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第四章 魔王の子と魔女の子

38話 魔王と愉快な仲間達

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 あっはっはっ、と荘厳な魔王城の会議室に不釣り合いな、明るい笑い声が響いている。
 そんな相手を赤い目で一瞥し、ギュスターヴが無感動な声で問うた。

「おもしろいか、魔女」
「おもしろくないはずがないだろう。魔王ともあろうものが、あんな可愛らしい子に振り回されて……くふふふっ」

 なおも笑いが収まらないらしい魔女から目を逸らし、ギュスターヴは先ほどまでこの会議室にいたアヴィスとのやり取りを思い返す。
 タイムリミットまで三分を切った状態で、彼は可愛い可愛い我が子からオンラインフィットネス三十日間無料体験の解約手続きを押し付けられてしまったのだ。
 魔界に来て一月余りのアヴィスに比べれば手慣れているが、しかし彼とて殊更端末操作に長けているわけではない。
 先のオンラインヨガと同様に、何度も何度も解約を引き止める画面が繰り返された上、今度は散歩を禁止されてしまう可哀想なワンちゃんの画像が立ち塞がった。
 ワンちゃんにひどいことをしないでくださいっ! と両目をうるうるさせるアヴィスに気を取られ、タイムオーバー目前の危機的状況に陥ってしまったが──ここで、思わぬ救世主が現れる。
 ふいに横から伸びてきた手が、ギュスターヴの手から携帯端末を引っさらい、無事解約手続きを完遂してくれたのだ。
 そんなお手柄な手の主は、元の席に──ノエルの右隣に座り直して、はあ、と感慨深げなため息とともに呟いた。

「……初めて、あの子としゃべった」

 これに対し、ギュスターヴが呆れ顔で突っ込む。

「貴様は毎日欠かさずアレとしゃべっとるだろうが、キロン」
「あくまで、古木のおばあさま、としてな。俺が俺としてあの子と対面したのは、今日が初めてだよ」

 ギュスターヴがキロンと呼んだのは、半人半獣──下半身は鹿毛の馬で、上半身は白衣を着た痩身の中年男だ。
 野蛮で粗暴と言われるケンタウロスに生まれながら、生前は英雄たちを育てた賢者として名を馳せたが、現在はなぜか魔界で科学者をやっている。
 アヴィスが爆誕初日に庭の古木から説明を受けた、太陽に代わって魔界を照らしている光源を発明したのも、なんなら携帯端末を量産できるようにしたのも彼だ。
 しかもしかも、アヴィスは件の古木を魔物だと思い込んでおり、老婆の声でしゃべるために〝おばあさま〟と呼んでいるが、あれは実は単なるカラクリで、キロンはいわゆるその中の人だった。
 古木は魔王城の地下深くにある彼の研究室の入り口になっており、木の裏にはちゃんと扉が設置されている。
 ただし、これを老婆の魔物だと思って慕っているアヴィスはいたずらに背後に回るような無粋な真似はしないため、いまだ扉の存在には気づいていなかった。
 
「そもそも、なぜ最初に老婆のふりをしたんだ」
「……あの子が木の前を通りがかったのに気づいて呼び止めようとしたんだが、いきなりおっさんの声で話しかけたら警戒されるかと思って、とっさに声色を変えたんだ。そしたらあの子が、おばあさまなのかしら、なんて言うもんだから……」

 そのまま老婆キャラで確立してしまった、というわけである。
 そもそもあの時、完徹十日目で髭は伸び放題、風呂にも入っていなかった彼に、アヴィスと直接対面するという選択肢はなかった。
 なお、キロンはアヴィスの体に血肉を提供したメンバーではないため、彼女に過剰な執着を覚えているわけではない。
 ただ、人間の少女と思しきものが無防備に魔王城を闊歩していたため、心配になって声をかけたのが始まりだった。
 つまり、ただのいい人である。
 一方、キロンの右隣に座っていた者は、正真正銘アヴィスに血肉を提供した一匹であった。
 全身が灰色の毛に覆われた、人狼族の若い長だ。

「オレも今日、初めてあの子と目が合ったぞ。魔王様とおそろいで可愛いよなぁ。生肉、好きかなぁ」
「ルー、やめておけ。アレに生肉なんぞ差し出したら、それこそ蛇蝎のごとく嫌われるからな」
「えっ、生肉食わないの? なんでなんで? おいしいのに? 魔王様は生肉大好きなのに?」
「私も生肉は食わないぞ。設定を捏造するな。アヴィスに至っては、そもそも飯を食わない。まったく、どうしたものか……」

 三角の耳をピルピルさせて首を傾げている人狼ルーを眺めつつ、ギュスターヴが物憂げなため息を吐く。
 すると、ようやく笑いが収まったらしい隣の魔女が再び口を開いた。

「あの子はまだ生後一月余りの赤子なのだから、乳でも吸わせてみたらどうだい。お前さんの」
「貴様はバカか。冗談でもアレの前でそんなこと口にしてみろ。ゴミを見る目を向けられるぞ」

 それこそゴミを見る目をしてくる相手、彼女はにこにことしたまま続ける。

「それにしても、だ。こんなにおもしろいことになるのなら、あの酒宴を欠席するのではなかったよ」
「えー、でも、ウルスラもあの時、卵を温めていたんでしょう? だったら、しょうがないわよ」

 ウスルラ、と魔女を甲高い声で呼んだのは、その左隣に座っていた鳥のような姿をした女の魔物、ハーピーのビアンカだ。
 彼女もちょうど卵を抱いていて件の酒宴を欠席したため、アヴィスと顔を合わせるのはこの日が初めてだった。
 席順を見れば分かる通り、魔王の隣に陣取る魔女ウルスラは実質魔界のナンバーツー。
 ビアンカは魔鳥族の長であり、ウルスラとは幼馴染。二人とも、魔王と同じほど長く生きている。
 一月余り前にビアンカが抱いていたのは同じ魔鳥族との間に生まれた卵だが、ウルスラの方は少々複雑な生まれの卵だった。
 それを知っているオランジュとジゼルも口を挟む。

「まったくぅ、ウルスラはぁ。夢魔以上に奔放なんだからぁ」
「ふしだらなあなたに、そこのお姫様が何か言いたいことがありそうですわよ?」

 彼女たちがニヤニヤして目配せした先では、刺し殺しそうな目でウルスラを見据えている者がいた。
 本日、定例会議に集まった魔物の中で一際年若いドラゴン族の娘だ。
 千年を生きる魔女は、そんな彼女に余裕の笑みを向けて言った。

「なんだい、ドラゴン族の姫。クラーラとかいったかな? 言いたいことがあるのなら、言ってごらん」
「黙れ、この阿婆擦れ。気安く私の名を呼ばないでちょうだい」

 彼女達の声色の凄まじい温度差に、下座で門番のプルートーが震え上がる。
 何しろ、ウスルラの卵の父親はドラゴン族の長──ここにいるクラーラ姫の父親だったのだ。
 彼女の母親は生粋のドラゴンであり、つまりウルスラが産んだのは不義の子である。
 父親の不倫相手を前にしているのだから、クラーラの眼差しが鋭くなるのも当然だろう。
 彼女は、バンと大きな音を立てて円卓を叩くと、上座に向かって訴えかけた。

「魔王様! その汚らわしい魔女を、即刻魔界から追放してください! 魔界の風紀を乱す大罪人です!」
「風紀なぁ……魔界にそんなものあったか?」
「あっても、乱してなんぼって感じですよね」

 本来なら、今日の会議はドラゴン族も長が出席してしかるべきだが、ウルスラと通じたことが妻にバレてボッコボコにされてしまったため、代理として娘が出席したのだ。
 しかし、自分よりも──ドラゴン族よりも相手が格上であることは席順を見れば一目瞭然にもかかわらず、口汚く罵ってしまうところを見ると、彼女はあまりにも未熟過ぎる。
 そのため、ギュスターヴにもノエルにもまったく相手にされず、クラーラは悔しそうに唇を噛んだ。
 魔女はそれをからからと笑って一蹴する。
 
「安心おしよ。そもそも私は、お前さんの父親個人になど微塵も興味はない」
「なんですって!?」
「一番強いドラゴンの子がほしかったから、族長の種をもらった──ただそれだけのことよ」
「よくも、ぬけぬけと……!」

 魔女はかねてより、夫も恋人もいらないが子供だけほしいのだと公言していた。
 彼女はとにかく子供が好きで、母性だけが振り切っているのだ。
 そういうわけなので、多種多様な種族との間に子供を儲けており、その数はすでに百人を超えていた。
 身近で言うと、城門を守っているガーゴイルも、実は彼女の息子だったりする。
 そんな子沢山な魔女は、ふいにぽつりとこうこぼした。

「魔王の子も、一人くらい産んでみたかったけどねぇ……」

 これを耳聡く聞きつけたクラーラが、なんですって!? と、また目を三角にする。
 一方、何の反応も寄越さないギュスターヴを流し見て、ウルスラは続けた。

「この際、別の女が産んだものでもいいから、お前さんの子を育ててみたいんだが?」
「私の子は私が育てる。貴様の出る幕などない。そもそも、だ。私の子を産める母体自体が存在しない」

 にべもなく一蹴されるも、魔女は怯まない。
 それどころか不敵に笑って言うのである。

「あの子なら、産めると思うけれどね」
「……あの子?」
「さっきまでここにいた可愛い子──アヴィスとかいう名前だったか? あの子なら、魔王の子を産めるよ」
「──バカか」

 とたん、ギュスターヴは魔女を鋭く睨んで吐き捨てた。

「あれは、私の血肉でできている、私の子だぞ。そんな目で見られるものか」
「一割は他のものの血肉が入っているんだろう? いけるいける」
「黙れ。それ以上戯言を抜かすな。首を落とすぞ」
「首を落とされたって、私はしゃべれるんだけどね」

 話にならないとばかりにウルスラから顔を背けたギュスターヴだったが、反対隣に座っていたノエルが薄ら笑いを浮かべているのを見て、ますます眉を寄せる。

「貴様も、何か言いたげだな?」
「……いいえ、別に。ウルスラの話で、ちょっといろいろ想像してしまっただけで」

 この生臭天使が何を想像したのか、聞きたくもないギュスターヴはまたもや視線を逸らす。
 下座では、骸骨門番プルートーがこの場の空気に耐えかねたように小さくなって震えていた。
 極度のストレスで骨粗鬆症にならなければいいが。
 そんなことを考えていたギュスターヴの横顔に、ウルスラはいやに優しげな眼差しを向ける。

「まあ、いいさ。気が変わったら言いなさいよ。私が、産婆をやってあげるからね」

 ギュスターヴは、もはやそれに何の反応も返すことはなかった。
 一瞬、会議室の中がしんと静まり返る。
 しかし、ふいに上がったねちっこい声がその空気をぶち破った。
 夢魔オランジュの声だ。

「そういえばぁ、ウルスラぁ。生まれたばかりの末っ子ちゃんってぇ、今どうしてるのぉ? おうちでお留守番なのぉ?」
「いいや、魔王城に連れてきているよ。たぶん、庭で遊んでいると思うけど」

 それを聞いたドラゴン族の姫が、魔女を睨んでいた目を窓の外へと移した。


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