初恋日記 ~恋が芽吹くその時を

naomikoryo

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04)閉店セールの夜に

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1. 書店の終わり
商店街の角にある小さな本屋、「栄文堂(えいぶんどう)」が、来週いっぱいで閉店するというニュースを見たのは、夕方のローカル番組だった。昭和から続くその本屋は、地元では有名だったが、ネット書店や大型チェーンに押され、ここ数年は客足もまばらだった。

篠田薫(しのだ かおる)、五十六歳。子育ても仕事も一段落し、最近は静かな日々を過ごしていた。テレビの画面の下に流れる「最後の閉店セール開催中」の文字を見て、ふと足が向いた。

「なんとなく、行ってみたくなったのよね」

夜の7時過ぎ。商店街はほとんどの店が閉まり、通りは人影もまばらだった。昔はもっと賑やかだったのに、と薫は心の中でつぶやく。

栄文堂のガラス戸には、「閉店セール・全品半額」の貼り紙。懐かしさに胸がざわめく。扉を開けると、カラン、と軽やかなベルの音が響いた。


2. 再会
中は、昔とほとんど変わっていなかった。木の棚、色あせた絵本コーナー、カウンターの奥のレジの位置。空気は紙の香りで満ちていて、それだけで何か時間が巻き戻されるようだった。

「いらっしゃいませ」

その声に顔を上げると、レジの奥に立っていたのは、見覚えのある男性だった。

白髪交じりの短髪に、丸眼鏡。シャツの袖を肘までまくった姿が、どこか記憶に残っている。

「……小田切くん?」

彼は一瞬驚いた顔をしたあと、ゆっくりと笑った。

「篠田さん……だよね? 薫ちゃん」

そう呼ばれて、胸の奥にしまいこんでいた名前が、不意に呼び起こされたような気がした。

小田切悠一(おだぎり ゆういち)。中学時代、同じクラスだった彼。大人しくて、本が好きで、教室の隅でよく文庫本を読んでいた。

「まさか会えるとは……ここ、君の店だったの?」

「うん。実家を継いでね。親父が亡くなってから、一人でなんとかやってたんだけど、もう限界かなって」

彼の声は静かで、でも温かかった。薫は自然と、足を進めていた。


3. 本と記憶
「昔、よく来たよ。放課後に、友達と帰り道に立ち寄って。……あの頃の自分が、ここにいるような気がする」

「君、本好きだったよね。エミリ・ブロンテとか読んでて、すごいなって思ってた」

「覚えててくれたんだ」

会話が自然と弾む。昔のクラスの話、担任の話、文化祭の思い出。気づけば、あっという間に時間が流れていた。

小田切は、店の片隅に置かれた古い文庫を取り出した。

「これ、君が昔借りて読んでた本。返したあと、僕も読んで、ずっと好きになった」

それは、カバーの角が丸くなった、ヘッセの『デミアン』だった。薫は手に取って、そっとページをめくる。

「今読むと、また違って感じるのかもね」

「うん。でも、今でもあの時のこと、思い出すよ。君が本を読む横顔を見て、なんかドキドキしたってことも」

不意に言われたその一言に、薫の心が一瞬揺れた。

「……そうだったんだ」

「うん。言えなかったけど。まあ、今だから言えることかな」

薫は、苦笑いをしながらも、胸の奥に温かな波紋が広がっていくのを感じた。自分にも、たしかにそういう時期があった。誰かの存在に、理由もなく惹かれ、でも言葉にできなかった日々。


4. 閉店の夜に
時計はもうすぐ閉店時間を指していた。

「よかったら、これ持って帰って。最後の贈り物」

小田切が手渡してくれたのは、彼が選んだ一冊の本だった。中には、短いメッセージカードが挟まれていた。

“あの時、君と話せたら変わっていたかもしれない。でも、今日、また会えて嬉しかった。”

薫は本を胸に抱え、小さく微笑んだ。

「ありがとう。なんだか、またひとつ、大事な場所が閉まるみたいで、寂しいけど……でも、思い出は消えないね」

「うん。思い出は、誰かが覚えている限り、ちゃんと生きてる」

ドアを開けて、商店街の夜の風がふわりと頬を撫でた。振り返ると、小田切がそっと手を振っていた。

「また、どこかで」

「うん。また、きっと」

扉が閉まり、静けさが戻る。

薫の胸には、淡い記憶と一冊の本、そしてひとつの小さな告白が残っていた。

それは、若い頃には届かなかった想い。でも、大人になったからこそ、じんわりと胸に染みるものだった。

「初恋って、こんなふうに終わるのも……悪くないわね」

夜空を見上げ、薫は歩き出した。閉店セールの夜に、心に灯った小さな光を抱きしめながら。
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