転移魔法は最強の攻撃魔法である!!

yomuyomu

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第1部:序章 ままならぬ世へ

第3話:無敵の防御と、謎の敗北感。

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森の静寂が、嘘のようだ。
あれほど凄まじい咆哮を上げ、大地を揺るがした巨大な猪の魔物、大牙(おおきば)は、今やただの巨大な肉塊となって、僕たちの目の前に横たわっている。眉間のど真ん中に、僕が転移させた石ころが、まるで最初からそこにあったかのように、ちょこんと食い込んでいるのが、やけにシュールな光景だった。

空を見上げると、木々の隙間から見える空が、茜色に染まり始めていた。ひぐらしが、どこかでカナカナと鳴き始めている。森を吹き抜ける風も、昼間の熱気を失い、ひんやりとした夕暮れの匂いを運んでくる。
「……さて」
僕が呆然と立ち尽くしていると、先に我に返った陽菜が、ぽんと手を叩いた。
「これを、どうやって村まで運ぼうか」
その、あまりにも現実的な問題提起に、僕の意識もようやく現在へと引き戻された。確かに、そうだ。この軽自動車ほどもある肉塊を、僕たち二人でどうやって運べというのか。引きずって行けるような重さではないし、かといって、ここに放置して帰るわけにもいかないだろう。獲物は、この世界の貴重な食料であり、収入源なのだと、陽菜から聞いていた。
「……ああ、そうだ。転移、できるかな」
僕の言葉に、陽菜が「それだ!」と、再び目を輝かせた。
「宗一郎さんの魔法なら、きっと一瞬だよ!」
彼女の純粋な期待が、僕の肩にずしりと重くのしかかる。正直、全く自信がなかった。さっきの石ころは、ほとんど火事場の馬鹿力というか、無我夢中でやった結果だ。再現性があるのかどうか、全く分からない。それに、あんな小さな石ころと、この巨大な肉塊とでは、訳が違うだろう。
「ええと、やってみるけど……。あんまり期待しないで」
僕は、恐る恐る大牙の巨体に手を触れ、精神を集中させた。お腹の底にある、あの消え入りそうな熱源を、ゆっくりと意識の中で練り上げていく。そして、頭の中に、陽菜の家の前の、広い庭を思い浮かべた。
(届け!)
念じた瞬間、僕の手のひらに、ずしりとした確かな手応えが伝わった。成功した、と思ったのも束の間。
「……あれ?」
陽菜が、きょとんとした顔で、僕たちの背後を指差している。
「あっち、だよ」
振り返ると、五十メートルはあろうかという森の奥、巨大な樫の木の、そのてっぺんの枝に、大牙の巨体がでんと引っかかっていた。ミシミシと、木が悲鳴のような音を立てている。
「…………」
「…………」
僕と陽菜は、顔を見合わせた。
「ご、ごめん。座標が、なんか、めちゃくちゃに……」
「う、うん。すごいね、あんな高いところに」
陽菜のフォローが、逆に僕の心を抉る。
気を取り直して、もう一度。今度は、もっと慎重に。座標を、僕たちのすぐ目の前、五メートル先に設定する。
(今度こそ!)
再び、確かな手応え。
次の瞬間、僕たちの真上から、巨大な影が降ってきた。
「「あぶなっ!!」」
僕と陽菜は、文字通り、転がるようにその場から飛びのいた。直後、僕たちがさっきまで立っていた場所に、轟音と共に大牙が落下し、地面をえぐって大きなクレーターを作る。
「……宗一郎さん」
「……はい」
「もしかして、コントロール、すごく下手?」
「……否定は、できない、です」
結局、僕たちは、この巨大な猪を、五メートルずつ、小刻みに転移させて運ぶという、この世のものとは思えないほど地味で、非効率で、そしてひたすらに疲れる作業を、繰り返すことになった。
茜色の空の下、ひぐらしの鳴き声を聞きながら、「せーのっ」で巨大な猪を瞬間移動させ、その度に汗を拭う僕たちの姿は、おそらく、この世界のどんな叙事詩にも記されることのない、情けない光景だったに違いない。

延々と続く地味な作業の末、僕たちはようやく森を抜け、村へと続く一本の田舎道に出た。
空は、燃えるような赤から、深い藍色へとその表情を変えつつある。一番星が、空の高いところで瞬き始めていた。道の両脇に広がる田んぼからは、蛙の合唱が聞こえてくる。長く伸びた僕たちの影が、夕暮れの道をゆっくりと進んでいく。
「はあ……疲れた」
「お疲れ様、宗一郎さん。もうちょっとだよ」
陽菜が、汗を拭うための手ぬぐいを渡してくれる。その何の気ない優しさが、今の僕には少しだけ、素直にありがたいと思えた。
そんな時だった。
前方から、三人の人影が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。夕闇にシルエットが溶けて、最初は村人かと思ったが、近づくにつれて、その異様な雰囲気に気づく。
使い古されてところどころがひしゃげた革鎧。腰に差した剣は、手入れもされていないのか、鞘ごと錆びついている。歩き方はだらしなく、その目つきは、獲物を探す野良犬のように、ぎらぎらとしていた。いかにも、といった感じの、三流の冒険者。あるいは、ただのチンピラか。
彼らは、僕たち二人と、その傍らに横たわる巨大な大牙の亡骸を認めると、にやり、と下卑た笑みを浮かべた。
「よう、嬢ちゃんたち。そいつぁ、とんだ大物じゃねえか」
リーダー格と思しき、傷だらけの顔の男が、ねっとりとした視線を陽菜に向けながら、言った。
「まさか、お前さんたち二人で仕留めたってわけじゃあるめえな?」
「そうだったら、何か?」
陽菜が、僕を庇うように一歩前に出て、毅然と言い返す。その小さな背中が、頼もしく見えた。
「へえ、威勢がいいねえ。だがな、ひ弱な兄ちゃんと可愛い嬢ちゃんには、そいつはちと荷が重いだろうよ」
男は、僕を一瞥し、侮蔑の色を隠そうともせずに鼻で笑った。
「心配はいらねえ。俺たちが、代わりに組合まで運んでやるぜ。もちろん、手数料はきっちり貰うがな」
それは、誰がどう聞いても、獲物を横取りするという宣言だった。
面倒なことになった。
僕の心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。現世での記憶が、不意にフラッシュバックする。教室の隅で、嘲笑に囲まれた、あの無力な自分。結局、どこへ行っても同じだ。力の強い者が、弱い者から奪う。それが、この世界の、変えようのないルールなのだ。
「お断りします。これは、私たちが命がけで手に入れたものです。誰の手も借りるつもりはありません」
陽菜のきっぱりとした拒絶に、男たちの顔から笑みが消えた。
「……そうかい。なら、少し、痛い目に遭わねえと、分からねえようだな」
リーダー格の男が、合図を送る。すると、その隣にいた、痩せた男がおもむろに前に出て、手のひらを僕たちに向けた。その手のひらに、夕闇の中でもはっきりと分かるほど、禍々しい炎が渦を巻いて凝縮していく。
「う、動かないで!」
陽菜が叫ぶが、もう遅い。
「燃えちまいな!」
男の叫びと共に、燃え盛る火の玉が、轟音を立てて僕たちに向かって放たれた。夕焼けの空を背景に、その軌跡が一瞬だけ、美しく見えた。

死ぬ。
また、死ぬのか。
僕の思考は、絶対的な恐怖を前に、再びスローモーションになった。
(まずい。陽菜さんを守らないと)
(どうする? 石ころを、もう一度? いや、あの感触は、二度と味わいたくない。それに、やりすぎたら、今度こそ陽菜さんに化け物だと思われる)
(逃げる? 転移で? でも、二人同時に、しかも動く相手から逃げるなんて、コントロールが絶望的な俺にできるか?)
(攻撃を転移させる? あの火の玉を、どこか別の場所に? 無理だ、速すぎる。間に合わない)
思考が、行き止まりの袋小路をぐるぐると回る。
(だめだ。どうやったって、だめだ)
(結局、俺は、何もできない)
諦めが、再び僕の心を黒く塗りつぶそうとした、その瞬間。
全く別の、突拍子もない発想が、まるで天啓のように、僕の頭の中に降ってきた。
(待てよ。なんで俺は、『俺自身』を守ろうとしてるんだ?)
(なんで、『攻撃』をどうこうしようとしてるんだ?)
(発想が、逆なんじゃないか?)
僕が守るべきは、「相田宗一郎」という、このか弱くて、何の価値もない、ただの容れ物じゃない。
攻撃は、どうせ俺の知らない理屈で飛んでくるんだ。それを理解しようなんて、おこがましい。
問題は、もっとシンプルだ。
『攻撃が、俺に、届かなければいい』。
ただ、それだけだ。
(攻撃をどうこうするんじゃない。『攻撃が届く場所』そのものを、なくし続ければいいんじゃないか?)
(俺の周り。この身体を覆っている、半径一ミリ。いや、もっと薄くてもいい。この、空気の層)
(この『空間』だけを、常に、別のどこか……例えば、遥か上空とか、誰もいない海の底とかに、転移させ続ける)
(そうすれば、どんな攻撃も、俺に届く直前の、その最後の空間ごと、別の場所にワープするはずだ)
(それは、まるで、誰にも見えない、触れることすらできない、絶対的な『壁』みたいに)
僕がいた世界で、僕は「自分」という存在に、何の価値も見出せなかった。守るべき「我(が)」など、どこにもなかった。いじめられ続けた日々は、僕の中から「自分は大切だ」という感覚を、綺麗さっぱりと奪い去ってしまった。
だからこそ、僕は、この発想に至れたのかもしれない。
守るべきは、「俺」という中心じゃない。
俺という存在と、外の世界を隔てている、この曖昧で、実体のない、「境界線」そのものだ。
僕は、目を閉じた。
そして、全ての意識を、自分の身体を覆う、極薄の空間層へと集中させた。

シュンッ。
すぐ目の前で、何かが消えるような、小さな音がした。
目を開けると、僕に命中するはずだった火球が、跡形もなく消え失せていた。熱も、衝撃も、爆風も、何も感じない。ただ、僕の服の袖先が、一瞬だけ、別のどこかの冷たい空気に触れたかのような、奇妙な感覚があっただけだった。
「……は?」
火球を放った男が、素っ頓狂な声を上げる。
チンピラたちは、何が起きたのか分からず、きょとんとしていた。僕の隣にいる陽菜も、目をまん丸くして、口をぱくぱくとさせている。
「な、なんだと!? まぐれか!」
リーダー格の男が、怒りに顔を歪ませ、錆びついた剣を抜き放ち、僕に斬りかかってきた。
その剣先が、僕の喉元に迫る。
しかし、それもまた、僕の肌に触れる寸前で、フッと、その先端部分の数センチが、綺麗さっぱりと消え失せた。
「なっ……!?」
男は、切断された自分の剣先と、僕の顔を、信じられないものを見るかのように、二度、三度と見比べた。
パニックが、伝染していく。
残りの仲間が、矢継ぎ早に氷の矢や、風の刃を放ってくるが、その全てが、僕に届く、最後の最後の一瞬で、「神隠し」にでも遭ったかのように、虚空へと消えていく。
彼らの攻撃は、一つとして、僕に届かない。
やがて、彼らの顔から、怒りや侮蔑の色が消え、純粋な、そして根源的な「恐怖」へと変わっていった。自分たちの常識が、理解が、完全に通用しない、何か得体の知れないものを前にした時の、あの恐怖。
「ひっ……!」
「な、なんだよ、てめえ……! 人間じゃ、ねえ……!」
「お、お化けだーっ!」
最後に、誰かがそう叫んだのをきっかけに、彼らの統率は完全に崩壊した。
「呪われる!」「逃げろーっ!」
チンピラたちは、武器も、獲物も、プライドも、全て放り出して、蜘蛛の子を散らすように、泣き叫びながら、夕闇の彼方へと逃げ去っていった。

あっけなく、静寂が戻った。
茜色と藍色が美しく混じり合った空の下、ひぐらしの声だけが、先ほどと何も変わらずに響いている。
僕は、一歩も動いていない。汗一つ、かいていなかった。
「……宗一郎さん」
陽菜が、おそるおそる、といった様子で僕の名前を呼んだ。
僕は、ゆっくりと彼女の方を振り返る。
彼女は、何が起きたのか、おそらく半分も理解できていないだろう。だが、とにかく、とんでもなく凄いことが起きた、ということだけは分かったらしかった。その大きな瞳は、恐怖ではなく、驚きと、尊敬と、そして少しばかりの興奮で、きらきらと輝いていた。
「すごい! 今の、何!? 全然見えなかったけど、すっごくかっこよかった!」
太陽のような、屈託のない笑顔。純粋な、賞賛の言葉。
しかし、その言葉は、僕の心には全く届かなかった。
それどころか、僕の心は、今、深い、深い、海の底へと沈んでいくような、重たい感覚に支配されていた。
(ああ、終わった)
(最悪だ)
(絶対に、変な奴だと思われた。気持ち悪がられたに違いない)
(なんだよ、あの消える壁。普通の冒ential者なら、もっとこう、剣と魔法で、派手にかっこよく戦うはずじゃないか)
(俺のは、なんだ? ズルくて、陰湿で、正々堂々という言葉からは、最も遠い戦い方だ)
(陽菜さんも、口ではああ言ってくれているけど、本当は、心の底では、絶対にドン引きしてる。あんな化け物みたいな奴、関わりたくないって、きっと思ってる)
(もう、口も聞いてくれなくなるかもしれない)
(また、俺は、一人になるんだ)
無傷の勝利。圧倒的な結果。
それとは裏腹に、僕の心を満たしていたのは、まるで完膚なきまでに叩きのめされたかのような、どうしようもない、深い「敗北感」だけだった。
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