ちっちゃな王妃様に最も愛されている男

くる ひなた

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第九話

王妃様に最も愛されている男6

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 フェルデン公爵がもう思い残すことはないと感じた時期があったとすれば、それは六年前――一人息子のロッツがウルとともに放浪の旅を終え、伴侶となるアシェラを連れて戻ってきた頃だろう。
 しかし、ちょうど同じの頃、おそらくウルの父は、己の死期が近いことを彼にだけは打ち明けたのではなかろうか。
 そしてきっと、自分亡き後のヴィンセント王国と、若くして国王となるウルのことを頼んだに違いない。

「フェルデン公爵は、まだ死ぬわけにはいかなかったんだ――父上がもう長くないことを、知っていたから」

 ウルはたまらず両目をぎゅっと瞑って天を仰いだ。
 その顎を、またちっちゃなふくふくの手が、慰めるみたいにこちょこちょする。
 友のため、祖国のため、そしてウルのため、フェルデン公爵は罪もない子供の命を犠牲にしても生き続ける決断をした。
 そうして、マイリとして生まれるはずだった彼の孫娘は魔王に魂を取られ――代わりに、空っぽとなったその肉体を器とした人ならぬ存在と、ウルはこうして人生を歩むことになったのだ。

「はー……」

 ウルは、深い深いため息を吐き出した。
 そうしてから、ブロンドに覆われた丸い頭に顎を載せて、しみじみと呟く。
 
「俺も……謝らなければならないな」
「なんじゃ。ウルのくせに殊勝じゃな」

 きょとんとするマイリの両脇の下に手を入れ、目線が同じになるよう自分の膝の上に立たせた。
 大きな菫色の瞳は鏡のようだ。
 遠慮も容赦もなく、ウルのひどく情けない顔を映している。
 それでも、マイリの手は労るように彼の髪を撫でた。
 もう一度、ウルは大きくため息を吐いてから続ける。

「本来のこの身体の持ち主と、お前……」
「うむ」
「二人のマイリを天秤にかけたならば――俺は一縷の迷いもなく、今目の前にいるお前を選ぶだろうからな」
「なんと!」

 とたん、マイリの瞳がまんまるになった。
 さらにそれは、周囲の光を全部集めたみたいにキラキラと輝き出す。
 すると、そこに映った男の情けない顔までも、自然と光を取り戻した。

「まったく、ウルは! しょうがないやつめ!」

 ぴょんと首筋に飛び付いてきたマイリが、赤く色付いたぷくぷくのほっぺをムニムニとウルのそれに擦り寄せて声を弾ませる。

「そうじゃったな! おぬし、わらわがそばにおらんと困るんじゃったな!?」
「そうともさ。なにしろ俺は、お前がいないと、仕事は手につかず、夜も眠れず、飯も喉を通らない、だめな男に成り下がってしまったんだからな」
「うむ! うむ! くるしゅうない! ウルがだめんずであろうと、わらわがうんとうんと、愛してやるでなっ!!」
「そりゃあ、光栄だな……だめんずって、何だ?」





 窓の下で、魔王も驚く鬼畜面が手を振っている。
 馬ももう十分休憩を取ったことだろう。
 そろそろ王城へ戻ろうとマイリを促して腰を上げ、ふとウルは子供用ベッドに向き直った。

「それはそうと、フェルデン公爵の孫娘の魂は、魔界でつつがなく過ごしているのか?」
『無論であるぞ。預かりものに不自由をさせたとあっては、魔王たるわしの沽券にかかわるわ』

 時間の流れが違う魔界において、孫娘の魂は器を置いてけぼりに成長し、すでに成人しているらしい。
 この世界で生まれることが叶わなかった命が、魔界で大人になっているなんて、なんとも奇妙な話である。

「そうか、大人に……ん? マイリ? お前も大人になるのか?」
「なるに決まっとろうが。わらわがいつまでもかわゆいだけだと思っておったら、大まちがいじゃぞ」

 マイリの大人になった姿を想像しようとして、ウルはいやいやと思考を振り払う。
 そんな彼をベッドから見上げ、シトラはふふんと得意げな様子で言った。

『スコットの寿命が尽きるまでの余興くらいに思っておったが……なかなかどうして、子育てというのは奥が深い。わしの養い子にふさわしい、とびきり美しく賢く強い娘に成長しおったわ』
「完全に情が移ってるじゃないか。それが、なんで玉座を乗っ取られるようなことになったんだよ」
『わしがあやつと酒を酌み交わしつつ、もう気が遠くなるほど長く玉座にあって、魔王業にも飽き飽きしておると愚痴ったからだな。それならば、百年くらいのんびり人間でもやってこい、と魔界から放り出されてしもうてな――気が付いたら、母の腹の中におった』
「いや、それ……もしかして玉座を乗っ取られたとかではなく、休暇を勧められただけじゃないのか? だとしたら、ただの孝行娘じゃないか。めちゃくちゃ強引ではあるがな」
 
 どうやら、フェルデン公爵家の孫娘の魂は、悲劇とは程遠い魔界生活を送っているようだ。
 ウルはとたんに脱力した気分になって苦笑いを浮かべる。

「さすがは、あのフェルデン公爵の孫と言うべきか、ロッツの娘……いや、これぞアシェラの娘と言うべきか」
「そやつも、心臓がボーボーでフッサフサか?」

 フェルデン公爵がこれを知れば、少しは罪悪感が和らぐだろうか。
 いやしかし、到底叶わぬことだ。
 なぜなら、マイリの中身が彼の孫娘ではないと――それどころか、ヴィンセント王国の家主ともいえる人智を超えた存在であると、代々の国王以外の人間が知ることは許されないのだから。

「マイリやシトラが無事に生まれて一番ほっとしているのは……もしかしたら、フェルデン公爵かもしれないな」

 フェルデン公爵のことだから、ヴィンセント国王に摩訶不思議な存在が寄り添っていることくらい、勘づいているかもしれない。それが何なのかまでは分からずとも、百代続く王家の繁栄を見れば、よからぬものではないと気づくだろう。
 彼が、わずか三歳だった孫娘を王家に差し出すことを了承したのも、国王に寄り添うその摩訶不思議な存在に、マイリがいつか身籠るかもしれない自分に連なる命を守ってもらえればと期待してのことではなかろうか。

「すでに魔王との約束が果たされていることを、フェルデン公爵は知らない」

 知らないまま、一体いつ、どの命が魔王に持っていかれてしまうのか――そんな不安と恐怖を、フェルデン公爵はきっと寿命が尽きる最後のその瞬間まで、あの澄ました顔の下で抱き続けていくのだろう。
 そんな苦悩に満ちた一生こそが、彼が魔界から生還するために支払った代償なのかもしれない。

「……フェルデン公爵夫妻を、慰安旅行にでも行かせようか」

 ウルが、そんな殊勝なことを考えるのをよそに、マイリとシトラは顔を寄せ合ってひそひそする。

「じーじもまさか、魔王が孫になるなどと思うてはおるまい」
『いつか種明かしをして、あの男の澄ました顔を崩してやるのも一興か』
「うむ、じーじもきっとびっくりするぞ。楽しみだなぁ、シトラ」
『うむ、楽しみだなぁ、姉者』

 相変わらず年寄くさい喋り方の姉弟だが、ぷくぷくの頬同士をくっ付けてくふくふと笑い合う姿は、彼らが何であろうと、何をしようと、許してしまえるくらいに愛らしい。
 そう感じたウルは、己も大概マイリに毒されていると気づくべきだろう。
 ヒヒン、と馬の嘶きが窓の下から聞こえた。
 鬼畜面の守衛に急かされている気分になったウルは、弟の頬に口付けていたマイリを抱き上げる。
 ぎゅっと首筋にしがみついてきた温もりに、彼は自然と頬が緩んだ。

「帰るぞ、マイリ」
「うむ。帰るか、ウル」

 七日ぶりの王妃の帰還に、ヴィンセント城は喜びに沸くことだろう。
 仲睦まじい国王夫妻を赤子の菫色の瞳が見上げ、にんまりと弓形になった。
 

『しからば、この一生、よろしくお願いつかまつる。姉者に――兄者よ』


 

 
 
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