炭火の夜、潮の香りに灯る店 〜異世界港町グルメ、元冒険者が営む炭火居酒屋〜

夢宮

文字の大きさ
29 / 37
六章「秋の炭火に、語らいは香る - Words Rise in Autumn Flame」

第28話「火の香る宵」

しおりを挟む
 町の喧騒けんそうが、しおのように遠のいていく頃だった。
 陽はまだ残っていたが、光の質は変わりはじめていた。石畳いしだたみの通りに影が伸び、裏路地には昼とは違う温度の風が流れ込む。

 ベネリオは、店の奥で包みをひとつ解いた。
 昼前に仕入れておいた香草こうそうが、編まれた布の隙間すきまから、かすかに青みを帯びた香りを滲ませている。
 その香りは、干しきのこの乾いた匂いとまじじることで、火に近いところへと引かれていった。

 炭床すみどこには、昼のうちに種火を仕込んでおいた。
 まだ完全には起きていない。けれど、しんには赤があった。
 灰にうずもれたその光は、薪を少し重ねるだけでゆっくりと息を吹き返していく。

 細く割った木を載せ、その上に香草こうそうをひとつまみ。
 炭の温度が草の水気に触れ、じり、と音を立てた。
 音はそれだけだった。だが、空気が変わる。
 香りが──よいの気配を告げはじめる。

 陶皿とうざらに載せた干しきのこを、炭の脇へ置く。
 香草こうそうの葉を敷いて、その上にかさを伏せるように並べた。
 まだ火のしんには近づけない。ゆっくり、炭と香りが言葉を交わすように、じわりと炙っていく。

 きのこは小ぶりだが、波打つかさの内に味が詰まっている。
 リモンが置いていったそれは、よほど天日をよく吸ったのだろう。乾いてなお、豊かな香りがあった。

 じわ、という音がひとつ。

 きのこの裏から、かすかに汁が浮いた。

「……こいつは、夜の前の火だな」

 ベネリオはそうつぶやいて、椅子を引き、身を屈める。
 火はまだ静かだ。けれど、赤が店の奥にまで届きはじめている。

 そのとき、戸が控えめに叩かれた。

 風が、戸の桟をすべって抜けていく音と重なる。
 ベネリオは炭にひとつ水を打ち、ゆっくりと立ち上がった。

「──よう」

 引き戸を開けると、そこに立っていたのは、くりの包みを抱えたふたりだった。

 ユリオとミーナ。
 町の外れに住む、若い夫婦。
 彼らがこの店を訪れるのは、今夜で三度目だった。

「こんばんは。……あの、くり、拾ったんです。裏の林のほうで」

 ユリオがそう言って、手にした包みを少し持ち上げる。
 隣のミーナも、小さく頭を下げた。

「まだ炒ったりはしてないんですけど……焼けるかな、って」
くりか。ちょうどいい。火、起きてるぞ。入んな」

 ふたりはうなずき、引き戸を閉めてから、静かに中へと歩を進めた。
 外気をまとった姿が、店の空気に溶けていくようだった。

 席に着いたユリオは、包みをそっと膝に置いた。
 ミーナがその包みを解くと、布の中には、殻のまだらなくりがいくつか転がっていた。

 ベネリオはそのくりをひとつ取り、親指で軽く叩く。

「……張ってるな。火にかけりゃ、じきに開くだろ」

 彼はくりをいくつか選び、香草こうそうの葉でくるみ、火の端へと置いた。
 干しきのこの香りとまじじることを避け、少し距離をとって炭の奥に滑り込ませる。

 そのときだった。

 ぱち、と炭が鳴いた。

 音は小さく、それでいてしんがある。
 炭と炭のあいだで、火が育ちはじめている証だった。

「……ああいう音、聞いたの初めてかも」

 ユリオがつぶやいた。

「炭が鳴くのは、しんが立ったときだ。……火が、腹を決めたってこった」

 ベネリオはそう言いながら、干しきのこをそっと返す。
 香草こうそうの葉の上で、かさの縁がゆっくりとたわんだ。

「……いい香り」

 ミーナの声は、小さく、それでいてはっきりとひびいた。

 ふたりの前に、小皿が置かれる。
 陶器とうきの縁には、青緑あおみどり釉薬ゆうやくが薄くかかっていた。
 その中央に、炙られた干しきのこが一枚、香草こうそうの葉に乗っていた。

「通しだ。……まずは火を食っていけ」
「いただきます」

 ユリオが小さく頭を下げる。
 ミーナも、そっとはしを取った。

 きのこは、ほろりと崩れた。

 舌に触れた瞬間、乾いていた香りが戻ってくる。
 むほどに、火のしんが染みるような味わいが広がった。

「……こういうの、ちょっと好きかも」
「やさしい、香り……」

 ふたりの言葉に、火はまた、ひとつ音を立てた。

 包み蒸しにされたくりは、葉の内でふくれ、やがて湯気を立て始めていた。
 焦げ目が葉の端に滲み、香草こうそうの香りがわずかに甘さを伴って炭の上にただよい出す。

 ミーナはその香りにそっと目を細め、ユリオは静かに椅子に背を預けていた。

 そして、戸の外から小さな音がした。
 引き戸がゆっくりと開き、影がひとつ、店内に差し込む。

「……あれ?」

 声にならないような声とともに、秋色のかごを抱えた娘が現れた。

 セシアだった。

 その足が止まったのは、見慣れぬ若い夫婦の姿に気づいたからだった。
 彼女はそっと戸を閉め、かごを胸に引き寄せる。

「……こんばんは。あの、ちょっとだけ……持ってきたんですけど」
「おう、野菜か。奥のかごに置いとけ。火はちょうどいいところだ」

 ベネリオの言葉に、セシアはうなずいて歩を進める。
 途中、ふたりと目が合った。

「あ……はじめまして。旅の人……ですよね?」
「いえ、えっと、運び屋なんです。……町のはずれに住んでて」

 ユリオが苦笑いを浮かべながら答える。

「わたしは、ミーナといいます。……八百屋さん?」
「そ、そうです。……店の人というより、娘なだけですっ」

 言葉がぎこちなくなる。けれど、そのやりとりに柔らかな笑いがこぼれた。
 ミーナの視線が、炭火の上の包みへと向かう。

くり、焼いてもらってて」
「……よかったら、そのくりで、もうひと皿つくりますか?」

 セシアの声は小さかったが、言葉は真っ直ぐだった。
 ミーナが少し驚いたように目を見開き、それから、微笑んでうなずいた。

「うれしいです……ありがとうございます」

 くり香草こうそうを葉でくるみ、再び火の端に置かれる。
 焦げ目が葉に映ると同時に、くりの香りが甘く、そして深く立ち昇る。

「火のまわり、ちょっと寄せるぞ。香りが逃げちまう」

 ベネリオの手が炭を組み替え、香りの層を整えていく。
 それは、料理というより──火を重ねて音を整えるような、静かな作業だった。

 やがて、戸がふたたび開く。

「……火の匂いがしてると思ったら、ちょうどいい頃合いだ」

 その声に、セシアが顔を向ける。
 入口に立っていたのは、旅装りょそうを軽くまとった男──リモンだった。

「リモンさん……」
「おう、娘さんも来てたか。大将、きのこ、届いたんだって?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件

さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ! 食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。 侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。 「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」 気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。 いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。 料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!

平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。 そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。 カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。 やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。 魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。 これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。 エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。 第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。 旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。 ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載

うちの孫知りませんか?! 召喚された孫を追いかけ異世界転移。ばぁばとじぃじと探偵さんのスローライフ。

かの
ファンタジー
 孫の雷人(14歳)からテレパシーを受け取った光江(ばぁば64歳)。誘拐されたと思っていた雷人は異世界に召喚されていた。康夫(じぃじ66歳)と柏木(探偵534歳)⁈ をお供に従え、異世界へ転移。料理自慢のばぁばのスキルは胃袋を掴む事だけ。そしてじぃじのスキルは有り余る財力だけ。そんなばぁばとじぃじが、異世界で繰り広げるほのぼのスローライフ。  ばぁばとじぃじは無事異世界で孫の雷人に会えるのか⁈

【完結】魔術師なのはヒミツで薬師になりました

すみ 小桜(sumitan)
ファンタジー
 ティモシーは、魔術師の少年だった。人には知られてはいけないヒミツを隠し、薬師(くすし)の国と名高いエクランド国で薬師になる試験を受けるも、それは年に一度の王宮専属薬師になる試験だった。本当は普通の試験でよかったのだが、見事に合格を果たす。見た目が美少女のティモシーは、トラブルに合うもまだ平穏な方だった。魔術師の組織の影がちらつき、彼は次第に大きな運命に飲み込まれていく……。

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

【電子書籍1〜2巻発売中】ダジャレ好きのおっさん、勇者扱いされる~昔の教え子たちが慕ってくれるけど、そんなに強くないですよ?~

歩く魚
ファンタジー
※旧題「俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?」 幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。 それから数十年が経ち、気づけば38歳。 のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。 しかしーー 「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」 突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。 これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。 ※書籍化のため更新をストップします。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...