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第4話:最後の選択
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それは、静かな夜だった。
月は厚い雲に隠れ、街の灯りもどこか滲んで見えた。
まるで、世界そのものが、何か大切なものを失うことを、黙って見守っているようだった。
春川直樹は、自室のベッドに座り込み、窓の外をぼんやり眺めていた。
胸の奥に、得体の知れない空白が広がっている。
何かを、忘れている。
何か、大切なものを、どうしても思い出せない。
けれど、それが何かさえわからない。
ただ、確かなのは──心の奥にぽっかりと空いた穴が、ずっと痛んでいることだった。
***
その時、
ノックの音がした。
「直樹くん……入っていい?」
扉の向こうから、か細い声。
直樹は、戸惑いながら「……ああ」と答えた。
ドアが静かに開き、瑠璃がそっと入ってくる。
水色のカーディガン。
長い黒髪。
見慣れたはずのその姿に、なぜか胸が締めつけられた。
「……どうした?」
直樹の問いに、瑠璃は小さく笑った。
「大事な話があるの」
彼女は、テーブルの椅子に腰かけ、真剣な瞳でこちらを見た。
その目には、決意が宿っていた。
ただ、同時に、どうしようもない悲しみも滲んでいた。
「──私、もうすぐここからいなくなります」
静かな声だった。
直樹は、一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「……どういうことだよ」
瑠璃は、ほんの少し、寂しそうに笑った。
「未来が変わり始めたから。
直樹くんが事故に遭う未来は、もうすぐ消えました。
だから、私は──この世界からも、直樹くんの心からも、消えなくちゃいけない」
直樹は、ぐっと息を呑んだ。
胸の中の空白が、
ようやく正体を現した。
この痛みは、
瑠璃を失う痛みだった。
「……そんなの、いやだ」
直樹は、震える声で言った。
「お前がいなくなるなんて、考えられない」
瑠璃は、首を横に振った。
「直樹くんが生きていてくれるなら、それでいいんです。
それだけが、私の願いだから」
そう言う瑠璃の笑顔は、あまりにも綺麗で、あまりにも哀しかった。
直樹は、手を伸ばした。
瑠璃の手を握ろうと──
けれど、その手は、ふっとすり抜けた。
まるで、
彼女自身が、もうこの世界に馴染めなくなりつつあるかのように。
「……もう、時間がない」
瑠璃は、静かに呟いた。
***
外に出よう。
最後の時間を、一緒に過ごしたい。
直樹は、夜の街へ飛び出した。
人気のない坂道を、
朧げな街灯の下を、
ふたりで駆けた。
瑠璃は、時折足をもつれさせながらも、必死で直樹に追いつこうとした。
「ねえ、どこに行くの?」
「──秘密の場所だ」
直樹は、懸命に走った。
心が、叫んでいた。
このまま、どこまでも逃げたい。
瑠璃が消えてしまう未来から、逃げたい。
でも、わかっている。
運命は、逃げられない。
だから──
せめて、最後の最後まで、一緒に。
ふたりで、生きた証を。
***
たどり着いたのは、丘の上だった。
市街地を見渡せる、小さな公園。
かつて、瑠璃と何度も訪れた場所──
直樹は、記憶の奥底で、それを知っていた。
夜空には、星が瞬いていた。
瑠璃は、そっと直樹の隣に立った。
「……綺麗」
その声は、涙で震えていた。
直樹は、瑠璃を抱きしめようとした。
小さな身体を、
かき集めるように…
「行かないでくれ」
直樹は、必死に言った。
「ずっと、一緒にいてくれ。
未来なんてどうでもいい。
お前がいない未来なんて、いらない」
涙が溢れた。
止まらなかった。
瑠璃は、そっと直樹の髪を撫でた。
「ありがとう」
その声は、優しかった。
「でも、私は直樹くんに、生きてほしい。
未来を、ちゃんと歩いてほしい」
「瑠璃──」
「大丈夫。きっと、またどこかで、出会えるから」
瑠璃は、微笑んだ。
それは、春の光のように温かくて、痛いほどに綺麗な笑顔だった。
「愛してるよ、直樹くん」
最後に、瑠璃はそう言った。
そして──
ふわりと、光に溶けるように、消えた。
直樹の腕の中から、
彼女は、静かに、静かに消えていった。
まるで、最初から、ここには存在しなかったかのように。
***
気づけば、直樹は、ひとりだった。
空には、星が瞬いている。
温もりも、声も、何も残っていない。
けれど──
胸の奥には、確かにあった。
消えない想いが。
形のない、けれど確かな記憶が。
──たとえ、すべてを忘れても。
たとえ、彼女の名を思い出せなくなっても。
この心だけは、
きっと、永遠に彼女を覚えている。
未来を、彼女のために生きるために。
月は厚い雲に隠れ、街の灯りもどこか滲んで見えた。
まるで、世界そのものが、何か大切なものを失うことを、黙って見守っているようだった。
春川直樹は、自室のベッドに座り込み、窓の外をぼんやり眺めていた。
胸の奥に、得体の知れない空白が広がっている。
何かを、忘れている。
何か、大切なものを、どうしても思い出せない。
けれど、それが何かさえわからない。
ただ、確かなのは──心の奥にぽっかりと空いた穴が、ずっと痛んでいることだった。
***
その時、
ノックの音がした。
「直樹くん……入っていい?」
扉の向こうから、か細い声。
直樹は、戸惑いながら「……ああ」と答えた。
ドアが静かに開き、瑠璃がそっと入ってくる。
水色のカーディガン。
長い黒髪。
見慣れたはずのその姿に、なぜか胸が締めつけられた。
「……どうした?」
直樹の問いに、瑠璃は小さく笑った。
「大事な話があるの」
彼女は、テーブルの椅子に腰かけ、真剣な瞳でこちらを見た。
その目には、決意が宿っていた。
ただ、同時に、どうしようもない悲しみも滲んでいた。
「──私、もうすぐここからいなくなります」
静かな声だった。
直樹は、一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「……どういうことだよ」
瑠璃は、ほんの少し、寂しそうに笑った。
「未来が変わり始めたから。
直樹くんが事故に遭う未来は、もうすぐ消えました。
だから、私は──この世界からも、直樹くんの心からも、消えなくちゃいけない」
直樹は、ぐっと息を呑んだ。
胸の中の空白が、
ようやく正体を現した。
この痛みは、
瑠璃を失う痛みだった。
「……そんなの、いやだ」
直樹は、震える声で言った。
「お前がいなくなるなんて、考えられない」
瑠璃は、首を横に振った。
「直樹くんが生きていてくれるなら、それでいいんです。
それだけが、私の願いだから」
そう言う瑠璃の笑顔は、あまりにも綺麗で、あまりにも哀しかった。
直樹は、手を伸ばした。
瑠璃の手を握ろうと──
けれど、その手は、ふっとすり抜けた。
まるで、
彼女自身が、もうこの世界に馴染めなくなりつつあるかのように。
「……もう、時間がない」
瑠璃は、静かに呟いた。
***
外に出よう。
最後の時間を、一緒に過ごしたい。
直樹は、夜の街へ飛び出した。
人気のない坂道を、
朧げな街灯の下を、
ふたりで駆けた。
瑠璃は、時折足をもつれさせながらも、必死で直樹に追いつこうとした。
「ねえ、どこに行くの?」
「──秘密の場所だ」
直樹は、懸命に走った。
心が、叫んでいた。
このまま、どこまでも逃げたい。
瑠璃が消えてしまう未来から、逃げたい。
でも、わかっている。
運命は、逃げられない。
だから──
せめて、最後の最後まで、一緒に。
ふたりで、生きた証を。
***
たどり着いたのは、丘の上だった。
市街地を見渡せる、小さな公園。
かつて、瑠璃と何度も訪れた場所──
直樹は、記憶の奥底で、それを知っていた。
夜空には、星が瞬いていた。
瑠璃は、そっと直樹の隣に立った。
「……綺麗」
その声は、涙で震えていた。
直樹は、瑠璃を抱きしめようとした。
小さな身体を、
かき集めるように…
「行かないでくれ」
直樹は、必死に言った。
「ずっと、一緒にいてくれ。
未来なんてどうでもいい。
お前がいない未来なんて、いらない」
涙が溢れた。
止まらなかった。
瑠璃は、そっと直樹の髪を撫でた。
「ありがとう」
その声は、優しかった。
「でも、私は直樹くんに、生きてほしい。
未来を、ちゃんと歩いてほしい」
「瑠璃──」
「大丈夫。きっと、またどこかで、出会えるから」
瑠璃は、微笑んだ。
それは、春の光のように温かくて、痛いほどに綺麗な笑顔だった。
「愛してるよ、直樹くん」
最後に、瑠璃はそう言った。
そして──
ふわりと、光に溶けるように、消えた。
直樹の腕の中から、
彼女は、静かに、静かに消えていった。
まるで、最初から、ここには存在しなかったかのように。
***
気づけば、直樹は、ひとりだった。
空には、星が瞬いている。
温もりも、声も、何も残っていない。
けれど──
胸の奥には、確かにあった。
消えない想いが。
形のない、けれど確かな記憶が。
──たとえ、すべてを忘れても。
たとえ、彼女の名を思い出せなくなっても。
この心だけは、
きっと、永遠に彼女を覚えている。
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