エリート神官様は恋愛脳!?

くる ひなた

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1巻

1-3

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 ダリアは、バルトがオリーヴを想っていたことも、それが原因でエマに対して辛く当たっているということも、包み隠さず日誌に記していたのだという。その内容から、エマを守りたいと思いつつも、血を分けた実の息子を突き放すこともできないダリアの葛藤かっとううかがえたらしい。

「神官職を辞してアザレヤを去るということは、彼女にとって問題を解決する唯一の方法だったのかもしれませんね。彼女がここにいなければ、息子がやってきてエマを傷付ける心配もないですから」
「でも……それにしても、こんなに急に行ってしまわなくたって……」

 ダリアが神官を引退することは、そもそもエマも承知していたのだ。納得がいかないのは、後任のアルバートが来た翌朝いきなり出ていくと告げられたこと。まるで、一刻も早く自分から離れたいと思われていたみたいで、エマは悲しくて仕方がない。
 今度ばかりは呑み込むのに失敗したため息が、カップに半分ほど残ったお茶の表面に丸い波紋を作った。
 一方、中身を飲み終えたカップをテーブルに置いたアルバートは、なぐさめるようにエマの頭をぽんぽんとでる。そして、「私が思うに」と続けた。

「急に出ていってしまったのは、確かに少々無責任だと思いますが……少しでも早くエマが息子さんと顔を合わせなくていいようにしたかったのではないでしょうか」
「えっ……?」
「ここに残していく私物の所有権を放棄したのも、それの片付けや処分を口実に、息子さんがここを訪ねられないようにするためでしょう。面影おもかげを重ねてでもいるのか――彼はエマのお母様だけではなく、エマ自身にも執着しゅうちゃくしていたようですからね」
「わ、私っ……!?」

 ぎょっとして顔を上げたエマの手から、アルバートが中身が残り少なくなったカップを取り上げる。
 それをからになった自分のカップの隣に並べてすぐ、今度はエマの方へと手を伸ばして、彼女自身を椅子から取り上げてしまった。

「わわわわっ……ちょ、ちょっと!?」
「ははは、活きがいいですね」

 膝に乗せるのは諦めてくれたと思っていたのに、アルバートはただ単に、揺らしてこぼれる心配がなくなるまで互いのカップの中身が減るのを待っていただけだったらしい。
 エマがわたわたと両手で宙をいて戻ろうとするも、それまで彼女が座っていた椅子は、アルバートの長い足に蹴られてリビングの隅まで飛んでいった。エリート神職者のくせに随分と足癖が悪い。

「いや、いやいや! 下ろしてくださいっ!」
「まあまあ、落ち着いて。早くこの膝にも座り慣れてくださいね」

 エマの抗議も意に介さず、アルバートは彼女に背中から自分の胸にもたれ掛からせる形で、膝の上に抱き込んだ。そして、腰帯よろしく彼女の腹の前で両手を組む。
 ついでに、背後からエマの肩にあごを乗せようとするものだから、ちょうどそこに止まっていたニケがし潰されてはたまらないとパタパタと羽音を立てて飛び退いた。そのままカップの並んだテーブルの上に着地したニケに、アルバートがちらりと視線をやる。

「こちらさん……随分エマに懐いているんですね。先ほどエマの危機に私を起こしてくれただけではなく、昨日の礼拝堂で私を懺悔室ざんげしつに誘導してくれたのもこの子でした。小さいのに頼もしく、そして賢い」

 アルバートの称賛に、ニケが当然だと言わんばかりに白いふかふかの羽毛におおわれた胸を反らす。
 愛らしいその姿にほんわかしかけたエマであったが……

「そういえば、昨日懺悔室ざんげしつでエマを口説くどいていた不届き者についても、ダリア女史の日誌に記載されていましたね。国民の模範もはんとなるべき王族――王弟殿下がいたいけな乙女に不貞行為を迫ろうなど、まったく嘆かわしい限りです」

 急にトーンの落ちた声で耳元にささやかれ、エマの身体はビクリと震える。

「頻繁に教会に訪れるので敬虔けいけんな人物だと最初は歓迎していたが、本当の目的はエマに会うことだったのではないか、とダリア女史は日誌の中で懸念けねんしておられました」
「あ、あの……」
「それに――どうやら、エマの方もまんざらでもなさそうだ、とも。本当なんですか?」
「……っ!?」

 下ろした髪越しに、いっそう低い声が吹き込まれる。なんだか責められているような感じがして居心地が悪くなったエマは、アルバートの腕の中から逃れるため身をよじった。

「は、放して……放してください」
「質問に答えなさい。昨日のやり取りをうかがった限りでは、あなたが王弟殿下の要求に賛同する気配はありませんでしたが……彼のことを憎からず思ってはいたのですか?」
「……」
「……その無言は、肯定と受け取ればよろしいので?」

 エマの腹に巻き付いた腕はいまや拘束具こうそくぐ、耳元にささやかれる低い声は尋問のようだ。
 昨日、エマが懺悔室ざんげしつで相対した王弟殿下――アザレヤの駐屯地に国軍中将として赴任しているレナルドに、エマは確かにほのかな恋心を抱いていた。そして、昨夜ニケ相手に語った通り、その恋は成就じょうじゅしないものだと最初から心得ていた。その通り、アルバートにも伝えればよかったのだろうが……

「今もまだ、彼を想っているのですか?」
「……」

 その問いに、すぐさまいなと答えられなかったことで、エマはまだ自分の心のどこかに昇華し切れない想いが存在することに気付いてしまった。けれども、それを認めてしまうのはなんだか悔しくて、エマはぎゅっと唇を噛み締める。
 口をつぐむエマと、答えを待つアルバート。朝日の差し込むリビングは、緊張をはらんだ静寂に支配される。
 しばしの後、空気を動かしたのは、エマの耳の横に落とされた小さなため息だった。

「まあ、いいでしょう。どちらにせよ、過去の話です」

 過去の話と断定されたことに戸惑いつつ、エマはそっと声の主をあおぎ見て……

「ひえええっ」

 怖いくらい晴れやかなアルバートの笑顔に出会って、文字通り震え上がった。
 そんな彼女をしっかりと膝に抱き直し、アルバートはふふと笑う。

「過去の恋愛にくだなんて、野暮やぼな真似はしますまい」

 エマはまたジタバタと暴れるが、がっちりと腰に回った腕はびくともしない。
 アルバートはさも愉快そうに笑って所信表明よろしく告げた。

「他の男のことなど、私が綺麗さっぱり忘れさせてあげますよ」

 どうしよう……やっぱりやばい人だ……
 今後が思いやられる状況に、エマは気が遠くなる。
 おかげで、ダリアとの突然の別れをいつまでも悲しんではいられなさそうではあった。



   第三話 よろしくどうぞ神官様


 エマにとっては育ての親との突然の別れから始まった衝撃的な朝。ところが現金なもので、一度落ち着いてしまえば腹も減ってくる。

「神官様は、食べ物の好き嫌いはありますか?」

 アザレヤでは、ライ麦のパンが主食となっている。寒冷地のせた土地でも育つライ麦は、小麦粉よりも栄養価が高く、パンにすれば日持ちがして腹持ちも良い。
 ただ、グルテンを含まないため膨らみにくい上、発酵はっこうに使うのが酸味のある酵母菌こうぼきんなせいで、パン自体が固くて酸味がある。つまり、少々癖のあるパンに仕上がるのだ。エマの可愛い相棒ニケなどはこれを極端に嫌い、もっぱら台所の窓際に置いたプランターからベビーリーフをついばんでいる。
 一方、ウェステリア王国で最も食べられているのは小麦粉で作ったパンだ。王都から来た人間にとって、ライ麦パンはあまり馴染なじみのないものだろう。
 朝食用にパンを切りながら、ふとそのことに気付いたのが、エマがアルバートの食の嗜好しこうについて尋ねるきっかけだった。
 とはいえ、昨夜もライ麦パンを平らげていたし、今もがっつり頬張っている彼の様子を見る限り、ライ麦パンが特別苦手だということはなさそうだ。
 アルバートはごくりとそれを呑み下すと、ちょっと待てとでも言うように、エマに向かって片方のてのひらを掲げた。

「その前に、少しいいですか? エマ」
「はい?」
「あのですね、私のこと、いい加減名前で呼んでくださいませんか? いつまでも肩書きでしか呼ばれないのは寂しいです」
「えっ? ええっと、ええっと……じゃあ、クインス様?」

 とたん、アルバートは巨大なため息を吐いて、やれやれとでも言いたげに首を横に振った。

「全然だめです。却下です。やり直しを要求します。どうして家名なんですか。どこまで他人行儀なんですか。近々あなたもクインスを名乗ることになるのに、私をそう呼んでどうするんですか」
「……クインスを名乗る予定は全然ないんですけど」
「ちゃんと名前で呼んでください。それとも、私もあなたを肩書きで呼びましょうか? ――私の可愛い〝未来の奥さん〟?」
「わあ、もおおっ、分かりました! 分かりましたよっ!! アルバート様、とお呼びすればいいんですねっ!!」

 相変わらずこちらの話を聞かない相手に、エマはなか自棄やけになって叫んだ。
 それでも、アルバートはまだ首を縦に振らない。

「いえ、そもそも一介の神官に過ぎない私に敬称など必要ありません。〝アル〟と呼び捨てしてください。それ以外は認めません」
「ううう……ア、アル……アル……アル、さんっ! アルさんとお呼びします! 昨日の今日で呼び捨ては無理です!!」

 これ以上は譲れないし交渉にも応じない。断固としたエマの態度に、さすがのアルバートもひとまず妥協することにしたらしい。いつか呼ばせてみせます、なんて不敵に笑って宣言すると、目の前の皿からパンを一片摘まみ上げた。
 薄く切ったライ麦のパンの表面にたっぷりとクリームチーズを塗り、香味の利いたベビーリーフを散らしてレモンを絞ったものだ。アルバートはそれにガブリとかじり付きながら、それで? と首を傾げた。

「先ほどエマはなんとお尋ねでしたっけ?」
「食べ物の好き嫌いをお聞きしたかったんです。すでにお出ししておいてなんですが……」
「ああ、なるほど――それでしたら、エマの作ってくれるものならなんでも好きですよ」
「また、そんな……」

 エマが茶化さないでほしいと眉をひそめるも、アルバートは心外なとばかりに片眉を上げる。

「冗談でも社交辞令でもありません。本心から申し上げているんですよ」

 なおも疑わしい目をするエマに彼は苦笑して、たとえば、と続けた。

「食べ物に対して、私はさほど執着しゅうちゃくがない方なんですよね。とりたてて好きなものも嫌いなものもない。質より量、腹が膨れればだいたい満足できるたちなんです」
「はあ……」
「食事に気を配るのが面倒で、パンだけ大量に買い込んで研究室にこもっていたこともありますし、肉の塩漬けだけで数週間過ごして、見兼ねた同僚に口に野菜を突っ込まれたこともあります」
「それは……随分、不健康だと思います」

 そんな食生活の影響か、アルバートは長身ながらもほっそりとしており、優男やさおとこという印象が強い。
 目の下にうっすらとくまが見えるのは、昨夜遅くまで日誌と帳簿を読みふけっていたせいなのか、それともこれまでの不摂生が原因か。
 エマがまじまじと見つめる前で、彼は新たに摘まみ上げたパンを眺めている。

「このパン――ライ麦パンの酸味は乳脂肪と一緒に摂取することで抑えられ食べやすくなるという知識はあっても、普段の私ならそのままかじって終わりです。固さも酸味も、腹が満ちるならばさほど気にはしないでしょう。一方、エマはこれを薄く切って手を加えて出してくれた。何故ですか?」
「手を加えたと言っても、そう大したことではないですけど……どうせなら、美味おいしく食べてもらいたいんです」
「昨夜の夕食もとても美味でした。メインの肉料理は、口に入れたとたんにとろけるほど時間をかけて煮込まれていましたね。そもそも使われていた豚のすね肉は、あらかじめ塩漬けしたものでしょう。エマにとって私は見ず知らずの相手でしたでしょうに、手間隙てまひまを惜しまず作られた料理で迎えられて、嬉しくないはずがありません」
「こんな田舎いなか町に赴任してきてくださるんですもの。せめて食事くらい、充実したものにして差し上げたいと思ったんです」

 カタリと聞こえた音にエマが顔を上げれば、椅子から下りたアルバートが側に立っていた。
 彼はそっとエマの両手を取ると、長身をかがめて視線を合わせる。

「心を込めて作られた料理というのは格別ですね。ただ腹を膨らますだけでなく、美味おいしいからもっと食べたいとエマの料理は思わせてくれました。だから、あなたが作ってくれるものならなんでも食べたい――なんでも好きです、と申し上げた次第です」

 納得いきましたか、とアルバートはエマの両手を自分のそれで包み込み、首を傾げる。
 エマはそれに、はいともいいえとも答えぬまま、じっと上目遣いにアルバートを見た。

「今後も……私が料理を作ってもいいですか?」
「もちろんです。是非ともお願いします。私にこれからたくさん、あなたの手料理を食べさせてください」
「私、神官の資格も何も持っていませんが……」
「ええ、それは存じておりますよ」

 生まれてすぐに天涯孤独となったエマが、このアザレヤの神殿に住まうことができていたのは、ひとえに前神官ダリアの厚意のおかげだった。ある程度の年齢に達してそれを理解したエマは、自分も神官の資格を取りたいと考えたことがある。後継者のいなかったダリアを安心させたかったのと、自分の居場所を確固たるものにしたい、という二つの理由からだ。
 けれども、それをダリアに話したとたん、エマの計画は頓挫とんざした。母オリーヴが今際いまわきわに娘を神官にしないでほしいと頼んだからとか、彼女の二の舞にはなってほしくないとかで、ダリアが猛烈に反対したためだ。
 そうして、神殿の小間使い以外の肩書きを得ることができないまま今に至り、今朝にはついにダリアと決別した。神殿の管理権は完全に後任のアルバートに移ってしまったのだ。
 アルバートが良しとしなければ、神官の資格も持たないエマが神殿に住み続けることは不可能だ。だから、こう問うことはエマにはとても勇気のいることだった。

「――私……このまま、この神殿にいてもいいんでしょうか?」

 とたん、頭上から盛大なため息が降ってくる。
 その意味をエマが理解する前に、ため息の主は彼女の前にひざまずいた。
 王弟レナルドが物語に出てくる王子様ならば、こちらはまるで忠誠を誓う騎士だ。とっさに引っ込めようとしたエマの両手をぐっと握り直し、アルバートは真っ直ぐに彼女を見つめてさとすような声で言った。

「いいですか、エマ。確かにこの神殿の管理責任は私が引き継ぎましたが、そもそも神殿の本来の主人は守護神ニケです。そのニケに許されているからこそ、あなたは今ここにこうしているのですよ」

 嬰児えいじのエマをこの神殿で引き取ることを決めたのはダリアだし、実際育ててくれたのも彼女である。その事実は決して変わらない。だがもしも、神殿の主たるニケが許していなければ、エマはこうして十八の年までここに留まることはできなかっただろう、というのがアルバートの言わんとするところだった。
 全ての結果が守護神ニケの意志によるものだというのは、いかにも神官らしい見解だ。しかし、敬虔けいけんな人々の住むウェステリア王国では、これほど説得力のある言葉がないのも確かである。
 これからの人生に不安を抱えていたエマに、アルバートはおごそかな神官の声でもって朗々ろうろうと告げた。

「神の臣僕しんぼくである神官ではなく、只人ただびとでありながらニケのふところに守られてきた毎日を誇りなさい。その恩寵おんちょうをあなたから取り上げることなど、誰にもできませんからね」
「はい……」

 アルバートが個人としてではなく、神官として口にした言葉には責任が発生する。エマが今後も神殿に住まい続けることを、彼はアザレヤの神官である限り保証しなければならなくなったのだ。
 神殿を追い出される心配がなくなったエマはほっとして、アルバートのてのひらに預けたままだった両手からやっと力を抜いた。
 目の前にひざまずいているアルバートが頼もしく見え、またたく間に自分のうれいを取り除いてくれた彼に尊敬の念さえ生まれる。
 この後の台詞せりふが続かなければ、もっとよかった。

「とはいえ、そもそも我々は夫婦になるのですから、神官の妻であるエマがここに住み続けるなんて当たり前のことですけどね」
「へ……?」
「妻帯者が地方へ赴任すると、大神殿から配偶者手当が支給されます。ふふふ、いいこと尽くめですね。エマにもたっぷりお小遣いをあげられますよ」
「いや。いやいやいや……」

 高尚な神官が一変、俗物根性丸出しだ。いったいどっちが本当の彼なんだろう。
 知りたいような知りたくないような、複雑な気分になる。
 アルバートはにっこりと微笑みつつ立ち上がると、エマの手を握り直して引っ張った。

「さあさあ。善は急げと言います。さっそく礼拝堂にて神前の誓いをいたしましょう。……ああ、しまった。どうせならダリア女史を引き止めて、立会人になってもらえばよかったですね」
「いえっ、あのっ、待ってください! 結婚なんて、まだ考えられま――」
「出会った翌朝に結ばれるなんて、実にセンセーショナルだと思いません? 『月刊神官』に載るかもしれませんね。あそこの編集長とは付き合いが長いんですよ。めを聞かれたら、密室で他の男に迫られているのを助けたのがきっかけだと正直に答えますからね」
「わああっ! 全然っ、話を聞いてくれないっ!!」

 ちなみに『月刊神官』とは、ウェステリア王国内で最も読まれている大神殿発行の月刊誌である。大真面目な長老の説法から、ゴシップまがいの記事まで幅広く掲載されており、毎月初めにアザレヤの神殿にも届けられる。アルバートも王都にいる時には愛読していたらしい。
 ともあれ、エマはなんとかアルバートの手を振り解いて叫んだ。

「アルさんとも、誰とも、まだ結婚するつもりはないですってば! からかうのはやめてくださいっ!!」
「これはまた心外な。からかってなどおりませんよ。ちゃんと、プロポーズもしましたでしょう?」
「は? え? うそっ、うそです! プロポーズなんてされてませんっ!!」
「何度も申し上げますが、私は決して嘘は吐きません」

 振り解かれた両手を組み、アルバートは胸を張って続けた。

「プロポーズは確かにしましたよ。〝私にこれからたくさん、あなたの手料理を食べさせてください〟と。――ねえ、聞いておられたでしょう? そこの方。証人になってくださいね」

 アルバートの言葉の前半はエマに、後半は何故かリビングの窓辺に向けて発せられた。
 アルバートにつられて窓辺に視線をやったエマは、思わずあっと声を上げる。
 いつからそこにいたのだろう。窓の外には、エマにとって馴染なじみ深い人物がぽかんとした顔をして立っていた。


   ********


「いやー悪いねぇ、エマちゃん。僕まで朝ご飯いただいちゃってねぇ」
「いえいえ、遠慮しないでたくさん食べてくださいね」

 神殿裏手にある神官用住居。その一階リビングで繰り広げられていたエマとアルバートの攻防を、窓の外からぽかんとした顔で眺めていたのは、ずんぐりむっくりな体形の中年男性だった。
 愛嬌あいきょうのあるまん丸い目をし、鼻の下には口髭くちひげやしている。頭の天辺てっぺんうずを巻く黒髪は鳥の巣のようだ。そのせいか、彼の頭の上が大のお気に入りのニケが、今もちゃっかり澄まし顔をして乗っかっている。
 それを気にする様子もなく、男性はエマが差し出したスープカップを両手でうやうやしく受け取った。
 その中でほかほかと湯気ゆげを立てるのは、かぼちゃの入ったミルクスープ。さらに、クリームチーズとベビーリーフが載った黒パン、キャベツとトマトが入ったココット、厚切りベーコン、フルーツ盛り合わせ――以上の品が、朝食のテーブルに並んでいる。
 男性とテーブルを挟んで向かいの席に座っているのはアルバートだ。彼は、ココットの真ん中でぷっくりと盛り上がっている半熟卵の黄身に、プツリとフォークの先を突き立てながら口を開いた。

「それで……ダリア女史から私のことを、どこまでお聞きになりましたか? ――町長さん」
「ふえっ……!?」

 ミルクスープで口髭くちひげを白く染めていた中年男性がビクリと肩をねさせる。アルバートが町長と呼び掛けた彼こそが、アザレヤの町民代表――フォルカー・マーティン町長だった。
 ウェステリア王国において地方自治体と神殿は、総じて強い結び付きがある。それは、守護神ニケを唯一の神とあがめる敬虔けいけんな国民性と、その信仰心により集まる寄付金で神殿が運営されているからだ。
 お互いなくてはならない存在であり、双方の責任者である自治体のおさと神官は持ちつ持たれつ、協力し合う関係であらねばならない。
 これまでアザレヤの神殿を治めてきたダリアが去った以上、次に町長フォルカーが連携していかなければならないのは、後任としてやってきたアルバートだ。ところが――

「私が後任になることは、町長さんもご存知だったんですよね?」
「あ、う、うん……うん……」
「では、ダリア女史が早々にアザレヤを去ることも……ていに言えば、私が着任したとたん退散するつもりだったのもご承知だったのですか?」
「えええ!? いやっ、いや、それは……ええっと、ええっとだね……」

 肝心のフォルカーはというと、アルバートの問い掛けに対して、しどろもどろ。
 うろうろと視線をさまよわせ、しまいにはダラダラと大量の汗をき始める。
 鳥の巣、もといフォルカーの頭の天辺てっぺんにもその影響が及んだのか、エマの肩にニケが移動してきた。ちっというニケの舌打ちが聞こえたのは、きっとエマだけだろう。
 お人好しで真面目で穏やかな性格のフォルカーは、アザレヤの人々にたいそうしたわれている。しかし、町長としてはいささか頼りないのも、自他ともに認めるところだ。
 そもそも彼は、自分は町長の器ではない、が口癖の男である。代々町長を務める家の長男に生まれただけで、本人の意思とは関係なしにアザレヤの代表として立たされてしまっているのだ。彼にとって、アルバートのような王都からきたエリートはまったく未知なる存在だろう。
 田舎いなかの人間というのは総じて排他的な性質が強い。さらにフォルカーの場合は元来の人見知りな性格もわざわいして、アルバートと打ち解けるのをはばんでいた。

「どうなんですか、町長さん?」
「ああ、うう……あの、あのねぇ……」

 アルバートは容赦なく畳み掛ける。ついにはうるうるし出したフォルカーのまん丸い目が、アルバートの側に立つエマをすがるみたいに見た。
 さすがに気の毒になってきたエマの耳元に、ふうとため息が落ちる。ニケだ。

らちが明かんな。エマ、助けてやれ』
「う、うん」

 頷いたエマは、さらに言葉を重ねようとするアルバートをさえぎる形で口を挟む。

「フォルカーさん、あのね。私はダリアさんがこんなにすぐアザレヤを出ていってしまうなんて知らなかったの。今朝早く、急にバルトさんが迎えにきて……」
「えええっ、エマちゃんも!? 僕も、ダリアちゃんが町を出るのがこんなに早いなんて聞いてなかったんだよー!! っていうか、バ、バルト君が来たのかい!? エマちゃん、大丈夫だったの!?」

 とたん、恥じらう乙女のごとくもじもじしていたフォルカーの顔色が蒼白になる。バルトのエマに対する当たりのきつさには彼も昔から心を痛めており、何度か間に入ってかばってくれたこともあったのだ。

「バルト君ったら、昔からエマちゃんにだけ大人げないんだよねぇ。本当に大丈夫だった? また、ひどい言葉をぶつけられたんじゃ……」

 しきりにエマを案じるフォルカー。その様子をアルバートがじっと見つめているのに、エマはふと気付く。耳元に擦り寄ったニケが、内緒話をするみたいに彼女の耳にささやいた。

『町長の人となりを見極めようとしているのだろう。何しろ、あの神官にとってアザレヤはまだ孤立無援の地。味方は慎重に吟味ぎんみしなければならない』

 その言葉に、エマははっとする。

「そっか……うん、そうだね……」
「――そうなの!? ああ、エマちゃん!! 可哀想にっ!!」

 ニケの声が聞こえないフォルカーには、エマが自分の言葉を肯定したように聞こえたのだろう。
 ぴょんと椅子から飛び下りると、テーブルを回ってエマの方へわたわたと駆け寄ってきた。

「バルト君の言うことなんて気にしちゃだめだよっ!? 彼がなんと言おうとも、エマちゃんはアザレヤの大事な子供なんだからね!!」


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