転移魔法は最強の攻撃魔法である!!

yomuyomu

文字の大きさ
38 / 61
第4部:偽りの聖女と裏切りの王国

第38話:鉄斎の特別稽古と、心の目を開くということ

しおりを挟む


 その夜、王宮の空気は、張り詰めた弦のように固く、静まり返っていた。  陽菜は、自らの一族が背負ってきた宿命と、かろうじて見つけ出した「共存の儀式」という細い希望を胸に、疲弊しきった身体を引きずるようにして自室に戻っていった。  朱鷺は、宰相から突きつけられた、故郷ジルベスタ滅亡の冷徹な「真実」を、その氷のような瞳の奥に沈めたまま、部屋で瞑想に入っていた。  そして玄は、戻らなかった。彼が自室で、過去の贖罪のためではなく、今を守るための刃を月光に晒し、無心に研ぎ続けていることを、まだ誰も知らなかった。

 仲間たちが、それぞれの形で、それぞれの覚悟を決めていく。  その中で、相田宗一郎だけが、未だに自室の床の上で、膝を抱えたまま動けずにいた。  彼らの覚悟が眩しければ眩しいほど、宗一郎の内なる闇は、より濃く、深く、その輪郭を露わにする。  (俺だけだ。何もできないのは)  陽菜には、国と精霊の歴史を背負う使命がある。朱鷺には、復讐を超えた、国を正すという義憤がある。玄には、仲間を守るという、剣士としての覚悟がある。  自分には、何がある?  偶然手に入れた、規格外の力。  だが、それすらも、時雨の前では通じなかった。あの男の、世界のルールそのものを内側から書き換えるような、絶対的な「理」の前では、宗一郎の転移魔法など、盤上の駒をズルして動かすだけの、小手先の「現象」いじりに過ぎなかった。  「玩具だ」と、時雨は言った。  その通りだった。自分は、強力な玩具を手にはしゃいでいただけの、空っぽの子供だった。  (結局、俺は何も変われない。あの教室にいた頃と、何も)  無力感という名の冷たい泥が、足元から這い上がり、心臓を掴む。このまま、この冷たい王宮の一室で、あの頃のように、息を殺してうずくまっているしかないのか。  その時だった。  コン、コン、と、やけに間延びしたノックの音が、彼の部屋の扉を叩いた。  返事をする気力もなく黙っていると、扉は、なんの遠慮もなく、ギィ、と軋む音を立てて開かれた。  「よう、坊主。まだウジウジしておるのか」  ひょっこりと顔を覗かせたのは、指南役・鉄斎だった。その手には、みすぼらしい部屋着とは不釣り合いな、年代物の立派な酒瓶が抱えられている。  「……何の用ですか。俺は、もう……」  「まあ、そう腐るな」鉄斎は、勝手に部屋に入り込むと、宗一郎の隣にどっかりとあぐらをかいた。「時雨の小僧に、自慢の力が通じなかったのが、そんなに堪えたか」  図星を突かれ、宗一郎は顔を伏せる。鉄斎は、そんな彼を意にも介さず、酒瓶の栓を「ポン」と小気味よい音を立てて抜き、その芳醇な香りを鼻で楽しんだ。  「お主の力は、確かに規格外じゃ。じゃがな、それは所詮、この世の『現象』をいじっておるに過ぎん。空間から空間へ、モノを移動させる。それだけじゃ」  鉄斎は、酒を湯呑みに注ぎ、ぐい、と煽る。  「だが、時雨の小僧が操る力は、もっと根が深い。あれは『理(ことわり)』そのものじゃ。水が上から下に流れる、というような、この世界の大本のルールに干渉する力よ。そんな奴の前では、お主の力なぞ、川の水を必死で手で掬(すく)おうとするようなもの。ただの玩具よ」  時雨に言われたのと同じ、決定的な言葉。宗一郎は、唇を噛みしめる。  「じゃあ、どうしろって言うんですか! そんなの、勝てるわけないじゃないですか!」  「だから、ここに来てやったんじゃろ」  鉄斎は、ニヤリと笑うと、湯呑みを床に置き、よろよろと立ち上がった。  「ちと散歩に付き合え、坊主。お主の中に眠っておる、とんでもない化け物の顔を、ワシに見せてみい」

 夜の王宮訓練場は、静寂に包まれていた。  昼間の騎士たちの熱気は、夜の湿った空気に冷やされ、今はただ、濃い草の匂いと土の匂いだけが立ち込めている。  雲の切れ間から覗く月が、だだっ広い土の地面を、舞台照明のように青白く照らし出していた。遠くで、名前も知らない虫の声だけが、りん、りんと響いている。  「さて」  鉄斎は、どこからか拾ってきた、ただの枯れた小枝を一本、ひゅん、と軽く振った。  「ここで、お主に一つ、稽古をつけてやる。ルールは簡単じゃ」  彼は、酒瓶の残りを大事そうに地面に置くと、宗一郎に向き直った。  「お主は、魔法を一切使うな。転移も、あの変な壁も、一切禁止じゃ」  「え」  「そして、ただ、ワシのこの小枝から、自分の身を避け続けてみよ。それだけじゃ」  宗一郎は、唖然とした。先日、騎士団を相手にした時と、全く逆の立場。  (無理だろ、どう考えたって)  この老人は、あの玄や朱鷺の師なのだ。その攻撃を、魔法なしで避けろなど、拷問以外の何物でもない。  「あの、それって、何か意味が……」  「意味ならある」鉄斎は、宗一郎の言葉を遮った。「お主は、自分の力が『現象』をいじるだけだと言われて、悔しいんじゃろ? ならば、現象の、さらに奥にあるものを、その目で見開いてみせい」  鉄斎の姿が、ふっと、かすんだ。  そう見えた瞬間、宗一郎の視界の端に、老人の顔が迫っていた。  「ぺしっ」  軽い、気の抜けたような音と共に、小枝が、宗一郎の後頭部を、正確に、しかし痛みは全くない絶妙な力加減で叩いた。  「なっ……!」  いつの間に背後に回られたのか、全く分からなかった。宗一郎が慌てて振り返ると、鉄斎は、すでに三メートルほど離れた元の場所に、酒瓶を持って呑気に立っている。  「どうした、坊主。そんなことでは、夜が明けてしまうぞ」

 そこから先は、一方的な蹂躙(じゅうりん)だった。  宗一郎は、神経を全て目に集中させる。鉄斎の、その一挙手一投足を見逃すまいと、まばたきすら忘れて凝視する。  だが、鉄斎は、ほとんど動いていないように見える。  右肩が、ほんの少し揺れた。そう認識した瞬間、  「ぺしっ」  今度は、左の肩が叩かれる。  「くそっ!」  左に飛び退くと、待ち構えていたかのように、右の脛(すね)を小枝が撫でる。  「ぺしっ」「ぺしっ」「ぺしっ」  額。背中。脇腹。  痛みはない。だが、その屈辱感が、宗一郎の心の奥底にこびりついた、古い記憶を容赦なくこじ開けた。  (ああ、これ、知ってる)  この感覚を、彼は知っていた。  現世の、あの薄暗い教室。  どこに逃げても、どこに隠れても、いじめっ子たちの手が伸びてくる。  ロッカー室に鍵をかけて閉じ込められ、どこから殴られるか分からない恐怖。体育館の裏で、背後から突然突き飛ばされる理不尽。  予測不能な暴力に、ただ、なす術もなく晒され続けた、あの日の絶望。  「やめろ……」  息が荒くなる。足がもつれる。  「やめてくれ……!」  鉄斎の姿が、あの日の嘲笑を浮かべたクラスメイトたちの顔と重なる。  パニック。  宗一郎は、ついにその場にうずくまり、両手で頭を固く、固く抱え込んだ。あの頃と、全く同じ格好で。

 虫の声が、急に大きくなったように感じた。  月明かりが、冷たく背中に突き刺さる。  攻撃が、来ない。  静寂の中、頭上から、鉄斎の静かな声だけが降ってきた。  「目で見るな、心で読め」  うずくまる宗一郎は、顔を上げられない。  「お主は、目で追うから遅れる。ワシが小枝を振り下ろす、その『結果』を見てから動くから、間に合わんのじゃ」  鉄斎は、宗一郎の隣にゆっくりとしゃがみ込み、月を見上げた。  「相手の呼吸。筋肉の微細な動き。足が地面を擦る、その僅かな音。そして何より、殺気――お主に当てようとする、その『意図』の流れ。その全てが、ワシの次の動きを、ワシ自身より早くお主に教えてくれるわい」  その言葉に、宗一郎の身体が、ピクリと震えた。  (意図を、読む?)  彼は、知っていた。  その感覚を。  彼は、現世で、いじめから逃れることはできなかった。だが、その地獄の中で、生き延びるため、無意識に、たった一つのスキルを磨き上げていた。  相手の顔色を窺うこと。  殴られる、その瞬間を予測すること。  主犯格の男が、今日は機嫌がいいか、悪いか。彼の眉が、ほんの僅かにピクリと動く。その声のトーンが、いつもより半音だけ、高い。その肩が、不自然に力む、その一瞬。  それらの微細な情報を、彼は、生き延びるためだけに、必死で読み取ろうとしていた。  それは、この世界に来て、転移という「力」を手に入れたことで、必要がなくなり、心の奥底に封印していた、「弱者のスキル」だった。

 宗一郎は、うずくまったまま、ゆっくりと、目を閉じた。  うるさい視覚情報を、遮断する。  聴覚が、研ぎ澄まされていく。  りん、りん、と響く虫の声。夜風が、遠くの木の葉を揺らす音。  そして、すぐ近くで響く、鉄斎の、ゆっくりとした、深い呼吸の音。それは、まるで大地の脈動のように、規則正しく空気を震わせている。  肌が、風の流れを感じる。地面から、微かな振動が伝わってくる。  (まだだ)  (まだ、来ない)  彼は、ただ、待つ。  その時。  鉄斎の呼吸が、ほんの一瞬、止まった。  空気が、ピンと張り詰めた。  鉄斎の右肩の筋肉が、服の上からでも分かるほど、微かに収縮する。小枝を握る指先に、力がこもる。攻撃の「意図」が、殺気とは違う、純粋なエネルギーの「揺らぎ」として、宗一郎の肌に伝わってくる。  (来た!)  宗一郎は、目を開けないまま、考えるよりも先に、頭を抱えたままの姿勢で、地面を転がるようにして左へと動いた。  「ぺしっ」  先ほどまで、自分の頭があった場所の空間を、小枝が空しく叩く音が響いた。  紙一重。  彼は、鉄斎の攻撃を、初めて、完璧に避けることに成功していた。

 宗一郎が、砂埃にまみれたまま、ゆっくりと目を開ける。  月明かりの中、鉄斎が、酒瓶を片手に、満足げな、子供のような笑みを浮かべて立っていた。  「ほっほっほ! どうやら、開眼したようじゃな。お主、見かけによらず、とんでもないモンを、その内に飼っておるわい」  宗一郎は、自分の掌を見つめた。  転移魔法を使った時のような、全能感はない。だが、心臓の鼓動に合わせて、指先まで熱い血が通っている感覚が、確かにあった。  それは、チート能力とは似ても似つかない、彼自身が、相田宗一郎という人間が、あの地獄のような日々を生き延びるために、必死で磨き上げた、本物の「力」の片鱗だった。  彼はまだ、この「相手の意図を読む力」が、時雨の操る「理」と渡り合うための、唯一の鍵になることを知らない。  だが、彼の心の奥底に、鉛のようにこびりついていた無力感は、ほんの少しだけ、その夜の澄んだ月明かりに溶けていった気がした。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜

平明神
ファンタジー
 ユーゴ・タカトー。  それは、女神の「推し」になった男。  見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。  彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。  彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。  その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!  女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!  さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?  英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───  なんでもありの異世界アベンジャーズ!  女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕! ※不定期更新。 ※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。

勘当された少年と不思議な少女

レイシール
ファンタジー
15歳を迎えた日、ランティスは父親から勘当を言い渡された。 理由は外れスキルを持ってるから… 眼の色が違うだけで気味が悪いと周りから避けられてる少女。 そんな2人が出会って…

荷物持ちを追放したら、酷い目にあった件について。

しばたろう
ファンタジー
無能だと思い込み、荷物持ちのレンジャーを追放した戦士アレクス。 しかし―― 彼が切り捨てた仲間こそが、 実はパーティを陰で支えていたレアスキル持ちだった。 事実に気づいた時にはもう遅い。 道に迷い、魔獣に襲われ、些細な任務すらまともにこなせない。 “荷物持ちがいなくなった瞬間”から、 アレクスの日常は静かに崩壊していく。 短絡的な判断で、かけがえのない存在を手放した戦士。 そんな彼と再び肩を並べることになったのは―― 美しいのに中二が暴走する魔法使い ノー天気で鈍感な僧侶 そして天性の才を秘めた愛くるしい弟子レンジャー かつての仲間たちと共に、アレクスはもう一度歩き出す。 自らの愚かさと向き合い、後悔し、懺悔し、それでも進むために。 これは、 “間違いを犯した男が、仲間と共に再び立ち上がる” 再生の物語である。 《小説家になろうにも投稿しています》

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

処理中です...