

「綺麗な顔だなって思って」

「よく言われます」


謙遜も躊躇もなく肯定した萌樹に返す言葉を見失う。


「乃亜もボク好みの顔をしていますよ」

「え?」

「意外ですか?」


とぼけた顔が上手だと言ってやりたいのに、口からは餌を求める魚のようにパクパクとした無音しか吐き出せない。社交辞令にしては出来過ぎた殺し文句だと、先ほどとは違う鼓動の高鳴りが体を熱く変えていく。


「不思議ですね」

「っ…なに、が」

「どうしてキミが警戒を?」

「警戒なんて…っ…してな…ぃ」

「本当に?」


崩れない表情に反して、逃がさないように近づいてくる指先が乃亜の毛先を弄ぶ。くるくると指に巻き付けたその流れで頬に触れ、滑り落ちるように首を掴んだ手は意外と大きかった。


「ッあ」


ビクリと今度こそ確実に乃亜の体が硬直する。
捕まれた白い首筋に突き刺さったのは萌樹の牙。肌を突き破る感覚が神経を逆撫で、みぞおちの辺りから逆流していく血の感覚に変な声が出そうになる。


「おや。牙は初めてですか?」

「ィッあぁ…~っ…くっ」


唇を噛み締め、代わりに萌樹の服を両手で握りしめる。
どれだけ力を込めていたかはわからない。数分か数秒か、首筋を捉えていた萌樹の手が離れ、崩れ落ちそうになる乃亜の体を抱き寄せるように本棚に押し付ける頃には、意識は朦朧と部屋の闇に染まっていた。


「随分と気持ちよさそうな息遣いが上手ですよ」

「ふっ…~~ぅ…ンっ」

「暴れないでください。何にでも代償はつきものというでしょう?」


首筋から這い上がるように聞こえてくる言葉に、萌樹の服を握りしめる力が弱まらない。
優しい声に導かれ、震える腰を抱き寄せられて、また苦痛に零れそうになる口を塞がれる。萌樹の手は器用に乃亜の口を塞ぎ、鼻から繰り返される息だけを興奮に満たしていく。暗い部屋、背後の本棚、密着した体温の熱、首筋から吸い上げられていく生命の源。


「加減は難しいですがね」


はぁはぁ。と、か細く息を繰り返す乃亜を抱き留めた萌樹の声が、静かな図書室に零れ落ちる。
赤く染まった牙を舌で舐め、味わうように唇を揉む姿はまだ物足りないという風にじっと乃亜を見つめていた。


「乃亜の血はボクの味覚に合うようですので、気を付けなくては」

「っ…気を…ぁ」

「美味しいと言っているのですよ。まさか、このような付加価値がついて来るとは」

「ァ…っ…何ぃ…んっ」

「想定外の事実は素直に悦びましょう。乃亜も抵抗は無意味です」


何を言っているのか、よくわからない。
貧血が襲う体ではうまく思考回路も働かない。
抱きあげられて近くのソファーに寝かされる身体。指先がかろうじて動く程度の力しか入らない。


「誘ったのはキミなので、あとでボクを恨まないでくださいね」

「ッ!?」


理解できないまま、真上から降り落ちてくる萌樹の顔を眺めていた乃亜の瞳が大きく見開かれる。


「っ…ぁ…んぁ…ッァ…な」

「どうしました、可愛い声で鳴いていいんですよ?」

「ッく…ぁ…もえ…ぎ…ッ」

「嗚呼、キミは可愛い。全身でボクを感じるその姿に、激しくそそられます」


上から全体重を乗せて絞められる首の圧力に、乃亜の爪が萌樹の腕に赤い線を刻んでいく。
なぜ、突然首を絞められることになったのかなど検討もつかない。息をしようと酸素を求めて訴える声はかすれ、生きようともがく瞳は涙をためて真上の萌樹をにらみつける。


「そういう瞳で見つめられると、もっといじめたくなってしまうので逆効果ですよ」


そのまま口付けてくる狂気に足がばたつく。初めて他人の口から移される自分の血の味もわからない。呼吸が奪われるほど苦しくても、綺麗な顔は眠り姫に口付けでもするかのように形を変えずに触れてくる。もがいて、もがいて、全身の力を出して抵抗しても、微動だにしない力の差を信じたくない。足をばたつかせるほど、服越しに擦り付けられる下腹部の動きに強さが加えられ、重なる唇の隙間から差し込まれた舌に熱が帯びてくる。


「ンッ~~っん…んっ…ッ」


ふわりと浮くように意識が消えて、パタリと乃亜の手が床に落ちる。
当然のように気を失った乃亜に気づいた萌樹は、喜びを隠しもしない恍惚の表情を浮かべていたが、やがて気を取り直したように体を起こして両手を見つめる。開いたり閉じたりを繰り返し、三度目に閉じようとしたその時、小さくせき込んだ乃亜の仕草にフッと柔らかな息を吐いた。


「本当にキミは最高ですよ。まあ、これから先の永遠に免じて、今は解放しましょう」


乱れた着衣を整え、未遂に終わった犯行に名残りを告げる。


「たまりませんね、あの顔、あの声。早く滅茶苦茶に壊したい」


それは疑いようもなく沸き立つ残虐な本性。赤い瞳を暗闇に灯して獲物を狙う猛獣は、牙と爪を隠そうともせずに柔らかな肉を求めている。


「感謝しますよ」


それは何に対してなのか、先を問いかける者がいない室内で真意は闇に葬り去られる。
眠る乃亜のまぶたに唇を押した萌樹は、せめてもの償いのように再度乃亜の体を抱き上げると、誰もいない静かな廊下へその身を溶け込ませていった。

To be continued...
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