転移魔法は最強の攻撃魔法である!!

yomuyomu

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第4部:偽りの聖女と裏切りの王国

第36話:陽菜の覚悟と、古文書が示す一条の光

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 夏至が近づき、一年で最も光が強い季節が訪れていた。
 王都を照らす陽光は、もはや熱と呼ぶべき強さで、磨き上げられた城壁の石を白く焼き、庭園の草木はその光を飽食して、目に痛いほどの濃厚な緑を誇っている。蝉に似た虫の鳴き声が、遠く、現実感を失わせるほどに降り注ぐ。
 だというのに。
 王宮の中枢を貫く大回廊は、その灼熱の外界から切り離されたかのように、ひんやりと冷え切っていた。
 床に敷き詰められた大理石は、まるで冬の氷の上を歩くように、靴底を通して足の裏から体温を奪っていく。高い天井から差し込む光も、分厚い壁とステンドグラスにその熱量を奪われ、ただの荘厳な模様として、冷たく床に落ちているだけだ。
 穢れの森からの撤退。
 あの日、命からがら王宮に帰還してから、数日が過ぎていた。
 一行が拠点として与えられた、王宮の一角にある客室もまた、その重苦しい静寂と冷気に満たされていた。あてがわれた調度品はどれも一級品だったが、今はその全てが、持ち主を失った博物館の展示品のように無機質に見えた。
 朱鷺は、窓枠に肘をつき、ただ黙って、現実味のないほど鮮やかな庭園の緑を見つめていた。その横顔からは、いつもの完璧な微笑みはおろか、一切の感情が抜け落ちている。
 玄は、部屋の隅のソファにだらしなく寝そべり、天井の木目を数えるでもなく、ただ虚空を睨んでいた。彼の手には、いつも握られているはずの酒瓶すらなかった。
 そして相田宗一郎は、自室の床、豪華だが足先の冷える絨毯の上で、膝を抱えていた。
 (結局、何も変わらない)
 初めてこの世界に来た時、あの懐かしい畳の匂いに包まれて、彼は微かな希望を抱いたかもしれない。違う世界に来たのだから、今度こそ、何か違う自分になれるかもしれない、と。
 だが、現実はどうだ。
 時雨の、あの理不尽なまでの力。自分の「転移」という、この世界において最強のバグ技であるはずの力が、まるで分厚い鉄の壁に小石を投げつけるように、何の抵抗も、何の手応えもなく、霧散した。
 あれは、格が違った。
 彼がこれまで弄ってきたのは、この世界の物理法則(ルール)という盤上の上で、駒を不正に動かすようなものだった。だが、時雨の力は、その盤そのものを、ルールごと書き換える力だった。
 (そんな相手に、どうしろっていうんだ)
 そして、小雪の、あの虚ろな目。
 兄が全ての元凶だったという真実。国が、民が、全てが嘘の上に成り立っていたという絶望。その全てを一身に受け止め、彼女の心は、音もなく砕け散った。
 彼女の姿に、現世で嘲笑の的となり、教室の隅で心を殺していた自分の姿を重ねた。助けてやりたい、と柄にもなく願った。
 だが、結局、自分には何もできなかった。最強の魔法はあっても、人の心を救う方法など、知りもしなかった。
 (そうだ。俺は、何も変われない。どこにいたって、無力なままだ)
 いじめっ子たちの前で何もできなかった自分と、時雨の前で何もできなかった自分と、そして心を閉ざした小雪の前で何もできない今の自分が、一本の線で繋がる。
 場所が変わっても、手にする力が変わっても、相田宗一郎という人間の本質は、あの薄暗い教室でうずくまっていた頃から、一ミリも変わっていなかった。
 そのどうしようもない無力感が、鉛のように、彼の全身に満ち満ちていた。

 その絶望の底に沈むような空気の中、陽菜だけが、違った。
 「私、大書庫に行ってきます」
 客間の扉が開き、現れた彼女の姿に、宗一郎は思わず目を見開いた。
 最後にまともに寝たのはいつだろうか。彼女の目の下には、病的なほど深いくまが刻まれ、日に焼けていたはずの肌は、蝋のように青白い。
 だが、その瞳だけが、憔悴しきった顔の中で、まるで熱病に浮かされたかのように、ギラギラと異様な光を放っていた。
 「陽菜、お前……」
 玄が、ソファからゆっくりと身を起こす。
 「少し、休んだ方がいい。このままでは、あなたまで倒れてしまう」
 朱鷺が、初めて窓の外から視線を外し、静かに諭す。だが、陽菜は首を振った。
 「休んでる時間なんて、ないんです。小雪様が、このままじゃ……」
 「無駄だ」
 宗一郎が、膝に顔を埋めたまま、くぐもった声で呟いた。
 「もう、どうしようもない。俺たちが何をしても、無駄なんだよ」
 陽菜は、そんな宗一郎を一瞥したが、何も言わなかった。ただ、固く唇を引き結ぶと、ふらつく足取りで部屋を出ていった。扉が閉まる音が、やけに重く響いた。

 王宮大書庫は、知の墓場だった。
 第26話で朱鷺が訪れた時と同じように、そこは絶対的な静寂と、時間の澱(おり)のような古い紙の匂いに支配されていた。
 陽菜は、その広大な書庫の一角、王家の禁書が納められた区画に、宰相からの特別な許可を得て籠城していた。
 蝋燭の光だけが、彼女の小さな背中と、床一面に広げられたおびただしい数の古文書や羊皮紙を、ぼんやりと照らし出している。
 彼女が頼れるのは二つ。一つは、王家に代々伝わる、しかしその多くが改竄(かいざん)され、真実が塗り隠された「公式の歴史」。もう一つは、彼女の一族にだけ、口伝として、あるいはぼろぼろになった一枚の巻物として、密かに受け継がれてきた「失われた伝承」。
 その二つを、彼女は一文字、一文字、照合していく。
 寝ているのか、起きているのか。食事は、侍女が運んできたものを、乾いたパンを水で流し込むだけ。
 羊皮紙をめくる乾いた音だけが、深夜の書庫に響き続ける。彼女の指先は、硬い羊皮紙で擦り切れ、インクと血で黒く汚れていた。
 (何かが、おかしい。何かが、隠されてる)
 王家の歴史では、「闇の住人」は、建国時に王家の祖先がその神聖な力で「封印」した、邪悪な存在として描かれている。
 だが、陽菜の一族に伝わる断片的な伝承では、彼らは「森の精霊」と呼ばれ、元々は人間と共存していた、穏やかな存在として語られていた。
 なぜ、歴史は二つに引き裂かれたのか。
 「封印」という言葉に、なぜ彼女の祖先は「それは違う、あれは呪いだ」と、代々言い伝えてきたのか。
 彼女は、何かに憑かれたように、ただひたすらに、文字の海を泳ぎ続けた。

 さらに数日が過ぎた。
 宗一郎が、最低限の水差しを持って書庫を訪れた時、陽菜は、書物の山に突っ伏すようにして動かなくなっていた。
 「おい、陽菜さん。生きてるか」
 宗一郎が肩を揺すると、陽菜は、うめき声と共に、ゆっくりと顔を上げた。その姿は、もはやミイラの一歩手前だった。
 「……宗一郎さん」
 「もう、やめろよ。お前まで死ぬ気か」
 宗一郎の声には、苛立ちが混じっていた。彼女のその無駄な努力が、自分の無力さを突きつけられているようで、見ていられなかった。
 「みんな、もう諦めてる。お前が一人で頑張ったって、何も……」
 その言葉は、途中で途切れた。
 陽菜が、彼を睨みつけていたからだ。
 血走った、焦点の定まらない目で、しかし、その奥に宿る意志の光は、宗一郎がこれまでに見たどんなものよりも強かった。
 「諦めたら、そこで全部終わりになっちゃうんだよ!」
 それは、か細い、掠れた声だった。だが、宗一郎の鼓膜を突き破り、魂を直接殴りつけるかのような、凄まじい気迫がこもっていた。
 「小雪様が諦めても、朱鷺さんたちが諦めても、宗一郎さんが諦めても! 私だけは、絶対に諦めない! 私が諦めたら、この悲しみは、このまま何百年も、ずっと続いちゃうんだよ!」
 宗一郎は、何も言い返せなかった。
 彼は、常に「諦める」ことで、自分を守ってきた。期待しなければ、傷つかない。戦わなければ、負けることもない。
 だが、彼女は違う。彼女は、諦めないことで、何かを守ろうとしている。
 「……勝手にしろよ」
 宗一郎は、それだけを吐き捨てると、水差しを乱暴に床に置き、書庫を逃げるように立ち去った。

 宗一郎が去った後、陽菜は再び古文書に向き直った。
 (負けない。絶対に)
 彼女は、王家の建国史を記した、最も分厚い羊皮紙の束を、再び手に取った。闇の住人を「封印」したとされる、クライマックスの場面。そのページは、何者かによって意図的に、黒いインクで大部分が塗りつぶされていた。
 (ここだ。絶対に、ここに何かある)
 彼女は、蝋燭の光をギリギリまで近づける。
 その時、彼女は気づいた。
 塗りつぶされたインクが、数百年の時を経て僅かにひび割れ、その盛り上がりの下に、別のインクで描かれた、微かな紋様の線が見えることに。
 震える指で、持っていた小さなナイフの先を使い、まるで薄氷を剥がすかのように、慎重に、慎重に、上塗りの黒いインクを削り取っていく。
 どれほどの時間が経っただろうか。
 彼女の目の前に現れたのは、王家の紋章とは似ても似つかない、古拙(こせつ)だが力強い線で描かれた、一つの紋様だった。
 森の木々を象徴する模様。その中心で、一人の巫女が、人ならざる精霊のような存在と、固く、手を取り合っている姿。
 それは、彼女の一族の口伝にのみ伝わる、失われたはずの「調和の印」だった。
 息が止まる。心臓が、耳元で鳴り響く。
 彼女は、その紋様の前後に記された、かろうじて読み取れる古代の文字を、震える声で解読していく。
 「……力を封ずるは、血塗られた偽りの儀。それは、星の嘆きを呼び、大地を穢すのみ……」
 「……真(まこと)なるは、力を鎮め、和合する共存の儀なり……」
 あった。
 歴史から消された、もう一つの儀式。封印ではなく、「共存」するための道が、確かに存在したのだ。
 陽菜は、喜びのあまり叫び出しそうになるのを、必死でこらえた。だが、彼女はすぐに、その儀式の執行条件を記した次の行を読み、血の気が引くのを感じた。
 「……儀式の執行は、二つの魂の共鳴を要す。一つは、星の嘆きを受け止め、古(いにしえ)の巫女の血脈に連なる者。一つは、その力を大地に繋ぎ、調和を司る、王家の血を引く清浄なる器……」
 古の巫女の血脈。それは、間違いなく、この力と記憶を受け継いでしまった、自分のことだ。
 そして、王家の血を引く清浄なる器。それは、小雪姫をおいて他にいない。
 一条の、蜘蛛の糸よりも細い光が見えた。
 だが同時に、それは、これ以上ないほどの絶望的な壁が立ちはだかったことをも意味していた。
 儀式を執り行うには、心を閉ざし、生きる意志すら失ってしまった姫の、小雪の協力が、絶対不可欠なのだ。
 陽菜は、その古文書を、まるで赤子でも抱くかのように、強く、強く胸に抱きしめた。
 (間に合うか、じゃない。間に合わせるんだ)
 彼女は、よろめきながら壁に手をつき、ふらつく足で立ち上がる。
 絶望の底にいる仲間たちに、この僅かな、しかし確かな希望の光を届けるために。彼女は、重い書庫の扉を押し開き、光の差す回廊へと、最後の一歩を踏み出した。
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