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第一章 出逢い
9.過ぎる日々(一)
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久安五年(1149年) 秋
一年が過ぎて、再び秋が巡ってきた。
この一年の間で正清さまがおみえになったのは二回だけ。しかも、どちらも夕方にお着きになって、翌朝には発たれるという慌ただしさだった。
もう妻というより、ほとんど宿泊所か何かのような扱いである。
初めのうちは確かにそれが寂しくもあったけれど。
一年経った今では慣れて、私はまた娘の頃と同じ気楽な暮らしを楽しみ始めていた。
変わったことといえば、縫物をする機会が増えたことくらいだろうか。
婚礼が決まってから花嫁修業と称して、着物の仕立てを一通り習ったのだけれど、それが案外に楽しくて最近の私は暇さえあれば、部屋じゅうに布を広げて、縫ったり裁ったりしていた。
今縫っているのは、正清さまの新年用のご装束だった。
藍色の生地に、一ヶ月ほどかけてちまちまと刺した柳の葉の文様の刺繍が我ながら良い出来で、なかなかの自信作である。
お召しになったところをたぶん見られないというのは寂しいけれど……。
正清さまは、今も義朝さまとともに東国の鎌倉というところにいらっしゃる。
正清さまのご主君、義朝さまは現在、一族のなかでは随分と微妙な立場に立たされているようだった。
義朝さまは、現在の源氏の棟梁、為義さまのご長男なのだけれど、ご幼少のころに都を離れられ、遠い東国の地でお育ちになられた。
そのあたりの理由はよく分からないけれど、現在、為義さまは義朝さまの異腹の弟君、次郎義賢さまをお跡継ぎにと考えられているとのことだった。
都でお育ちになられた義賢さまは、東宮にお仕えして「帯刀先生」というお役職も賜っているらしい。
現在、「上総の御曹司」と称され、東国武士の畏敬の念を集めておられる(これは正清さまに伺った)義朝さまだけれど、中央での官位はいまだ無位無官。
公的な地位は明らかに義賢さまの方が上となる。
景致兄さまは、
「兄弟のうちの誰かが中央で地位を得て、他の兄弟が東国でいざという時に、他に対抗しうるための武力や財力を蓄える。源氏のお家の代々のやり方だよ。大殿は、義朝御曹司の力量を評価していらっしゃるからこそ、東国をお任せになろうとお考えなのではないかな。都での宮仕えとはちがって、荒々しい坂東武者たちを統率して、おさめていくのは誰にでも出来ることではないからな」
と、仰っていたけれど、義朝さまはそれに不服でいらっしゃったようで、先年、熱田の宮の大宮司の姫君とご婚儀を結ばれたのも、中央進出への足がかりとする為の意味が大きかったらしい。
義朝さまは、ご正室、由良姫さまとの間に若君、鬼武者さま(…すごいお名前)がお生まれになられると、上の兄君がたをさしおいてすぐさま、ご嫡男にお定めになられた。
その甲斐もあってか、由良姫さまの父君、藤原季範さまは全面的に義朝さまの京都進出を後押しして下さることをお約束下さったのだそうだ。
正清さまは、婚礼で我が家におみえになられる前に、御曹司の御用で熱田に立ち寄られたと言っておられたけれど、 それはこの由良姫さまのご実家と、上洛についてのお話が色々とあった為らしい。
「はあ。なんだかややこしいお家にお嫁ぎあそばしてしまいましたわね。源氏のご嫡男の乳兄弟の君、などというから、次代の源家の棟梁の一の側近のご正室だと手放しで、お喜び申し上げておりましたのに 」
槙野などは、時折、露骨にため息をついている。
まだ、数えるくらいしかお会いしていない夫君だけれど、そんな風に言われるとよい気はしない。
だいたい、正清さまのことを「三国一の婿君」だの「ご家中、随一の弓の上手」だのとさんざん持ち上げて大騒ぎしたのは元々は槙野の方なのだ。
「いいじゃないの。ご主君が跡継ぎになられようが、なれなかろうが。正清さまは正清さまよ。それが私に何の関係があるっていうの?」
「おおありですわ。源氏の棟梁の一の側近の北の方さまと、田舎さむらいの親玉の一の子分の女房どのとでは天と地ほども違うではありませぬか」
「そんな言い方をすれば、そりゃあ違って聞こえるわよ!そういうことじゃなくって!私は別に、有名な武将の北の方さまになりたくて殿と結婚したわけじゃないんですからね。だいたい何よ、田舎さむらいの親玉の子分って。正清さまに対してその失礼な言いぐさは」
「私はすべて、姫さまの御為を思って……」
「どこがよ。槙野は、正清さまが源氏の名だたる武将として京の都でときめかれて、私がその妻としてお側に呼んでいただけたら、自分も憧れの都暮らしが出来ると思ってあてにしてたんでしょ。それが外れたからって正清さまの悪口を言わないでよ」
「まあ、悪口など言ってなどおりませんよ。私は本当のことを申し上げているだけで……」
「まあまあ、お二人とも」
槙野の娘……つまり私には乳姉妹にあたる楓が呆れ顔で止めに入る。
そんな風に毎日、それなりに賑やかに慌しく過ごしているうちに、その年も暮れた。
一年が過ぎて、再び秋が巡ってきた。
この一年の間で正清さまがおみえになったのは二回だけ。しかも、どちらも夕方にお着きになって、翌朝には発たれるという慌ただしさだった。
もう妻というより、ほとんど宿泊所か何かのような扱いである。
初めのうちは確かにそれが寂しくもあったけれど。
一年経った今では慣れて、私はまた娘の頃と同じ気楽な暮らしを楽しみ始めていた。
変わったことといえば、縫物をする機会が増えたことくらいだろうか。
婚礼が決まってから花嫁修業と称して、着物の仕立てを一通り習ったのだけれど、それが案外に楽しくて最近の私は暇さえあれば、部屋じゅうに布を広げて、縫ったり裁ったりしていた。
今縫っているのは、正清さまの新年用のご装束だった。
藍色の生地に、一ヶ月ほどかけてちまちまと刺した柳の葉の文様の刺繍が我ながら良い出来で、なかなかの自信作である。
お召しになったところをたぶん見られないというのは寂しいけれど……。
正清さまは、今も義朝さまとともに東国の鎌倉というところにいらっしゃる。
正清さまのご主君、義朝さまは現在、一族のなかでは随分と微妙な立場に立たされているようだった。
義朝さまは、現在の源氏の棟梁、為義さまのご長男なのだけれど、ご幼少のころに都を離れられ、遠い東国の地でお育ちになられた。
そのあたりの理由はよく分からないけれど、現在、為義さまは義朝さまの異腹の弟君、次郎義賢さまをお跡継ぎにと考えられているとのことだった。
都でお育ちになられた義賢さまは、東宮にお仕えして「帯刀先生」というお役職も賜っているらしい。
現在、「上総の御曹司」と称され、東国武士の畏敬の念を集めておられる(これは正清さまに伺った)義朝さまだけれど、中央での官位はいまだ無位無官。
公的な地位は明らかに義賢さまの方が上となる。
景致兄さまは、
「兄弟のうちの誰かが中央で地位を得て、他の兄弟が東国でいざという時に、他に対抗しうるための武力や財力を蓄える。源氏のお家の代々のやり方だよ。大殿は、義朝御曹司の力量を評価していらっしゃるからこそ、東国をお任せになろうとお考えなのではないかな。都での宮仕えとはちがって、荒々しい坂東武者たちを統率して、おさめていくのは誰にでも出来ることではないからな」
と、仰っていたけれど、義朝さまはそれに不服でいらっしゃったようで、先年、熱田の宮の大宮司の姫君とご婚儀を結ばれたのも、中央進出への足がかりとする為の意味が大きかったらしい。
義朝さまは、ご正室、由良姫さまとの間に若君、鬼武者さま(…すごいお名前)がお生まれになられると、上の兄君がたをさしおいてすぐさま、ご嫡男にお定めになられた。
その甲斐もあってか、由良姫さまの父君、藤原季範さまは全面的に義朝さまの京都進出を後押しして下さることをお約束下さったのだそうだ。
正清さまは、婚礼で我が家におみえになられる前に、御曹司の御用で熱田に立ち寄られたと言っておられたけれど、 それはこの由良姫さまのご実家と、上洛についてのお話が色々とあった為らしい。
「はあ。なんだかややこしいお家にお嫁ぎあそばしてしまいましたわね。源氏のご嫡男の乳兄弟の君、などというから、次代の源家の棟梁の一の側近のご正室だと手放しで、お喜び申し上げておりましたのに 」
槙野などは、時折、露骨にため息をついている。
まだ、数えるくらいしかお会いしていない夫君だけれど、そんな風に言われるとよい気はしない。
だいたい、正清さまのことを「三国一の婿君」だの「ご家中、随一の弓の上手」だのとさんざん持ち上げて大騒ぎしたのは元々は槙野の方なのだ。
「いいじゃないの。ご主君が跡継ぎになられようが、なれなかろうが。正清さまは正清さまよ。それが私に何の関係があるっていうの?」
「おおありですわ。源氏の棟梁の一の側近の北の方さまと、田舎さむらいの親玉の一の子分の女房どのとでは天と地ほども違うではありませぬか」
「そんな言い方をすれば、そりゃあ違って聞こえるわよ!そういうことじゃなくって!私は別に、有名な武将の北の方さまになりたくて殿と結婚したわけじゃないんですからね。だいたい何よ、田舎さむらいの親玉の子分って。正清さまに対してその失礼な言いぐさは」
「私はすべて、姫さまの御為を思って……」
「どこがよ。槙野は、正清さまが源氏の名だたる武将として京の都でときめかれて、私がその妻としてお側に呼んでいただけたら、自分も憧れの都暮らしが出来ると思ってあてにしてたんでしょ。それが外れたからって正清さまの悪口を言わないでよ」
「まあ、悪口など言ってなどおりませんよ。私は本当のことを申し上げているだけで……」
「まあまあ、お二人とも」
槙野の娘……つまり私には乳姉妹にあたる楓が呆れ顔で止めに入る。
そんな風に毎日、それなりに賑やかに慌しく過ごしているうちに、その年も暮れた。
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