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第一章 異世界のような現実
第四話 招かれた居城
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週明け、月曜日。
特段変わりなく仕事をこなし、ランチタイムも過ぎた午後二時すぎ。ブレイクタイムを楽しむ女子の声を聞きながら、アヤはマグカップをコーヒーマシンの下に置いていた。
ピッと軽い音がして機械がうなり始める。
目の前のマグカップを小さな白い泡が覆っていく。その下は真っ黒な液体だというのに、仕上がりは美味しい。
まるで先週のようだとアヤは注がれていくその泡を見ながらため息を吐いた。
「何か悩み事?」
真っ赤に染めたボブショートに眉ピアス。タンクトップからのぞく肌には溶けたハートのタトゥー。一見、怖そうにみえるだけでなく、日本にいたら確実に仲良くはなれない彼女が気さくに声をかけてくる。
「セイラ。ごめんなさい。なんでもないの」
「それ」
「え?」
「カプチーノ、出来てる」
「あ。ほんとだ」
「珍しいじゃない。仕事中にそういう系飲むの」
「たまにはいいかなって」
「まあ、あんたがナニ飲もうとそれは自由なんだけど。今日一日中そんな感じだし、男どもが理由を聞いてくるから、段々とあたしも気になってきちゃってさ」
「えっ、もしかしてミスしちゃってた?」
「あー。違う違う。そういうんじゃない」
はぁーっと呆れたような長い息がセイラの口からこぼれるのを横目に、アヤはカプチーノに口をつける。
たしかに。普段は飲まないなと、そこになって自覚した。
「今日はほんと、どいつもこいつもやる気なさすぎ」
「ごめんなさい」
「だからアヤじゃないって、あれよあれ」
言われて、アヤは先ほどからお喋りを楽しんでいる女子社員たちを視界にうつす。ゆるく流したブロンドヘアに胸元がざっくり空いたワンピースの子とショートパンツにオフショルダーのトップスを組み合わせた茶髪の子が携帯を見ながら何かを指差している。
ここは、制服の指定はない。能力があればそれでいいというラフなスタイルがうりの職場。
毎日、見飽きるくらい同じ黒のタイトスカートにブラウスを着用しているのは自分くらいだと。改めてアヤはストッキングをはいた足を見つめた。
「なんで」
カプチーノの泡がその先の言葉を奪う。
自分より綺麗な人なんて、この世に数えきれないほど溢れている。例えばあの綺麗な女性たちと自分。どちらとセックスしたいかと問えば、十人が十人とも彼女たちの方を選ぶだろう。
色気もスタイルも女としての意識の高さも絶対あちらの方が上なのに、なぜあの三人は自分なんかに手を出したのか。
一晩といわず、この週末。
ずっと考えていた。
地味な女だから簡単にヤれるとでも思ったのだろうか。それとも、母国に見放された哀れな女だから泣き寝入りもしないと思われたか。
どちらにしろ、あまりいい理由ではない。でも、それ以外に思いつく理由もない。
だけど、ちょっとだけ。嬉しかった。
彼らが何の取り柄もない自分に欲情してくれたこと。お世辞でも「可愛い」といい、恋人と過ごすような時間を演出してくれたこと。
たった一回、肌をあわせたくらいで随分面倒な性格をしているなと、自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「………っ」
思い出しただけで下腹部がきゅっとなる。
こんなに性に対して貪欲だったかと、アヤは誤魔化すように口にふくんだ液体を飲み込んだ。
「なんでって決まってるじゃない」
呆れたように言うセイラは、どうやら先ほどの呟きを会話の流れだと思ったらしい。
隣に立ち並びながら「キングが不在だからでしょ」と、眉についたピアスの位置を整える。
「あの仕事しか愛さないってくらいの冷酷王子が休みってのも信じられないけど。あたしの部署にいるランディってのも、なんか今日は休みらしくってさ。女子たちの気合いのなさったらありゃしない。秘書課に至ってはスヲン様がいないってだけで、この世の終わりみたいって話よ」
「ランディ……スヲン……って」
「ああ、アヤは知らないか。システム部はランディってイケメンな男がいるんだけど、残念ながら頭もめっちゃいいのよ。愛想がないし、指示も必要最低限しか喋らないし、あたしは結構苦手。でも、なんでか評価いいのよね。プロバスケを目指してたらしいし、魅せる人種ってやつかな。ま、仕事できるから文句はないけど」
「そ……そうなん、だ」
「魅せる人種っていえば、こっちもそうか。スヲンってのは、母親が韓国でモデルやってて、父親がこっちにある有名ブランドの社長。美形一家だから顔は言わずもがな。レディーファーストが板についてて、男女問わずになぜか人気ね。最初はこね入社って噂だったけど、今じゃこの会社になくてはならない存在だってさ」
「……………」
なぜ、こんなにもプライバシーが筒抜けなのだろう。本人たちのいないところで聞くのが、なぜか申し訳ないような気もする。
いや、先週末のことがなければ「へぇー」と一言吐いて、無関心でいられたかもしれない。セイラもその異変を敏感に察知したのか、隣にたつ距離を少しだけ縮めてきた。
「やっぱり変」
「えっ……な、なにが」
「キング」
「ロ…っ、ハートンさん?」
「そうそう。いつもなら、その辺からフローラルバード引き連れてくるじゃん」
「フローラルバードって」
セイラの言うとおり、ランチタイムが終わったあと業務に区切りがつくタイミングで、大体ロイはこのフロアに現れる。
それでも今日は顔を見せない。いつもロイにまとわりついてる視界の端の彼女たちが、呑気にお喋りに花を咲かせているのがその証拠。
「そろそろ戻らないと」
「アヤ、今晩飲みに行かない?」
「うん」
「じゃあ、終わったら迎えにくるね」
そうしてセイラとも別れ、なんとなくやる気のない仕事も定時に終わり、アヤは連れられるままセイラがお薦めするいつもとは違う店に食事にきていた。
アヤとは違って、セイラにはあれから色々あったようで今は愚痴聞き役に徹している。
「あー。もうあたしの部署にアヤがいてほしい」
「迷惑しかかけないと思う」
「アヤはなんでそんなに自分に自信ないのよ。そこにいてくれるだけで癒されるって人間がどれだけいると思ってんの?」
「ああ。私ドジだから」
「違うって。あたし、こんな身なりだからさ。見てくれで結構馬鹿にしてくるやつ多いんだよ。能力評価の今の会社には本当感謝してるけど、やっぱり中には見下した台詞吐くやつもいるし」
「だけど私も最初はセイラ怖かったよ?」
「初対面の相手に対して、アヤは基本怖がるじゃん。怖がってるか、バカにしてるかの違いくらいわかるよ。警戒心強いってのはアヤのいいところだし。まあ、好奇心も強いから彼氏は大変だろうけどさ」
「だから、彼氏はいないってば」
「ほんともったいない。あたしが男だったら既成事実作ってでも手に入れるのに」
「バートが泣くよ?」
「そうね。そろそろ来る頃だし、泣くかどうか試してみようかな」
「もう。彼氏をいじめちゃダメ」
そういってアヤとセイラは顔を合わせて笑う。
「ちょっとトイレだけいってくる」
「うん。いってらっしゃい」
セイラが席を立ち、アヤはグラスに口をつけた。お酒を飲み干してしまおうと単純にそう思っただけだが、ちょうど店の扉が開いて、入ってきた人物と目があったアヤはそのままの形で固まる。
どうして、こんな場所に。
向こうもそう思ったのかもしれない。見間違えるはずもなく、今日会社で不在にしていた三人がそこにいた。
「アヤ、お待たせ」
「せっ、セイラ。おかえりなさい」
「バートが店の外についたって。もう飲み終わったなら、行こう」
少し化粧を直したのか、セイラの唇が赤いボブの髪色と同じ色を取り戻している。
どうしよう。
目があえば視線を感じるかと思ったのに、すでに三人は案内された席について何かを話し合っている。誰もこっちを見ない。
たった一度、関係をもったからどうだというのか。
自意識過剰にもほどがある。
年齢も27を過ぎてくると、恋愛関係じゃなくても一晩の過ち、遊びがあるということくらい知っている。それがイヤなら拒否すればよかっただけのこと。あの状況で逃げられたかと聞かれれば絶対無理だが、あれほど官能的で気持ちよかったと思えるセックスをされて、忘れろというのも無理な話。
彼らの顔を見ただけで疼く身体は、きっとランディが言っていたように「やらしい」のだろう。
「うん、行こう」
グラスの中身を一気に飲み干して、アヤは椅子から立ち上がる。
テーブルに打ち付けた空っぽのグラスが小気味いい音をたてたが、気持ちを切り替えるにはちょうどいい。アヤはセイラと会計を済ませて、店の出入り口に足を運んだ。
「お客様」
店の前にいた彼氏のバートにセイラが抱き着いてキスをする頃、アヤは出てきたばかりの店の人に呼び止められる。
「お忘れ物です」
なにか置き忘れてきただろうかと、慌てて手を出して受け取ったそれにアヤは疑問符を浮かべた。折りたたまれた白い紙。こんなもの持ってきていただろうかと開いて、酔いが一気に冷める。
「アヤ、何してるの?」
「ごめんなさい。今行く」
アヤは店員に一度頭を下げてから、バートの車で待つセイラの元へかけていった。
その後、家の前まで送ってもらい、バートの車が見えなくなった瞬間。アヤは近くを通りかかったタクシーを呼び止めて、あるマンションの玄関ホールへと運んでもらっていた。
一目見ただけでわかる。
場違い、だと。
「……本当に、ここ?」
白い紙に書かれた住所をタクシーの運転手に見せて運んでもらったのだから間違いはない。煌びやかなマンションのルームナンバーを呼び出せば、きっとここの住所を教えてきた人物に会えるのだろう。
ロイ・ハートン。
「やっぱり、帰ろう」
お酒の勢いもあってここまで来たが、時間はもう夜の十時。明日の仕事のことも考えると、帰って寝た方がいい。第一、勝手に期待して高鳴る心臓と付き合い続けるには、少々つらい。
「……アヤ?」
帰ろうと思い立った瞬間、なぜかあの三人と遭遇する。
先頭にいたロイが驚いた顔をして、その後に続くランディとスヲンも少し驚いた顔を見せたあと、三人とも周囲を卒倒させるほどの笑顔に変わる。
「来てほしいとは思ったけど、まさかこんなにすぐ来てくれるとは思わなかった」
ギュッと抱きしめてくるロイの行動に戸惑う。
普段、会社でみる姿は今とは真逆と言ってもいい。セイラが冷酷王子だと揶揄していたことで思い出したが、彼はもともと他人にべたべたする性格ではない。はず。
「あ、あの」
「ここでは人目につくからとりあえず部屋に行こう」
「そうだな」
アヤの言葉を遮るように、スヲンとランディが先を促す。
帰ろうと思っていた感情はどこに行ったのか、アヤは腰を抱いたロイに続くように、彼らとともにエレベーターに乗っていた。
「あ、あの」
しばらく続いた沈黙に耐え切れなくなって、アヤがもう一度口を開いたとき、タイミングよく指定の階に到着したらしい。ぞろぞろとエレベーターを降りて、軽い電子音を聞くと同時に、アヤはいかにも高級なマンションの一室に連れ込まれていた。
「あ、あの」
もう三度目になる。
どこかご機嫌なロイの腕は相変わらず腰を抱いたままで、ソファーまで一緒についてくる。モノトーンの家具で統一されたシンプルなリビング。
一人がけのソファーみっつと、三人掛けのソファーがひとつ。その前に透明の板が乗ったローテーブル。テレビの代わりに天井からプロジェクターらしきものがぶら下がっている。たぶん白い壁に映して楽しむのだろう。
間接照明がイイ感じに室内を照らしてくれているが、遮光カーテンが垂れ下がるその向こうは、きっと満点の夜景が拝めるに違いない。さすが、ロイ。住んでいる世界が違う。
じゃ、なくて。
「どうして、来たの?」
「え?」
まさかのロイからの質問に面食らう。
スヲンもランディも興味深そうに答えを待っているような雰囲気をみせてくるが、「どうして」という質問はアヤこそ口にしたいもの。
「来ては、いけませんでしたか?」
「ううん、来てくれて嬉しいよ。でも、ほら。あの日、アヤは逃げるように帰っていったから、その……ボクたちのこと、嫌ったんじゃないの?」
「え、そんな…いえ、あの…っ…会いたくて」
緊張で言葉がうまく続かない。
週末も、ここに来るまでの間も、彼らと会った時のシミュレーションをしていたのに全然その通りにいかなくてイヤになる。
「メモに、住所があったから…っ…てっきり、来ていいのだと…違いましたか?」
混乱した脳が確認を口にする。
からかわれたのだろうか。座高が違うせいでどうしても見上げる位置にあるロイの目を覗き込む。真意は、よくわからない。
「お邪魔でしたら、あの…っ」
「邪魔じゃないよ。呼んだのはボクだし、さっきも言ったけど来てくれたらいいなって思ってた」
「ど…どうして?」
声が震える。これは酔いがみせる都合の良い夢じゃないかとさえ思い始めてきた。なのに、それまで無表情に見えたロイの顔がなぜか、くしゃっと優しい笑みに崩れていく。
「どうしてって、アヤが好きだから」
「ッ!?」
さらっと告げられた爆弾発言に、顔に熱が昇るのを感じる。
特段変わりなく仕事をこなし、ランチタイムも過ぎた午後二時すぎ。ブレイクタイムを楽しむ女子の声を聞きながら、アヤはマグカップをコーヒーマシンの下に置いていた。
ピッと軽い音がして機械がうなり始める。
目の前のマグカップを小さな白い泡が覆っていく。その下は真っ黒な液体だというのに、仕上がりは美味しい。
まるで先週のようだとアヤは注がれていくその泡を見ながらため息を吐いた。
「何か悩み事?」
真っ赤に染めたボブショートに眉ピアス。タンクトップからのぞく肌には溶けたハートのタトゥー。一見、怖そうにみえるだけでなく、日本にいたら確実に仲良くはなれない彼女が気さくに声をかけてくる。
「セイラ。ごめんなさい。なんでもないの」
「それ」
「え?」
「カプチーノ、出来てる」
「あ。ほんとだ」
「珍しいじゃない。仕事中にそういう系飲むの」
「たまにはいいかなって」
「まあ、あんたがナニ飲もうとそれは自由なんだけど。今日一日中そんな感じだし、男どもが理由を聞いてくるから、段々とあたしも気になってきちゃってさ」
「えっ、もしかしてミスしちゃってた?」
「あー。違う違う。そういうんじゃない」
はぁーっと呆れたような長い息がセイラの口からこぼれるのを横目に、アヤはカプチーノに口をつける。
たしかに。普段は飲まないなと、そこになって自覚した。
「今日はほんと、どいつもこいつもやる気なさすぎ」
「ごめんなさい」
「だからアヤじゃないって、あれよあれ」
言われて、アヤは先ほどからお喋りを楽しんでいる女子社員たちを視界にうつす。ゆるく流したブロンドヘアに胸元がざっくり空いたワンピースの子とショートパンツにオフショルダーのトップスを組み合わせた茶髪の子が携帯を見ながら何かを指差している。
ここは、制服の指定はない。能力があればそれでいいというラフなスタイルがうりの職場。
毎日、見飽きるくらい同じ黒のタイトスカートにブラウスを着用しているのは自分くらいだと。改めてアヤはストッキングをはいた足を見つめた。
「なんで」
カプチーノの泡がその先の言葉を奪う。
自分より綺麗な人なんて、この世に数えきれないほど溢れている。例えばあの綺麗な女性たちと自分。どちらとセックスしたいかと問えば、十人が十人とも彼女たちの方を選ぶだろう。
色気もスタイルも女としての意識の高さも絶対あちらの方が上なのに、なぜあの三人は自分なんかに手を出したのか。
一晩といわず、この週末。
ずっと考えていた。
地味な女だから簡単にヤれるとでも思ったのだろうか。それとも、母国に見放された哀れな女だから泣き寝入りもしないと思われたか。
どちらにしろ、あまりいい理由ではない。でも、それ以外に思いつく理由もない。
だけど、ちょっとだけ。嬉しかった。
彼らが何の取り柄もない自分に欲情してくれたこと。お世辞でも「可愛い」といい、恋人と過ごすような時間を演出してくれたこと。
たった一回、肌をあわせたくらいで随分面倒な性格をしているなと、自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「………っ」
思い出しただけで下腹部がきゅっとなる。
こんなに性に対して貪欲だったかと、アヤは誤魔化すように口にふくんだ液体を飲み込んだ。
「なんでって決まってるじゃない」
呆れたように言うセイラは、どうやら先ほどの呟きを会話の流れだと思ったらしい。
隣に立ち並びながら「キングが不在だからでしょ」と、眉についたピアスの位置を整える。
「あの仕事しか愛さないってくらいの冷酷王子が休みってのも信じられないけど。あたしの部署にいるランディってのも、なんか今日は休みらしくってさ。女子たちの気合いのなさったらありゃしない。秘書課に至ってはスヲン様がいないってだけで、この世の終わりみたいって話よ」
「ランディ……スヲン……って」
「ああ、アヤは知らないか。システム部はランディってイケメンな男がいるんだけど、残念ながら頭もめっちゃいいのよ。愛想がないし、指示も必要最低限しか喋らないし、あたしは結構苦手。でも、なんでか評価いいのよね。プロバスケを目指してたらしいし、魅せる人種ってやつかな。ま、仕事できるから文句はないけど」
「そ……そうなん、だ」
「魅せる人種っていえば、こっちもそうか。スヲンってのは、母親が韓国でモデルやってて、父親がこっちにある有名ブランドの社長。美形一家だから顔は言わずもがな。レディーファーストが板についてて、男女問わずになぜか人気ね。最初はこね入社って噂だったけど、今じゃこの会社になくてはならない存在だってさ」
「……………」
なぜ、こんなにもプライバシーが筒抜けなのだろう。本人たちのいないところで聞くのが、なぜか申し訳ないような気もする。
いや、先週末のことがなければ「へぇー」と一言吐いて、無関心でいられたかもしれない。セイラもその異変を敏感に察知したのか、隣にたつ距離を少しだけ縮めてきた。
「やっぱり変」
「えっ……な、なにが」
「キング」
「ロ…っ、ハートンさん?」
「そうそう。いつもなら、その辺からフローラルバード引き連れてくるじゃん」
「フローラルバードって」
セイラの言うとおり、ランチタイムが終わったあと業務に区切りがつくタイミングで、大体ロイはこのフロアに現れる。
それでも今日は顔を見せない。いつもロイにまとわりついてる視界の端の彼女たちが、呑気にお喋りに花を咲かせているのがその証拠。
「そろそろ戻らないと」
「アヤ、今晩飲みに行かない?」
「うん」
「じゃあ、終わったら迎えにくるね」
そうしてセイラとも別れ、なんとなくやる気のない仕事も定時に終わり、アヤは連れられるままセイラがお薦めするいつもとは違う店に食事にきていた。
アヤとは違って、セイラにはあれから色々あったようで今は愚痴聞き役に徹している。
「あー。もうあたしの部署にアヤがいてほしい」
「迷惑しかかけないと思う」
「アヤはなんでそんなに自分に自信ないのよ。そこにいてくれるだけで癒されるって人間がどれだけいると思ってんの?」
「ああ。私ドジだから」
「違うって。あたし、こんな身なりだからさ。見てくれで結構馬鹿にしてくるやつ多いんだよ。能力評価の今の会社には本当感謝してるけど、やっぱり中には見下した台詞吐くやつもいるし」
「だけど私も最初はセイラ怖かったよ?」
「初対面の相手に対して、アヤは基本怖がるじゃん。怖がってるか、バカにしてるかの違いくらいわかるよ。警戒心強いってのはアヤのいいところだし。まあ、好奇心も強いから彼氏は大変だろうけどさ」
「だから、彼氏はいないってば」
「ほんともったいない。あたしが男だったら既成事実作ってでも手に入れるのに」
「バートが泣くよ?」
「そうね。そろそろ来る頃だし、泣くかどうか試してみようかな」
「もう。彼氏をいじめちゃダメ」
そういってアヤとセイラは顔を合わせて笑う。
「ちょっとトイレだけいってくる」
「うん。いってらっしゃい」
セイラが席を立ち、アヤはグラスに口をつけた。お酒を飲み干してしまおうと単純にそう思っただけだが、ちょうど店の扉が開いて、入ってきた人物と目があったアヤはそのままの形で固まる。
どうして、こんな場所に。
向こうもそう思ったのかもしれない。見間違えるはずもなく、今日会社で不在にしていた三人がそこにいた。
「アヤ、お待たせ」
「せっ、セイラ。おかえりなさい」
「バートが店の外についたって。もう飲み終わったなら、行こう」
少し化粧を直したのか、セイラの唇が赤いボブの髪色と同じ色を取り戻している。
どうしよう。
目があえば視線を感じるかと思ったのに、すでに三人は案内された席について何かを話し合っている。誰もこっちを見ない。
たった一度、関係をもったからどうだというのか。
自意識過剰にもほどがある。
年齢も27を過ぎてくると、恋愛関係じゃなくても一晩の過ち、遊びがあるということくらい知っている。それがイヤなら拒否すればよかっただけのこと。あの状況で逃げられたかと聞かれれば絶対無理だが、あれほど官能的で気持ちよかったと思えるセックスをされて、忘れろというのも無理な話。
彼らの顔を見ただけで疼く身体は、きっとランディが言っていたように「やらしい」のだろう。
「うん、行こう」
グラスの中身を一気に飲み干して、アヤは椅子から立ち上がる。
テーブルに打ち付けた空っぽのグラスが小気味いい音をたてたが、気持ちを切り替えるにはちょうどいい。アヤはセイラと会計を済ませて、店の出入り口に足を運んだ。
「お客様」
店の前にいた彼氏のバートにセイラが抱き着いてキスをする頃、アヤは出てきたばかりの店の人に呼び止められる。
「お忘れ物です」
なにか置き忘れてきただろうかと、慌てて手を出して受け取ったそれにアヤは疑問符を浮かべた。折りたたまれた白い紙。こんなもの持ってきていただろうかと開いて、酔いが一気に冷める。
「アヤ、何してるの?」
「ごめんなさい。今行く」
アヤは店員に一度頭を下げてから、バートの車で待つセイラの元へかけていった。
その後、家の前まで送ってもらい、バートの車が見えなくなった瞬間。アヤは近くを通りかかったタクシーを呼び止めて、あるマンションの玄関ホールへと運んでもらっていた。
一目見ただけでわかる。
場違い、だと。
「……本当に、ここ?」
白い紙に書かれた住所をタクシーの運転手に見せて運んでもらったのだから間違いはない。煌びやかなマンションのルームナンバーを呼び出せば、きっとここの住所を教えてきた人物に会えるのだろう。
ロイ・ハートン。
「やっぱり、帰ろう」
お酒の勢いもあってここまで来たが、時間はもう夜の十時。明日の仕事のことも考えると、帰って寝た方がいい。第一、勝手に期待して高鳴る心臓と付き合い続けるには、少々つらい。
「……アヤ?」
帰ろうと思い立った瞬間、なぜかあの三人と遭遇する。
先頭にいたロイが驚いた顔をして、その後に続くランディとスヲンも少し驚いた顔を見せたあと、三人とも周囲を卒倒させるほどの笑顔に変わる。
「来てほしいとは思ったけど、まさかこんなにすぐ来てくれるとは思わなかった」
ギュッと抱きしめてくるロイの行動に戸惑う。
普段、会社でみる姿は今とは真逆と言ってもいい。セイラが冷酷王子だと揶揄していたことで思い出したが、彼はもともと他人にべたべたする性格ではない。はず。
「あ、あの」
「ここでは人目につくからとりあえず部屋に行こう」
「そうだな」
アヤの言葉を遮るように、スヲンとランディが先を促す。
帰ろうと思っていた感情はどこに行ったのか、アヤは腰を抱いたロイに続くように、彼らとともにエレベーターに乗っていた。
「あ、あの」
しばらく続いた沈黙に耐え切れなくなって、アヤがもう一度口を開いたとき、タイミングよく指定の階に到着したらしい。ぞろぞろとエレベーターを降りて、軽い電子音を聞くと同時に、アヤはいかにも高級なマンションの一室に連れ込まれていた。
「あ、あの」
もう三度目になる。
どこかご機嫌なロイの腕は相変わらず腰を抱いたままで、ソファーまで一緒についてくる。モノトーンの家具で統一されたシンプルなリビング。
一人がけのソファーみっつと、三人掛けのソファーがひとつ。その前に透明の板が乗ったローテーブル。テレビの代わりに天井からプロジェクターらしきものがぶら下がっている。たぶん白い壁に映して楽しむのだろう。
間接照明がイイ感じに室内を照らしてくれているが、遮光カーテンが垂れ下がるその向こうは、きっと満点の夜景が拝めるに違いない。さすが、ロイ。住んでいる世界が違う。
じゃ、なくて。
「どうして、来たの?」
「え?」
まさかのロイからの質問に面食らう。
スヲンもランディも興味深そうに答えを待っているような雰囲気をみせてくるが、「どうして」という質問はアヤこそ口にしたいもの。
「来ては、いけませんでしたか?」
「ううん、来てくれて嬉しいよ。でも、ほら。あの日、アヤは逃げるように帰っていったから、その……ボクたちのこと、嫌ったんじゃないの?」
「え、そんな…いえ、あの…っ…会いたくて」
緊張で言葉がうまく続かない。
週末も、ここに来るまでの間も、彼らと会った時のシミュレーションをしていたのに全然その通りにいかなくてイヤになる。
「メモに、住所があったから…っ…てっきり、来ていいのだと…違いましたか?」
混乱した脳が確認を口にする。
からかわれたのだろうか。座高が違うせいでどうしても見上げる位置にあるロイの目を覗き込む。真意は、よくわからない。
「お邪魔でしたら、あの…っ」
「邪魔じゃないよ。呼んだのはボクだし、さっきも言ったけど来てくれたらいいなって思ってた」
「ど…どうして?」
声が震える。これは酔いがみせる都合の良い夢じゃないかとさえ思い始めてきた。なのに、それまで無表情に見えたロイの顔がなぜか、くしゃっと優しい笑みに崩れていく。
「どうしてって、アヤが好きだから」
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