47 / 61
第5部:復讐の刃と忘れえぬ残照
第47話:朱鷺の追憶・四 ~『天下一』という名の虚像~
しおりを挟む(俺が、嫌なんだよ!)
あの、みっともなく、不器用で、しかし、あまりにも真っ直ぐな魂の叫び。 宗一郎の言葉が、十数年ぶりに、朱鷺(とき)の凍りついた心の鎧に、決定的な亀裂を入れた。 激突の衝撃と、心の激震。その二つによって、彼女の意識は、再び、深く、冷たい過去へと沈んでいく。
―――あれから、何年が経っただろうか。
ジルベスタが燃え尽きたあの「紅い夜」。 指南役・鉄斎(てっさい)に拾われたトキは、文字通り、人外の修行にその身を投じた。 生きる理由は、ただ一つ。 父を殺し、母を奪い、弟を虫けらのように踏みにじった、あの黒い鎧の部隊長と、それを命じた王国の闇、その全てを、この手で斬り捨てること。 その強烈な「渇愛(かつあい)」だけが、彼女をかろうじてこの世に繋ぎ止める、唯一無二の生きる糧だった。
彼女の剣の才は、鉄斎という規格外の師を得て、常軌を逸した速度で開花していく。 だが、彼女が求めるのは、ただの「強さ」ではなかった。 ジルベスタの真相。王国の暗部。そして、あの隊長の、名前。 それらに辿り着くための、最短にして、唯一の道。
「天下一」。
国王陛下の御前で、その武勇を競う「御前試合」。その頂点に立ち、国中にその名を知らしめた者にのみ与えられる、最高の栄誉。 その称号さえあれば、「天下一」という「鍵」さえ手に入れれば、王宮の深奥、あの黒い本が眠る「禁書庫」にさえ、近づくことができるかもしれない。
鉄斎の元を離れた彼女は、名を隠し、過去を隠し、ただ、その「鍵」を手に入れるためだけに、各地の武術大会を荒らし回り始めた。
場所は、灼熱の砂漠。 照りつける太陽が、闘技場の白い砂を焼き、観客の汗と、血の匂いが混じり合った乾いた砂埃が、熱風と共に舞い上がる。 「ウオオオオ!」 筋骨隆々の大男が、巨大な戦斧を振り回し、地響きを立てて突進してくる。 トキは、その場から一歩も動かない。 ただ、男が踏み込む瞬間の、筋肉の微細な収縮、呼吸の乱れ、殺気の揺らぎを「読む」。 戦斧が、風を切り、彼女の頭上へと迫る。 彼女は、まるで水が流れるかのように、その軌道から、半身だけを、すり抜ける。 そして、すれ違いざま、鞘に納めたままの刀の柄(つか)で、男の脇腹の急所を、コツン、と軽く突いた。 それだけ。 轟音と共に、巨漢は砂の上に崩れ落ち、二度と動かなかった。 観客の、熱狂とも、困惑ともつかない、奇妙な歓声が響く。 彼女の心には、何も響かない。
場所は、雪深い北国。 凍てつく吹雪が、仮設された試合場の旗を、バタバタと激しく打ち付ける。観客の吐く息は白く、剣戟の甲高い金属音だけが、雪に吸い込まれていく。 「やあああっ!」 北国最強と謳われる、二刀流の女剣士が、氷の結晶を散らしながら、神速の連撃を繰り出してくる。 トキは、その全てを、最小限の動きで、いなす。 まるで、未来が視えているかのように。 彼女には、視えていた。 相手の「意図」が、その刃筋よりも、コンマ数秒、早く。 女剣士の体力が尽き、動きが止まった、その一瞬。 トキは、踏み込まない。 ただ、静かに、相手の喉元に、木刀の切っ先を、ピタリと、合わせた。 「……参りました」 女剣士の、屈辱に震える声。 トキは、何も言わず、ただ、静かに一礼する。 その瞳は、凍てついた大地よりも、なお、冷たかった。
この頃から、彼女は、一つの「仮面」を身につけ始めた。 勝利の瞬間に、賞賛や、嫉妬や、あるいは畏怖の視線を向けられる。それら全てが、彼女にとっては、復讐の邪魔になる、ノイズでしかなかった。 だから、彼女は、微笑むことにした。 おっとりと、優しげに、誰に対しても、決して心の内を見せない、完璧な「笑顔」。 それは、あらゆる感情を受け流し、誰からも本心を悟らせないための、彼女が編み出した、最強の「鎧」だった。
そして、ついに、彼女は王都の御前試合、その決勝戦の舞台に立っていた。
情景は、一変する。 王宮の、壮麗な演武場。 空は、彼女の故郷の最後の日とは比べ物にならないほど、穏やかに晴れ渡っている。 観客席には、国王陛下、小雪姫(まだ幼い)、そして、色とりどりの絹の装束をまとった貴族たちが居並ぶ。 彼らの熱狂的な大歓声。舞い散る、祝福の花びらの、甘い香り。
彼女の最後の対戦相手。 それは、近衛騎士団の、若き団長。 猛(たける)よりもさらに上の世代、かつて朱鷺が御前試合で打ち破った、あの男だった。 彼は、王家への絶対的な忠誠と、揺るぎない正義を体現する、剛直な剣の使い手。 「王国に仇なす悪を、我が正義の剣が打ち砕く!」 彼の剣は、力強く、迷いがない。観衆は、その「正義の剣」に、熱狂的な声援を送る。
トキは、その「正義」の剣風を、ただ、静かに、受け流していた。 (正義、か) 彼女の心は、冷え切っていた。 (あなたたちが振りかざす、その『正義』が、あの日、私の故郷を、父を、母を、弟を、全てを焼き尽くした。そのことも、知らずに)
彼女の剣には、憎悪すら乗っていなかった。 ただ、目的を遂行するための、完璧なまでの「作業」。 焦った騎士団長の、渾身の一撃。大上段から振り下ろされる、必殺の剣。 トキは、その剣の軌道を、完全に見切っていた。 彼女は、初めて、踏み込んだ。 それは、まるで水面に浮かぶ木の葉が、そっと吸い寄せられるかのような、静かな踏み込みだった。
時が、止まる。 騎士団長の剣は、空を斬った。 そして、トキの木刀は、彼の分厚い鎧の、喉元、その寸前で、ピタリ、と、止まっていた。
一瞬の、完全な静寂。 そして、国王陛下の、厳かな宣言。
「―――勝者、トキ! これより、そなたに『天下一』の称号を授ける!」
次の瞬間、演武場は、割れんばかりの大歓声に包まれた。 「天下一!」「天下一!」 歴史上、最年少。そして、初めての女性の「天下一」が誕生した瞬間だった。
民衆の熱狂的な歓声。無数に降り注ぐ、色とりどりの花吹雪。 トキは、バルコニーに立ち、その全てを、一身に浴びていた。 彼女は、微笑んだ。 民衆が、誰もが、見たかった、完璧な「天下一の朱鷺」の、慈愛に満ちた、穏やかな笑顔を。
―――その夜。 王宮から与えられた、天下一のためだけの、最も豪奢な一室。 バルコニーから、王都の美しい夜景が、宝石箱のように広がっている。 朱鷺は、その光の海を、一人、静かに見下ろしていた。
手の中には、彼女が渇望してやまなかった「天下一」の証である、桐の箱に納められた、紫檀(したん)の木札。 目的は、達成した。 これで、王宮の闇の奥、「ジルベスタ」の名が記された、あの禁書庫まで、辿り着ける。
だが。 彼女の心を満たしていたのは、達成感ではなかった。 ただ、どこまでも広がる、底なしの「空虚」だった。
(これで、手に入れた) (でも、何も、満たされない)
目的を達成しても、その行動の根本原因である「渇愛(復讐心)」が、何一つ解決されていない。 どれほどの栄誉を手に入れようと、どれほどの賞賛を浴びようと、彼女の心の奥底で燃え続ける、あの「紅い夜」の絶望の炎は、少しも、消えてはくれなかった。 むしろ、この華やかな王都の光景が、燃え盛る故郷の炎を、より一層、鮮明に照らし出す。
「苦諦(くたい)」。 人生は、思い通りにならない。 たとえ、目的を達成したとしても、その根源にある執着を断ち切らない限り、心の渇き(苦しみ)は、決して、消えることはない。 その、どうしようもない真理を、彼女は、この勝利の絶頂で、独り、噛み締めていた。
彼女の本当の戦い。 それは、ここから、始まる。
朱鷺(モノローグ):「待っていて、リオ。……必ず、見つけ出す。あの男(隊長)を。そして、それを命じた、この国の、全ての闇を。この手で、殺す」
その瞳には、民衆に向けた慈愛の光など、微塵も残ってはいなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
勘当された少年と不思議な少女
レイシール
ファンタジー
15歳を迎えた日、ランティスは父親から勘当を言い渡された。
理由は外れスキルを持ってるから…
眼の色が違うだけで気味が悪いと周りから避けられてる少女。
そんな2人が出会って…
荷物持ちを追放したら、酷い目にあった件について。
しばたろう
ファンタジー
無能だと思い込み、荷物持ちのレンジャーを追放した戦士アレクス。
しかし――
彼が切り捨てた仲間こそが、
実はパーティを陰で支えていたレアスキル持ちだった。
事実に気づいた時にはもう遅い。
道に迷い、魔獣に襲われ、些細な任務すらまともにこなせない。
“荷物持ちがいなくなった瞬間”から、
アレクスの日常は静かに崩壊していく。
短絡的な判断で、かけがえのない存在を手放した戦士。
そんな彼と再び肩を並べることになったのは――
美しいのに中二が暴走する魔法使い
ノー天気で鈍感な僧侶
そして天性の才を秘めた愛くるしい弟子レンジャー
かつての仲間たちと共に、アレクスはもう一度歩き出す。
自らの愚かさと向き合い、後悔し、懺悔し、それでも進むために。
これは、
“間違いを犯した男が、仲間と共に再び立ち上がる”
再生の物語である。
《小説家になろうにも投稿しています》
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~
夏見ナイ
ファンタジー
過労死したプラントエンジニアの俺が転生したのは、剣と魔法の世界のド貧乏な貴族の三男、リオ。石鹸すらない不衛生な環境、飢える家族と領民……。こんな絶望的な状況、やってられるか! 前世の知識を総動員し、俺は快適な生活とスローライフを目指して領地改革を開始する!
農業革命で食料問題を解決し、衛生革命で疫病を撲滅。石鹸、ガラス、醤油もどきで次々と生活レベルを向上させると、寂れた領地はみるみる豊かになっていった。
逃げてきた伯爵令嬢や森のエルフ、ワケありの元騎士など、頼れる仲間も集まり、順風満帆かと思いきや……その成功が、強欲な隣領や王都の貴族たちの目に留まってしまう。
これは、ただ快適に暮らしたかっただけの男が、やがて“近代化の父”と呼ばれるようになるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる