30 / 43
第九話
王妃様に最も愛されている男2
しおりを挟む「どうか、娘と息子をお返しください。子供達を無事返してくださるならば、私はあなたの過ちを許しましょう」
雨足は、時が経つにつれ強くなっていく。
ウルがケットと猫悪魔ドンロを伴って駆け付けた時、賊が立てこもる部屋の扉に向かって、アシェラが存外穏やかな声で語りかけていた。
――いや、訂正する。
穏やかなどであるはずがなかったのだ。
「ですが、子供達に傷一つでもつけたら、私はあなたを決して許しません」
そう静かに告げたアシェラの目は、凄まじい憤怒と憎悪に塗れていた。
「あなたを指の先から少しずつ切り落として、あなたの目の前で燃やしていきましょう。己の身体が焼けるにおいを嗅ぎながら、あなたはゆっくりと死んでいくのです。痛みと恐怖に塗れて、為す術もなく、あなたは死ぬのです」
「アシェラ……」
「その時になって後悔しても、もう遅いのですよ。私は必ず――あなたを殺します」
「アシェラ!」
友が狂気に呑まれる様に耐えきれず、鋭くその名を呼ぶ。
一拍して、ゆるりと自分を見た底なし沼のような瞳に、ウルはぞっとした。
「まあ……ウル……なにしにきたの……?」
「……マイリを迎えにきた。とりあえず、呪詛を吐くのはやめろ。賊を刺激しない方がいい」
それもそうね、と呟くアシェラの焦点の合っていない目を見て、ウルはちっと舌打ちをする。
幼い我が子が二人とも人質に取られてしまったのだ。
母親が正気を保っていられるほうが不思議だろう。
しかも、アシェラは七日前に子供を産んだばかりで、体調も万全ではないはずだ。
ウルは、涙ぐんでいるフェルデン公爵家のメイドにアシェラを預け、件の部屋の扉にそっと耳を押し当ててみる。
中からは、物音ひとつしなかった。
「コリンも一緒に人質になっていると聞いたぞ。いったいどういう状況だ」
「大司祭様は、シトラの誕生を祝いに来てくださったの。ウォーレー家とは犬猿の仲と言われているけれど、フェルデン公爵家は大聖堂に巨額の寄付をしているから。マイリが生まれた時にもいらしたわ。ただし、お義父様の留守を狙ってですけれど」
「へえ、律儀なことだな。しかし、フェルデン公爵とは意地でも顔を合わせたくないってか」
「まあ、お義父様がその後大聖堂にお礼に伺うから、結局嫌でも顔を合わせることになるんですれど」
そんな大司祭コリン・ウォーレーを、マイリは先代国王の猫をしていた時代に美味しいものをたらふく貢がれたとかで随分と気に入っている。
この日も彼の訪問に喜んで、自ら手を引いて弟が寝かされているこの子供部屋まで案内したのだという。
その時、コリンに随行した若い司祭も一緒に中に入ったのだが、アシェラがメイドにお茶の用意を頼んでいたところ、その司祭が彼女を廊下に突き飛ばして鍵をかけてしまったというのだ。
「司祭が犯人だということは、大聖堂絡みの怨恨か? だったらコリンはともかく、なぜマイリやシトラまで……」
「大聖堂絡みの怨恨じゃなくて、フェルデン公爵家絡みの怨恨だからよ。――その司祭、本人曰くワニスファー公爵家の関係者ですって」
その言葉に、ウルはひゅっと息を呑んだ。
ワニスファー公爵家は、マイリの専属お針子ソマリの父が謀反の疑いで追放処分を受けた末、家督を継いだ幼い三男を後見する名目で実質フェルデン公爵家の傘下に入れられてしまった。
マイリ達を人質にとった司祭は、どうやらそれを恨んでいるらしい。
「だから――お義父様の大事なものを奪ってやるんですって」
淡々とそう告げたアシェラだが、先ほどからまったく瞬きをしなくなっており、精神的にいよいよまずい状態なのは明白だった。
もちろん、ウルだって怒りや焦りで頭がおかしくなりそうだ。
それを懸命に押し殺す彼の横で、ケットが扉に手をかけようとした。
「陛下、扉をこじ開けて突入しますか!?」
「やめて! 無理やり扉を開けたら、子供達を殺すと言われたの!」
アシェラの悲鳴に、ケットの鬼畜面も真っ青になる。
ドンロもおろおろした様子で、扉の前をひたすら行ったり来たりしていた。
ウルは心を落ち着けるように深呼吸をすると、もう一度扉に耳を押し当て、囁く。
「――マイリ」
耳をそばだて、神経を研ぎ澄まし、扉の向こうに意識を集中する。
トクトクと、己の心音ばかりが頭の中に響いた。
やがて、ウルはこう結論を出す。
「――人質は嘘だ」
「「は?」」
「この中に、マイリはいない」
「「は!?」」
ケットもアシェラも訳が分からないといった顔をしているが、ウルには分かる。
人ならぬ存在であるマイリの伴侶となったことで、少しずつ人間の理から外れ始めているらしい彼には分かるのだ。
今や己の半身ともいえる、あのちっちゃくて可愛いヴィンセント国王妃の欠片さえ、すでにこの扉の向こうには存在しないということが。
だったら、彼女はどこへ行ってしまったというのか。
「中の奴に聞くのが一番手っ取り早い」
そう決断したウルの行動は早かった。
訝しい顔をするケットとアシェラに説明することもなく、片足を振り上げ――
「ウ、ウル!?」
「陛下っ!?」
扉を一気に蹴破ったのだった。
ガンッ! と大きな音を立てて、蝶番が外れた扉が室内へと吹っ飛ぶ。
それにぎょっとしたのは、ケットとアシェラ、そうして子供部屋に立て篭もっていた若い司祭だ。
司祭が我に返る前に中へと踏み込んだウルは、あっという間に彼を床に引き倒して後ろ手に拘束してしまった。
そうして見回した子供部屋の中には、子供用のベッドとテーブルと椅子、ベッドの向こうに年季の入った作り付けの戸棚があるだけで、やはりウルが感じた通り、マイリも、シトラもコリンもいない。
慌てて駆け込んできたケットに拘束役を交代すると、ウルは司祭の髪を鷲掴みにして顔を上げさせ、問うた。
「――マイリを、俺の妃をどこへやった」
「は、あ……へ、陛下……?」
「答えろ。俺が怒りに任せて貴様の首を引き千切る前に、全て吐いてしまえ」
「ひいいっ……お、お助けを! ひ、妃殿下と赤子は、大司祭様と一緒に消えてしまったのです!」
司祭もいきなり国王陛下が登場するとは思っていなかったのだろう。
それとも、ケットの鬼畜面に怯えているのだろうか。
ブルブルと震えながら素直に質問に答えたが、それはどうにも腑に落ちないものだった。
「消えたとは何だ。まさか、コリンが五歳児と新生児を連れて窓から逃げたとでも言うのか」
「わ、わわ、わかりません! 私が扉越しに会話をしていた一瞬の隙に、いなくなってしまったんです!」
肝心の人質が一瞬で消えてしまって、司祭はさぞ慌てたことだろう。
踏み込まれてはまずいと思って、扉を破れば人質を殺すなどと口走ってしまったが、本当はそこまでするつもりはなかったのだ、と彼は泣き崩れた。
そんな聖職者の衣装を纏った罪人を、子供を奪われた母親が氷のような目で見下ろす。
「あなた、嘘をついているのね? 私の可愛い子供達をどこへ隠したの? やっぱり、指の先から少しずつ切り落としてくことにしましょうか? ええ、そうね。そうしましょう――ロッツ、やっておしまいなさい」
「――うん、アシェラ」
いつの間にか現れたロッツが振り下ろした短剣の切先から、ウルはすんでのところで司祭を蹴飛ばして逃した。
必然的に彼を取り押さえていたケットまで床に転がってしまったが、やむを得まい。
とたん、瞳孔をかっぴらいた菫色の瞳は矛先を変え、幼馴染の手がウルの胸ぐらを掴んだ。
「ウル、どうして邪魔するの! そいつは、マイリちゃんとシトラ君をっ……!!」
「わかっている!! だが、マイリ達を保護するのが先だ!!」
ウルはロッツの手を振り払い、ついでに短剣も奪い取る。
そうして抜き身のそれをダンッと勢いよく床に突っ立てると、司祭の顔をそのスレスレに押し付けて凄んだ。
「おい、正直に答えろ! マイリ達は、消える直前どこにいて、どんな様子だった!!」
「そ、そこの……赤子用のベッドの側です! 私が扉に鍵をかけたのを見て、大司祭様は赤子を片腕に抱き、反対の手を妃殿下と繋いで……っ!!」
司祭の言葉から、コリンが即座にマイリとシトラを守ろうとした様子が伝わってくる。
しかしながら、やはり合点がいかない。
なにしろ、赤子のベッドの側にある窓は小さくて、とてもじゃないが幼子二人を抱えたコリンが抜け出せるようには見えないのだ。
ベッドから離れた場所に大きな出窓はあるものの、事故防止のために開閉はできない仕様となっている。
つまり、マイリ達が窓から逃げ出した可能性は極めて低いということだ。
「どこだっ……マイリ、どこへ行った!!」
ウルが頭を抱えかけた、その時だった。
「――陛下、ベッドの向こうにある戸棚に、答えがございますよ」
ふいに、そうのんびりとした声が聞こえてきて、ウルは弾かれたみたいに顔を上げた。
彼が扉を蹴り飛ばしたために開けっ放しになっていた部屋の入り口から、にこにこしながら現れたのは、マイリの祖父にして、この家の現当主。
「フェルデン公爵……」
「上から三番目の引き出しの取っ手を、時計回りに回してごらんなさい」
一瞬、何を言われているのか分からなかったウルだが、すぐに我に返って件の戸棚へと駆け寄った。
作り付けの戸棚は、全部で十段。その上から三番目の引き出しの取っ手を、ウルはフェルデン公爵の指示通り時計回りに回してみる。
するとどうだろう。
カチッと留め具が外れるような音がしたかと思ったら、戸棚が九十度回転。
そして、その向こうに現れたのは――
「――隠し通路か!」
「私も子供の頃にこの部屋を使っておりましてね。その隠し通路は、懇意にしていた大工を巻き込んでこっそり作ったものです」
それを聞いて首を傾げたのは、息子のロッツだ。
父の落ち着いた様子に幾分冷静さを取り戻したのだろう。
顔色の良くないアシェラを抱き寄せながら、のんびりとした足取りでやってきたフェルデン公爵に問うた。
「でも、父上。僕も子供の頃にこの部屋を使っていましたが、隠し通路があるなんて今初めて知りましたよ?」
「そうでしょうなぁ。言っていなかったと思います。おそらく、マイリも知りませんよ」
それなのにどうして、マイリ達はとっさに隠し通路に逃げ込めたのだろう。
そんな一同の疑問に、フェルデン公爵はにっこりと微笑んで答えた。
「大司祭様が――コリンが、知っています。昔、ここで私と一緒に遊んだことを……彼はちゃんと覚えていたんでしょうなぁ」
11
あなたにおすすめの小説
【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
エメラインの結婚紋
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢エメラインと侯爵ブッチャーの婚儀にて結婚紋が光った。この国では結婚をすると重婚などを防ぐために結婚紋が刻まれるのだ。それが婚儀で光るということは重婚の証だと人々は騒ぐ。ブッチャーに夫は誰だと問われたエメラインは「夫は三十分後に来る」と言う。さら問い詰められて結婚の経緯を語るエメラインだったが、手を上げられそうになる。その時、駆けつけたのは一団を率いたこの国の第一王子ライオネスだった――
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
婚約破棄されたスナギツネ令嬢、実は呪いで醜くなっていただけでした
宮之みやこ
恋愛
細すぎる一重の目に、小さすぎる瞳の三百眼。あまりの目つきの悪さに、リュシエルが婚約者のハージェス王子に付けられたあだ名は『スナギツネ令嬢』だった。
「一族は皆美形なのにどうして私だけ?」
辛く思いながらも自分にできる努力をしようと頑張る中、ある日ついに公の場で婚約解消を言い渡されてしまう。どうやら、ハージェス王子は弟のクロード王子の婚約者であるモルガナ侯爵令嬢と「真実の愛」とやらに目覚めてしまったらしい。
(この人たち、本当に頭がおかしいんじゃないのかしら!?)
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる