私にだけ、聞こえる声

naomikoryo

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10話:「君の言葉で、愛して」

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9月の空は高く、どこか冬の匂いを含んでいた。

陽菜は、手の中の小さな紙袋をぎゅっと握りながら、校門前に立っていた。

その袋の中には、小さなチョコと便箋——
「ちゃんと伝えるために」自分で選んだ言葉たち。

「おー、来た来た。待たせた?」

明るい声とともに現れたのは、桐谷智也。

トレードマークの無造作ヘアに、軽やかな笑顔。
変わらないその雰囲気が、今日はどこか切なく見えた。

「ううん、私も今来たところ」

陽菜は笑って答える。でも、その声には覚悟が滲んでいた。

「実は、ちょっと話があって……」

「うん。俺も、そろそろはっきりさせなきゃって思ってた」

桐谷は、冗談っぽく笑ってから、ふっと真剣な顔になる。

「……白石、やっぱりさ。あいつこと、待ってたんだよね?」

陽菜は、小さく頷いた。

「うん。ずっと、信じてた。……好きだから」

その言葉に、桐谷は少しだけ目を伏せた。

「そっか。……ちゃんと好きだったんだな、やっぱり」

「……ごめん、智也くん」

「謝るなって。俺が勝手に好きになって、勝手にアピールしただけなんだし」

そう言って笑う彼の目は、ほんの少しだけ潤んでいた。

「でも、最後にひとつだけ、言わせて」

「うん」

「君の“笑ってる顔”、俺の中ではいちばんきれいだったから。これからも、いっぱい笑ってろよ。……本気で、幸せになれ」

「……ありがとう」

ふたりの間に、少し冷たい風が吹いた。

でも、それは秋の入り口の風。新しい季節への、合図だった。

その日の夕暮れ、美術室。

陽菜はスケッチブックを開き、最後のページに手を置いた。

(もうすぐ帰ってくる)

あの日、悠真は突然姿を消した。

彼から届いた短いメッセージには、こう書かれていた。

「母さんに会いに行く。少し時間がかかると思う。戻ったら、ちゃんと話したい」

それから一か月。
連絡は数えるほどだったけど、最後のLINEでこう告げられていた。

「母さん、やっと落ち着いた。来週、戻るよ」

それは、“待つこと”を選んだ陽菜にとって、何よりの贈り物だった。

「……陽菜」

振り向いた瞬間、ドアの向こうに立っていたのは、変わらない彼——悠真だった。

だけどどこか、雰囲気が違った。

「……おかえり」

「ただいま」

それだけの会話で、ふたりの間の空気はすべて取り戻された。

机の前で向かい合い、陽菜がゆっくり口を開く。

「お母さん……元気?」

「うん。最初は、もう覚えてないんじゃないかってくらい弱ってた。でも、付き添ってる間に少しずつ話せるようになって……今は、自分の足で歩けるくらいになったよ」

「そっか……よかった」

「ありがとう。……あのとき、君がいてくれたから、俺は行く決心ができた」

陽菜は、小さく微笑む。

「本当は、ずっと怖かった。声が聞こえなくなって、自分の気持ちも分からなくなりそうだった。でも……」

「でも?」

「言葉で話してくれた悠真くんを、もっと好きになった。だから、もう聞こえなくても大丈夫」

悠真は一歩、近づいてくる。

「俺はね、あの“声”が聞こえてたこと、奇跡みたいなものだって思ってる。でも——」

彼は、陽菜の手を取る。

「今ここで君に触れて、目を見て言えるなら、それ以上の奇跡はいらない」

そして、はっきりと告げる。

「白石陽菜。——君が好きだ」

陽菜の目から、自然と涙がこぼれた。

「……私も。ずっと、ずっと好きだった」

ふたりの間にあった、すれ違いも、不安も、嘘も、
この一言で全部、溶けていくようだった。


◆エピローグ:春を迎える前に
それから数ヶ月後。
桜の蕾がようやく膨らみ始める季節。

陽菜は、美大の講義帰りに音楽ホールの前で立ち止まった。
ステージには、悠真の姿があった。

真っ白なシャツに黒いパンツ。
ピアノの前に座り、そっと鍵盤に触れる。

静寂の中に響くその音は、まるで陽菜だけに届いているようだった。

(聞こえないはずの“声”が、今はちゃんと、私の心に響いてる)

終演後、ステージの裏で再会したふたりは、静かに手を取り合う。

言葉はなくても——伝わっていた。

“好き”は、心の中だけじゃなくて、ちゃんと口に出して、届けていくもの。

そしてそれは、“心の声”以上に、ちゃんと人を繋いでくれる。
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