転移魔法は最強の攻撃魔法である!!

yomuyomu

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第5部:復讐の刃と忘れえぬ残照

第45話:朱鷺の追憶・三 ~剣の師と、復讐という名の生きる糧~

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その殺意は、あまりにも幼く、あまりにも無力だった。 錆びた短剣を握りしめ、憎悪の源である部隊長に向かってよろめき走るトキ。 その姿は、馬上の隊長にとって、地獄の業火の中で目にした、束の間の滑稽な余興に過ぎなかった。

「……虫けらが」

彼は、もはや剣を抜くまでもないと判断した。馬上で槍の柄を握り直す。 いや、それすらも面倒だったのか。 彼は、トキが憎悪のままに振りかぶった短剣を、まるで邪魔な枝でも払うかのように、鋼鉄の籠手(こて)を装着した腕で、無造OK作に横薙ぎに打ち払った。

ガギン!という鈍い音。 幼い腕には到底支えきれるはずもない衝撃が走り、短剣はあらぬ方向へ弾き飛ばされる。トキの体は、木の葉のように軽く宙を舞い、燃え盛る家の壁に叩きつけられ、瓦礫と泥水の中へと転がった。

「が……っ、かはっ……!」

肺から空気が全て搾り出される。痛い。熱い。 だが、それ以上に、届かなかったことが、悔しい。 憎悪の炎が、その小さな体を内側から焼き尽くさんばかりに燃え盛る。

「おい、坊主!」 深手を負った玄(げん)が、泥水の中で必死に叫ぶ。「逃げろ! 早く!」 だが、トキはもう、その声が聞こえているのかいないのか、瓦礫を掴み、再び立ち上がろうと身をよじる。その瞳は、まだ、まっすぐに隊長だけを睨みつけていた。

「……しぶとい」

隊長は、兜の下で、はっきりと舌打ちをした。 この子供の、常軌を逸した「目」。それをこのまま生かしておくのは、後々面倒なことになる。そう、彼が本能で判断した。 彼は馬から静かに降り立つと、今度こそ、とどめを刺すために、腰の重い剣を引き抜いた。 玄が「やめろ!」と叫ぶが、出血で視界が霞み、もう指一本動かせない。

絶体絶命。 隊長の剣が、無感情に、トキの小さな頭上へと振り上げられる。

「―――おやおや」

その、場違いなほどに呑気な声は、一体どこから聞こえたのか。 隊長が振り上げた剣が、ピタリ、と止まる。

いつから、そこにいたのか。 トキと隊長の間。燃え盛る炎を背に、一人の老人が立っていた。 みすぼらしい、酒の匂いが染み付いた旅装束。手には、大きな瓢箪(ひょうたん)が一つ。どう見ても、これから戦場に介入する人間の格好ではなかった。 酔っているのか、その足取りは、どこか、ふらふらと頼りない。

「……邪魔だ、消えろ、爺」

隊長は、任務の最終段階を邪魔されたことに苛立ち、その刃の向きを、老人へと変えた。 国家の最精鋭が放つ、必殺の一撃。風を切り、老人の首筋へと、まっすぐに迫る。

だが。

「ほっ」

老人は、瓢箪を持ったまま、まるで舞でも舞うかのように、最小限の動きで、その刃を、すり抜けた。 いや、違う。 その光景を、息も絶え絶えに見つめていた玄には、わかった。 あれは、「避けた」のではない。 老人は、隊長の剣が振り下ろされる「前」に、その剣が到達する「べき」場所から、ただ、一歩、ずれていた。まるで、最初から、そこが安全であることを知っていたかのように。

「なっ!?」

隊長の、初めての驚愕の声。 老人は、よろよろと、隊長の懐へと、まるで酔って倒れ込むかのように、入り込む。 そして、

コツン。

と、瓢箪の底で、隊長の分厚い鎧の、肘の、ほんの小さな隙間を、軽く、突いた。

「―――!?」

声にならない悲鳴。 甲高い金属音と共に、隊長の右腕は、ありえない方向に折れ曲がり、その手から重い剣が滑り落ちた。

「馬鹿な……!? 魔法か!?」 「いや、違う……!」

玄は、戦慄していた。 あれは、魔法ではない。自分が生涯をかけて追い求めている「剣術」ですらない。 もっと、根本的な、何か。 まるで、川の流れを、一掬(いっきく)の手水(ちょうず)で変えてしまうかのように。 彼は、隊長の攻撃という「原因」が生み出す「結果」の軌道を、完璧に見抜き、その「理(ことわり)」そのものに、最小限の力で介入したのだ。

隊長は、この老人を「人間」として認識することを、瞬時に放棄した。 これは、化け物だ。自分たちの常識が、国の力が、一切通用しない、規格外の「何か」だ。

「……退け! 全員、撤退だ! 任務は完了した!」

彼は、折れた腕を押さえ、後退る。 部隊は、そのただ一言で、まるで潮が引くかのように、負傷者を回収し、一瞬にして、炎と煙の闇の中へと消え去っていった。 任務は、あくまで「ジルベスタの隠蔽」。こんな、規格外の化け物と交戦することは、任務に含まれていない。

嵐が、去った。 後には、全てを失った廃墟と、絶え間なく降り注ぐ、冷たい夏の雨の音だけが残った。 ジジジ……と、燃え残った木材が、雨に濡れて、最後の音を立てている。 血と、煙と、灰の匂い。

「やれやれ。ちいとばかし、騒がしい祭りじゃったわい」

老人は、何事もなかったかのように、瓢箪から酒を一口あおると、深手を負った玄のそばにしゃがみ込んだ。

「ぐ……っ、あんた、は……」 「ん? ワシか? ワシは、鉄斎(てっさい)。ただの、通りすがりの酔っ払いよ」

鉄斎は、玄の脇腹の傷を一瞥すると、「こりゃひでえ」と呟きながら、懐から汚れた布きれを取り出し、その傷口に、酒を、だばだばと景気良くぶっかけ始めた。

「ぎゃあああああああ!!!!」 「お、効いとる、効いとる。これでのう、化膿はせんじゃろ」 「殺す気か、クソ爺!」 「命の恩人に、その口の利き方はないじゃろうに」

鉄斎は、玄の絶叫など意にも介さず、その傷を、手ぬぐいで、まるで米俵でも縛るかのように、乱暴に、しかし、的確に縛り上げた。

そして、彼は、ゆっくりと立ち上がると、雨の中で、まだ、動かない少女の元へと、歩み寄った。

トキは、立ち上がれずに、泥水の中で、ただ、震えていた。 寒さからではない。恐怖からでもない。 あの隊長が消えたことで、行き場を失った、純粋な「憎悪」のエネルギーが、彼女の小さな体を、内側から破壊しそうになっていた。

鉄斎は、その小さな背中を、静かに見下ろした。 その、普段は酔って濁っているかのような瞳が、この瞬間だけ、全てを見透かす、神仏のような、深淵な光を宿していた。

彼は、見抜いていた。 この少女が、今この瞬間、完全に「壊れた」ことを。 家族、故郷、幸福、生きる理由、その全てを失ったことを。 そして、この少女を、今、かろうじてこの世に繋ぎ止めている、たった一本の、細く、黒い糸の存在を。 それは、「復讐」という名の、強烈な「渇愛(かつあい)」―――過去への執着だった。

彼は、理解していた。 仏教でいう「集諦(じったい)」。苦しみの原因は、渇愛(執着)にある。 だが、皮肉なことに、今、この少女を生かすことができるのは、その「苦しみの原因」である、猛烈な執着、ただそれ一つしかない、ということを。

彼は、静かに、しゃがみ込んだ。 古酒と、土埃の匂いが、ふわり、とトキの鼻をかすめた。

「……その憎しみ、どうするつもりじゃ」

鉄斎の、静かな問い。 トキは、泥水の中から、ゆっくりと顔を上げた。 その瞳は、もはや、十歳の少女のものではなかった。それは、炎の夜に全てを失い、弟の死を目撃した、復讐の鬼火を宿す、亡霊の目だった。

彼女は、震える唇で、血の味の混じる、最後の言葉を、絞り出した。

「……力を」

「ほう?」

「力を、ください」 彼女は、泥だらけの手で、鉄斎の旅装束を、強く、強く、掴んだ。 「すべてを奪った……あの男たちを、この手で、斬り捨てるための……力を!」

鉄斎は、その目を見返した。 彼は、諭さなかった。嘆かなかった。否定しなかった。 ただ、この少女の「渇愛」が、巡り巡って、この国の、もっと大きな「因果」の歯車を回すことになるであろう、その「理(ことわり)」の軌道を、静かに見つめていた。 そして、ゆっくりと、しかし、はっきりと、頷いた。

「―――よかろう」

その一言が、彼女の新しい人生の、始まりだった。

鉄斎は、立ち上がると、まず、意識を失いかけている玄を、米俵のように軽々と、片方の肩に担ぎ上げた。 そして、もう片方の腕で、泥水の中で震え続ける、小さなトキの体を、まるで荷物のように、無造作に、しかし、決して離さないように、抱え上げた。

彼は、歩き出した。 燃え尽きた故郷。灰色の雨。 父の亡骸も、母の亡骸も、弟の亡骸も、そこにある。 だが、トキは、もう、振り返らなかった。

復讐のためだけに生き、復讐のためだけに剣の道を歩む。 彼女の、地獄の旅が、今、始まった。

―――視界が、白から、黒へ。そして、再び、色を取り戻す。

キィィィン!!!!

耳をつんざく、金属の摩擦音。 穢れの森。 朱鷺の『白鷺』は、時雨の放つ、瘴気の渦巻く腕によって、寸前で受け止められていた。

(……そうだ。私は、あの日に、死んだ) 朱鷺の意識が、現在へと、急速に引き戻される。

(そして、あの男たちを、この国の全てを、この手で斬り捨てるためだけに、生きてきた!)

彼女の瞳は、あの夜、弟を殺された瞬間の、冷たく、燃え盛る殺意の光を、寸分違わず、たたえていた。 過去は、過ぎ去ってはいない。 彼女にとって、あの「紅い夜」は、今、この瞬間も、繰り返し再生され続ける、現在なのだ。

「まずは、あなたからだ!」

彼女の憎悪の全てが、時雨へと叩きつけられる。 時雨は、その、あまりにも純粋な殺意を、自らと同じ「過去に囚われた亡霊」のものとして、冷たく、受け止めた。

「愚かな。お前もまた、過去に囚われた亡霊か!」

ドゴオオオオオン!!!!

二つの、あまりにも強大な「渇愛(執着)」が、真っ向から激突した。 その衝撃波は、もはや物理的な力ではなく、二つの魂が世界に対して突きつけた「拒絶」の叫びだった。 穢れの沼が、沸騰したかのように逆巻き、森の木々が根元から引き裂かれ、大地そのものが、二人の絶望の重さに耐えきれず、悲鳴を上げる。 その激震は、後方で息を呑む、宗一郎たち一行の運命をも、激しく揺さぶった。
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