店長代理と世界一かわいい王子様 ~コーヒー一杯につき伝言一件承ります~

くる ひなた

文字の大きさ
8 / 17
3話 焙煎したてのコーヒーは……

焙煎したてのコーヒーは…… 1

しおりを挟む


 パチパチと響いていた音が、ふいに止んだ。

「――今です。火から上げてください」

 イヴの声を合図に炎から離れ、ザララッと網の上へ一気にぶちまけられたのは、焦茶色に煎り上がったコーヒー豆である。
 イヴはすかさず風を送ってそれを冷ました。

「イヴ、次はどうする?」
「こちらの、粒の大きい豆を。今度は中深煎り――二爆ぜでお願いします」

 イヴの言葉に頷いて、受け取ったコーヒーの生豆を手網に放り込むのはウィリアムだ。
 公休日であるこの日、二人は王城の庭の片隅にある広場で、コーヒー豆の焙煎を行っていた。
 革の手袋を着けたウィリアムが焚き火の上で手網を振る中、イヴは焙煎が済んだ豆から焦げたものを取り除く。焦げた豆が混ざるとコーヒーにピリッとした苦味が出てしまうため、この一手間を惜しんではならない。
 休日なので、イヴはエプロンドレスもヘッドドレスもつけず、年相応に愛らしいワンピース姿だ。ウィリアムも、今日はジャケットもクラバットも取り払い、ズボンとシャツという簡素な格好をしていた。
 そんな二人が、店のかまどでも王宮の厨房を借りるのでもなく、わざわざ庭で火を焚いているのは、コーヒー豆の焙煎というのがとにかく散らかる作業だからだ。
 煎り始めると豆の薄皮が剥がれて網の隙間からどんどん飛び出してくるし、焙煎が進めば煙だって激しくなる。

「ウィリアム様、せっかくのお休みですのに、毎回付き合わせてしまって申し訳ありません」
「いや、好きでやっていることだから気にするな」

 こうして、休日でも当たり前のように一緒に過ごしているイヴとウィリアムを見ると、クローディアなんかはよく、爆発しろ、などと言う。
 そのクローディアだが、昨日は三時間ほどイヴを眺めていて仕事が終わらなかったため、本日は休日出勤している。
 ともあれ、実際に爆ぜるのはイヴとウィリアムではなくコーヒー豆だ。
 生の状態で産地から送られてくる豆を、『カフェ・フォルコ』では月に三度ほどこうしてまとめて焙煎していた。

「そもそも、私に焙煎の手順を仕込んでいったのはオリバーだしな。まあ、イヴにこの作業をさせたくないというあいつの気持ちもわからなくもない」

 ザラザラと手網の中で豆を転がしつつ、ウィリアムが肩を竦める。
 何しろ焙煎という作業は、火に近くて熱い上、豆を満遍なく煎るのにずっと手網を振っていなければいけないため、とにかく疲れるのだ。
 可愛い妹にそんな苦労をさせたくないオリバーは、立っているものは王子でも遠慮せず使うらしい。
 やがて、新しく焙煎を始めた豆からもパチパチと音がしだした。

「確か、煎りが浅いと酸味が、逆に深いと苦味が強まるのだったか?」
「はい。しかも、一度焙煎してしまうと香りも味もやり直しがきかないため、どの時点で火から上げるのかが最も重要になります」

 加熱をやめる瞬間を見極める目安となるのが、豆の爆ぜる音だ。
 コーヒー豆の焙煎とは、そもそも化学反応である。
 焙煎の際、豆の内部で水蒸気と二酸化炭素が発生し、それによって膨らんだ豆がバチバチと音を立ててはじけるのだ。

「一爆ぜと呼ばれるこの現象が始まった時点では浅煎り、終わった時点だと中煎り、さらに加熱を続けますと今度はチリチリと音を立てますが、これが終わった時点で止めれば中深煎りになります」

 コーヒー豆の声に、イヴはじっと耳を傾ける。
 最適の焙煎時間は豆の品種によっても異なり、フォルコ家のコーヒー狂達は代々研究に研究を重ねてきた。
 その成果が、イヴの記憶の引き出しに全て詰まっているのだ。

「――ウィリアム様、今です。上げてください」
「よし」

 二爆ぜの終了と同時に網の上に広げられた豆を、イヴはまた慌てて扇いで冷ます。
 豆自体に熱が残っていると、火から上げてもさらに焙煎が進んでしまうためだ。
 イヴとウィリアムは広場に置かれた大きな切り株をベンチ代わりにくっ付いて座り、かれこれもう一時間ほどコーヒー豆を煎っていた。
 時刻はそろそろ十五時――午後のお茶の時間に差し掛かる頃だろう。
 よくよく冷ました豆をビンに詰めたイヴは、ウィリアムの顔を覗き込んだ。

「ウィリアム様、休憩にしましょう。せっかくですから、煎りたてをお飲みになりますか?」
「そうだな。もらおうか」

 焙煎用の手網を一旦火から遠ざけ、代わりに焚き火の上に組んだ台の上にポットをかける。
 湯を沸かしている間に、イヴは小型のミルに今まさに焙煎したばかりの中深煎りの豆を入れた。
 ウィリアムは革の手袋を外しながら、それにしても、と口を開く。

「挽いた豆はできるだけ早く飲むのが鉄則なのに、焙煎した豆は二、三日寝かせる方がいいんだったか? 新鮮なものほどうまいというわけじゃないんだな」
「はい、焙煎したての豆にはガスが溜まっておりますので、粉にしてドリップする際、それがお湯の浸透を妨げるんだそうです」

 とはいえ、煎りたての豆には豆の味わいがある。
 ウィリアムがミルを代わってくれたため、イヴは側に置いていたバスケットからカップを二つと、自分用のミルクと砂糖を取り出す。
 すると、ゴリゴリと音を立ててミルを回していたウィリアムが、小さく一つため息を吐いてから、背後の茂みを振り返った。

「――おい、いつまでそうしているつもりだ。いい加減に出てこい」
「えっ……」

 とたん、ガサガサと茂みを掻き分ける音がして、ひょっこりと見知った顔が飛び出してくる。
 褐色の毛に覆われ、人間のそれと同じくらいの大きさをしたネズミの顔だ。
 ウィリアムのように気配に敏感ではないイヴは目を丸くする。
 茂みに誰かが潜んでいるだなんて、今の今まで知りもしなかったのだ。

「全然気づきませんでした……いつからいらっしゃったんですか?」
「私達がここに腰を下ろしたその瞬間から、だな。――ラテ、出てくるのか立ち去るのか、いつまで経ってもはっきりしないのはさすがに鬱陶しいぞ」

 ウィリアムの苦言に、ラテと呼ばれたネズミはつぶらな黒い瞳をぱちくりさせてから口を開く。
 出てきたのは、ひどく甲高い声だった。

「申し訳ございません、王子殿下。お二人の邪魔をするのがどうにも忍びなく」
「なら、とっとと立ち去ればよかろうが」
「いえ、殿下がいよいよチューくらいするのではないかと期待し……」
「――黙れ」

 ラテの話をウィリアムが鋭く遮る。
 イヴは、バスケットからもう一つカップを取り出しながら首を傾げた。

「ラテさん? どうして、お話の途中に鳴き声を交ぜたんですか?」
「いえ、ですから、殿下がイヴ様にチューを……」
「――いいから黙れ」

 ネズミがチューと鳴くのは万国共通である。
 ラテはネズミ族の獣人で、王城の庭師をしていた。
 ネコ族の獣人であるマンチカン伯爵と同様に、五百年余りを生きるたいへん希少な存在だが、大らかな彼とはちがってひどくおどおどしていて落ち着かない。
 今も、顔だけ茂みから出した状態で、辺りをきょろきょろ見回しながら声を潜めてイヴに問うた。
 
「ところで、マンチカン伯爵閣下は、近くにはいらっしゃいませんでしょうね?」
「いらっしゃいませんよ。本日は、王都の外れの湖でボート釣りをなさるとおっしゃっていましたから」
「それはようございました……あの、わたくしめも、お邪魔させていただいてよろしいですか?」
「もちろんです。こちらへどうぞ」

 ラテがマンチカン伯爵に怯えるのも無理はない。
 猫が鼠を獲るように、かつてネコ族はネズミ族にとって最も恐ろしい捕食者だったのだ。
 しかし、天敵と鉢合わせする危険がないと知ってほっとしたらしいラテは、おずおずと茂みから出てきた。
 二本足で歩き、身長はイヴの胸くらい。白いシャツと深緑のズボン、黒いブーツを履いている。
 彼は、ウィリアムの前までやってくると、改めてペコペコと頭を下げた。

「殿下、どうも。どうもでございます」
「そんなにビクビクせずとも、今のアンドルフ王国に君を捕って食おうとする者はいないぞ?」

 城が建った当初からこの庭で働いているというラテだが、イヴが彼と初めて言葉を交わしてから、実はまだ一年も経っていない。
 そもそも彼は、王宮への立ち入りを禁止されているというのだ。
 さらにはフォルコ家と因縁があるらしく、その当主たるイヴの父や兄が城にいる間は、彼らに見つからないよう息を潜めて過ごしていたらしい。
 
「まあ、フォルコ家との因縁なんてのは、十中八九コーヒー絡みだろうがな。ラテ、何があったんだ?」
「はあ、それがですね、殿下。話せば長くなるのですが」

 と言って話し始めたラテの話は、宣言通り長かった。
 まわりくどくて冗長で、眠気を誘って仕方がなかったし、焚き火にかけていたポットのお湯なんてすっかり沸騰してしまったが、要約すると……

「コーヒーを飲もうとフォルコの研究室に忍び込んで、盛大にやらかした、と?」
「はい、まあ……そんなところでございます」

 いやはやと照れたように笑うラテに、イヴとウィリアムは顔を見合わせるのだった。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。

和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……? しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし! 危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。 彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。 頼む騎士様、どうか私を保護してください! あれ、でもこの人なんか怖くない? 心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……? どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ! 人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける! ……うん、詰んだ。 ★「小説家になろう」先行投稿中です★

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた

いに。
恋愛
"佐久良 麗" これが私の名前。 名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。 両親は他界 好きなものも特にない 将来の夢なんてない 好きな人なんてもっといない 本当になにも持っていない。 0(れい)な人間。 これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。 そんな人生だったはずだ。 「ここ、、どこ?」 瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。 _______________.... 「レイ、何をしている早くいくぞ」 「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」 「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」 「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」 えっと……? なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう? ※ただ主人公が愛でられる物語です ※シリアスたまにあり ※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です ※ど素人作品です、温かい目で見てください どうぞよろしくお願いします。

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

料理スキルしか取り柄がない令嬢ですが、冷徹騎士団長の胃袋を掴んだら国一番の寵姫になってしまいました

さら
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢クラリッサ。 裁縫も舞踏も楽器も壊滅的、唯一の取り柄は――料理だけ。 「貴族の娘が台所仕事など恥だ」と笑われ、家からも見放され、辺境の冷徹騎士団長のもとへ“料理番”として嫁入りすることに。 恐れられる団長レオンハルトは無表情で冷徹。けれど、彼の皿はいつも空っぽで……? 温かいシチューで兵の心を癒し、香草の香りで団長の孤独を溶かす。気づけば彼の灰色の瞳は、わたしだけを見つめていた。 ――料理しかできないはずの私が、いつの間にか「国一番の寵姫」と呼ばれている!? 胃袋から始まるシンデレラストーリー、ここに開幕!

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

処理中です...