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第二話
しおりを挟む午後十二時を回り、和泉は休憩に入った。
コンビニで買った弁当と、休憩室にある自動販売機で買ったブラックコーヒーが定番の昼食メニューだ。節約の為にも自分で弁当を作った方が良いとは分かっているのだけれど、どうにも気が進まず、毎度コンビニ弁当に頼ってしまう。
「はあ……」
弁当を食べ終え、ブラックコーヒーを一口飲んだタイミングでため息が漏れた。
(会社辞めてぇ……)
休憩時間は毎度憂鬱な気持ちになる。あと、三十分もすれば、あの地獄のオフィスに戻らなければならないのだ。
和泉がモノモノ文具に入社して今年で三年が経つ。大学四年生の頃、特に就きたい仕事もなく、ただただ就活が面倒くさくてそれほど頑張らずに会社の面接を受けていた和泉に唯一内定をくれたのがモノモノ文具だったのだ。
今思えば、もう少し就活を頑張っていればよかったと思う。なんたって、和泉が配属された部署は、モノモノ文具お客様相談室という、要は苦情受付係だったのだから。毎日人に怒られ、怒鳴られ、謝罪しての繰り返し。
仕事にやりがいなんてまったく感じたことがない。どうしてこの仕事をしているのか分からない。けれど、この会社を辞め、また就活をするのも面倒なのでなんとなく今の仕事を続けている。
「はあ」
今日何度目かもわからないため息をついた時、ふと休憩室のドアが開いた。
「なんだよ、また溜息か?」
声がした方を振り返ると、和泉の同期、吉田が立っていた。紺色のスーツを着こなし、髪もワックスできっちりとセットされている。寝癖をつけたままの和泉とは大違いである。
「どうしたんだよ。また病んでんのか?」
「……会社辞めたいなって」
「ははは、またか」
吉田の豪快な笑い声が狭い休憩室に響き渡る。吉田は営業開発部のエースだ。
人懐っこい性格をしているので、上司からも女性社員からも気に入られており、発想力に関しては周りよりも頭一つ抜けているので、吉田が発案したものはよく商品になっている。そして、その売れ行きも好調なので、モノモノ文具においてなくてはならない存在だ。
吉田は手に持っていた弁当袋を机の上に置き、和泉の隣に腰を下ろした。
「辞めてどうする。他に行きたい会社でもあんのか?」
「ない」
「じゃあ、やりたい事があるとか?」
「ない」
「だろ? だったらやめるなよ」
この前飲みに行った時も、こんな感じのやり取りをしたなと和泉は思った。
「まあまあ、元気出せよ。ほら、から揚げやるからさ」
吉田は項垂れている和泉の口に半ば無理やりから揚げを押し込んだ。口の中にじゅわっと、油とニンニクの風味が広がっていく。
「……うまいな。愛理ちゃんの手作り?」
「まあな」
吉田は自慢げに鼻の穴を広げて頷いた。愛理とは、吉田が付き合っている彼女である。確か中学生からの付き合いだと言っていた。
「お前も彼女つくれよー。元気出るぞ!」
和泉の背中をバシバシと叩く吉田の鼻の穴は広がりっぱなしだ。きっと脳裏に愛理の顔でも思い浮かべているのだろう。
「俺はいい。恋愛とか、そういうの興味ないから」
「またそれかー。お前はそう言うけどな、案外楽しいもんだぞ。ほら、彼女とかできてさ、養う対象とかできたらお前も仕事頑張れるんじゃないの?」
「どうかな……」
和泉は、吉田から目を逸らし首を傾げた。和泉はもう恋愛をしないと心に決めていた。それは高校二年生の時に負った深い傷があるからだった。その傷はもう誰にも触れられたくはないものなので、それなりに好意を持たれて告白されても、和泉はずっとパートナーを作ってこなかった。
「でもさ……」
「そう言えば、愛理ちゃん仕事辞めたんだろ? いまどうしてんの?」
吉田がまた何か言い出しそうだったので、和泉は頭をフル回転させて違う話題を振った。この前飲みに行ったとき、愛理が仕事を辞めたと吉田が言っていて、ずっとその後の事が気になっていたのだ。
「ああ、愛理は今フリーでデザイナーしてる」
「へえ。フリーってすごいな」
「まあ、子どもの頃からの夢だったらしいから。中々利益を出すのは難しいらしいけど、会社に勤めてる時より生き生きしてるよ」
愛理の前職は確か銀行員だったはずだ。まったく路線が違う職種だし、安定して収入を得られる仕事を捨てて、独立に踏み切るのはかなり勇気がいっただろう。
「すげーな。愛理ちゃん」
和泉の口からは素直に尊敬の言葉しか出てこなかった。
「でもさ、それで言えば和泉も転職したいなら、愛理みたいに小さい頃自分がなりたいと思ってた仕事の方面を目指すとかもありなんじゃねーの? だってほら、今やりたい事もないんだろ?」
「まあ、確かに……」
「なんかなかったの? 憧れてた職業とか」
吉田にそう言われ、和泉は記憶を辿った。
(なりたかったものかー、あったっけな……)
小学校、中学校、高校、大学と自分の生活を思い返す中で、こうなりたいとか、そういう目標をもって生きてこなかった人生だったなと和泉は改めて自覚した。
小学校は、単純に友達と遊ぶのが楽しくて特に何も考えていなかった。中高一貫校に進学した際には当時強豪だった野球部に所属していたが、万年補欠で試合に出られたことなんか一度もないし、結局部活に励んでいた思いでしかない。
そして、大学は和泉自身まだ就職はしたくないという思いもあり、両親が進学を強く望んでいたことが後押しとなって、進学を選び、経済学を学んできた。ちなみに、何故経済学部を選んだのかもう理由は忘れてしまった。
一応勉学には励んだものの、その中で夢中になれることは特になかった。
小学生までの朧げな記憶を思い返してみたが、特に見当たるものもない。だとすれば、それ以前の記憶を遡ってみようと和泉が顎に片手を添えて天井を見上げた時、ふと脳裏に浮かんだものがあった。
「あ、あった」
「なになに」
吉田が興味津々と言った様子で和泉の顔を見る。
「戦隊ヒーロー」
「戦隊ヒーロー?」
「うん」
吉田のオウム返しに和泉が頷いたところ、吉田は噴き出してしまった。
「お前、戦隊ヒーロって」
「だから、ガキの頃の話だよ。だいたい皆憧れるだろ」
こんなにも笑われるとは思っていなかった和泉は、眉間に皺を寄せてブラックコーヒーを飲み干した。
「まあな。でも、そのルックスで戦隊ヒーローは無理だろ」
「失礼な奴だな、お前は」
吉田の言葉は少し頭に来るが、事実、戦隊ヒーローの役者は大体モデルのような美少年が起用されていることがほとんどだ。和泉はお世辞にもルックスがいい方とは言えないし、身長も百六十センチ程度で、スタイルもあまり良い方ではない。
「まあ、それ関係を仕事にするとして、現実的に言えば、撮影するスタッフとか、監督とか?」
「いやー、まあ戦隊ヒーローが好きってだけだから。いわゆる主人公のポジションに憧れがあったんだと思う」
幼稚園の頃、夢中になって戦隊ヒーローが出てくるテレビを観ていた。日曜日の朝、七時半という少し早めの時間帯に放送されるその番組を、頑張って早起きして観たものだ。
ある時は近所の遊園地に戦隊ヒーローが来るというので、両親に何度も頼みこんで連れて行ってもらった思い出もある。
そこで見たアクションシーンは幼稚園児だった和泉の目に強く焼き付いていた。悪者を退治して、弱きものを救うヒーロー。かっこいい、ただそう思った。
「人を助けて、誰かに感謝されて……。そんな仕事があればいいのにな」
もし仮に、ヒーローが一つの職業としてあるのなら。志願者はそれなりに多いのではないだろうかと和泉は思う。人を助けて感謝され、それが収入に繋がるならかなりいい仕事だ。そんな仕事があるのなら、和泉はすぐにでも今の会社を辞めるだろう。
「まぁさ、やりたい仕事に就いてる奴なんてそういないんじゃねーの? みんな生きていくために仕方なく働いてるってやつらがほとんどだろ」
吉田は、最後に残していた卵焼きを口に頬張って、ごちそうさまと手を合わせた。
(まあ、そうなんだけどさ……)
吉田の言っていることは分かる。誰もがやりたい仕事に就いているわけじゃないというのが現実なのだろう。しかし、小さい頃に思い描いていた大人の自分はこうではなかった。何者かになっていて、人生も充実している、そんな大人になっていると思っていたからこそ、この現実とのギャップにいつも苦しめられているのだ。
(どうしたらいいんだろうなー)
結局は同じことの繰り返しなのだ。仕事を辞めたいけれど、やりたい仕事が分からないの繰り返しで、答えを出せたことがない。
「……あ、やべ。悪い吉田。俺そろそろ戻るわ」
ふと、和泉が何となく時計に目をやると、午後の始業時間が近づいていた。
「おお、頑張れよ。また飲みに誘うわ」
「おう」
席を立ち、コーヒー缶をごみ箱に捨てた和泉は、休憩室を出て、いつものようにオフィスへ続く廊下を歩き、自分のデスクへと戻った。
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