ちっちゃな王妃様に最も愛されている男

くる ひなた

文字の大きさ
17 / 43
第六話

王妃様とクリスマスイヴ1

しおりを挟む
 緑豊かな常春の国と謳われるヴィンセント王国でも、いくらか肌寒く感じるこの日の昼下がり。
 王宮の三階に位置する国王執務室では、百代目の国王ウルが難しい顔をして一枚の書類を睨んでいた。
 窓辺で微睡むのは寒かったのか、彼の膝の上には珍しく猫型悪魔ドンロのでっぷりとしただらしない身体が乗っている。
 ウルは手慰みにその黒い毛並みを撫でていたが、ふいに彼の灰色の瞳が書類から外れた。
 その視線の先――国王執務室のど真ん中に突っ立つのは大きな常緑針葉樹、モミの木である。
 もともとあったソファーセットを隅に押しやって幅を利かせているそれを執務机越しに睨んで、国王らしからぬ柄の悪さでウルが舌打ちをした。

「おい、誰だ誰だ。人の仕事場にいきなり木を立てやがったのは」

 とたん、すっと手が上がる。
 ごつごつでムキムキの巨大な手だ。
 泣く子も黙る鬼畜面、国王執務室の守衛ケットのものである。

「私ですが?」
「いや、〝何か問題でも?〟みたいな顔してんじゃない。せめて、部屋の主である俺に断ってからにしろよ。いったい誰だ、ここに木を立てようなんて言い出したのは」

 続いて上がったのは、手首に針刺しをつけた嫋やかな手。
 ヴィンセント王妃専属の若きお針子ソマリだ。

「私ですけど?」
「いや、〝何か文句でもあるのか?〟みたいな目で見てくるんじゃない。不躾な孫ですみません、って先日お前のじーさんとばーさんが菓子折り持って謝りに来たぞ。そもそも誰なんだ。ここに木を立てていいと言ったのは」

 そのとたんだった。
 はいっ! と元気いっぱい、ちっちゃなふくふくの手が上がる。
 言わずと知れた愛くるしいヴィンセント王妃。
 わずか四歳のウルの妻、マイリである。

「わらわじゃ!」
「だろうな」

 ソマリが仕立てた純白のワンピースの上に、白いファーの襟とポンポンが付いた赤いボレロを羽織るその姿は、相変わらず文句なしに愛らしい。
 執務室に断りもなく木を立てられたにもかかわらず、ウルはキラキラ輝く彼女の菫色の瞳を見たとたんに怒る気も失せ、諦めたようなため息を一つ吐くのだった。

 ヴィンセント王国をはじめとするこの大陸の国々では、共通した暦を使用している。
 一年は三百六十五日、一月はだいたい三十日、一週は七日。
 本日は、十二番目の月の二十四日目――つまりは十二月二十四日で、ウルとしては今年も残すところ一週間か、くらいの認識なんだが……

「ウル、知っておるか? こよいはな、くりすますいっぶじゃ」
「くりすますいっぶ」

 件のモミの木を背後に、聞いて驚けと言わんばかりに胸を張ってマイリが告げたのは、ウルには――この世界の者にはとんと聞き覚えのない言葉だった。
 それもそのはず。
 くりすますいっぶ――もといクリスマスイヴは、そもそもは異世界の風習を指す。
 その異世界にあるニホンなる国での前世を覚えていると主張するソマリ曰く、クリスマスというのは異国の神の子の降誕を祝う行事で、イヴは一般的にその前夜のことらしい。

「いや、いつぞやのハロウィンといい……なぜそんなに異国の行事にこだわるんだ、そのニホン人とやらは」
「ずいぶんと流されやすい国民性のようじゃなぁ」

 国王夫妻の指摘に、自称前世ニホン人のソマリは面目なさそうな顔をした。
 モミの木を立てたのは、これに様々な装飾を施してクリスマスの象徴である〝クリスマスツリー〟なるものにするためだという。
 しかし、そもそもどうして、わざわざ国王執務室にクリスマスツリーを立てるのか。
 そんな部屋の主のもっともな疑問を無視して、マイリもケットもソマリも飾り付けに取り掛かった。
 ウルはしばしそれを呆れ顔で眺めていたが、やがてやれやれとばかりに肩を竦めると書類に視線を戻す。
 最近の彼は、マイリがご機嫌ならばだいたいのことは黙認するようになっていた。
 家主であるマイリとの関係が良好なうちは、ヴィンセント王国に大きな禍が訪れることはないだろう。
 先日のヒンメル王国でのマイリの兄との邂逅を経て、ウルはそう感じている。
 とはいえ、小さな問題というのは日々起こるもので、ウルが睨んでいる書類もその一つだ。
 彼はもうかれこれ半時間ほど、その書類を処理済みの山に加えられずにいた。
 答えは、決まっているのだ。
 けれど、若い彼の中にある甘い部分が、ペンを走らせるのを躊躇している。
 ウルは、自分の眉間のシワが深くなるのを感じていた。
 と、そんな時である。
 
「――ウル」

 思いがけず近くから聞こえたマイリの声に、ウルははっとして顔を上げる。
 執務机の向かいの縁からは、ブロンドの髪に覆われた頭の天辺とふくふくの五本の指先、それから星の形をした飾りがかろうじて覗いていた。
 国王の執務机は、四歳児の身長よりもいくらか高い。
 そのため、マイリは見えないウルに向かって、うんと腕をのばして星の飾りを差し出しながら言った。
  
「この星をな、最後に木にてっぺんにかざるんじゃ。そうすると、くりすますつりーは完成らしい」

 しかし、ウルの執務机よりも背丈が小さいマイリでは、高く突っ立つモミの木の天辺に届かないのは一目瞭然。
 つまり、星を飾るために手を貸せと言いたいのだろう。
 そう思ったウルは、小さくため息を吐いた。

「あのなぁ、マイリ。あいにく俺は仕事中でな。だっこなら、ケットに……」
「わらわはよいのだ。ウルがかざれ」
「……ん? 俺が、飾るのか?」
「うむ、最後にこれをかざるのがくりすますつりーの醍醐味らしいからな。だから、ウルがかざれ」

 ウルは、執務机の縁から覗く頭の天辺とふくふくの指から、その向こうに突っ立つモミの木に視線を移す。
 彼が書類一枚に悶々としているうちに、すっかり飾り立てられておめでたい有様になっていた。
 この天辺にマイリが差し出すキンキラな星の飾りを載せれば、なるほど、さぞ見栄えがすることだろう。
 その行為をクリスマスツリーの醍醐味と語るマイリの言葉もあながち大げさではないように思えた。

「わらわはこう見えても年長者じゃからな。楽しいことは若い者にゆずろう。まじめに仕事にいそしむウルへのごほうびじゃ」

 執務机に阻まれて見えないが、マイリはきっとツンと澄ました顔をしているに違いない。
 ウルは無性に、その可愛い顔が見たくなった。

「……」
「ウル? 聞いておるか?」

 ウルは無言のまま書類の上にペンを走らせる。
 最後にサインを施し、処理済みの書類の山に加えて椅子から立ち上がった。
 必然的にその膝で微睡んでいたドンロは起こされて、んあーん、と愛らしさのかけらもないダミ声で抗議する。
 ウルはそれに構わず執務机の正面に回ると、そこにいたマイリから星の飾りを受け取った。
 彼女はもう澄ました顔はしていなかったが、可愛らしいことには変わりない。
 そんなマイリと連れ立って部屋の真ん中まで移動すると、ウルは改めてモミの木を見上げ、それにしても、と口を開く。

「随分とでっかい木を調達してきたものだ。さすがに俺でも天辺までは手が届かないぞ」
「ふむ、ならばウルがケットにだっこしてもらえば……」
「お許しください、妃殿下。我が家には、野郎はだっこすべからず、という厳しい家訓がございまして……」
「おい、嘘を吐くならもうちょっとましなのにしろ。っていうか、俺だってケットにだっこされるなんてごめんだわ」

 ケットは代わりに、踏み台を差し出してきた。
 ウルはそれに足を掛けかけたものの、ふいにじっと手の中を見下ろす。
 そうして何を思ったのか、星の飾りをマイリに返すのだった。
 いきなりのことにきょとんとする彼女を抱き上げると、ウルはいよいよ踏み台に上がる。

「俺の代わりにマイリが飾れ。ヴィンセント国王の名代に恥じぬよう、殊更上手に頼むぞ」
「――! うむ! よしきた! 任せろ!」

 とたん、マイリの菫色の瞳が輝きを増す。
 キラキラ、キラキラ、それこそ星の輝きにも勝る眩さに、ウルは自然と目を細めた。
 本当は、自分が星を飾りたくてウズウズしていたのだろう。
 にもかかわらず、マイリはクリスマスツリーの醍醐味だというそれをウルに譲ってくれようとした。
 ウルは正直、異世界の行事とやらにも、クリスマスツリーの醍醐味なんかにも興味はない。
 けれども、マイリのそんなささやかな思いやりは染みた。
 殺伐とした書類のせいで心がささくれ立っている時なんかは余計にだ。

「あのな、ウル。くりすますいっぶにはな、さんたくロースがやってくるらしい」
「さんたくロース……三択の肉?」

 天辺に星を飾って、クリスマスツリーが無事完成した。
 マイリはさも満足そうに頷いてから、ぎゅっとウルの首筋に抱きついてくる。
 このもちもちふわふわの頬をくっつけられてなお、難しい顔をしていられる人間はおるまい。
 ケットとソマリの生温かい視線もなんのその。
 ご機嫌なマイリと一緒にクリスマスツリーを見上げているうちに、ウルの眉間に刻まれていた皺は綺麗さっぱり消えたのだった。


しおりを挟む
感想 62

あなたにおすすめの小説

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。

櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。 夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。 ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。 あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ? 子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。 「わたくしが代表して修道院へ参ります!」 野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。 この娘、誰!? 王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。 主人公は猫を被っているだけでお転婆です。 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!

野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。  私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。  そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。

エメラインの結婚紋

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢エメラインと侯爵ブッチャーの婚儀にて結婚紋が光った。この国では結婚をすると重婚などを防ぐために結婚紋が刻まれるのだ。それが婚儀で光るということは重婚の証だと人々は騒ぐ。ブッチャーに夫は誰だと問われたエメラインは「夫は三十分後に来る」と言う。さら問い詰められて結婚の経緯を語るエメラインだったが、手を上げられそうになる。その時、駆けつけたのは一団を率いたこの国の第一王子ライオネスだった――

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

婚約破棄されたスナギツネ令嬢、実は呪いで醜くなっていただけでした

宮之みやこ
恋愛
細すぎる一重の目に、小さすぎる瞳の三百眼。あまりの目つきの悪さに、リュシエルが婚約者のハージェス王子に付けられたあだ名は『スナギツネ令嬢』だった。 「一族は皆美形なのにどうして私だけ?」 辛く思いながらも自分にできる努力をしようと頑張る中、ある日ついに公の場で婚約解消を言い渡されてしまう。どうやら、ハージェス王子は弟のクロード王子の婚約者であるモルガナ侯爵令嬢と「真実の愛」とやらに目覚めてしまったらしい。 (この人たち、本当に頭がおかしいんじゃないのかしら!?)

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...