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第6部:剣士の涙と贖罪の太刀
第53話:玄の追憶・二 ~紅い夜の絶望と、決して届かなかった剣~
しおりを挟む一年という歳月は、瞬く間に過ぎ去った。
橘 玄一郎(たちばな げんいちろう)は、再びジルベスタの地を踏んでいた。季節は巡り、あの日の約束通り、秋。黄金色(こがねいろ)の麦が豊かに実り、収穫を祝う祭りの活気が、町全体を包み込んでいる。
彼は、この日のために新調した、少しだけ上等な着物に身を包んでいた。懐(ふところ)には、小夜(さよ)に贈るはずの、白銀(しろがね)の細工が施(ほどこ)された美しい櫛(くし)を忍(しの)ばせている。一年ぶりの再会。彼女は、元気にしているだろうか。少しは、大人びただろうか。逸(はや)る心を抑(おさ)えきれず、彼の口元には、普段は見せない柔らかな笑みが浮かんでいた。
町の広場は、色とりどりのランタンで飾られ、陽気な音楽と人々の楽しげな歌声で満ち溢(あふ)れている。屋台からは、焼きたてのパンや、甘く煮詰(につ)めた果実の香ばしい匂いが漂(ただよ)い、子供たちが歓声を上げながら駆け回っている。どこまでも平和で、幸福な光景。
彼は、人混みの中から、小夜の姿を探していた。彼女が仕えているというジルベスタ伯爵の城は、広場を見下ろす丘の上に建っている。彼は、城のバルコニーを見上げた。そこに、領主一家と共に、祭りを眺める侍女たちの姿があった。その中に、ひときわ優美な立ち姿で微笑む、小夜を見つけた。彼女もまた、彼に気づき、小さく手を振った。
玄一郎の幸福が、絶頂に達した、まさにその瞬間だった。
空が、割れた。
何の予兆もなく、領地の四方を囲む森から、空が不気味な赤黒い色に染まり、大地が、腹の底から揺さぶられるような激しい震動に見舞われた。
悲鳴。
祭りの音楽は一瞬にして止み、代わりに、人々の絶叫が夜空を引き裂いた。領地を守っていたはずの、目に見えない防護結界が、巨大なガラスが砕け散るような甲高い音を立てて崩壊する。
「な、なんだ!?」
次の瞬間、赤黒く染まった森の闇から、おぞましい形をした「何か」が、津波(つなみ)のように町へとなだれ込んできた。それは、彼がこれまでの人生で一度も見たことのない、異形の怪物――「妖怪」の群れだった。
それだけではない。妖怪たちと同時に、漆黒(しっこく)の全身鎧(よろい)に身を固めた、王国騎士団と酷似(こくじ)した装備の兵士たちが、冷酷な殺意を漲(みなぎ)らせて出現した。
「敵襲かっ!」
玄一郎は、反射的に腰の愛刀に手をかけ、抜刀する。
「民を守れ! 女子供(おんなこども)を安全な場所へ!」
彼は、父から叩き込まれた「正義の剣」の教えに従い、迷うことなく妖怪の群れへと斬りかかった。
だが、次の瞬間、彼は信じられない光景を目撃し、その場で凍りつくことになる。
漆黒の鎧の兵士たちが、妖怪だけでなく、逃げ惑う領民たちを――老人を、女を、幼い子供さえも、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、まるで虫けらを潰(つぶ)すかのように、次々と斬り捨てていたのだ。
「な、何を……!?」
玄一郎の脳は、理解を拒絶した。
「なぜだ!? なぜ王国の兵士が、民を襲う!? 何かの間違いだ!」
彼の混乱を嘲笑(あざわら)うかのように、漆黒の部隊を率いる隊長――影山(カゲヤマ)が、血に濡れた妖刀を肩に担ぎ、彼の前に立ちはだかった。
「見慣れぬ顔だな。まあ、いい。この地の者は、赤子に至るまで、王国の『害虫』として駆除(くじょ)する。抵抗すれば、お前もだ」
その言葉に含まれた、一切の人間性を感じさせない冷酷さが、玄一郎の全身の血を沸騰(ふっとう)させた。
「ふざけるなあっ!!」
彼は、自らの信じる「正義」の全てを叫びに乗せた。
「俺の剣は、民を守る正義の剣だ! 貴様のような国賊(こくぞく)、俺が斬る!」
炎と煙が渦巻く中、二つの剣が激しく火花を散らす。
玄一郎の剣は、速く、鋭く、そして重い。長年の鍛錬(たんれん)によって培(つちか)われた、紛(まぎ)れもない一流の剣技。
だが、影山の剣は、それを遥(はる)かに凌駕(りょうが)していた。妖刀から放たれる禍々(まがまが)しい瘴気(しょうき)が玄一郎の剣を鈍らせ、予測不能な軌道で繰り出される斬撃が、彼の防御を的確に切り裂いていく。
影山の剣は、「守る」ことなど一切考慮(こうりょ)されていない。「殺す」ためだけに、ただひたすらに研(と)ぎ澄(す)まされた、凶刃(きょうじん)そのものだった。
玄一郎の「守る」ための剣は、影山の「殺す」ための剣に、徐々に、しかし確実に押し返されていく。
「(強い……! だが、負けるわけにはいかない! 小夜を、守らねば!)」
彼が歯を食いしばり、反撃に転じようとした、その瞬間だった。
視界の端(はし)に、それが見えた。
影山の背後、燃え盛る屋敷の陰から、幼い男の子(朱鷺の弟・リオ)の手を必死に引いて、小夜が逃げ出してくるのが。
「玄一郎様!」
その声。その姿。
玄一郎の心に、一瞬、致命的な隙(すき)が生まれた。
影山は、その刹那(せつな)を見逃さなかった。
「――終わりだ」
妖刀が、閃(ひらめ)いた。
玄一郎の右肩を、骨まで断(た)つかのような激痛が貫(つらぬ)く。愛刀が、手から弾き飛ばされ、乾(かわ)いた音を立てて石畳(いしだたみ)に転がった。
彼は、燃え盛る荷車の残骸(ざんがい)に叩(たた)きつけられ、右腕の感覚を失い、激痛で身動き一つ取れなくなった。
「(ああ……!)」
薄(うす)れゆく意識の中、彼は見た。
数メートル先。影山が、邪魔(じゃま)そうに小夜とリオを見下ろしている。
小夜は、必死にリオを庇(かば)い、何かを懇願(こんがん)している。「どうか、この子だけは……」
そして、影山が、まるで道端(みちばた)の石ころを蹴(け)るかのように、何の感情もなく、まず小夜を、次に泣き叫ぶリオを、一太刀(ひとたち)の下(もと)に斬り捨てるのを。
(朱鷺の記憶と、玄の記憶が、今、完全に一つになった。
彼女が押入れの隙間から見た地獄と、彼が地面に這(は)いつくばって見た地獄は、同じ一つの、残酷(ざんこく)な真実だった)
「さ……よ……」
玄一郎は、血だまりに沈んでいく小夜に、血塗(ちまみ)れの左手を必死に伸ばした。
しかし、その手は、彼女に渡すはずだった懐(ふところ)の櫛(くし)を、ただ虚(むな)しく握りしめるだけだった。
届かない。
彼の剣は、届かなかった。
彼が信じた「正義」は、彼女を守れなかった。
彼が誓った「約束」は、果たされなかった。
意識が、急速に遠のいていく。
彼が最後に見たのは、全てをあざ笑うかのように燃え盛る炎と、血に濡(ぬ)れた妖刀を無造作(むぞうさ)に振(ふ)るう影山の、冷酷(れいこく)な背中だけだった。
橘 玄一郎(たちばな げんいちろう)の心は、この夜、愛する小夜と共に、ここで確かに死んだ。
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